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第五章:闇リセットの代償

仕事は相変わらず順調だったが、心は満たされない日々を俺は過ごした。そんなある日、俺の携帯に見知らぬ番号から電話がかかってきた。何気なく出た電話だったが、相手は、加藤だった。

「…田中健太、久しぶりだな」

「どこにいるんだ? 加藤」

俺は、またあの恐怖が蘇るのを感じた。柏木に口止め料を渡されたこと、ニュースで見た加藤の顔。俺は、加藤に何かされるのが怖かったからこそ、「人通りの多い場所で会ってくれ」と言った。

待ち合わせ場所で会った男は、まるで別人だった。しかし、声や話す内容から、彼が加藤本人だと分かった。やつれた顔で、目だけが虚ろに泳いでいる。彼はうわ言のように語りだした。

「田中、お前は…順調そうだな。思えば俺は、最初っからお前が羨ましくて仕方がなかった。なぁ、田中。お前は1回目のリセットの感覚覚えてるか? あの時の清々しい気持ち…いいよなぁあれ。あの瞬間の気分の高鳴り、最高だったな。あれが、俺の人生の絶頂だったのかもしれないよ」

加藤は寂しそうに笑った。「俺は今さ。仕事もないし、金もない。公園のベンチで横になるホームレスを見て、あぁはなりたくないって思うんだ。でもなぁ自分も明日は我が身だと思うとぞっとするよ。先日、生活保護を申請しに行ったんだ。そこで公的リセットを勧められたよ。ああ…もう3回もリセットしてるって言ったら、受付の男は何も言わず、ただ冷たい目で見やがった。資料を素早く引っ込めやがったんだ。それがさ。とにかく、惨めで、情けなくて…」

彼の言葉に、俺は返す言葉が見つからなかった。ただ、黙って彼の話を聞いていた。

「…そこで思い出したんだ。飲み会の時に、柏木が言ってたことを。困ったらどうにかなるツテがあるって…」

加藤の目が、一瞬、恐怖に怯えるように揺れた。

「アイツは…俺の惨めな心につけこんできたんだ。柏木は俺の目をじっと見つめ、俺の心の中を覗くように言った。『加藤さん、1回目のリセット、良かったですよね。あの頃に戻れますよ。しかも、あの頃と違ってあなたは馬鹿な18歳じゃない。社会を経験した大人として、1回目のリセットの恩恵を享受できる』って。そう言われた時、俺は…心が揺らいだ。でも、俺には金がない。そう言うと、アイツは不気味な笑みを浮かべて言ったんだ」

加藤はそこで言葉を切り、震える手でタバコに火をつけた。何度も失敗し、ようやく火がついたタバコを深く吸い込むと、彼は虚ろな目で宙を見つめ、静かに、しかしはっきりと語りだした。

「あいつは言ったんだ。あいつに言われたんだ。『金がない? いい方法があります。ある家族を殺してください。そしたらお金の面倒は僕が見ますよ。なに、簡単な仕事ですよ』ってな。俺は、その言葉の意味が分からなかった。でも、柏木は俺の目をじっと見つめ、俺の心の中を覗くように続けた。『ターゲットは、複数回リセット反対派の議員とその家族です。彼はリセットを1回しかできないよう制度改革を主張している。過去には『複数回リセットするやつはバカだ』と発言しています。もしも、彼のような奴がいなければ、こんな複数回リセットに寛容な社会でさえあれば…加藤さん、あなたの人生はここまで落ちぶれなかった。復讐したくはありませんか? あなたの人生をめちゃくちゃにした奴らに』…ってな」

