第30話 それでも、置いていく
朝は、静かに来た。
霧が、低く流れる。
足元が、冷たい。
人数を、数える。
……合っている。
でも、
空気が一つ、欠けている。
「……起きろ」
俺は、声をかける。
返事は、ない。
寝床だった場所には、
毛布がきちんと畳まれている。
荷物も、ない。
代わりに――
小さな包みが、置かれていた。
中身は、
保存食と、地図。
そして、短い書き置き。
『ごめんなさい
あなたは間違っていない
でも、ついていけません』
文字は、震えている。
書いたのは、
若い男だった。
地下で、
最初に声を上げた一人。
「……誰だ」
片腕の男が、低く言う。
俺は、答える。
「……一人、離れた」
ざわめき。
母親が、口を押さえる。
「まさか……
神殿に?」
「違う」
即答する。
地図を、見る。
向きが違う。
人里の方角だ。
「戻ったんだ」
「記録される側に」
沈黙。
誰も、責めない。
責められない。
だって――
それは、正しい選択でもある。
「……あいつ」
片腕の男が、歯を鳴らす。
「昨日のこと、
見てたからな」
俺が、力を誤用した場面。
恐怖。
泣き声。
あれを見て、
決めたんだ。
「裏切りじゃない」
俺は、そう言う。
言い聞かせるように。
「置いていっただけだ」
母親が、震える声で言う。
「……次は?」
答えは、出ている。
「次も、ある」
逃げる集団は、
全員同じ覚悟ではいられない。
それが、現実だ。
俺は、包みを握る。
ちゃんと準備して、
ちゃんと考えて、
ちゃんと去っている。
――優しい裏切り。
それが、一番痛い。
「追うか?」
片腕の男が、問う。
俺は、首を振る。
「追わない」
「選んだ道だ」
それ以上は、
俺が踏み込む領域じゃない。
出発の準備をする。
足取りは、
少しだけ重い。
子供が、俺の服を引く。
「……あのお兄ちゃん、
戻ってきたら
どうするの?」
俺は、少し考えてから答える。
「その時は」
「守れない」
正直に。
子供は、
しばらく黙ってから、頷いた。
分かっていない。
でも、受け取った。
歩き出す。
背中が、少し軽い。
それが、余計に辛い。
一人減った。
殺されたわけじゃない。
捕まったわけでもない。
それでも、失った。
力を誤った結果だ。
守る覚悟を持つってのは、
全員を縛ることじゃない。
離れていく自由も、
受け入れることだ。
……分かってる。
分かってるけど。
最初の裏切りは、
刃よりも静かで、
深かった。




