チェンジャー―非モテのおじさん異世界で無双する
「あーつまらね」
山の斜面を見上げ、平一平は首にかけた手拭いでひたいの汗をぬぐった。腰につけた水筒の麦茶を飲むと再びどっと汗が湧き出るが、飲まなければ熱中症で倒れてしまう。若いころとは違うのだ。そろそろ健康に気を付ける歳だ。
長袖シャツがズボンからはみ出ているが、畑仕事で両手が土まみれなので直すことができない。一平は気持ち悪いのを我慢して再び汗をぬぐった。
ふと斜面の下を見下ろす。
山裾には広大な田が広がり、遠目にもトラクターが田植え機を引いているのが見える。広い農地も機械も一平には縁がない。あれはふもとの金持ち農家の持ち物だ。
一平はあきらめたように自分の正面を見る。
急斜面に作った段々畑が続いている。
ここは平家の土地だが水利が悪く、水田を作ることができない。また狭い段々畑には機械を入れる余地がないので、現代にもかかわらず平家の農作業は全て手で行っている。
そんなことを数十年も続けていたから一平の父は早死にし、母は腰が曲がってまっすぐに立つこともできない。
自分もいつかそうなるのだろうか、と一平は再び鍬を握りなおして、作業をつづけた。
日が暮れる直前に一平が家へ帰ると、すでに明かりをともした台所で母が夕飯の支度をしていた。いつも渋面で、ここ十年ほど笑った顔を見たことがない。
味噌汁をかき混ぜていた母が突然座り込んだ。「いてて」
「母っちゃ。大丈夫が?」一平は声をかけたが、返事はない。母は機嫌の悪いときには返事はしないが、自分が質問するときにはこっちが答えないとますます機嫌が悪くなる。
「もう歳なんだんて、無理しね方がえぜ」思いやりをかけたつもりだが、母はぎろっと一平を見据えると立ち上がり、夕食の支度を続けた。
夕食に箸をつけるかつけないうちに母が言った。
「で、いづだい」
「へ?」
「いづ結婚するんだい」
一平の箸が止まった。これか、機嫌が悪かった理由は。
「おめももう四十なんだんて、そろそろ身固めだらどうだい。おいも孫の顔見でゃし」
「相手がいねえ」
「前付ぎ合ってだ、ほれ、あの景品屋の女どはどうなった」
「進展なしだ」一平の箸は止まったままだ。
「ぐずぐずしてらど婚期逃すわよ」
そんなことわかってるって。
「こんた零細農家さ嫁に来てぐれねえだべ。金がねし」
しかし今夜の母は止まらなかった。
「田舎でも金は稼げる。テレビで見だがユーチューバーでいうのが流行りで、筋肉見せだら人気出で金がだんまり入って来るそうでねぁが。おめもやってみだらどうだい」
「でぎるが!」
テレビの電波は入るが、一平の自宅にはインターネットは届かない。業者はこんな山の上に回線を引いてくれはしないのだ。そんなことは年老いた母に言っても理解できないから、一平は黙った。
「挑戦もせずにただ畑しごどだげやってらなんて、意気地がねねえ」
さすがにもう沢山だった。畑仕事を辞めて都会に出ればいいのだが、そうできないのは母がいるせいなのだ。そんなことを言われる筋合いはない。
しかしそれを母に言うのは残酷だった。一平にはそんなことはできない。代わりに箸を置いて立ち上がった。
「どごへえぐんだ」
母の言葉を背中に聞きながら、一平は外へ飛び出した。
一平が向かった先は町のゲームセンターだった。
町にはパチンコ屋もあるが、時間当たりの費用を比べたら、ゲームセンターの方が安いので、パチンコはやめた。金のかかる遊びは母に禁じられているので、選択肢はゲームセンターか漫画喫茶しかない。一平は両方とも常連だった。
田舎町のゲームセンターでは、年式落ちの「ストリートファイター」が一回十円でできる。むしゃくしゃしていた一平はAI相手に数回戦ったが、すぐに飽きた。ゲームセンター内を見回したが、いつもの対戦相手「こうちゃん」はいない。
一平は立ち上がって、カウンターで尋ねてみた。
「あの、前えっかだ来てだ(前いつも来ていた)ごうぢゃんは来ねか」
「ああ、引退したらしぇよ」
「引退! 聞いでねよ」
「もうゲームなんてする歳でねだど」
じゃあ、この年でゲームやってるおれは馬鹿か。
もっとむしゃくしゃして、一平はゲームセンターを出た。
一平は通りであたりを見回した。夜の繁華街なのに、あまり明るくない。テレビで見た東京の繁華街とは大違いだ。でも自分が東京に行ったら、人の多さに耐えきれないだろうな、と思う。こんな場所でぐだぐだしているうちに歳をとって貧しく死んでいくんだ。いやだなあ。
でもなにをどうしたらよいのか、一平にはわからなかった。
突然母の顔が浮かび、結婚の話を思い出した。
そうだ、とりあえずキヨミにでも会いに行くか。
キヨミは一平が以前付き合っていた女性でこの町のパチンコ屋の景品引換所で働いている三十五歳だ。今からでも会ってくれるだろうか。
一平はキヨミのアパート前まで行き、インターホンのボタンを押した。
「誰だ」中から大声がし、しばらく後にドアが開いてキヨミが現れた。
「こんた夜更げにわりぇな。元気が」
「なんだ、一平ぢゃんか」キヨミの吐く息は酒臭い。自宅飲みですでにかなり行っていたらしい。
「なにが用だすか」
「用でいうほどの用もねが、さっと上がってえが?」
キヨミとは自宅にあげてもらうほどの仲ではある。だが、今夜のキヨミは冷たかった。
「一緒さ飲む酒でもたがいで(持って)来だんなら歓迎だんだども、手ぶらだね。気利がねえ男だねえ」
「済まね」
「済まねで済んだら警察はいらねんだよ。だいだぇ一平ぢゃんは臭ぇし、気利がねし、金はねし、おいも付ぎ合い考えねぐぢゃいげね、て思ってだどごろだよ」
「臭ぇは余計だよ」
自分の体臭が強いことはよく知っていて、今日も夕食前にちゃんとシャワーを浴びている。臭いと言われる筋合いはなかった。
「だいだぇ趣味ゲームセンターど漫喫って、おいだばオタクには興味ねんだよ」
そんなことを考えていたのか。
「じゃ、なんで付ぎ合ってだんだ」
「まんず、この町じゃ大して男もいねし、おめの所の母親もさっさど死ぬで思ってだんだども、ながながぐだばらねがらねえ」
酒で本音が現れたのだろうが、本音がひどすぎた。こんな女と付き合っていたのか。一平はがっかりして口もきけずに立ち尽くしていると、言いたいことを言ったキヨミは一平に興味をなくしたのか一平の顔の前でばたん、と扉を閉めてしまった。
一平は再びインターホンを押す気もなくなり、すごすごとアパートを去った。
一平の足は小さな町でまだ明かりがついている場所へ向かった。
スナック「夜顔」。
「一平ぢゃんでねの。珍しぇわね」
年増のママが迎えてくれたが、顔は一平の母親くらいしわが寄っている。女目当てではなく、酒が飲みたかった。
「ウイスキー」
「え、大丈夫。おめ」ママは一応聞いた。
「気にするな。ウイスキー」一平は頑固に繰り返す。
仕方ない、という表情をしてママはグラスを一平の前に置いた。
一平はめったに酒を飲まない。金がかかる、というのもあるが、別の理由があって母親に禁じられていた。
しかし今日は嫌なことが続いて、忘れたい気持ちがあった。
母親やキヨミを見返したいという思いもあった。
それで慣れないことをした。
やっぱりそれがまずかった。
「おい。この町はなんでこんたにしけでらんだ」一速。
「どいづもこいづもおれどご馬鹿にしやがって」二速。
「ユーチューバーになんかなれるわげねべ」三速。
だんだん目の前が赤くなり、理性がなくなってゆく。
「こんた田舎じゃ成功そーもねぜ」四速。
「みんなぐだばってしまえ」トップギア。
一平は暴れだした。椅子を持ち上げ、壁に向かって投げつける。
駐在所の警官は速やかにやってきた。きっとママがこの事態を見越してあらかじめ連絡しておいたに違いない。一平の酒乱事件はこれが初めてではないから。
そこで一平はスナックからつまみだされ、それでも面倒がった顔見知りの駐在は調書もとらず、注意するだけで開放してくれた。
一平は空のさいふを尻ポケットからはみださせて、夜道を自宅方面へ向かった。
一平が歩いているのは普段用事がない農道だった。酔いが回ってどこにいるのかわからない。
一平はぶつぶつと誰かに向かって文句を言いながら、歩いていたが、ふと歩くのがばかばかしくなってその場にへたりこんだ。
よっこいしょ。
座り込むと今度は横になった。
横になったらあっという間に眠ってしまった。
昼間、一平が見下ろしていた大きな農家のトラクターが修理を終えて走っていた。
明日の朝いちばんで動けるようにしなければならない。修理業者は焦って農道を飛ばした。これを納車したら今日の仕事は終わり。まだ宵の口だ。
そうして真っ暗な農道を突っ走っていたトラクターは道の真ん中で寝ている一平に気づかなかった。
そのままトラクターは一平をひいてしまった。
*
おれはようやく目を覚ました。いま何時だろう。腕時計を持っていないおれは太陽の位置でだいたいの時間がわかる。農業をやっていると、日が昇っている間だけが仕事になるから、正直正確な時間はどうでもよい。
おれは空を見回したが、いつもの太陽は見当たらなかった。曇り空でもなく、空全体が薄い光に覆われていて、明るい。明るさで言えば午前十時くらいか。
まずい。遅刻だ。
おれは飛び起きて身体の痛みにうめいた。全身が筋肉痛で、よく見ると体中が泥まみれだ。
身体?
おれは一糸まとわぬ裸だった。
「あ、え? なして?」
そのときになって、ようやくおれは昨夜のことを思い出した。スナックで酔っぱらって追い出され、農道で寝てしまったのだ。でも酔って寝たからといって、普通はだかにはならない。
家に帰らなくちゃ。
おれはあたりを見回してようやく違和感を感じた。
おれの周りには美しい田園風景が広がり、穂が揺れているが、稲ではない。これは……麦か。
おれの田舎なら見上げれば段々畑が山に沿って上に伸びている風景が見えるはずだが、ここは見渡す限り平野が続いている。
間違いなくおれの田舎ではなかった。
おれは……どこにいるんだ。
# 自分の服装を見たが、昨夜来ていたズボンとシャツに間違いない。
酔ってここまで歩いてきてしまったか。
おれがあたりを見回していると、遠くから農夫のような人たちが近づいてきた。
視界の範囲まで近寄ってきた彼らを見て、今度は本当におれは仰天した。
白人だ! 目が青い。肌が白い。中性のヨーロッパみたいな服装をしている。
彼らもおれを見て驚いている。しかし害意はないようだ。好奇心満々の目でおれをながめ、指さしている。
「あのう」おれは尋ねた。「こごはどごだすか」
それを聞くと村人? たちはびっくりしたように走り去ってしまった。
おれは去ってゆく村人を見、それから自分の姿を見た。
裸でこんな汚い格好をしていたから、不審者として見られたのかもしれない。なんとか体裁を作らなくちゃ。
おれは風呂を探すことにした。
おれの望みは割と早くかなった。
おれが最初にいた場所から見えるところに小川が流れていたのだ。
村人が去ってあたりに誰もいないことを確認すると、おれは小川に飛び込み、身体を洗った。石鹸もシャンプーもないがこの際仕方がない。両てのひらを身体にこすりつけ、頭を水に沈めて小川の流れで髪を洗っていると、がやがやと声が聞こえた。
見上げると、先ほどの村人と一緒にちょっと偉そうな人がやってきた。他の人々と同じく白人で、田舎風の雰囲気だが清潔な服、「村長」といった立場の人だろうか。とても美形だ。
おれは上半身裸で下半身を小川に沈めたまま村長と会った。良かった。下半身が見えなくて。
村長はおれの前で一礼すると話しかけた。
「ごきげんよう。わたくしはヨシノ村の村長クーパーと申しますのよ。失礼ですがあなたはどちら様ですの?」
なんと! 日本語が通じる。
彼はやはり村長だったようだ。
おれは水につかったまま一礼して答えた。「おいの名前は平だす」
「おお!」おれの返事のなにが良かったのか知らないが、クーパーさんは目を大きく見開き、うれしそうだった。
「タイラー・ダース様でございますのね。お見知りおきくださいな」男だか女だかわからない美形のクーパー村長は丁寧な言葉づかいであいさつした。
「つかぬことを伺いますが、タイラー・ダース様はどちらの方ですの?」
「秋田県だす」
「アキタ……存じ上げませんわ。もしや……」
クーパー村長は顔色を変えると、村人の一人になにか命じた。その村人はただちに走り去るとしばらくして馬の引く荷車で到着した。クーパー村長はおれに村人が持ってきた衣服を差し出すと言った。「このようなもので大変申し訳ございませんが、とりあえずお召しになってくださいませ」
クーパー村長と他の村人たちは席を外してくれた。おれは大変感謝して急いで服を着た。これでようやくホームレスから普通の人に格上げした。
準備ができるとクーパー村長はおれに言った。
「わたくしどもではあなた様のような異国の方をどう処遇すればよいか判断できませんわ。お困りのようですので、一緒にこの地の領主様のお屋敷へ行き、相談しようと思いますがいかがかしら」
「どうも。願ったりがなったりだす」おれは深く一礼したが、それに対しクーパー村長は慌てた様子だった。「そ、そのような」
とりあえず、おれはクーパー村長と一緒に荷馬車で農道を走り、村を横切り、村の一番奥にある大きなお屋敷へ行った。
お屋敷は端が見えないくらい広い敷地をぐるりと鉄の柵で囲まれていたが、建物は案外小ぶりだった。少なくともお城、ではない。田舎の旅館程度の構えだったが、どう見ても日本の建築物には見えなかった。
おれたちは門番に門を開けてもらい、そのまま荷馬車で入って玄関先に乗り付けた。クーパー村長は門番と顔見知りのようで、なにも聞かれなかった。
扉につくと、今度はメイドさんが出迎えた。メイドだ、メイド。アニメで見るようなメイド服をきっちりと着こなし、無表情に直立不動の姿勢でおれたちを招き入れた。
中に入るとホールだった。吹き抜けの天井が高く、正面にある階段は二階へと続いている。ホールの隅にソファーセットがあり、おれたちはそこに座るよういざなわれた。
「お飲み物は紅茶でよろしいですの」メイドは無表情で問う。おれは自分が言われたとは思わなかったので、一瞬固まったが、クーパー村長を見ると、もの問いたげに黙っているので、おれが答えなければならないのに気づいた。
「あっ、えっ、はい。紅茶でお願いするす」
ぱっとメイドの顔に朱が差し、無表情だった顔に初めて驚きのような表情が現れた。
メイドは素早く退出すると奥へ行った。奥で何か口早に指示する声が聞こえる。
驚くほど早く、紅茶と簡単な朝食のセットが銀の盆にのせられて出てきた。しかも今度はメイドが三人もいる。
メイドたちは手早く茶器をローテーブルに並べると、白亜のポットから紅茶を注いだ。
「お砂糖はどのくらいお召し上がりですの」
「ミルクはお入れいたしましょうか」
左右から別々のメイドに問われ、おれはますます焦った。テレビで見た秋葉原の超高級メイドカフェ体験だ。
「どうぞお召し上がりあそばせ」クーパー村長に促された。
「どうぞご遠慮なく」
「どうぞご遠慮なく」
「どうぞご遠慮なく」メイドたちの三重奏がハモる。
「どうも」おれはメイドたちの視線を感じながらおれはサンドイッチをぱくつき、紅茶を飲んだ。どれもとても美味しかった。
