1話 巻き込み事故?
十月の空は、夏の名残をわずかに引きずった青さを見せていた。
夜坂夕は、駅前のスーパーの袋を片手に、レジ袋有料化をまだ面倒だと思っている自分に苦笑していた。
買ったのは、米、インスタントコーヒー、トイレットペーパー。どれも魔術とはまったく関係のない、ただの生活必需品だ。
昨日まで魔術具の調整をしていた人間とは思えない買い物リストに、夕は肩をすくめる。
(まあ、魔術師だって飯は食うし、紙は使う)
そのとき——。
通りの向こうから制服姿の高校生3人が早足で歩いてくるのが見えた。手には参考書らしき袋。試験前だろうか、真面目そうな雰囲気だ。
(俺には関係ないな)
目を逸らし、通り過ぎて行こうとした時、地面が光り始め
幾何学模様が浮かび上がる。
見たことのない魔法陣に興味を持ったのが悪手だった。
(これ、俺も対象だわ。やらかしたな)
と内心呟きながら夕と3人の高校生は光に包まれて消えた。
眩い光が収まったとき、足元には赤い絨毯、目の前には高くそびえる玉座があった。
鎧姿の兵士、装飾過剰な服の男女、そして頭に王冠を載せた人物——どう見てもファンタジー世界の王様である。
隣にはさっきの高校生達が立ち尽くしていた。彼等の顔は青ざめ、視線は落ち着かない。
そして——耳に飛び込んでくる言葉が、まったく理解できない。
「……? …………□□…………」
(あー、やっぱりこういう世界の召喚って、便利な自動翻訳付きじゃないと不便なんだな)
ちらりと視線を落とし、足元の魔法陣の残滓を確認。微細な魔力の流れから、この召喚魔法が付与する「恩恵」に言語理解が含まれていることを察する。
だが、自分はその枠外——つまり巻き込まれたせいで、何の補助も受けていない。
(となると……こっそりやるか)
両手を組むでもなく、自然な呼吸の中で小さく呟く。
「叡智を司りし翡翠の輝きよ、我が身にその叡智の一端を」
視界の端に淡い緑光が揺れ、耳の奥で音が変質していく。
やがて、先ほどまで意味不明だった音が、ゆっくりと意味を帯び始めた。
「……勇者殿、そなたに願いを託す……」
「魔王を討ち、この国を救っていただきたいのです」
どうやら高校生の方は完全に勇者扱いされているらしい。
自分には視線がほとんど向けられない。王や神官たちにとって、ただの付属物に過ぎないのだ。
(……まあ、こっちはその方がやりやすいけどな)
夕は何食わぬ顔で玉座の間を見回し、密かに観察し始めた。
玉座の間の中央に、自分の他に同じ制服を着た男女3人が立っていた。どうやら同時に召喚されたらしい。
全員、手にはまだ買い物袋や鞄を持ったまま——完全に日常から引きずられてきた様子だ。
「勇者殿、そして仲間たちよ」
王冠の男が、堂々とした声で言葉を紡ぐ。
「そなたらにはこの世界を救うための恩恵が授けられておる。神々の加護により、言葉も戦う力も、すべてが備わっているはずだ」
三人の高校生が互いに顔を見合わせる。
そのうちの一人、眼鏡の女子が恐る恐る口を開いた。
「えっと……なんか、頭の中に説明が流れ込んできた感じが……。これが恩恵ですか?」
「うむ。それが神の加護だ」
王は満足げに頷く。
もう一人のワイルド系の男子も拳を握りしめ、「力が湧いてくる感じがするぜ!」と嬉しそうに言った。
隣の本命勇者らしいイケメン男子も「確かに」と呟く。
(……あー、やっぱり俺だけスルーされてるな)
夕は三人のやり取りを聞きながら、内心でため息をつく。
自分には何も変化がない。体も、感覚も、現代にいたときのままだ。
言語理解だって、自分でこっそり魔術を発動した結果だし、力の増強なんて当然ない。
「服装が違うがそなたは勇者の仲間か?」
王の視線がようやく夕に向いた。
が、彼の目は探るようというより、ただの確認に近い。
「彼等とは初対面ですし、巻き込まれた形ですね」
夕は肩をすくめて答える。
「召喚時の恩恵も受けていないようですし、力もなにも感じません」
王や神官たちがざわつく。
その反応を見て、夕は内心で確信する。
(……やっぱり“巻き込み”か。こっちの扱いは自由になる可能性が高いな)
表情には出さず、夕は静かに次の展開を待っていたが、その場はそこで解散となった。