リコ
中学生のあたしは無知だった。
世の中が自分が想像する以上にずっと複雑で、自分が無力だってことも知らなかった。
あの時、あたしはリコになにがしてあげられたんだろう。なにもできなかった自分が悔しくて、腹立たしくて、悲しかった。
リコとはちがう中学だったけど、すぐに仲良くなった。二人とも同じアニメが好きで、イラストを描くのも好きだったから。だから毎週土曜日、塾でリコに会えるのが楽しみだった。休憩時間が終わってもおしゃべりが止められなくて、先生に怒られるのはしょっちゅうだったけど、うちらは全然気にしなかった。
塾が終わると隣のビルのマックに移動して、おしゃべりしながらハンバーガーを食べた。ノートに推しのイラストを描きっこしたり、You Tube見て笑ったり、アクスタをデコったりして、いつもあっという間に時間がすぎた。リコは8時の電車に乗るために、いつも焦って駅にダッシュしてた。
リコは絵が上手だった。いつもきまって嫌いな数学のノートの右下に推しの絵を描いていた。流行りのアニメキャラの決め顔がリコのお得意だった。前に見せてくれた美術の授業で描いたという静物画は、びっくりするぐらい上手だった。あたしは水泳部で油絵なんて描いたことなかったから、単純にリコってすごいな、って思ってた。
いつもみたいに塾の帰りにマックでおしゃべりしてる時に、リコがテーブルにほっぽった数学のノートをなんとなく開いてみた。最初のページの右下に推しのイラストが落書きしてある。いつものドヤ顔だ。次のページをめくると、同じキャラの決め顔と決めゼリフ。効果線まで書き込んである。どんだけ数学きらいなの。その次のページも同じキャラ、ぱらぱらページをめくっていくと、同じキャラの無表情な顔が何ページも続いてる。このキャラって、こんな表情する設定だったっけ。
「ねえ、このキャラって陽キャじゃなかった?もっと笑った顔とか描いてよ。リコ、絵上手なんだからさ」
あたしは無表情の陽キャのイラストが描かれたページを広げてリコに見せた。
リコは一瞬きょとんとした表情をした。それからノートを手に取り、自分が描いたイラストを見つめた。
「そうかな」
リコはぎこちなく笑ってノートを閉じた。
それからリコは塾に来なくなった。
先生からリコが塾をやめたと聞いたのは、その一ヶ月後のことだった。
あたしは自分がリコを傷つけてしまったんじゃないかと、ずっと気になっていた。あんなに仲良かったのに。一緒にTik Tokのダンス練習してたのに。リコにLINEを送っても既読無視だった。そのうち既読もつかなくなった。悲しかった。なんで突然、塾をやめたのか知りたかった。リコに謝りたかった。また一緒にマックでハンバーガー食べながら、笑っておしゃべりしたかった。
それから偶然リコに会ったのは四年後、高校三年の五月だった。
あたしは模試を受ける前に、予備校近くの本屋に寄った。本屋の前で見なれた後ろ姿が目に入った。リコだ。思わずかけよって肩に手をかけた。
「リコ!」
振り返ったリコはげっそり痩せて、顔は青白く目には生気がなかった。
リコは少し驚いた表情をして、ちょっと微笑んだ。
「サキ」
「あたし・・・ごめんね、リコにひどいこと言って。怒ってるよね。ずっと謝りたかったんだ」
リコは少し考る素振りを見せた。
「サキはなにも悪くないよ」
瞬間的に頭に血が上った。
「じゃあなんでLINEの返事くれなかったの?なんで突然、塾やめたの?あたしずっとリコのこと心配してたんだよ」
四年間ずっと言いたかったことが口をついてでた。涙が勝手に込み上げてきた。
リコは無言でうつむいた。唇を震わせ、小さな声で言った。
「うち・・・親が離婚して引っ越したんだ。塾やめて、スマホも解約しなくちゃいけなかった。どうやってサキに言えばいいか、わからなくて、ずっと、なにも言えなかった。
「サキと一緒に絵を描いたり、おしゃべりするの、すごく楽しかった。いつも家に帰りたくなくて、ずっとサキとマックにいたいなって思ってた」
リコの声は次第にか細くなっていき、苦しそうに浅い呼吸をした。
「リコ、病気なの?真っ青だよ」
「だいじょうぶ、薬のんでるから」
リコは肩で息をしていた。具合が悪そうだった。
「送っていくよ、家はどこ?」
「ほんとに、だいじょうぶだから。もうお母さん、来るし」
ちらと腕時計を見ると、あと10分で模試が始まるところだった。でもリコをここに一人にしておいて大丈夫だろうか。
「ほんとに、平気だから。予定あるよね」
リコに会ったら話したいことがいっぱいあった。でも、目の前にいるリコは四年前とはまるで別人だった。はじけるように笑う、絵が上手な女の子。あの頃の面影はもう、どこにもなかった。
あたしはカバンからノートを取り出し白いページを破った。自分のLINEのIDを書いてリコに渡した。
「ぜったい、連絡してね!待ってるから」
リコはうなづいて、あたしの手をにぎった。すごく冷たい手だった。
それがリコに会った最後だった。