朝食が終わり、カップとポットを残してメイドが退出すると、入れ替わりにきちんと詰襟の服を着こみ白手袋をはめた紳士が現れた。明らかに執事だが、これも村長に負けず劣らずの美形で宝塚の役者が執事服を着ている感じだ。
クーパー村長が立ち上がり、おれを紹介する。
「このお方はタイラー・ダース様とおっしゃいまして、土地のお方ではないのですが、身分を明かされないとのことで、こちらにお連れいたしましたの。どうかよろしくお願いいたしますわ」
「了解しましたわ。ここまでご足労ありがたいですの」
執事はクーパー村長にほほ笑むと、おれに話しかけた。
「わたくし、ヨシノ家の執事を勤めております、バトル・フィールド、と申しますの。失礼ですが、お名前をお聞かせ願えますの」
おれは焦った。「あ、はい。平一平だす」
お、という表情がバトル氏の顔に浮かんだ。
「どちらから来られたんですの」
「えど、日本の秋田県がら来だ」
おお、という表情のバトル氏。
「ニホン? アキタ? 存じ上げませんわ」
バトル氏は何か得心がいったような表情をした。
「それでどのような御用でリカルド王国へいらっしゃったのでしょう」
「リカルド王国、リカルド王国だすと!?」今度は驚くのはおれだった。やっぱりここは日本ではなかった。でも世界178ヵ国の中でリカルド王国、というのは聞いたことがない。おれの地理の成績は最低だったから記憶はあてにならないが。
「はい。リカルド王国でございますわ。タイラー・ダース様は身分を隠して当国へ来られたのでしょうが、生まれを隠すことはおできになりませんわ」
「身分? 確がに免許証も保険証もねけれど、別さ身分隠してらわげではねぁ」
バトル氏は困ったように顔をした。
「身分をお隠しになっていないのであれば、なぜチョーカーを付けていないのです。アムス人であれば、所属する一族のチョーカーをつけているはずでございますわ」
バトル氏は自分の首に手をやった。そこには黒地に桜色の紋が入ったチョーカーがはまっている。
おれは部屋を見回した。クーパー村長も、壁際に整列しているメイドたちもみなチョーカーを首につけている。
そういえば村人もそうだったが、みんなチョーカーをつけていたような気がする。
「身分とこの国にいらした目的をお話にならないのであれば、スパイの嫌疑で王国衛兵に訴えでなければいけませんですのよ」
衛兵? たぶんこの国の警察みたいなものだろう。それはまずい。どうしよう。
「これこれ、客人どごそのように脅してはいがん」たった今着替えてきた様子で老人が二階から階段を降りてきた。「聞げば裸で川におったそうじゃ。よほどの事情がおありなのだべ」
老人の登場でバトル執事はさっと押し黙り、脇へどいた。
おれは狂喜した。この異国? で、ようやく同郷の人にあえるとは。
「いやあ、えがった。この異国でやっと同じ町の人間ど会えるどは。あだも秋田がら来だんだすか」
おれの問いは理解したようだが、老人はにべもなく答えた。
「いや、わしはこの土地の領主でこのえの当主チョコーボ・フォン・ヨシノだすじゃ。アキタはどごがおべねぁ《知りません》」
おれがよく見ると、チョコーボ氏は目や髪の色こそ黒だが、容姿は白人で、首には他の人々と同じ色だが、若干豪華なチョーカーをつけている。やはりここの土地の人間なのだろう。しかし……
「んだども、あだはきれいな宮廷語お話になる。よほどの身分のお方なのだべな」老人は感心することしきりだ。
「おいも宮廷語はしったげ《ずいぶんと》練習したが、なにしろ田舎領主なもので、王宮では発音違うど笑いものになるのだが、あだのは実さ素晴らしぇ発音だ。自国では宮廷勤めしていらしたのだすかな」チョコーボ氏はなんどもうなずいている。
「身分の高い方というのは間違いないですが、何の目的でサクラヒメ一族の領地へ来られたのか明かしてくださいませんの。いかがいたしましょう」バトル執事が横から話す。
「まんず、気にするな。この方の顔には害意はね。客人どしてもでなすのじゃ。おいおい落ぢ着いだら話してくださるがもしれん」チョコーボ老人の一言でバトル執事は一礼してさっと指示を出した。メイドたちが二階へ散ってゆき、しばらくするとおれは清潔なシーツのかかったベッド付き一室をあてがわれ、しばらくヨシノ家に客人として過ごすことになったのである。
夕食の時刻になり、おれは食堂に招かれた。長いテーブルの端の席は空いている。普通屋敷のホストが座る場所だ。チョコーボ老人はまだ来ていないようだ。おれの対面側の席にはこれまた美青年が一人で座っていた。青年は当主と同じ黒髪・黒い目だが、肌はうっすらと美しいピンク色だ。顔立ちからして明らかに当主の家族だろう。一つだけ気になる点があるとしたら、これまで会った全員が着用していたチョーカーをこの青年は付けていないということだが。青年はおれを見てにこにこしている。
おれはちょっとへこんだ。まあ外国人だから、とはいえ、このリカルド王国に来てからというもの領主から使用人から村人にいたるまでみんな美形ばかりだ。おれ一人だけ(悪い意味で)浮いている気がしてがっかりした。元いた現代世界でもおれは負け組だったが、なぜかやってきたこの世界でも末席とは。
そんなおれに美青年が話しかけた。
「ねえねえ、タイラー様。もう少しお待ちください。父さんはいつも用意が遅いんです。お腹が空いたでしょう」
「あ、お気使っていだだぎ、どうも。腹空いだのではなぐ、別のごどで悩んでだがら心配なさらねでたんせ《ください》」
青年は破顔した。「いやあ、噂どおりの素晴らしい宮廷語ですね。ぼくなんか、練習してるんだけど、全然できなくて」
「宮廷語?」先ほどから交わされている宮廷語とはなんだ。
「いやだなあ。タイラー様が話している言葉が宮廷語じゃないですか。この国では王族・貴族だけが使う言葉ですよ。ぼくも跡取りだから家を継いだら王宮では宮廷語を話さなくちゃいけないんだけど、なかなか上達しなくて」
おれはようやく気づいた。
「え、じゃあ、おれの話してらこの秋田弁がこの国では宮廷語なんだすか」
「アキタベンというのは知らないけれど、タイラー様が話している言葉は間違いなく宮廷語ですよ」
「じゃあ、あのバトル執事だぢが話してら言葉は……」
「嫌だなあ。あれは下々の者が話す一般語じゃないですか。ぼくも周りがみんなあの言葉だから、宮廷語がなかなか身につかなくて」
なんてこった。メイドたちはバトル執事が話しているお嬢様言葉がこの国では一般人が話す一般語で、おれが話す秋田弁がやんごとなき高い身分の人が話す言葉だとは。だからみなおれが話すと態度が変わったんだ。
おれはますます落ち込んだ。意図したことではないにせよ、このままだとなんだかおれはここの人たちをだましているみたいに感じる。
「申し訳ねぁ。おれは本当は高貴な生まれなんかでね……」
おれの言葉はさえぎられた。
「ヨッシーノ。せっかぐ高貴なお客人ど同席してらのだんて、きぢんと宮廷語で話しなさい」チョコーボ老人が入ってきた。今までの会話は幾分か聞かれていたようだ。
「はあい、分がった」ヨッシーノと呼ばれた青年はぺろ、と舌を出すと笑顔で黙った。変な話だけど、おれそんな気は全然ないんだけど、すごく可愛い。これおたくが見たら憤死するところね。
チョコーボ老人は着席するとおれに向かってほほ笑んだ。「お待だせした。せがれが無礼なごど申さねぁでしたがな」
おれはぶんぶんと首を横に振った。チョコーボ老人はにっこり笑うと指をパチンと鳴らした。直ちにテーブルの上には温めた料理が並べられ、夕食が始まった。おれたち三人の他はみな使用人たちだ。おれは大変ありがたく、美味しい料理をいただいた。
夕食が終わると、チョコーボ老人はおれにいくつもの質問をし、おれもこの世界のことを聞いて色々と知識を得た。
それで分かったことだが、やはりこの世界はおれが元いた世界ではないようだ。空は天蓋におおわれ、太陽はないが空全体が光っているので、闇はない。おれが来たここはアムス人という人種が支配するリカルド王国で、おれがやってきたのはサクラヒメ一族の筆頭ヨシノ家が支配する領地だ。チョコーボ老人はヨシノ家の当主で正式にはチョコーボ・フォン・ヨシノという。
「それでそさいるのがせがれのヨッシーノ・フォン・ヨシノだすじゃ」老人が指し示すと美青年ヨッシーノはにっこりと笑った。
「なるほど。奥様は……」
「妻はヨッシーノ小さぇどぎに亡ぐなった」
「失礼した」
「構わねぁ。だが母親がいねがらヨッシーノの宮廷語がながなが進まねでな」
チョコーボ領主はおれの身の上についても色々と質問した。おれは分かる範囲で包み隠さず話した。チョコーボ老人はおれの話をそのまま受け入れてくれた。
「ふーん。異世界がら来だんだすか。道理でこの国のごどなんもおべね《知らない》わげだ。でもその宮廷語は……」
チョコーボ領主はしばらく考え込んだ。おれは改めて自分の身の上を考えた。どうやらおれは酒に酔って寝ている間、なにかがあって死んでしまったようだ。それでこの異世界へ転生したと考えられる。暇に飽かして町の漫画喫茶で読んだマンガを思い出した。マンガの中だと大概トラックにはねられて死んだ主人公は異世界へ転生する前になにかチートな能力を授かるか、あるいは全く異なる姿かたちで転生するものだが、おれは秋田弁を話すイケてない容姿の平一平そのままだ。特に顔面偏差値が異様に高いリカルド王国のような場所で、おれが浮かばれるようなことは考えられない。結局転生しても負け組の人生か。
おれはため息をついた。そのとき、ずっと黙って考え込んでいたチョコーボ領主が改めておれに向き直って言った。
「タイラー殿。折り入って頼みがあるす」
「なんだべ」
「せがれの家庭教師どしてこの屋敷さ住んでたんせ」
「それは」
横で聞いていたヨッシーノの顔がぱっと明るくなった。チョコーボ領主は続けた。
「ご存じのようにせがれは母親がいねだめに宮廷語遅れでら。このままでは宮廷さ行ったどぎに問題起ぎるす。なんとが助げでいだだげねだべが。もぢろん衣食住は保証すすし、わしが身元保証人になるすから、この国の中だばどごへでも行げるす」
おれは答えた。
「ありがだぇし、おれは全然かまわねのんだども、おれのような者でえのだすか。得体のしれね異世界の人間で」
「異世界の人間がもしれねんだども、あだの宮廷語は本物だす。あど、わしはふと見るまなぐは確がだんだども、あだは悪人でね」
領主にそこまで買ってもらったのならば、やるしかないだろう。ここから出ても行くあてもないし、元の世界に戻る方法もわからない。おれはそこで答えた。
「わがった。全力でやらせでいだだぎます」
「どうも」領主はおれの手をとって握りしめた。
そんなおれたちをヨッシーノはにこにこしながら見ていた。
ヨシノ家へ滞在して数日が過ぎた。
天蓋付きベッドのある一部屋をあてがわれ、掃除洗濯料理はすべてメイドたちがやってくれるので、おれは日に数時間ヨッシーノに宮廷語を教えるだけだ。元いた世界に比べればパラダイスだ。
ヨッシーノとは宮廷語(と行ってもおれにとっては地元の秋田弁)を教える関係で長い時間を過ごし、様々なことを話し合った。
ある時、おれは尋ねた。
「他のみんなはチョーカーつけでらども、あだだげはなして付げでねんだすか」
ヨッシーノは一瞬考え込んだ。その美しい顔に影が差した。
「ぼくは……」と言いかけて言い直した。「おいだば未成年だんてだす」
なるほど。そう言われれば、当主も執事もその他屋敷の使用人たちはすべて成人だった。成人するとチョーカーをつけるのがこのリカルド王国の習慣なんだろう。ひと昔前のサラリーマンがネクタイ着用必須だったみたいなものか。
「あーあ、嫌だなあ。成人するのは」ヨッシーノはおれとだけ一緒のときは時々若者言葉に戻る。おれは尋ねた。
「成人になるのがなんでそんたに嫌だすか」
ヨッシーノは宙を見ながら答えた。「チョーカーつけるど、ヨシノ家の責任負わねばねぁからだす」
なるほど。領主の跡取りだから責任も重いんだな。おれはヨッシーノに同情した。
「自信がね」ヨッシーノはあごをテーブルの上に乗せて嘆息した。
ヨッシーノの家庭教師としてヨシノ家に滞在してからはやひと月経った。ヨッシーノの宮廷語の上達は目覚ましいものだったが、一日中授業をしているわけにもいかず、おれはほとんどの時間、暇だった。
元の世界では毎日日が暮れるまで畑仕事を(しかも手作業で)やっていたので、はっきりいってこの世界では運動不足だった。ちょっと下腹が気になるほどに出始めた。
おれは屋敷の庭をうろうろと歩き回った。さすが領主の家なので建物は控えめだが、庭は公園くらい広い。雑木林や果樹園があり、晴れた日には中庭で洗濯や様々な雑事を使用人たちが行っている。
おれが屋敷の裏手にまわると、丁度薪割をやっている最中だった。切株の台の上に等幅に切った丸太を置き、斧で割っている。リカルド王国ではガスや電気はないので、薪は料理のために貴重な燃料だ。薪を割っている使用人はへとへとな様子だった。
ちなみにアムス人はほとんど汗をかかない。ヨッシーノくんなどは近くに寄ると、なにか花の香りのような素敵な体臭がする。入浴の習慣があまりないようで、汗かきのおれは特別に頼んで浴槽をもらった。毎日風呂に入るおれをみんな不思議そうに見ている。おれは中学生のころ仲良しだった女の子に「いっぺいくん、臭い!」と言われてからトラウマになっており、自分の体臭には気を付けているのだ。
おれは進み出て、座り込んでいる使用人の手から斧を受け取った。
「そ、そんな。もったいないですわ」慌てる使用人を手で押しとどめておれは言った。「運動不足なんで、やらせでけれ」
そのまま斧を振り上げて、薪を割る。元の世界では一日中鍬で畑を耕していたからお手のものだ。
全身から心地よい汗が噴き出て、手に重い反動が感じられる。やっぱり人間、働かなきゃだめだな。といって家庭教師が仕事じゃない、というわけではないが。
この世界では強い日差しもないし、外仕事は趣味みたいなものだ。おれは楽しんで薪割を行った。小一時間もすると山ほどの薪が積みあがった。
「ご苦労様ですことよ」
使用人に呼ばれて来ていたバトル執事がおれに声をかけた。おれがいつも頼んでいるのでタオルを渡してくれる。如才ない人だ。
「どうも」タオルを受け取るときにはずみで執事の手がおれの手をつかんだ。執事ははっとした様子だった。
(どれほど修行したら、このような手になるのでしょうか)
なにか言ってる。
とにかく、運動不足解消に薪割りを時々させてもらうことになった。
*
今日、ヨッシーノが成人した。
屋敷の広い庭に仮設テントを張り、村人たちを呼んで祝宴が開かれた。テーブルにはチキンの丸焼きに果物、パン、ご飯、チーズとご馳走が並べられ、領主チョコーボとヨッシーノは着飾っている。
チョコーボ老人は笑顔でクーパー村長と歓談している。ヨッシーノは心なしか表情がこわばっていら。おれはと言えば、テーブルの末席で祝宴の始まるのを待っていた。
そのときが来るとチョコーボ老人はみなにあいさつし、召使が捧げ持って来た箱から真新しい黒地に桜色の模様が入ったチョーカーを手ずからヨッシーノの首につけた。
群衆の歓声が上がった。