加藤の言葉に、俺は血の気が引くのを感じた。目の前の男は、柏木に唆されて、人を殺したというのか。

「俺は…その議員の言葉を調べた。本当に『バカだ』って言ってて…もう、そいつが諸悪の根源に思えてきて。俺は、柏木の言いなりになった。それで、連れていかれたんだ…」

加藤は遠い目をして、話を続けた。

「決行は、日が顔を出すか出さないかの早朝だった。腹立たしいほどに立派な家だった。柏木に渡された合鍵で、玄関の扉は驚くほど簡単に開いた。鍵と一緒に渡された3本の包丁を手に、まずは議員の寝室に行った。議員は妻と並んで寝てたよ。無防備だった。俺は、議員の妻を左手の包丁で、議員を右手の包丁で同時に突き刺した。あの肉に包丁が入る感覚は今でも忘れない。忘れられないんだ。暴れられたのか、静かに死んだのか覚えてないが、半狂乱のままに何度も二人を刺した。娘を殺した時のことは…話したくない。いや、もう思い出したくない。俺は……俺は……人を殺しちまったんだ。相手の思想が何て殺した瞬間にどうでもよくなった。あんなに感じた怒りも消えていった。ただただ人を殺してしまったという罪悪感と恐怖が俺を責めるんだ。」

加藤は頭を抱え、震え始めた。俺は何も言えなかった。ただ、その場の空気が冷たく凍りついているのを感じた。加藤は苦しそうに顔を上げ、俺の目を見て、うつろな瞳で言葉を続けた。

「あの感触を、人を刺した肉の感触を恐怖を忘れられるなら何でもよかった。それに、もう俺には選択肢なんてなかった。3人も殺したんだ、捕まると死刑なのは分かった。死にたくなかった。こんな俺だが死ぬのは怖かったんだ。だから闇リセットに促されるままに逃げた。このまま罪悪感から解放されると、心の底から信じていたんだ…

スラムの中にある、寂れた診療所だった。

正直、驚いたぜ。首都にこんな場所があったのかって。空きテナントが目立つ高層ビルの裏手。そこだけ時間の流れから取り残されたみてぇな、薄暗い住宅街があったんだ。錆びた鉄骨の家屋と、ボロボロの木造家屋が並ぶ中に、場違いな鉄筋コンクリートの建物。外壁はヒビだらけで、色もくすんで、まるで死んでるみてぇな外観だった。

重い扉をギィッと開けると、中はひたすら消毒液の匂いがツンと鼻を突いて、何の音もねぇ。まるで、外界から切り離された地下室みてぇだった。受付には誰もいなくて、柏木に言われるがままに診察室に入った。

そしたら、もう、びっくりだよ。中は異様に白くて、眩しいくらい清潔感がありやがった。外の汚ねぇ感じとあまりにもかけ離れてて、逆にゾッと不気味さを感じたんだ。

その部屋に入ると、柏木は『じゃあ』とだけ言って去っていった」

加藤は震える声で、その時の様子を語った。

「施術者は里崎と名乗った。ヨレヨレのTシャツに、色が落ちた黒いズボン。裸足にサンダル。医者には見えなかった。俺が『あんた、医者か?』って聞くと、アイツは鼻で笑って言ったんだ。『闇リセットに医者が協力するわけねえだろ』って。里崎は、俺の顔を見るなり、希望を聞く前に施術を始めようとしやがった。俺は反発したが奴は俺を馬鹿にするように言ったんだ。『金は?ねぇだろ?そういうのは金あるやつが言えよ』って。ああ…正規リセットと闇リセットは全く違うって感じたよ。」

その後、加藤はひきつった顔で続けた。

「闇リセットはなぁ、施術が終わったあと、清々しい感じも、罪悪感が消えた感覚も、何もなかった。ただ、体と頭が重たかった。頭には霞がかかったみたいに、ぼんやりと霧がかかってやがる。痛みはなかった。ただ、鉛みてぇに重くて、それが気分も重くした。

『失敗だ…』

俺は、里崎にそう訴えた。だが、アイツは肩をすくめるだけだった。

『闇リセットなんて、こんなもんだろ。お前はもう、加藤じゃない。新しい人生を生きろよ』そう言って、取り合ってくれなかったよ。その後、奥の部屋に通された。そこで新しいマイナンバーカードを渡された。里崎はこのカードを使えばまた一から新しい人生を送れるって説明してきた。その後で、『このまま正規リセット施設に潜り込み、リセット後のサービスを受けろ。そこの木田ってヤツを訪ねれば、上手く潜り込ませてくれるさ』

