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Chapter2 人生病みあり谷あり

 その日の放課後、僕達と白石さんは彼女の教室で落ち合った。写真部の活動を終えたあとで、僕はスピーカーにも似たカメラを手に持っていた。


「そう言えば、どうしてこの間、僕の小学校の卒業アルバムなんか持ってたの?」

「街の小学校や中学校の卒業アルバムを年度別に集めて販売するリサイクルショップがあるんだよ」

「……法律って知ってる?」

「ああ流行(はや)ったよね、昔」


 法律は流行ることも廃ることもない。


「私も昔はお世話になったな、最近見ないけど元気にしてる?」

「毎日顔色をうかがった方がいいよ」


 そのあと、アルバムの件についてようやく回答が得られた。どうやら白石さんがあの時座っていた席の中に偶然入っていたらしい。


「黒井君は本当に好きだよね、写真が」

「いや、写真好きだから気になってたわけじゃない」

「でも小学生の時から変わらないよね、黒井君って」

「そんなことないよ、目に見えない変化もある」


 自身の心臓の鼓動を感じながら、僕はそんなことを口にした。アルバムの中の自分と、今の自分には見た目以上に大きな変化がある。


 だけど、それを誰かに話したことはない。もちろん、白石さんにさえ。


「あ、でも今は顔に少し傷があるね」

「家の廊下で転んだ(・・・)


 この時だけ、白石さんの視線がいつもより多く身体の表面積に触れた気がする。


「それで今日の部活はどうだった?」

「部長にダメ出しされたよ」

「そう、人間性を」

「いや写真の構図を」


 訂正すると、白石さんは心底意外そうな顔をした。


「黒井君はさ、どうして写真部に入ったの?」

「本来なら過ぎ行く生活の一部を切り取って、それが永遠になったり、強いメッセージ性を帯びたり、そういうのが好きなんだ」


 言って、僕は更に続けた。


「ほら、白石さんともいつまで仲良くいられるか分からないけど、写真の中ではそれが叶うわけだし、口では上手く伝えらなれないことも、写真なら伝えられる」

「なるほどね」


 わざと言葉は返さず、少し俯くことで返事とした。


「でも私はずっと(そば)にいるよ」


 そのあと、白石さんの提案で、僕達は二人の写真を撮ることになった。


 正直、気恥ずかしい気持ちが先行したけど、無意味だとは思わなかった。


 片手でカメラを伸ばし、シャッターを切ろうとする。瞬間、白石さんの腕が僕に伸びた。身体が密着して、逃げ場がない。


「まるで付き合ってるみたいだね、私達」

「腕を組むからだよね、勝手に」


 写真を撮り終えると、白石さんは窓から腰を浮かした。そして、僕の人生を大きく変える一言を、しかしひっそりと告げた。


「本当に付き合っちゃおうか、私達」



 ♢♢♢♢♢♢



 しばらく身体が硬直していた。雄々しい剣でも刺さっているのかのように。

「本当に付き合っちゃおうか」白石さんの言葉が、その質感まで生々しく僕の身体の中にあった。


「だからほら、濃い仲になるってこと」

「恋仲だよね、変な言い方しないで」


 僕は半分程窓から身を投げ出した状態で、カメラを夕空に向けようとした。


「ほら私って、こう見えて、血も(したた)るいい女ってよく言われるんだよ」


 唐突なマイナスアピールだった。


 教室の一部の窓から風が吹き込む。風が吹き込む度、彼女の甘い匂いが伝わり、香った。


 花粉か、それに準ずる微細な物質が飛んでいるのか、鼻の奥がムズムズと痒かった。


「確かに、僕も顔が可愛いって妹によく言われるけど」

「話は逸れるけど、ザクロって昔、鏡を磨くのに使われてたらしいよ」

「本当に逸れてるの? 僕の家の鏡が(くも)ってるって言ってる?」


 その言葉の端々まで、僕を揶揄しようという精神に満ちていた。


「私と付き合うのが不安なのかな、心配しないで、ほら言うよね、(あんず)より(うり)が安し」

「本来の言葉の意味が(いちじる)しく損なわれて、スーパーのお買い得情報みたいになってるんだけど」


 言ったところで、カメラの重心が傾き、僕の手の甲を滑るようにして、真下へ落下した。右手の指の引っ掛かりが弱かったのだと思う。


 僕はその一連の流れを視線で追うことしかできなかった。


 だけど、白石さんは違った。早い段階で、身体を椅子から離していた。


 そして僕の隣から飛び込むようにして、首掛けとして機能するストラップの大きな輪の中に腕を入れ、カメラを手繰り寄せた。


 当然、その身体は窓の外にあった。仰向けで空中に倒れ込むような姿勢になっていた。


一連の動きは、室内から行うことも可能なように思えた。だけど、白石さんは完全に自分の身を投げ出した。


 それはどこか、彼女の危うさを完璧に映し出しているようにも思えた。



 ♢♢♢♢♢♢



 僕は慌てて態勢を変え、手を伸ばす。白石さんの脚を掴んだ。図らずも、その紺色のスカートが眼前に広がっている。だけど、そんなことは意識の外にあるように、僕は彼女を引っ張り上げることに夢中だった。


 やがて、白石さんの身体が教室の中に引き戻される。僕は息を整えるより先に、彼女に伝えるべきることがあった。


「一つ間違えたら、白石さんまで落ちて死ぬところだった」


 少し語気が強くなっていたかもしれない。


「二人きりの写真は撮ったことがなかったから、嬉しくて」

「別に撮り直せばよかったのに、それにこのカメラも中古品だし」

「でも写真もカメラも、同じものは一つとしてないから」


 僕は床に座り込みながら、彼女の言葉に耳を傾けていた。あるいは、その時の言葉をもっと肝に銘じておくべきだったかもしれない。


「それにね、あの告白の返事を聞くまでは死ねない」


 やっぱりあれは告白だったらしい。誤って音が鳴らないように僕が弦を押さていたけど、向こうから揺さぶりがあった。


「人生闇あり谷あり一緒に乗り越えていこうよ」

「山がないんだけど」


 闇と谷しかない。


 そう言って白石さんが立ち上がり、微笑んだ時、教室に一陣の風が吹いた。そこで、僕はどうしてもくしゃみをしたくなった。


「そろそろ返事が聞きたいな、それで私と付き合ってくれる?」


 そのくしゃみを我慢をするために、僕は咄嗟に顎を引いた。偶然、白石さんの告白の返事を求める言葉に対して、頷きを見せたような形になる。


 顔を綻ばせた白井さんが僕に抱擁する。


 ああ、風のイタズラとは、きっと、こういうことを言う。

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