これでヨシノ家の跡取りが成人し、正式にチョコーボ老人の後継者となったのだ。
面倒な演説やあいさつもなく、チョコーボ老人が手を振るとみなは一斉に乾杯し、料理にかぶりついた。
祝宴がたけなわのとき、ヨッシーノに誘われておれは屋敷の裏手に回った。
「ご苦労様」おれはねぎらった。
「こんた席は疲れるす」ヨッシーノの宮廷語はすっかり板についたようだ。
「成人するど何大変なんだすか」おれは聞いてみた。まあ、領主様になるのだから大変そうなのはわかるが。
「チョーカーつけるど大人どして認められるすから、決闘の義務生じるす」
「へ、決闘?」
「はい。おいらアムス人は成人するまで男でも女でもね中性んだども、成人するど決闘しねばねぁ。決闘で勝でば男さ、負げれば女になるす」
「えええええ!」知らなかった。ヨッシーノが男か女かわからない中性的な魅力の青年だと思っていたが、本当に中性だったとは。いやもちろん彼らは人類に非常に似てはいるが、人類ではないことは分かっていたんだけど。
「それで負げだ方は普通、妻になるす。まれにはリベンジマッチのためさ諸国放浪して修行する女剣士もいますが、まれだす」
おれが驚きのあまり口がきけないでいると、ヨッシーノは続けた。「一般人だばあまり問題ねんだども、おいら貴族は負げるど嫁入り持参金どして領地取られるすから、決闘で負げるごどは相手の家にすべで取られるごど意味するんだす」
そうだったのか。だからヨッシーノは成人になることを嫌がっていたのか。でも戦争で領地を決する世界もあるのだから、リカルド王国の方法は平和的と言えるかもしれない。
「じゃあこの国の国王は……」
「はい。現国王は最強の勇者だす。全での決闘で勝利し、相手の領地略取し、戦った剣士みんな妻にしてら」
ハーレム物、ハーレム物だった、ここは。
おれは大きく息をつくしかできなかった。
ヨッシーノも決闘で勝利し、跡継ぎを残さなければいけない貴族としての人生にため息をついた。
「じゃあ、行ぐべ」「んだな」
おれとヨッシーノはうなずくと、村人に借りた荷馬車で出発した。
成人して、ヨシノ家の財産をいくらか自由に使えるようになったヨッシーノが、日ごろからのお礼に何か買いたいとおれと一緒に街へ買い物に行くことにしたのだ。おれとヨッシーノの仲なので、プレゼントはサプライズではなく、おれが店で選んだ好きなものにヨッシーノが支払いする、ということにしている。
おれもこの世界へ来て初めての街なので、ちょっと浮かれていた。もちろんヨシノ家としてはお忍びであるので、荷馬車を操る使用人が一人一緒に付いてきているだけである。おれたち三人は数時間かけてピサンという街に着いた。
おれたちは田舎者らしく物珍しそうにきょろきょろとあたりを見回しながら市場を歩いた。二人ともフードを深く下げているから身分がばれる気遣いはない。
「なもかも欲しぇもの言ってたんせ」とヨッシーノは言ってくれたものの、おれには特に欲しいものはなかった。ヨシノ家での生活はおれの人生で最も快適で申し分なく、これ以上何かを求める必要はなかった。まあリカルド王国では、デジタル機器もないから、インターネットとかはできない。
そんなおれにしびれを切らしたようにヨッシーノはおれの手を引いて一軒の店に入った。
そこはチョーカー屋だった。色とりどりのチョーカーがショーウィンドウに飾ってある。ヨッシーノはその中の一つを選ぶと恥ずかしそうにおれに差し出した。
「あの。これえがったら」
「え、えんだすか」ヨッシーノが差し出したチョーカーはヨシノ家の身分を表す文様が入っている。これを付けることはおれが正式にヨシノ家の食客となることになるのだろうか。
「お、お揃いだす」ヨッシーノは顔を伏せ、ますます照れている。ピンク色の肌がさらに濃いピンクに染まっている。
おれはよく分からなかったが、多分おれがヨシノ家で認められたということなのだろうと解釈した。
「どうも」おれがチョーカーを受け取ると、ヨッシーノは顔を真っ赤にしながらうれしそうにほほ笑んだ。相変わらず笑顔が素敵な青年だ。男でも女でもない、とわかっていなかったら変な気を起こしそうだ。
ヨッシーノとおれが外に出ると、ヨッシーノは誇らしげにおれとお揃いのチョーカーを見えるようにフードを下した。
街へ着いた時の警戒心はどこへやら、そのまま二人で道を歩いていると突然声がした。
「おい! そごへえぐのはヨシノのウジ虫でねが」
ヨッシーノの表情がさっと変わった。見るとピンク色の肌に血色がさし、赤くなっている。
「おめ、ヨシノ家のせがれだな。先月成人したそうでねぁが。おめでどう」口は賞賛しているが、顔には野卑な笑いを張り付けた男が道をふさぐように現れた。一緒に五、六人の仲間がいる。全員が平行に二本並んだデザインのチョーカーを付けている。
「あだはアヤツリ一族の者だすね。何が御用だすか」ヨッシーノはあくまでも丁寧に応対したが、目は油断なく相手をにらみつけている。
「おいおい、そんためんけ顔しておっかなぇ表情するなよ。ヨッシーノぢゃん」男は馬鹿にしたように言った。
(ぼくの名前も知っている。どうやら待ち伏せされたようです)ヨッシーノがおれに囁いた。
(え、待ぢ伏せ?なんで)おれはあたりを見回した。男の連れは左右から囲み、おれたちの退路を絶っている。本当に待ち伏せされたようだ。荷馬車の御者をやってくれた村人は震えてしゃがみこんでしまった。ボディーガードとしては役に立たない。
「ヨシノ家などど田舎者の糞だ。肥溜めの臭ぇがするぜ。さっさど田舎さ帰って肥溜め混ぜでろ」
「おい! 田舎者どご馬鹿にするな」おれは前へ進み出た。自分のことを馬鹿にされているような気がしたのだ。
(駄目です。挑発に乗っては。ここはこらえてください)ヨッシーノが囁く。
「ヨッシーノお嬢ぢゃーん。そんた細腕で領主の地位守れるのがい。さっさどおれの妻になってしまった方楽だぜ」
男は言いざま、ぺっと唾を吐き、それはヨッシーノの靴に付いたが、ヨッシーノは我慢していた。
「やっぱし腰抜げチョコーボのせがれだんて腰抜げが」
男の一言でヨッシーノは真っ赤になった。
「訂正しろ! ぼくはともかく父さんの悪口は、許さない!」
ヨッシーノが前へ進み出るタイミングで男は何かをヨッシーノに向かって投げつけた。おれはそれが何か危険なものかと思って反射的にヨッシーノの前に出た。その塊はおれの胸にぽん、とあたって下に落ちた。
「?」
拾い上げてよく見るとそれは男がしていた手袋の片方だった。
「何だごりゃ」おれの当惑とは別に周りの反応は変わっていた。
「汚いぞ」ヨッシーノが叫んだ。
「余計なごどしやがって。おめ、誰だ」男はおれに大してご立腹である。
おれは振り返って聞いた。「何で?」
「決闘を申し込まれたんです。手袋を拾ったら決闘に応じなければなりません」とヨッシーノ。
「おめもチョーカーつけでらがらには、よもや逃げだらねよな」男はそっくりかえっておれを上から目線でにらみつける。背はおれより高いが、ほっそりしていて全く脅威を感じない。男の付き人が準備していたように木剣をおれたちに差し出した。
いや、準備していたんだ。
おれはようやく状況を理解した。
ヨッシーノはチョーカーをつけているので、決闘を申し込まれたら応じなければならない。そして貴族の跡取りであるヨッシーノは負ければ領地を取られる。
つまりこの男たちは最初からヨシノ家の財産を狙って決闘の機会を探していたんだ。しかも大勢で付き人の少ないヨッシーノを囲んで無理やり決闘させようとした。
おれは結構むかついた。
おれが木剣を受け取ると男は堂々と名乗りを上げた。「アヤツリ一族ノキオ家次男ファーウェイ・ノキオだ。名名乗れ」
作法はよくわからないが、おれも名乗った「日本の秋田県出身ヨシノ家食客タイラーだす」
「なんだそりゃ。おめ領地はねのが」男は聞いた。
「故郷には土地があったんだども、この国には領地も財産もねぁ」
「使えねえな。速攻で倒すぞ」ファーウェイは木剣を構えた。
「タイラー様」ヨッシーノがおれの腕をつかむ。おれはにっこり笑って言った。「こいづら地元の不良連中みだいだんて、さっと待ってでけれ」
ファーウェイがかっとなったのがわかった。彼は木剣を上段に構え、全力で打ちおろしてきた。
かっ。
おれは打ちおろしてきた木剣を自分の木剣で受け止めたが正直拍子抜けした。弱っつ。こいつ背が高いだけで全然力がない。おれの地元の暴走族の打ち下ろしてくる鉄パイプの方が気合が入っている。
おれは木剣で受け止めたまましばらく待った。ファーウェイは両手で柄を握りしめ、木剣に体重を乗せてくる。おれはしばらくそれを難なく支えていたが面倒くさくなり、肩で体当たりした。
ぼん。
おれの体当たりを受けたファーウェイはまともに吹っ飛んで、道の反対側に置いてあった飼い葉おけの中に突っ込んだ。おけからはみ出た両足のふくらはぎがぶらぶら揺れているので、どうやら今の衝撃で気絶したらしい。
「今だ。えぐべ」おれはヨッシーノの手をつかむと、あっけにとられているノキオ家の面々を残して逃げ出した。
チンピラに囲まれたときは、頭をつぶしてさっと逃げるのが鉄則だ。荷馬車までたどり着いたおれたちは馬車をはずし、馬に二人だけ乗って走り出した。ヨッシーノはさすが領主のせがれだけあって乗馬はお手の物だった。おれたちはノキオ家の追手を引き離し、街を抜け、ヨシノ家の領地まで駆け戻った。
おれは馬の後ろに座ってヨッシーノの腰に腕を回していたが、なんかちょっと胸のあたりが膨らんでいて、馬に揺られるたびに手がそのふくらみにあたり、気になって仕方がなかった。
その翌日。
おれは裏庭で薪を割った後、いつものように自室にある浴槽で風呂に入っていた。ここリカルド王国では、中世の西洋と同様に風呂場、というものはないので、部屋の真ん中にバスタブをおいて風呂に浸かる。気候が暖かいので湯を準備する必要はないが、召使たちが水を替えてくれるのでありがたい。大変な仕事だが、ヨシノ家には召使がたくさんいるので何とかなっている。
リカルド王国は貴族制だが、決闘で勝てば身分を上げることもできるし、何より農産物が沢山とれるので国が豊かだ。フランス革命の頃のように一般人が飢えるようなことはない。国民の不満も少なく、兵士はいるが警察みたいなもので、他国と争って侵略したり防衛したりする兵隊はいない。民主主義国家ではないが、まあこれもいいかな、と思った。
「あ、あの」
浴槽に座ったまま振り向くと顔を赤くしたヨッシーノがいた。
「あ、わり。何だすか」おれは立ち上がろうとするとヨッシーノはあわてて後ろを振り向いて言った。「そのままで、お願いするす。父が呼んでらがら、入浴終わったらおどの書斎さ来ていだだげるすか」
おれと一緒のときは若者言葉なのに、今日のヨッシーノは改まっている。
「分がった」
おれは風呂からあがると、手早く支度した。
チョコーボ老人の書斎にノックして入ると、チーク材でできた重そうな机の前から立ち上がってチョコーボ老人はおれにソファーセットをすすめ、自分も座った。指をパチンと鳴らしてメイドにお茶を持ってこさせる。
この家ではお茶は話をする前の儀式みたいなものだ。
ミルクティーをいただいてしばらくした後、チョコーボ老人は顔を上げて話始めた。
「タイラー殿。昨日の件、従者がら聞いだ」
「はい」
「ほんに何どお礼申し上げでよぇやら」
「恐縮するす」
「全ぐうがづだった。チョーカーつければああいった危険があるごどは予想でぎでだのに」
「これがらは街さ出るどぎには護衛つければえべ」おれは提案したが、そんなおれを難しそうな目で見てチョコーボ老人は言った。
「それが、そうも行がねのだす」
「と、おっしゃるど」
「せがれは来月、全寮制の王立オスカル学院さ入学するす」
「はあ」
「これは貴族の子弟の義務なのだす。学院の目的は二づ……」
「一づは他家の者だぢど知り合いになって人脈作るごど」
「もう一づは在学中、決闘行うごどで他家の子弟自分の嫁にするごど。つまり婚活だすな」
「するど」
チョコーボ老人はうなずいた。
「んだ。ヨシノ家の領地狙ってせがれに決闘申し込む他家の者がじっぱり現れるべ」
「ヨッシーノ君は戦いは苦手だで言っていましたね」
「その通り。このままでは学院にいる間さヨシノ家の領地他家さ取られでしまうす」
なるほど。いかにもありそうなことだった。ヨッシーノ君の性格なら、決闘に負けて女性化し、他家の嫁になってしまうだろう。女性化したヨッシーノ君を見てみたい気もしたが、それは別の話。
「そごで頼みがあるす」今度こそチョコーボ老人はすがるような目をした。「ヨシノ家の者どして学院さ入学し、せがれの付ぎ人になって欲しぇ」
「はあっ!?」
あまりにも意外な依頼だった。おれが学院に入学? いや、おれもう四十歳だけど。
「え、それは?」うろたえているおれにチョコーボ老人は慈愛を込めた視線で見た。
「もぢろん、異世界がら来だあだにはそれなりの立場があるべがら、配下さ入れ、と失礼なごどは申し上げられねぁ。そいだばヨシノ家の遠ぇ縁者どして貴族の称号お与えするすから、せがれが決闘申し込まれだどぎには決闘代理人どなっていだだぎでゃのだす。せがれ無理な決闘がら守りでゃ。そいだげが望みだす。他意はねぁ」
おれはしばらく混乱したが、選択の余地はなかった。ヨッシーノが学院に入学すればおれの家庭教師の職は終わる。この国で職もなく住む場所もないおれがチョコーボ老人の好意にすがっていつまでもヨシノ家に居候するわけにもいかなかった。
「了解した」おれは言った。
*
はやひと月経ち、貴族の馬車からおれとヨッシーノ君は王立オスカル学院の正面玄関前に降り立った。王立オスカル学院は中世の西洋建築みたいで石造りの豪奢な建物だ。柱には彫刻が施され、見上げると二階にはバルコニーがある。中庭にはバラ園や噴水がしつらえてある。石畳の上には塵一つおちていない。さすが貴族の学院だ。
今日は入学式で、すでにあたりには貴族の子弟たちがそこここで小さな集団を作り、雑談をしている。
「ああ、あだがクラチ家の……」
「お見おべぎでたんせ」
「やっぱし学院水にあってら」
さすが貴族の子弟が通う学院、聞こえる会話は全て秋田弁だ。おれはまるで自分の故郷に帰って来たような感覚に襲われた。目をつぶっていれば。
目を開いてあたりを見回すと、「ベルサイユのばら」の登場人物みたいな人々が秋田弁で会話しているので、違和感半端ない。すでに数か月ヨシノ家にいるのだが、まだ慣れない。
ヨッシーノくんはおれのそばを片時も離れない。いきなり誰かに決闘を申し込まれはしないか、と警戒しているのだ。
「そんた入学式の日にいぎなり決闘どがしねのでねだすか」おれがなぐさめに言ったとたん、叫び声が聞こえた。
「決闘だ!」
人だかりがしている所へおれたちが行くと、円形の囲みの真ん中に二人の学生がにらみ合っている。
「アヤツリ一族とシフト一族の者ですね」チョーカーの種類から家を判別したヨッシーノくんが囁く。
二人の学生は互いに手袋を投げつけると腰に下げたレイピアを引き抜いた。審判を買って出た職員が白手袋をした手をさっとあげると二人の決闘は始まった。
二人ともやせて手足が長い。レイピアは最も適した武器だろう。
二人は互いに距離を取り、剣先をすり合わせて間合いを図った。
ちん!