里崎はそう言い残し、俺の背中を乱暴に押した。

俺は、重い頭と体をひきずりながら、言われるがままに正規リセット施設へ向かったよ。一歩踏み出すたびに、俺の心は沈んでいった。俺は、本当に新しい人生を手に入れたのだろうか。それとも、ただ、過去から逃げ出しただけなのだろうか。そんなことばかりが頭を占領していたよ」

加藤はそこで、うつろな目でうわごとのようにいう。「あれ俺の名前…なんだっけ…。加藤…清水…圭…ああ、俺は清水圭だ。でも…お前は…田中…健太…か? いや、柏木か…」。加藤はあきらかに正気ではなかった。

「柏木の連絡先を教えてくれ。もう一度、闇リセットをさせてほしい。すべてを忘れて、もう一度やり直したいんだ」。

その狂気に満ちた目に、俺は言いようのない恐怖を感じた。そして、これ以上関わってはいけないと、その場から逃げ出した。


加藤と再会した後、俺は会社を辞めることを決意した。

加藤や柏木といった社会の「影」から逃げ出して言い知れぬ恐怖感から解放されたかったからだ。それにこのままでは、サチとの思い出にすがりながらだらだらと人生を消化していってしまう気もしていた。もし俺がリセットを一度も経験しておらず、加藤や柏木と出会っていなければ俺はきっとリセットを選択していたのだろう。だが俺はもうリセットをする気にはなれなかった。だから俺は今の仕事を退職し俺を誰も知らない場所で再就職しもう一度人生をやりなおすことにした。

俺の退職を受けても会社は驚くほど淡々としていた。リセットによって、多くの社員が退職していくことに慣れているのだろう。

「田中さん、業務の引き継ぎはマニュアル通りに進めます。何かあれば、オンラインでいつでも確認できますので」

そう言った森田は、少し寂しそうにしながらも、完璧に仕事をこなしていた。会社が、いや、社会全体が、リセット制度の導入後、より徹底したマニュアル化と生産性を追い求めるようになっていた。人材の流動性はかつてないほど高まり、誰と入れ替わっても仕事が回るようにすることが、仕事のうちになっていた。

「そうだな。俺は別にリセットするってわけじゃない。また連絡するよ。こっち来たときはまた飲みに行こう」俺が言うと森田も是非にと同意してくれた。他の同僚たちとも同じように再会を約束し、俺は会社を去った。


電車がどんどんと俺を遠くへと運んでいく。きっと俺は知らない土地に戸惑いながらも、心機一転と頑張れるだろう。そんな自負はあるが、不安もあった。

荷物はほとんど持ってこなかった。新しい人生をやり直すために、引っ越しと転職をするのだ。これまでのものをたくさん抱えたくなかったのだ。

リセット後の人生にもいろいろな後悔はある。

「これも、一種のリセットかもしれないな」

ふいに自分の口からそんな言葉がこぼれた。

リセット制度の黎明期は今よりももっと簡易な状態のリセットから始まった。それは、今も簡易リセット制度として残る制度ではあるが、政府の支援のもと、身分を洗浄し、新しい戸籍を再構築する制度だった。記憶や容姿は変わらず、名前や住所などの情報が刷新されるだけ。新しい職を見つけるための支援はあったが、あくまで自助努力が前提だった。まるで今の俺みたいだと思った。


本当に俺の人生の中でリセットは必要だったのだろうか。

長い移動時間の中で、そう考えずにはいられなかった。俺はいつだって自分の意思で、自分の力で心機一転頑張れたんじゃないか?リセットに縋ろうとせず自分の人生に向き合えていたら早紀はまだ俺のそばにいてくれただろうか?

だが、リセットしなければサチには会えなかっただろう。終わりは唐突で、残酷だったがサチと過ごした幸せな日々はかけがえのない時間だった。リセットを否定すればその日々を否定することになるんじゃないか?

結論は出ない。いや結論なんてものはない。でも俺の中で、思考は巡り続けた。


最終章は明日の18時に投稿予定です。

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