細い剣が交差して電撃の速さで攻防が繰り広げられる。一閃、二閃。
戦いはあっけなく終わった。
太いチョーカーをした学生の一撃で二本のチョーカーをした学生が剣を取り落としたのだ。右手を抑えた学生の手袋から血がしたたっている。その学生はがっくりと膝をついた。
ただちに太いチョーカーをした学生が指をパチンと鳴らすと付き人が何かを両手にかかげてやってきた。
美しい純白のドレスだった。
太いチョーカーをした学生はそのドレスを相手の肩にかぶせた。
「シフト一族、アクセル家、モモ・アクセルの勝利」
審判が判定を下すと負けた学生はそのままひざをくっつけたまま地面に座り込んだ。しばらく肩を震わせながら頭を垂れていたが、突然叫ぶ。
「ああっ!」
するとみるみるうちに敗者の様子が変わってきた。
肩が落ち、胸がふくらみ、腰が丸くなる。顔は同一人物と分かるが、ほおの線が柔らかくなり、まつげがさらに長くなった。
しばらくすると敗者の学生は完全に女性化してしまった。
「おいはあだの妻だす」それが敗北宣言だったのだろう。
勝利した学生は女性化した学生の手をとって立ち上がらせると、見物人の前で彼女を抱き寄せ、熱烈な口づけをした。
おう、宝塚。
二人はそのまま建物へ入ってしまった。
呆然として見ていたおれにヨッシーノが言った。
「見での通りだす。決闘で負げるどああなるす。あの二人は跡継ぎではねぁから、財産はあまり関係ねぁが、跡継ぎが負げるど大ごどだす」
リカルド王国は規律の正しく守られた平和な世界だが、その上で弱肉強食の戦いがあることをおれは改めて理解したのだった。
王立オスカル学院に入学してから数日後、おれたちはようやく学院のあれこれに慣れ始めた。
チョコーボ老人の計らいで、学生寮ではおれとヨッシーノくんは同室となり、おれはボディーガードの役目も果たせることになった。学院の勉強は面白かったが、おれの頭にはついていけないことも多かった。ヨッシーノくんはそんなおれの勉強を手伝ってくれた。
食堂でも大講堂でもおれたちは常に一緒に行動した。ただ一つ、おれが毎日風呂に入るのには場所がなく、おれは仕方なく学院の広大な敷地の一角にある人目につかない場所にたらいをおいてこっそりと入浴するしかなかった。!
学院へ入って一週間目のこと、おれとヨッシーノくんが廊下を歩いていると、反対側から学生のグループがやってきた。
(この間、街で会ったノキオ家の者たちです)ヨッシーノくんがささやく。
彼らは横に並んで廊下をふさぐように歩いてきた。おれたちはそのまま進み、彼らはおれたちの正面で立ち止まった。
「すまねぁが、通れねがらさっと道開げでもらえねぁが」
おれは丁寧に頼んだが、ノキオ家の面々はおれたちを見てにらんている。居並ぶ中で中央に立っている一人が進み出て言った。金髪碧眼美少女、と言っていい。まあアムス人だから中性なんだろうけど。
「ヨシノ家のヨッシーノ・フォン・ヨシノだな」人差し指をヨッシーノに突きつけて言う。「ノキオ家の跡継ぎモト・ローラ・ド・ノキオだ」
「はい。んだ」ヨッシーノはにっこりとほほ笑んだ。「よろしくお願いいだします」
しかしモト・ローラは全然よろしくしたくない様子だった。
「腰抜けのヨッシーノがよく学院へやってきたな」
ノキオ家の人間ってみんなこんな感じなのかな。おれは横から口をはさんだ。
「いぎなり侮辱するどは、失礼なふとだな」
モト・ローラはおれを指さして聞いた。「こえだば誰だ」
貴族社会では名乗りを上げるのが作法なのだろう。おれは答えた。「ノキオ家の遠縁、タイラー・フォン・ダースだす」おれはチョコーボ老人に教えられた通りに名乗った。
モト・ローラは大きな目をさらに大きく見開いた。
「おめがタイラーが。先日は弟がしったげ世話になったな」憎々し気に言う。
ああ、あのならず者の姉か。あの弟にしてこの姉(兄?)あり。しかしここで争いを起こしたいわけではない。おれはできるだけ丁重に言った。
「ええど、ローラさん。おいがだはあだに何の恨みもねがら、そご通していだだげねぁが」
しかしモト・ローラは逆にブチ切れた。「誰ローラだ! おめ、殺すぞ!」
え、なんで。おれなんか悪いこと言った?
(まずいです。タイラー様)ヨッシーノがささやく。
「腰抜げヨシノがら血祭りにあげるべで思ってだが、気変わった。おめどご先にぶっとばす」
モト・ローラは手袋を脱ぎ、丸めておれに向かって投げつけた。
ひょい。
おれは手袋をよけた。この前のような失敗は犯さない。手袋を受け取ったりしなければ決闘は成立しないのだから。
モト・ローラは激昂し、反対側の手袋も投げつけたが、おれはそれもよけた。
モト・ローラはさらに怒って地団駄を踏み、一緒にいる者たちから手袋を受け取って次々に投げてきたが、おれはそれを全てかわした。
はあ、はあ
ウェーブのかかったロングの金髪を乱し、肩で息をするモト・ローラのすきをついて、おれはヨッシーノの手を引き、廊下の反対側へ向かって逃げ出した。
「待で! 卑怯者、逃げるな」背中に怒号を聞きながら、おれたちは学院中を走り回った。
追手が来ないところまで来ると、ヨッシーノはおれに説明してくれた。
モト・ローラ・ド・ノキアという名前は、婚姻前の中性的な名前で「モト」が男性の名、「ローラ」が女性の名前だという。相手をローラと呼ぶことは相手を女性と決めつける、つまり「決闘してお前を負かしおれの妻にしてやるぜ」という意味を暗に含んだ挑発行為だということだった。
貴族ってめんどくせ。
おれは学院での生活が平穏には済みそうもないことを感じていた。
おれはいつものようにこそこそと裏庭の秘密の場所へと急いだ。王立オスカル学院の広大な敷地には小川が流れ、おれはその渓流の奥に水浴に適した場所を見つけたのだ。これで風呂のたびにいちいち召使に大量の水を汲んでもらわなくても済む。
おれは現代世界で銭湯に行くときのように首にはタオルをかけ、手にはたらいを運んでいた。
小道の各所で油断なく左右に目を配り、誰にも見られていないことを確認する。
おれの見つけた場所はまわりを茂みに囲まれ、小川の淵は浴槽くらいの深さで流れが弱く、水浴には最適だった。
学院に入って分かったことだが、アムス人はヨッシーノくんと同じく全員が花の香りのような素敵な体臭をしていて、入浴するのはたまにしかない。おれは自分の臭いがさらに気になり、一日に二回、多いときは三回も入浴するようになった。
幸い、リカルド王国は温暖で、冬はないそうなので、湯舟に浸かる必要はない。
おれはへちまに似た植物で作ったたわしで自分の身体をごしごしと磨いていた。
チョコーボ老人に依頼されたこととは言え、貴族に、いやそもそも他人に囲まれて生活するなど生まれてからなかったため、おれのストレスたるや大変なものだった。
入浴はおれの唯一のストレス解消法だ。風呂サイコー!
気持ちよさについ鼻歌までついて出る。
そうして解放感に浸っていたおれは何か違和感を感じてはっと振り向いた。
誰かの視線を感じる。
よーく見ると茂みの上から金髪の頭がはみ出ている。誰かは知らないが、プロの尾行者ではないようだ。
もしかしたら暗殺者?
突飛な空想が沸き上がる。貴族社会だからそんなこともあるかもしれない。
「おい! 何者だ。姿現せ」おれが叫ぶと相手はうろたえたのか、慌てて立ち上がったところを茂みで足をすべらせ、おれの前まで滑り落ちてきた。
ばしゃーん。謎の監視者はおれの水浴所に落っこちた。
おれは思わずとびすさって淵の端に腰掛ける体勢となった。
腰掛けたおれの腰の丁度正面あたりに、いったん水没した不審者の顔が現れた。目が大きい。
それはモト・ローラだった。
「わっ、しょしぇ(恥ずかしい)!」おれは手で前を隠した。
「み、見でね。見でねがら!」モト・ローラも手で目を隠して叫ぶ。見たことは明らかだった。
「な、な、なんでスパイしてだんだ」
「ち、ち、違う。こそごそどどごがへえぐがら怪しぇで思って尾げでぎだんだ」
「ふ、ふ、ふ、風呂さ入りに来だだげだ。おめこそ怪しぇぞ。何が企んでらんでねが」
「た、た、た、企んでなんかね!」モト・ローラはそう叫ぶと立ち上がり、おれに指を突きつけた。金髪の濡れ髪が制服の上に流れ落ち、美しい。顔が真っ赤だ。
「は、恥かがせおって。このお礼は必ずするぞ」そう捨て台詞を言うと、全身を濡らしたまま肩をいからせてモト・ローラは歩き去った。
水浴のぞき事件以来、モト・ローラのちょっかいがひどくなった。どうやら矛先はヨッシーノくんではなく、おれに変わったようだった。授業でおれが答えられないと、聞こえよがしにふん、と鼻で笑うし、食堂では自分の一家と徒党を組んで、大声で悪口を言う。
廊下ではわざと道をふさぎ、手袋を投げつけてきた。おれはそれをひょいひょいとかわしたが、それでモト・ローラはますます怒っているようすだった。
ついにはパチンコ(ギャンブルじゃなく、ゴムで石をとばすやつ)を使って固めた手袋を狙撃してきたが、おれはなぜか気配がわかり、全てよけた。
ある日、おれが寮の郵便受けを開けると、上質な紙の封筒に蝋で封をしたおれ宛の手紙が入っていた。表書きには差出人の名前は何も書いていないが封蝋の上にノキオ家の家紋が記されているので誰が出したかは明白だった。
おれは現代世界で内容証明郵便を受け取り拒否するのと同じ手段で、舎監に頼んで封筒の受け取り拒否をした。中身は見るまでもなく果たし状で、開封したら決闘を受け入れることになるのだろう。
ヨッシーノくんは心配したが、むしろ相手の矛先がヨッシーノくんからおれに変わって護衛するのが楽になった。おれは自分のことだけ気を付けていればいいから。
それでヨッシーノくんに対する警戒がおろそかになった。
ある日おれがいつものように入浴から戻ってくると、寮の自室の様子が変だった。
部屋の調度が乱れ、椅子が転がったり、ベッドマットがずれたりしている。参考書や教科書が床に散乱し、中央に置いてある文机の真ん中に紙がナイフで留めてあった。
おれは慣れないリカルド文字を読んだ。
ヨッシーノは預かった。危害は加えていない、今のところは。返して欲しくば一人で体育館裏まで来い。
誘拐だ。
いくら挑発しても決闘に乗らないおれに対し、ノキア家の跡継ぎたるヨッシーノくんを誘拐するとは。これは下手をすると貴族の名家どうしの争いに発展することはおれでも容易に想像がついた。
体育館裏に行くとモト・ローラとノキア家の面々が十名ほどつるんでいた。おれがこてんぱんにしたファーウェイ・ノキアもいる。
立ち木があり、そこにヨッシーノくんは縛られている。
おれが近づくと椅子に腰かけていたモト・ローラが言った。
「逃げ出さずに来だな」
「いけない! ぼくに構わず逃げて」ヨッシーノくんが叫ぶ。
ノキア家の連中がどっと笑った。
「ぼく、だってよ」「田舎者の地出だな」
ヨッシーノくんは真っ赤になって涙目となる。可愛いな。
「約束通りおめが勝ったらヨッシーノは開放してける」
おれはどうするのが最良か考えていた。
このままおれが勝つとノキア家とヨシノ家の泥沼バトルになるのか、おれが負けておけば、いったんモト・ローラの攻撃の矛先は収まるのか。おれはアムス人じゃないから、決闘で負けても女性化はしないだろう。食客だから財産もない。いい加減決闘申し込みや中傷を受け続けるのもうんざりしてきたところだ。わざと負けておくか。
そんなおれの迷いに対してモト・ローラは指をぱちんと鳴らして付き人に命じた。「おい。ドコモ。あれどご」
モト・ローラの付き人は真っ赤なイブニングドレスを両手で掲げた。
「決闘で負げだ方がこれ着るごどになる。きっと似合うぞ」モト・ローラが宣言する。
一分前のおれの意見却下!
おれが負けたら女性化せずにあれを着なくちゃいけない。そんな羞恥プレイは……
「絶対さ負げられね」おれは決意した。
次男坊? のファーウェイと異なり、モト・ローラが用意させた武器は真剣のサーベルだった。細身の直剣が光に反射してきらり、と光る。
審判を付き人のドコモが勤めるのも、出来試合な気がする。
「彼、おめの付ぎふとだんだども、ほんに公正な審判するの?」おれが聞いた。
「ふん。審判だばいなぐでも勝敗がはっきりするぐらいに明確にやっつけでける」モト・ローラはうそぶいた。
「いけない! モト・ローラは王都一と言われる凄腕の剣士です」ヨッシーノくんが叫ぶ。
おれはなんか物語の主人公になった気がして芝居がかって答えた。「姫、ご安心を。必ずお助けします」ヨッシーノくんは真っ赤になった。失礼だったかな。
対するモト・ローラはますます怒っている様子だ。
「この、糞田舎者の辺境貴族の分際で、王都の貴族がどんたものが、わがらせでやるぜ」手袋を投げつけざま、すらりと剣を抜いた。おれも手袋を取り上げて剣を抜く。
「両者はじめっ!」ドコモの掛け声で決闘は始まった。
おれは最初少し舐めていた。ノキア家の人間ならファーウェイ・ノキアの上位モンスターくらいの実力だと考えていたが、それが誤りだったとすぐに分からされた。
モト・ローラは地面すれすれに飛ぶつばめのように走り、すれ違いざま電撃の攻撃を加えてきた。おれは剣を振ったがそれは相手にかすりもせず、距離をとったモト・ローラがふっ、と笑うと同時におれのシャツの胸の部分が切れてはらりと垂れ下がる。
ヨッシーノくんの悲鳴が聞こえる。
いつ攻撃を受けたのか全く見えなかった
まずい。
このままではイブニングドレスを着る自分の姿が目に浮かぶ。それだけは何としても阻止しなければ。
モト・ローラは再び走り寄り、すれ違った。おれの剣は再び空を切った。
モト・ローラが立ち止まると、今度はおれのシャツの右袖がずり落ちた。
次の攻撃で左袖、その次で襟、それから背中。
波状攻撃の度におれのシャツは切り裂かれ、おれは上半身裸になってしまった。
「ふっ、もう上さ着るものがねな。そいだば今度は下さ着るもの処理させでもらうべが」
「そんたいだぶるようなやり方はひどぇぜ。下はこの前もう見だでねが」おれの言葉にモト・ローラは真っ赤になった。
「見でね、て言ったべが」叫ぶと走り寄ってきた。
おれは当たるかどうか分からないままに剣を突き出した。
どす。
次の瞬間手ごたえがあった。
おれの剣はモト・ローラのチョーカーを貫き、チョーカーは切り裂かれて垂れ下がった。首に一筋の線がつき、血が染み出す。モト・ローラの剣はおれのわきの下に入っておれには当たらなかった。
「勝負あり! 勝者タイラー・フォン・ダース!」審判の声が響く。
笑いながら座ってみていたファーウェイ・ノキアが顔色を変えて立ち上がる。「そんた馬鹿な! 今のは無効だ」
「無効でね。しかど見届げだ」突然後ろに来ていた学院の教職員が割って入った。「審判依頼されだが、遅れですまん。だが学院さ決闘の届げ出も出でら。正式な決闘ど認められる」
「届げ出? いったい誰」ファーウェイは呆然としたままである。
「あーあ、負げでしまった。悔しぇなー」モト・ローラの声でおれは気づいた。わざとらしい。すっごくわざとらしい声。
突然背中に感触があって、おれが振り向くと、おれに胸をくっつけているモト・ローラの顔がすぐ前にあった。なんだかもう柔らかい感触になり始めている。
「早く、早くほどいてくださいよ!」
なぜか顔を真っ赤にして怒っているようなヨッシーノくんの声が聞こえた。
おれはその晩、一人でモト・ローラの個室に呼ばれていた。
貴族の正式な決闘で勝利したのは初めてで、正直どんなことが起きるのかいまいちわからない。
ヨッシーノくんはなぜか機嫌が悪く、おれと会話してくれないので仕方なく一人で来た。
ま、とって喰われることはないだろう。
おれは部屋のドアをノックした。中からどうぞ、という声が聞こえたので、そのまま入った。
「ドア閉めでたんせな」そう声が聞こえたので後ろ手にドアを閉める。突然襲い掛かられたりしないよな。
薄暗い室内の奥にかすかに明かりがともっている。
「奥へどうぞ」そう言われておれが天蓋つきベッドの前まで来ると、ベッドのカーテンが引かれてモト・ローラが現れた。
正直、女神様!と言いたかった。
赤いイブニングドレスの肩ひもは細く、鎖骨があらわになっている。ドレスの胸の部分が大きく押し上げられ、唇には赤いリップ、目には青いアイシャドーが塗られている。
絶世の美女だった。
首にはチョーカーの代わりに白い包帯が巻いてある。
「えど、モトさん」
「いや、ローラど呼んで」
モト・ローラはおれのすぐ近くまで来た。入浴したようで、素敵な香水の香りがする。
「あ、そう言えば」おれは心配で尋ねた。「首の傷は大丈夫だすか」決闘のときには大丈夫そうに見えたが、急所だから傷が深いと大変だ。
「大丈夫じゃね」モト・ローラは答えた。
「え」
「こんたになってしまっただす」モト・ローラが包帯をするするとほどくと、かすかに傷跡が残っているが大したことはなさそうだ。
「あ、こいだば大丈夫そう」
「跡残るす。なしてくれるすか」
「そ、それは……済まね」
「済まねじゃ済まね」モト・ローラは大きな瞳をおれの正面にもってきた。「外国人の唾塗るど治療でぎる、と聞いだごどがあるす」
「はあ」
「こご舐めでたんせ」
「えっ!」
おれは固まっていたが、モト・ローラはおれの腰を抱き、首筋を差し出した。
おれは迷ったが、おずおずとモト・ローラの肩を抱くと白く細い首に舌をつけた。
「あっ」モト・ローラは身をよじった。
「わ、わ、わ、わ、わり」おれはあわてて身をはがそうとしたが、モト・ローラの両手はしっかりとおれの腰をつかんで離さなかった。
「もっと、ちゃんと唾液塗ってたんせ」
「こごこごうだすか」おれは首の傷にそって舌をはわせた。
「ああっ!」モト・ローラはのけぞる。
「もうやざね。我慢でぎね」そう言いながらモト・ローラはおれの手を引いてベッドにいざなった。
ローラ・ノキアはおれの手を引くとベッドに倒れこんだ。おれはそのまま彼女の上にのしかかった。
ローラはおれの背中に腕を回すと、おれの胸に顔をこすりつけた。
「あ、あの」
「この身体。岩みだいなこの身体。これが欲しかったの」
「え、と、おれ顔はそんたに良ぐねんだども」
「えのよ。この国ではえ顔は飽ぎ飽ぎするほど見でらがら」
アムス人は面食いではなく、体食いだったと分かりました。
「ああ、滅茶苦茶にして」
とって喰われることはないと思っていましたが、とって喰われました。
その晩、おれは童貞を喪失した。
おれがノキア家の跡取りを妻にめとったという噂は学園中を駆け巡った。おれはヨシノ家の食客でありながら、今ではノキア家の財産と領地を相続することになる。ローラ・ノキアはまだ領地を相続していないので、おれがノキア家に入るのか、ヨシノ家の人間としてノキア家を配下に入れるのかはまだ決まっていないが、次男のファーウェイには跡継ぎの権利はないので、いずれ、おれが領主となるそうだ。ローラ・ノキアは領地経営のことなら心配するな、と言っている。
前と同じようにヨッシーノくんと一緒に学院内を歩いていても、周囲の目が異なった。
(あれが、タイラー・フォン・ダース。一介の辺境貴族にしてノキア家わがものにした)
(あの、気位のたげローラ・ノキアがメロメロだどが)
(え身体してらなあ)
おれは気にしない。が、ふと脇を見るとヨッシーノくんが赤い顔をしてこぶしを握りしめ、ぷるぷると震えている。
「大丈夫が」おれは思いやりから声をかけたが、「大丈夫だす!」不機嫌そうな返事が返ってきた。
ま、最近おれは夜になるとローラ・ノキアの部屋に入り浸っているから、さびしいのかもしれない。しかし逆にボディーガードの仕事は楽になった。ノキア家の護衛団が二十四時間ヨッシーノくんを守ってくれるようになったからだ。すでに女性化し、おれの妻となったローラ・ノキアを不本意な決闘から守る必要はなくなった。その代わりにローラの命令で彼らはヨッシーノくんを守るようになったのだ。
おれたちは徒党を組んで歩いていた。
説明すると、ヨッシーノくんの護衛であるおれがヨッシーノくんの前を歩き、そのおれの腕をとってべたべたしているのがローラ・ノキア。ヨッシーノくんを囲むように歩いているのがノキア家の護衛団。それでおれたちは大集団で廊下を一杯にふさぐように進むはめになった。
おれがヨッシーノくんの護衛をノキア家の護衛団に任せておれとローラ・ノキアだけ別行動をとれば少しは人数が減るのだが、なぜかそれはヨッシーノくんが承知しない。それでおれたちは教室を移動するたびに大名行列のようになった。
そんなある日、おれたちが廊下を進んでいると、反対側から負けず劣らず大きな集団がやってきた。おれたちと彼らの両集団は声が届く距離で止まった。
「何が用が」おれは尋ねた。おれが学院にいる理由のヨッシーノくん。おれの妻となったローラ・ノキア。おれは今や二人とも守らなければいけない立場だが、相手は初めて見るグループだ。
「タイラー。おめに用はね。ただ、昨日うぢの若ぇ者どノキア家の者どの間でさっと小競り合いがあってな。落どし前つけに来だ」そう語るのは明らかにアムス人でもリカルド王国の人間とは人種が異なる外国人だ。全身が青い金属色でぎらぎらと反射して光っている。目の色は銀色。身体が大きく、上背はおれよりちょっとある。全員チョーカーは太い。
「シフト一族、クラチ家。名前は何だっけ」ローラ・ノキアが前に出て応対する。
青色の学生は答えた。「クラチ家の跡取り、シーボルトだ。若ぇ者世話になったな」
「誰だ。そえだば」ローラ・ノキアが聞く。
クラチ家のシーボルトは集団を振り返って怒鳴った。「フトシ!」
シーボルトと同じ青い金属光沢の肌をした男が現れた。上半身裸で見える部分に縞模様が一面に何本も入っている。
(やばい、やばい奴ですよ。こいつ)ヨッシーノくんがささやいた。
(どうやばぇんだ)おれがヨッシーノくんの耳元に顔を寄せて聞いた。
(シフト一族では前科者に対して縞を入れます。縞の数が前科の数ですから、あいつはかなりの犯罪者です)
(なるほど。江戸時代みだいだな)おれはテレビの時代劇の知識で納得した。ヨッシーノくんに顔を寄せたままでいるとなぜかローラ・ノキアがおれの腕を引っ張る。
「で、その太ぇやつがうぢの誰ど揉めだんだ」ローラ・ノキアが女性化しても跡取りの貫禄で尋ねる。
フトシ、と呼ばれたクラチ家の従者は言った。「ドコモ、とか言った。それがしの縞を見て嘲笑った」
「で、ドコモ連れでぎだらどうする」
「連れて行って詮議いたす」
ぼこる、ってことね。
「それは聞げねな」ローラ・ノキアがドコモの方を見て答えた。「仮にもやづはノキオ家の預がり、こぢらで厳重さ注意しておぐがらこの場は引ぎ取ってぐれ」ローラはにべもない。
「なに!」クラチ家の面々が一斉に緊張した。青い肌が青黒くなる。「それがしを馬鹿にするか」「このままでは拙者の面子が立たん」
シフト一族は外国種だけあって、言葉が違うようだ。貴族のシーボルト以外は地元の言葉で話しているのだろう。
シーボルトが前に進み出て言った。「このままでは示しがづがねがら、三日間ばり待ってけるがらその従者どご差し出せ」
「じゃあな」くるりと後ろを振り向くと一族を引き連れて去っていった。
「くっ、横暴な」「王の親戚と思って横暴の限りを尽くしている」「ならず者が」口々にクラチ家の悪口を言うノキア家の者たち。
自室でヨッシーノくんが説明してくれたが、シフト一族は外国種だが現国王はシフト一族の英雄で、決闘につぐ決闘を通じて実力で王座についた。そのため本来なら相手にされない外国貴族のクラチ家が今ではリカルド王国で幅を利かせているということだった。
本来なら学院へ出入りを許されないような前科者のフトシを従者としても、お咎めがないのは、そういった力関係があるからだそうだ。
おれは面倒ごとの予感がするのを感じた。
シーボルトは三日待つと言っていたのでその間に対策を考えようということになった。クラチ家は国王の一族なので、しかるべき筋に訴え出てももみ消されるおそれがある。
色々と話し合った結果、結局いったん学院を出てノキア家の実家へ返すことになった。ほとぼりが冷めるまで複数の家門が集う学院にいない方がよいだろう、という判断だ。
ドコモが明朝出発する、という前夜、おれがローラ・ノキアの部屋にいると激しいノックの音で邪魔された。
「なんだ」ローラ・ノキアがドア越しに尋ねる。
「緊急で報告がありますわ」ドアの向こうから従者の緊迫した声が聞こえる。
ローラ・ノキアはナイトガウンをはおるとドアを開けた。ヨシノ家の付き人の一人がひざまずいている。
「ドコモの姿が見えませんですわ」
「出発は明日ではねがったが」
「はい。ですので異変が起きたようですわ」
おれも一緒にドコモの部屋に駆け付けると、部屋は乱れ、人が争ったような形跡があった。
「誘拐されだようだな」と、ローラ・ノキア。
「はい」
「クラチ家の連中め。なんて卑怯な」
いや、それあなたの口から言う? おれは考えたが黙っていた。おれの妻となってからローラ・ノキアはずいぶん性格が優しくなったし。
「えぐぞ。ドコモ取り戻す。他の連中呼んで来い」
ローラ・ノキアは部屋からサーベルを持ってくると、おれを連れて駆けだした。
行き先は、ご存じ体育館裏だった。
おれとローラ・ノキアが着いたとき、すでに遅かった。
以前ヨッシーノくんが縛られていた立ち木に座り込んだドコモが縛られており、地面には血だまりが広がっていた。
近づくとドコモの右足が足首から切り取られているのがわかった。
おれは思わず口を押えた。
「傷は浅ぇぞ、しっかりしろ」ローラ・ノキアが声をかける。
いや、どこが「浅い」傷なんだ。
「はえぐ手当しねど出血多量で死んでしまう」おれはドコモを縛っている綱をほどき、彼の身体を担ぎ上げた。
「保健室は?」
「保健室? ノキア家専属の医者だばいるが心配するな。アムス人はこれしきの傷で死んだりしね」
「そ、そうなのが」
「まんず、足切り取られだら治るども一月はかがるが」
ひと月で治るんなら、いいじゃん。
おれはドコモの身体を担ぎなおした。ドコモが苦痛のうめきをあげる。
「そっとして。傷治るどはいっても痛みがねわげでねんだんて」ローラ・ノキアがおれを諭す。
おれたちは急いで医療棟へ行った。途中でノキア家の面々が駆け付けたが、一緒に医療棟まで行くことになった。
散々な夜だった。
ドコモが医療棟のベッドで眠りについたのは夜半過ぎだった。
リカルド王国にも麻酔薬に相当する薬草があり、ドコモは痛み止めを飲んでから一時間ほどすると意識を失い呼吸が安静になった。
手当てをしてくれた医者は、まあ沢山食べれば足は生えてくるでしょう、と言って去っていった。アムス人の生命力おそるべし。
最後までドコモに付き添っていたローラ・ノキアは医者が去ると廊下で心配そうに待っていたノキア家の郎党を見回して言った。
「みんな、このままでは舐められっぱなしだ。ノキア家腰抜げでねごど見せでけるぞ」
女将軍みたいだ。
「おう!」居並ぶノキア家郎党はこぶしを上げて叫んだ。
訂正。暴走族の集会みたいだ。
おれは聞いた。「おれはもうノキア家の領主だんて、おれにも関わりのあるごどでねが」
ローラ・ノキアはおれを振り向いて言った。「あだはまだ正式さ領主になってねし、ドコモはおいの従者だんて、これはおいの問題よ」
「そうが」でもおれは放っておけずついて行った。
クラチ家の寮近くまで来ると、前を衛兵たちがふさいだ。
「ノキア家の者たちですわね。どちらへいらっしゃるの」
「そごどいでぐれ。クラチ家の者さ用がある」ローラ・ノキアが答える。
「そうは参りませんわ。国王命令で学院内の徒党を組んでの私闘は禁止されていますの。ごぞんじでしょう。何かいさかいがあるのなら代表同士の決闘で決めてくださいませ」
「分がった」全身をピンク色に上気させて怒りながらも国王命令と聞いてローラ・ノキアは引き下がった。「明日、決闘申し込む」
自室に戻って経緯を説明するとヨッシーノくんが解説してくれた。
衛兵を動かしたのは間違いなく国王の親戚であるクラチ家の者だろう、おそらくローラとの一騎打ちに持ち込むためだということだった。
シーボルトのあの巨体を見て、ローラが勝てるだろうか、ちょっと心配になったが、ローラの電撃の剣技ならシーボルトをほんろうすることは間違いない、女性化しても剣技にはいささかも衰えを見せないローラを思っておれは床に就いた。
決闘は翌朝申し込まれた。
学院の職員の前での正式な決闘である。この戦いでローラが勝つとローラが再び中性に戻ってしまうのか、ローラが負けるとローラとノキア家がクラチ家にとられてしまうのか、おれにはよく分からなかったが、ドコモをなぶられたローラの怒りは理解できた。しかし心配でおれも決闘に付いていった。
クラチ家、ノキア家、それぞれの集団の中央に審判が立つ。
クラチ家のシーボルトが前に進み出ると、ローラは儀式のために脇に手を差し出した。しかしいつもローラの脇に控えているドコモはいない。代わりにおれが丸めた手袋を渡した。
ローラはシーボルトをにらみつけたまま手袋を受け取り、投げつけた。シーボルトは作法通り、自分の胸に当たった手袋を取り上げた。決闘成立。
ローラが使い慣れたサーベルを手にしたとき、シーボルトが片手を挙げた。
待った。
審判に何か囁いている。審判はしばらく聞いていたが、うなずくと中央に戻って宣言した。
「この決闘は剣ではなぐレスリングで行う」
「な!」ローラが気色ばみ、ノキア家の郎党が騒然となった。
審判はルールブックを片手に開いて読み上げる。「決闘規則第三二条。決闘を申し込まれた側は、決闘の方法を指定することができる」
「くっ」ローラは歯を噛み締めたが、その規則は知っていたらしく、異議を唱えなかった。
「おい。大丈夫が」おれは剣を従者に渡して徒手となったローラに声をかけたが、ローラはシーボルトに視線をすえたまま言った。「不利なのはわがってら。んだども貴族だばこごで逃げ出すわげにはいがねのよ」
「始めっ!」審判の掛け声でローラは猛然と走り出した。俊足の技だ。両手をかかげて掴みかかるシーボルトの脇をすり抜け、すれ違いざま強烈な平手を見舞った。ばちん!
「おい。あれえのが?」おれは脇にいたノキア家の者に聞いたが問題ないとの答えだった。レスリングだがすもうの張り手と同じでこぶしで殴るのでなければ良いそうだ。
顔が青黒く腫れたがシーボルトは全く気にする様子もなくローラを向いて構えた。
ローラは再び疾走する。すれ違いざまの張り手は今度も決まった。シーボルトの腕は空を切る。
三度目の攻撃でローラが接近したとき、シーボルトは意外な素早さで地面に転がった。伸ばした足につまずき、ローラが地面に転倒した。
素早く起き上がろうとしたが、そのとき伸ばしたシーボルトの手がローラの足首をつかんだ。
ローラはあわてて振りほどこうとしたが、シーボルトの手は万力のように足首をつかんで離さない。
そのままシーボルトは立ち上がるとローラの身体を逆さづりにした。ローラはもがき、突然身体を曲げてシーボルトの顔を狙ったが予期していたようなシーボルトに強烈な張り手を受けて再びぶら下がった。
それからはシーボルトのやりたい放題だった。シーボルトはローラの身体を振り回し、地面に叩きつけ、ぶら下げて平手打ちをかませた。ローラの服はぼろぼろになり、体中にあざが浮き上がり、口からは血が流れだしたが、レスリングのルールである両肩を地面につけることだけはされなかったため、試合は中断されなかった。
「ローラ様! 負けを認めてくださいな」見かねたノキア家の連中が叫ぶがローラは頑として応じない。決闘の決着がつくためにはどちらかの両肩が地面につけられるか、一方が負けを言葉で認めなければならないのだ。
十度目にローラが地面に叩きつけられたとき、おれは進み出てシーボルトの肩に手を置いた。
「何だ」シーボルトはおれを胡乱な目で見る。
「部外者の介入は禁止ですわ」審判がおれに注意する。
「おれは部外者でね」おれはにっこりとほほ笑んだ。「ノキア家の面子のためさ様子どご見でだが、このローラはおれの妻だ。かががやられでらの黙って見でらわげにはいがねえ」
「だが、この決闘はこの二人だけのですのよ」
「えや」おれは言った。「今気づいだがこれはおれの決闘だった」
おれはローラが投げつけ、シーボルトが受け取った手袋を拾い上げて広げた。手の甲におれのイニシャルのTが縫い取られている。
「どうも手袋間違えだようだな。でもこれは本来おれの決闘でねのが」
「む」固まった審判に追い打ちをかけるようにおれは読み上げた。
「決闘規則第十条、決闘の申し込みは決闘当事者が所有する手袋ないし衣類を相手に投げつけることで行われる。決闘当事者の手袋を代理人が投げつけることも有効である」
おれが昨夜ヨッシーノくんから習った法律だった。
「間違いないですわ」
「つまり今回の場合、決闘当事者はおれでローラ代理人だ」
「合法ですわ」
「じゃあ、仕切り直しだな。その手放せ」おれが言うとシーボルトはあっさりと手を離した。ローラは力なく地面に倒れた。ノキア家の郎党が急いでローラを運び出す。
「日改めるが。それども休憩するが」おれが言うとシーボルトは首を振った。「必要ね」
「じゃあ、えぐぜ」
「来な」
それでおれたちは審判の両側に距離を取って立ち、おれはシャツを脱いで四股を踏んだ。故郷の町の祭り相撲を思い出す。
シーボルトはおれの身体を見て言った。「え身体だな。だが……」
「筋肉だげだば負げね」
おれたちは真正面からぶつかった。すもうのようにまわしを付けていないので、手をかける場所がなく苦労したが互いに相手の腕や足をとって、倒そうとした。
すぐに全身があせびっしょりになった。シーボルトはやせて見えるがかなり強い。おれと同等の力がある。
おれたちの互角の戦いが続いた。
突然シーボルトの張りてがさく裂し、おれの顔を張った。
痛い!
おれも負けずにシーボルトの顔を張り飛ばす。ローラとは比較にならない張りてにシーボルトの頭が揺れたが、シーボルトは立っている。しばらく張り手の応酬が続いた。
ついに張り手にたまらなくなったのだろう。シーボルトは突っ込んできておれの胴に組み付いた。
おれはシーボルトの腰を左腕で巻いて投げられないように耐えた。そのまま互いに耐えていると、おれの顔の丁度前にシーボルトの大きな尻があった。むちむちして丸い尻。青く光っている。
おれはその尻を空いた右手で張った。
ぱちーん!
「あっ!」シーボルトが声を上げた。
ここが弱点か。おれは調子に乗って張り手をかまし続けた。
ぱちーん! ぱちーん! ぱちーん! ぱちーん!
「ああっ! ああっ! ああっ! ああっ!」
ぱちーん! ぱちーん! ぱちーん! ぱちーん! ぱちーん!
「ああっ! ああっ! ああっ! ああっ! ああっ!」
段々シーボルトの声が変な調子になってゆく。
シーボルトの尻は腫れあがってさらに大きくなった。
おれはここぞとばかりにさらに強烈な張り手をかましていると……
「ああっ! もっと。もっとください」
へっ?
おれは思わずシーボルトの腰をつかんでいる腕をゆるめたが、シーボルトはそのまま地面に崩れ落ちた。
おれが立っていると、シーボルトはおれのひざにすがって顔を上げた。
顔が上気して青黒くなっている。
目が恍惚とした表情である。
口が半開きで端からよだれが垂れている。
これってもしかして感じてる?
シーボルトは後ずさりするおれの足をつかんだまま言った。
「もっと、叩いてください」
おれはちょっと考えたてから聞いた。
「ええど。おれの勝ぢでえの」
「あい」
そこでおれはそのままシーボルトを抑え込むと両肩を地面に付けた。
「勝負あった! タイラー・フォン・ダースの勝利ですわ」
クラチ家陣営から悲鳴のような声と怒号が上がった。
「そのような」「シーボルト様!」
外野の声には耳を貸さず、シーボルトはおれの足にすがって言った。
「おいはあだの妻だす」
こうしておれはクラチ家の妻を得た。
その晩、おれはクラチ家の寮に行った。
ローラとの件があったから大体どんなことが起きるかわかっていたが、ドMの妻というのは初めてて未知数が多すぎた。
おれは恐る恐るシーボルトの部屋のドアをノックした。
「あい」中からしおらしい声が聞こえ、ドアが開いた。
現れたシーボルトは完全に女性化していた。ドレスは透けており、目の色に合わせた銀色の下着が透けて見える。スタイル抜群だ。青い肌は香油で磨かれランプで輝いている。部屋の中は壁にかかっているタペストリーやソファーセットや絨毯などの中東風の調度で飾られ、不思議な香りの香がたかれていた。
おれが入るとシーボルトはおれをソファーに座らせ、飲み物や菓子でもてなしてくれた。楚々としたその仕草はやくざの親分のようだった昼間とは大違いだ。
「あの」おれは尋ねた。「ほんにおれなんかでえのが」
「嫌だすわ」シーボルトはくつくつと笑った。「正式な決闘で勝負がづいだんんだんて、誰にも文句は言わせねぁわ」
そういうものか。
「お疲れ様だす。肩お揉みするす」シーボルトはかいがいしくおれの肩や足をもんでくれた。力が強いのでとても気持ちいい。
「うわあ。気持ぢえ。極楽じゃあ」おれは思わず叫んだ。
シーボルトはおれをベッドにうつぶせに寝かせると背中をもみ始めた。おれはあまりの気持ちよさにうめき声を上げる。
ずいぶんと時間をかけて揉んでくれた後で、シーボルトの手が突然止まった。
「どうしたんだい」おれが聞くとシーボルトは恥ずかしそうにもじもじしてから言った。「あの、お願いしてもえべが」
「え、何どご?」おれが聞くとシーボルトは目を合わさず恥ずかしそうな仕草でそっと鞭の柄を差し出した。
「お願いするす」
そして床に膝をつくとベッドに手をついて尻を出した。
長い夜がはじまった。
学院内を移動するおれたちの行列がさらに巨大化した。
ヨッシーノくんを護衛するおれがヨッシーノくんの前を歩くのは変わっていないが、おれの両側にはローラ・ノキアとシーボルトがそれぞれおれの腕をとってべたべたしている。
ヨッシーノくんを護衛するノキア家の護衛団に加え、前衛・後衛を勤めるクラチ家の護衛団が居並び、なんだかおれは暗殺を警戒する大統領のようだった。
いやもとい。暗殺を警戒するマフィアの親分のようだ。
教室に行くのも食堂に行くのもこんな調子だ。
おれは突然廊下で立ち止まって言った。
「さっとさっと。こんたに大集団じゃ不便だんていったんこれ分げねが」
ローラとシーボルトは不満そうに見ている。
「おれは本来ヨッシーノの護衛どして学院さ入ったがら、昼間はおれだり二人で行動する。夜はノキア家どクラチ家さ交互さ通う。それでえな」
「ええー。夜ばり(だけ)」ローラが口をとがらせる。以前は毎晩ローラの部屋に行っていたのが、しばらくはシーボルトの部屋に行くようになっていたので不満なようだ。
しかし「あい。わがったご主人様」とシーボルトが答えるとローラは仕方なさそうに黙った。
おれは依然と同じようにヨッシーノくんと二人きりであちこち行くようになった。
おれはヨッシーノくんを振り返って言った。「これで以前ど同じようになったな」
しかしヨッシーノくんはぷい、と横を向いてこぼした。
(前ど同じ。どごが)
「えーど。みんなど一緒の方がえがったが」
おれは尋ねたが、逆にヨッシーノくんの機嫌が悪くなり、ヨッシーノくんはすたすたと先に歩いて行ってしまった。
「ヨッシーノぐん。さっと。待って」おれはあわてて彼の後を追いかける。彼を一人にしたら、おれの護衛としての責任が果たせない。
ヨッシーノくんもそれは分かっているようで、おれが付いてくるのを拒否はしないが、必要最小限の言葉しか交わさないし、同席していても目を合わせないし、おれが夜ローラやシーボルトの部屋に泊まりに行くときには、トイレにこもって挨拶もしなかった。
困ったな。何がまずいんだろう。
おれは頭を抱えたが、アムス人の心はわからなかった。
そんなある日、おれたちに来客があった。
授業が終わって寮の自室に戻ったおれたちを待っていたのは、メイドを伴ったヨシノ家の執事バトル・フィールド氏だった。
おれも久々の対面にうれしかったが、ヨッシーノくんは喜びのあまりバトル執事に抱きついた。
ヨッシーノくんとバトル執事が話をしている間、メイドはおれにヨシノ家からのお土産を手渡し、お茶を淹れてくれた。アールグレイに似た紅茶とマカロンに似たお菓子。
メイドを除くおれたちはソファーに腰掛け、しばし歓談した。
バトル執事はおれに向かって言った。「タイラー様。お噂は辺境まで轟いていますわ」
「噂、だすか」
「はい。御三家の跡取りの内、二人をすでに決闘で破り、妻にされているそうすね」
「御三家、とは何だすか」
バトル執事は目を見開いた。「おお、それをご存じなかったのですね。リカルド王国の最も影響力のある貴族クラチ家、ノキア家、そして当家ヨシノ家のことを俗に御三家と呼びますのよ」
「なるほど」
「辺境領主ヨシノ家の遠縁である一勇者がこの業績を上げたということは、大変なことですのよ。こんなことを成し遂げたのは現国王陛下の時以来ですわ。もしかしたら……」バトル執事はいったん黙って宙を見つめた。「情勢が動くかもしれませんわ」
バトル執事は話題を変えた。
「で、夫婦仲はうまぐいってらが」
「あ、ええ、それは、もう」おれは照れた。ローラとシーボルトの日替わりメニューだが、どちらも違った意味で熱い夜を過ごしている。
「あ、おいさっと用事があるがら、これで失礼するす」突然ヨッシーノくんが立ち上がり、返事をする間もなく部屋から出て行ってしまった。
「あれ、おおぇ、ヨッシーノぐん!」おれは叫んだが、ヨッシーノくんは扉をばたんと閉めて去ってしまった。
「あ、申し訳ねんだども、おれは彼の護衛だんて付いでえぐす」
おれがあわてて立ち上がると、バトル執事は探るような眼をおれに向けて言った。「わたくしの立場でこういったことは申し上げにくいのでございますが、タイラー様は一度ヨッシーノ様と二人きりでじっくり話した方が良いかもしれませんですわ。もうそろそろ面会終了時刻ですので、本日はこれで引き取らせていただきますわ」
バトル執事は立ち上がっておれに礼をすると言った。
「ご健闘を」
部屋を出たおれはヨッシーノくんを探し求めて学院中を歩き回ったが、どこへ行ったものか、かれは見つからなかった。
ノキア家やクラチ家に協力を求めようかとも考えたが、なぜかこれはおれ一人で解決した方が良い気がして、おれは広い学院内をさまよい続けた。
すでに夕刻を告げる鐘が鳴り、学生たちは食堂に集まる頃だが、ヨッシーノくんはそこにもいなかった。
おれは考えた。昔、自分が現代世界で高校生だったときもぼっちだったが、そんなとき自分はどこに行ったっけ。
おれはまさか、とは思ったが、学院の屋上に相当するバルコニーへ上ってみた。
バルコニーはかなり広いが学院の行事があるとき以外は閉鎖されている。おれはバルコニーに続く扉を押してみた。
扉は音もなく開いた。
おれはバルコニーに踏み出すと石の間に草が生えている床を進んだ。
片隅にある石造りのベンチに見慣れた人影がいた。
おれは声をかけた。
「こご、ねまって(座って)えが」
ヨッシーノくんはびくん、と身体を震わせたが、黙っていたので、おれはベンチの彼の横に腰掛けた。
眼下には学園の中庭が一望でき、噴水やバラ園や、遠くにある果樹園が見えた。
ずいぶん黙ったままでいた後でおれは口火を切った。
「あ、あの、ヨッシーノぐん。おれは異世界人だし、元の世界にいだどぎも他人の心は分がらねがった。この世界ではもっと分がらね」おれはヨッシーノくんを向いた。
「ヨシノ家の皆さんにはほんに良ぐしてもらって感謝そーもね。何がおれに思うどごろがあれば、言ってぐれ。でぎるばり直すようにするがら」
ヨッシーノくんは責めるような口調で言った。「言ったら、その通りにしてくれるんですか」
「えど、どんたごど」
「ローラ・ノキアやシーボルト・クラチと別れてヨシノ家だけのものにはなれますか」
「それは」
「できませんよね。ごめんなさい。わがまま言って」
ヨッシーノくんは膝の上でこぶしを握り締めた。気が付くと膝の上に水滴が落ちている。涙だ。
「あれ、え、ヨッシーノぐん」
ヨッシーノくんは突然おれに抱きついた。おれはびっくりしてかれの身体を抱きとめる。気が付かないうちにかれの身体はずいぶんと柔らかく、丸みを帯びていた。
ヨッシーノくんは泣きじゃくった。
「タイラー様は何も悪くないのに、ぼくは醜いです」
「そんたごどはね」
「こんなぼくを嫌いにならないでください」
「はは、いや、嫌いになるなんて」おれはヨッシーノくんの背中をさすった。「おれにとってあだは大事なふとだすよ」
ヨッシーノくんは身を起こすとおれの目を見た。涙があふれる大きな瞳に決意が宿っていた。
「タイラー様」
「へえ」
「あなたが好きなんです。ぼくと決闘してください」
次の朝、決闘の場所に行きながらおれはまだ混乱していた。
決闘法上は合法だが、ヨシノ家食客のおれがヨシノ家跡取りのヨッシーノくんに決闘で勝利した場合、どういうことになるのか今だによく分からなかった。
貴族のややこしい相続問題に発展しそうな気はしたが、ヨッシーノくんの真剣な気持ちをなおざりにすることだけはできなかった。
決闘場に着くと、すでにフェンシング服を来たヨッシーノくんが待っていた。すらりとした身体にフェンシング服が似合っている。
おれは普通の体操服でレイピアを選んだ。
儀式通りヨッシーノくんが手袋をおれに投げつけ、おれがそれを拾い上げた。審判が決闘の合法化を宣言し、おれたちは向かい合った。観客は一人もいない。
「始めっ!」
「えいっ! えいっ!」
ヨッシーノくんは顔を真っ赤にして突いてくるが、お世辞にも上手いとは言えない。チョコーボ老人がおれを決闘代理人に指名したのはもっともだった。このままのヨッシーノくんでは、どの家から決闘を申し込まれても簡単に負けて領地を取られてしまうだろう。
おれはしばらくヨッシーノくんの攻撃をいなしていたが、ヨッシーノくんの真剣な表情を見て、こちらも真剣にやらなければ失礼だと思った。
おれは左足に体重を溜め、ヨッシーノくんの次の攻撃に合わせて全力で相手の剣をはじき、体当たりをかませた。
ヨッシーノくんの身体は決闘場の反対側まで吹っ飛んだ。
ヨッシーノくんが立ち上がる前におれは駆け寄り、ヨッシーノくんののどにレイピアの切っ先を突きつけた。
ヨッシーノくんは剣を離し、横を向いた。
「勝負あり! 勝者タイラー・フォン・ダース」
審判の宣言で勝敗が決まった。
おれが剣を下してひざまづくと、ヨッシーノくんは顔を隠して言った。
「見ないでください」
女性化するところを見られるのは、アムス人にとって少し恥ずかしいことのようだ。
「後で、寮で会いましょう」
おれは誰にも言わなかったが、正式な決闘、しかも名誉ある貴族の決闘は結果が大広間に張り出されるから、おれがヨシノ家の跡取りに勝利したことは瞬く間に学院中に広まった。
ローラはため息をついて言った。「おいの番今度は三分の一になるんだすのね」
シーボルトはにこやかにほほ笑みながら言った。「回数減るのなら、もっと激しくしてもらうすよ」
いや、もう十分激しいけど。
当事者たちの反応はおおむね良いみたいだった。
その晩、おれは学生寮の自分たちの部屋に戻った。部屋に入ると奥のランプ以外は真っ暗で、おれがいつも使っている浴槽を使った跡があった。
突然おれを背後から抱きしめる者がいた。
おれが振り向くとそれは完全に女性化したヨッシーノくん、いやヨッシーノちゃんだった。
ボーイッシュな短髪はそのままに胸は薄く、やせていて手足は長い。ちょっと童顔でとても可愛い。ローラやシーボルトとはまた異なる魅力の持ち主だった。
「ええど。ヨッシーノちゃん」
「ヨシノ、と呼んでください。ヨッシーノは子供っぽいから」
「あ、はい。ヨシノちゃん。おれ帰ったばがりで臭ぇがら先さ風呂さ入るす」
おれは言ったが、ヨシノはおれから手を離さなかった。
「いや。このままがいいの」
「え、えんだすか」
「今まで誰も言わなかったようだけど、あなたの身体の臭いは私たちアムス人にとって何か媚薬みたいなんです。かぐと興奮するんです」
「それは」
「そのあなたの臭いを同じ部屋で何か月も毎晩かがされたぼくの気持ちを察してください。どれほど眠られない夜を過ごしたことか」
「すまねぁ」
「済みませんで済んだら衛兵はいりません。今夜眠られない夜を過ごすのはあなたですよ」
ヨシノの宣言通り、その夜は眠られない夜になった。
翌朝、おれたちが大広間に出てくると、みなの視線を感じた。今朝おれの腕にすがっているのは女性化したヨシノである。
みながひそひそと噂話や目くばせをする中、おれたちが進むと突然立ちはだかる人影があった。
チョコーボ老人だった。後ろにはバトル執事も控えている。
「これはチョコーボ様。いづ来られだのだすか」
チョコーボ老人は動転している様子だった。
「決闘の話聞いで急いで駆げ付げだのじゃ。これはどんたごどだすかな」
おれはヨシノを見た。ヨシノを妻にした、ということは貴族的にはおれがヨシノ家の領地・財産を取得した、ということになる。
「あだ信頼して跡取り決闘がら守ってぐれ、と頼んだども、あだが何で決闘するんだすか」
「父っちゃ。決闘申し込んだのはおいだす。タイラー様はわりぐねぁ」ヨシノが割って入る。
「それでも結果はどうじゃ。ヨシノ家の全ではこの異世界人の手さ入ってしまった」
チョコーボ老人は興奮している。
「そのごどんだども、そうども限らねぁ」おれは言った。
「おれにはヨシノ家の領地は興味ねぁ。でもヨシノちゃんと夫婦にはなりだがった。んだんて入り婿でいう制度があるのなら、おれは入り婿で構わねぁ」
「んだ。あぐまでもおいが跡継ぎで、タイラー様はおいの夫でいうにええはずだす」ヨシノも支援する。
「む、むむむむ」チョコーボ老人はしばらく考えていたがやがてほっと息をついた。
「分がった。あだの誠意は信じるべ。んだども入り婿さ入るにええのは一づの家ばり。タイラー様ヨシノ家の入り婿どなれば、タイラー様跡取りかがとしたノキア家どクラチ家はヨシノ家の下さ属すす。このごどで問題起ぎねどえのんだども」
チョコーボ老人の懸念に対してもヨシノはおれの腕をしっかりとつかんで、あくまでもこの結婚をあきらめない意思を表した。
国王と側近たちのみが集まる王宮の作戦会議室では口角泡を飛ばす議論が行われていた。
身を乗り出して王の一番そばにいるのはノキア家現当主オッポ・ド・ノキア。
「かように異世界からの謎の人物タイラーは、それがしの跡取りモト・ローラ、クラチ家、そしてこのたびヨシノ家の跡取りを全て手中におさめてござる」
この王はクラチ家の出身なので、宮廷語とは別に王の前ではシフト一族の現地語が使われるのであった。
「しかもそのタイラーはノキア家に入り婿として入ったとのこと。これでノキア家が筆頭貴族となり、今後世代が変わるおりにはクラチ家の勢力は衰えるは必至。王よ。なにとぞこの災禍に対しご対応をお願いするでござる」クラチ家の当主が言う。
「王」「王、ド・ラクエ様。なにとぞご決断を」
重臣たちは口々に言う。
「なんじゃ。騒々しいのう」王は立ち上がった。その青光りする巨体にみな圧倒される。ひざまで届くほどのあごひげは並みいる騎士たちを決闘で倒し、女性化させる度に男性ホルモンが増強し、男性化したためである。胸板は厚く、剣をとっても槍をとっても王国随一と言われる。さらに王宮の奥にはハーレムを形成し、毎晩美女たちをとっかえひっかえして子作りにはげんでいるとのこと。中性的な姿かたちがほとんどのリカルド王国で、最も男性臭いのがこの国王だった。
「そのタイラーという男、骨がありそうじゃ。久々に良い戦いができるかもしれんな」
「おお!」「では」みな口々に言う。
「うむ」国王エフエフ七世・ド・ラクエは言った。
「国王決闘の開催を命ずる」
「大変です」顔色を変えたヨシノが部屋に入ってきた。「国王決闘の開催が決まりました」
「え、なに」おれは聞き返した。
「国王決闘。国王を決める決闘です」
「ふーん。リカルド王国の国王様って会ったごどはねんだども、交代するぐらい歳なの?」
ヨシノはこぶしを振り下ろして言った。「なに言ってるんですか。現国王が王座をかけて決闘相手を指名したんですよ」
「ふーん。誰ど」
ヨシノは両手の指で髪の毛をつかんで叫んだ。「あなたです!」
「へっ?」
そこまで言われてもおれに当事者の自覚はなかった。
「んだども、おれ王様になるべなんて思ってねよ」
「違います。父の憂慮したとおりになったんです。あなたが御三家の跡取りをすべて妻にしたことで、王様とその側近たちはタイラー様が時期国王の座に王手をかけた、とみなしたんです。おそらくヨシノ家の下に入ることを快しとしない他家の当主がそそのかしたんでしょう」
ヨシノはいらいらと部屋を歩き回った。
そのうち、ローラやシーボルトたちも駆け付けた。
ローラが叫ぶ。「タイラー様。負げねでたんせ」
シーボルトはおれの手をつかんでささやいた。「タイラー様以外考えられねぁ」
おれは彼らを押しとどめた。
「まあまあ。例えおれが決闘で負げでも、おれは異世界人だんて女性化はしねはずだよ」
「なに言ってるんですか」「やっぱしこのふとは分がってねよ」ヨシノやローラは口々に言う。
「いいですか」ヨシノが頭の悪い人に言い聞かせるように言った。「もしタイラー様が国王との決闘で負ければ、タイラー様だけでなく、わたしたち妻は全員国王のものになります。おそらく領地だけは免除してもらえるような約束を交わしているはずですが、もう今までのような夫婦でいることはできなくなるんです」
ヨシノ、ローラ、シーボルト。三つの心配そうな顔を見て、ようやくおれにも事の重大さが呑み込めてきた。
「決闘受げねば。断ればどうだべ」
「無理だす」ローラが言った。「国王決闘は国の行事だんて、決まったもの中止するごどはでぎねぁ。逃げれば現国王の不戦勝どなり、結果は負げだ場合ど同じになるす」
うわあ、八方ふさがりだ。
おれは頭を抱えた。あまたの勇者たちを全て決闘で撃破して王位についた英雄に、このおれが勝てる見込みがあるのだろうか。
「タイラー様」「タイラー様! ご決断を」
周りが口々に叫ぶのに、おれは黙って座り込んでいた。
おれは一人で入浴していた。
場所はいつもの小川だ。かれこれ小一時間は経つが、おれは考え込んだまま身体を洗う手も止まっていた。
(このまま歴戦の勇者と戦えば、負けて妻にされ、三人の妻も領地も取られてしまう)
(決闘を受けなくても、逃げても負けは負けで妻たちは取られてしまう)
(どうしよう。ごめんなさい、すれば勘弁してもらえるかな)
おれの考えはどんどん負の方向へ進んでいた。
がさっ
茂みが揺れ、おれの目の前にヨシノが現れた。ヨシノはなにか決心したような顔つきをしていた。可愛い顔が蒼白になっている。
ヨシノはおれの顔をまっすぐに見ると言った。
「タイラー様。ぼくを離縁してください」
「え、何言ってら」
「もとはと言えば、今回これほど大きな問題となったのは、ぼくと結婚してヨシノ家の入り婿となったからです。ぼくを離縁して入り婿を解消すればヨシノ家とは関わりのない一介の辺境貴族タイラーとなります。そうすれば傷は大きくなりません。どうかぼくを離縁してください」
言いながらヨシノはこぶしを握りしめ、うつむいた。涙を必死にこらえているような顔だ。
「早くしてください。決闘は来週です」
そう言い捨てると、ヨシノはかけ去った。
おれが呆然としていると、再び茂みが揺れた。
今度はローラだった。
ローラはおれと結婚するまでの傲慢な笑みを浮かべていた。
おれの顔をまともに見ず、脇に視線をやったまま独り言のように話した。
「まったぐ、自分負げそうになるど引ぎごもるどが、男らしぇで思ってだのにがっかりしてしまったわ」
おれにあごを向け、見下すような視線で言い放つ。
「おめだば男らしぇのは体づぎだげね。こんた情げね男さ用はねわ」
蒼白な顔でおれを見る。
「愛そうが尽ぎだがら、おいのこどさっさど離縁しなさいよ」
そう言い捨てると、歩き去った。おれには何の弁明の余地も与えなかった。
しばらくすると再び茂みが揺れた。
今度はおれも予想していた。
予想通り現れたのはシーボルトだった。
シーボルトはおれに笑みを浮かべながらもじもじし、黙っていた。おれは尋ねた。
「おめも離縁してぐれ、と頼みに来だのが」
「あい」
「みんなおれが負げるで思ってらんだな」
「それは違うす」シーボルトは物柔らかに言った。「皆はタイラー様どご信じでら。負げるで思い込んでらのはタイラー様だげだす」
おれは殴られたように感じた。
「負げるで思ってだら負げるす。んだんて今のタイラー様には勝ぢまなぐはねぁ」
「そうが」おれはうつむいた。「おれど離縁した後はどうする」
「故郷さ帰るす」
「えっ!?」
「タイラー様のいね王都にいでもつまらねし、もし偶然にでも出ぐわしたら辛ぇ。あの激しぇ夜思い出どして、故郷で暮らすす」
それってほとんど出家して尼になる、みたいだな。
「そんた、みんなおれのごど買ってけでだのが」
シーボルトは特上の笑みを浮かべた。「当だり前だす。あだは夫どして最高だす。おいがだみんなそう思ってら」
おれが最高の夫だから、おれ以外には夫を取りたくないから、だからおれに離縁してもらおうというのか。
おれは自分の情けなさにうつむいた。
顔を上げるとすでにシーボルトは去っていた。
おれは立ち上がった。
国王決闘の当日が来た。
おれが三人の妻たちの誰も離縁しない。正々堂々と戦って勝つ、と宣言したとき、全員の顔がぱっと晴れた。ヨシノなどは感極まって泣き出した。
国王がどんなに強いのかは知らない。しかしこの妻たちを背中にしている限り勝てる気がする。
おれは王宮の中央にある決闘場に入場した。さすが王宮。学院の決闘場の十倍ほどの広さがある。
両側にはすでに御三家、ヨシノ家、ノキア家、クラチ家それぞれの領主たちや大臣、官僚たちなどが並んでいる。
おれの後ろには妻たちヨシノ、ローラ、シーボルトと各家の護衛たちが並んでいた。
しばらくすると、ラッパが吹き鳴らされ、告知がされた。
「エフエフ七世・ド・ラクエ陛下のおなーりー!」
国王が入場してきた。
威風堂々たる国王は他のアムス人より背が高かった。おれの前まで来るとおれよりの頭一つ分高いのがわかった。
国王はあごひげを胸まで垂らし、金色の目をし金色のチョーカーをつけている。マントもベルトも金だった。国王はマントを取り去ると、上着を脱いだ。すごい筋肉だ。上半身が青光りするのはシフト一族の証だ。
「おぬしがタイラーか」国王が問う。
「んだ。初めまして」
「がははは、苦しゅうない。これから戦うのだ。存分に楽しませるのだぞ」
自分が勝利すること前提の自信に満ちた発言だった。
「お言葉んだども王様、おいも負げねぁよ」
国王はがはははは、と笑うとおれを鋭い目でにらんだ。
「そう来なくてはいかん」
脇に控える審判に言った。「こやつは外国人で国王決闘の規則については知らぬはず。説明してやるがよい」
「ははっ」審判は国王に一礼すると、おれに向き直った。
「通常の決闘と異なり、国王決闘は三回戦行われる。三回はそれぞれ異なる競技による決闘である。国王、挑戦者とも先に二戦奪取した者が勝利者となる。その他の規定は通常の決闘に準ずる。よろしいか」
「はい」
「では一回戦目だが、魔道装置を用いたゴーレム同士の戦いとする」
へっ? なにそれなにそれ。聞いてない、聞いてないですよ。
おれの焦りとは異なり、審判が手をさっと振ると、決闘場の奥から移動台に乗った二体の石像が押されてきた。
ゴゴゴゴゴゴゴ
二体の石像はおれたちの二倍くらいの背丈だ。係員たちが忙しく立ち働き、準備している。石像の尻尾に線をつなぎ、その反対側には魔法円模様が刻まれた金属板。その板の上にはどう見てもコントローラのような棒とボタンが突き出ている。
審判が言う。「これは魔道を用いた操作ゴーレムじゃ。この板の上の棒を動かすことでゴーレムを操る。それぞれのゴーレムを操作して戦い、相手のゴーレムを倒した方が勝利者となる」
格ゲーキターーーーーー!
*
おれがいた町のゲームセンターでは格ゲー仲間たちが集まっていた。みんな山に住んでいたため、インターネットによるオンライン対戦はできなかったから、毎日ゲームセンターに来て戦うしかなかった。しかしゲームセンターでの戦いはオンライン対戦よりほんの数分の一秒早く反応するため、自然、おれたちの腕は磨かれた。東京で開催された格ゲー全国大会で一位をとったこうちゃんは、おれたちの町では十七位くらいだったから、おれたち田舎者のレベルは相当高かったらしい。ちなみにおれは東京まで出たことはないが、こうちゃんとは互角だったから、おれも全国大会に出れば一位を取れていたかもしれない。
*
まさか電気もインターネットもないこの世界で格ゲーができるとは。おれは驚きに固まっていた。
そんなおれのことを誤解したのか国王は憐れむような眼でおれを眺めた。「おぬしがいくら強くても、これにはちと経験が要るからの」
ふと観客席を見ると、大臣たちがほくそ笑んでいる。どうやらこれは国王が勝利すること前提の決闘らしい。
おれは猛烈にやる気が出てきた。
貴族もこの世界の面倒くさいことも全部ぶっ壊してやる!
おれがちら、と後ろを見ると妻たちもその従者たちも心配そうに見ている。魔道の秘儀は国王一族とごくわずかな者たちの秘儀らしく、彼らもゴーレムを見るのは初めてらしかった。
おれは操作盤を少しいじってみた。おれがスティックとボタンを操作するとゴーレムは正確に反応し、動いた。
「ほう」国王が目を細めた。「まるでやったことがあるかのようじゃ」
おれたちは作法通り手袋を投げ合い、審判が決闘の開始を宣言して、そうしておれと国王の決闘第一戦が始まった。
国王は手慣れた様子でゴーレムを操作し、準備運動を行った。
おれはゴーレムを動かして反応速度とどこまで手足や腰が曲がるかを確認した。おれが知りたかったのはコマンド入力による技が使えるかだった。おれは元居た世界のゲーセンで覚えた受け技や特殊コマンドを試してみた。受けや攻撃はできるが、特殊コマンドはサポートされていないようだった。
「始めっ!」
審判の合図と同時に国王ゴーレムが突っ込んできて殴りかかった。
国王ゴーレムのパンチをかわして、おれのゴーレムはカウンターのパンチを国王ゴーレムの顔面に叩きこんだ。国王ゴーレムが後ろに倒れると同時に国王も後ろに倒れた。
審判が言う。「言い忘れたが、ゴーレムの受けるダメージは操作者本人が受ける。先に戦闘力を失った方が負けだ」
先に言え、そーゆーことは。
国王は立ち上がってコントローラーを取り上げると、再び操作した。おれのゴーレムに突進すると、スライディングして足を蹴った。おれのゴーレムが転ぶと同時におれも転んだ。足が痛い。
国王ゴーレムは素早く起き上がると、おれのゴーレムを踏みつけた。
痛い痛い痛い痛い。
おれは転がってコントローラを操作するとおれのゴーレムも転がった。
国王ゴーレムの攻撃をなんとか振り切って立ち上がるおれゴーレム。
壁際に並ぶ魔導士たちが旗を掲げている。今気づいたが、青い旗が五本と赤い旗が五本。あれもしかしてHPでね?
審判が言う。「言い忘れたが、戦闘力はあの旗の数で決まる。全ての旗が倒れると戦闘力はなくなる」
先に言えよ先に。
気を取られたおれのゴーレムが国王ゴーレムの強烈なパンチをもらって倒れた。赤い旗が一本倒れる。これで青い旗は残り二本、赤い旗は残り一本。後がない。
国王ゴーレムはじりじりと距離を詰めた。もし相打ちだと最悪両方の戦闘力が同じだけ削られ、国王の旗は残り一本、おれのはなし。おれの負けが確定する。
国王は相打ちでもいいのだろう。おれのゴーレムの退路を塞ぎ、覆いかぶせてくる。間合いを詰め、必殺の攻撃の準備をしてくる。
来る!
国王ゴーレムの左こぶし! 右ストレート! 右足中段蹴り! それら全てをおれは「受け」で防いだ。
攻撃直後で国王ゴーレムの動きが一瞬止まる。
その瞬間、おれゴーレムは突進した。
頭突きアタック!
おれゴーレムの渾身の攻撃に、国王ゴーレムは吹っ飛んだ。
どおーん!
巨大な石像は倒れたはずみに石の階段に激突し、首がもげてしまった。
青い旗がすべて倒れる。
「勝負あり! 勝者、タイラー・フォン・ダース!」
審判の叫びとともにおれの陣営から狂喜の叫びが起きた。
「タイラー様!」「あなた!」
国王は床に転がっていたが、従者たちが助け起こそうとするとその手を払って自分で立ち上がった。
「よい。余が自分でできる」
国王はおれを銀色の目でにらんだ。
「よくぞやってくれた。タイラー。明日は第二戦じゃ。楽しみにしておるぞ」そういい放つと、奥へ退場した。
おれに抱きつく妻たちに迎えられながら、おれは控室に退場した。
翌日の決闘手段は武器だった。ある意味最も王国らしい手段である。
おれは普通の両手剣を選んだ。これが現代世界で使っていた鍬とほぼ同じ重さだからだ。
これは武器を用いた決闘なので相手を殺してしまう可能性はあるが、基本決闘というものは勝敗が分かればいいので、徹底的に殺すということはない。相手に少し傷がつけばそれで勝敗が判断される。ボクシングで出血するとドクターストップがかかるのと同じだ。
国王はグレートソードを手にして進み出た。身長よりも長く重そうな両手剣を軽々と片手で振り回すのはさすが国王。昨日の余裕とはうって変わっておれを見る目に油断はない。
完全に勝利を確信していたゴーレム競技で負けたことで闘士としての本能にスイッチが入ったのであろう。
おれも本気でやらなければならないと思った。
元の世界では毎日鍬を振るい、リカルド王国に来てからは薪割りをして鍛えていたので、なまってはいないつもりだが、もともとおれは剣士ではない。中性的なアムス人たちに力で圧倒したが、国王は見る限りおれより筋肉がついている。
決闘が始まると、やはりそうだったとわかった。
おれが普通の両手剣を振り回すのと同じ速さで国王はグレートソードを振り回すことができる。
国王がグレートソードで右から左から薙ぎ払うたびに、おれは後ろに飛び下がって距離をとらなければならなかった。
おれは国王がグレートソードを振り終わるタイミングを見計らって飛び込んだ。グレートソードは射程が長い分、懐に飛び込めばこちらが有利だ。おれは両手剣を大きく振りかぶって、国王の真上から切りつけた。くわを振るうのと同じ必殺の上段切りである。
国王は振り終わったグレートソードの柄を引いて自分の頭の上でおれの一撃を受けた。この一撃を受けて、微動だにしないとは、さすが国王。
おれはそのままグレートソードの射程をとられないように、身体を近づけたまま二激、三激と攻撃したが、国王は上手におれの攻撃を防いだ。おれが焦って両手剣を最上段に構えた時、国王はグレートソードを手放すとおれに体当たりした。
おれは後ろに吹っ飛んだ。ごろごろと転がり、手から両手剣が離れた。国王は落ち着いて近づくと、おれの両手剣を拾い、おれの腕を踏みつけるとのどに両手剣の切っ先を突きつけた。
「勝負あり! 勝者エフエフ七世・ド・ラクエ国王陛下!」
重臣たちの控える集団から歓声が上がった。
これで国王決闘は一勝一敗。決着は第三戦に持ち越されることになった。
「第三回戦は今夜行う」
そう国王の使者から通達が来たのは国王決闘三日目の朝だった。
昨日の敗戦で後がないおれはいらいらと待っていたが、ちょっと拍子抜けした。
前回、前々回と手探りのように決闘をこなしたが、今回はヨシノがあらかじめ調べてくれた。
「三回戦の種目はレスリングだそうですよ」
レスリングか。国王の得意種目だ。おれも体力・筋力には自信があったが、昨日の決闘で分かった。国王はおれなんかよりはるかに強い筋肉がある。正直レスリングで勝てる自信がなかった。
「三回戦を夜行うのは、決闘で勝利が確定した直後に祝宴を行うためらしいです」
完全になめられている。
しかしおれが弱気でちら、と見ると、おれに期待するヨシノ、ローラ、シーボルトの視線があったため、おれは目を落とした。
シーボルトがおれの背中をどん、と叩く。
「嫌だすよ。まだそんた自信なさげな顔して」
ローラはおれの手を握って言った。
「あら、夜でしたら勇ましくなるでねぁが?」
ヨシノは両手でこぶしを作ってファイト、ポーズしてくれる。
「タイラー様。けっぱって(頑張って)たんせね」
みんな優しいなあ。
おれはため息をついた。
夕方、おれたちは呼ばれた。
闘技場の脇にある別室で、祝宴の用意がされている。
すでに国王やその側近たちは宴を開いていた。
「おお、タイラー殿、こちらへこちらへ」
おれたちが姿を現すと、ノキア家の筆頭ノキア・オッポ・ド・ノキオがおれを手招きした。
「お父様」ローラが心配そうに見ている前でオッポ・ド・ノキオはおれの服を引っ張って近くに座らせた。
「ま、ま、戦いの前に一杯どうぞ」おれにグラスを渡し、ワインを注ぐ。
「え、いや、決闘の前だすから」
おれは断ったが、オッポ・ド・ノキオは承知しない。
「陛下もすでに飲んでおられる。あなたも飲まなければ公平とは言えませんぞ」
「さあ」
「さあさあ」
周りを囲まれ、しつこく進められておれはつい、杯の中身を口にした。
「もっともっと」
「いやあ、豪快ですな。それでこそ勇者」
おだてられておれはついさらに杯を重ねる。
そんなおれを冷静な目で国王と大臣たちが見ているのに突然気づいたが遅かった。
「えぐぞ。決闘だ」突然国王が立ち上がり、闘技場に向かって歩き出した。
おれはふらつく足を踏みしめてその後に続いた。
オッポ・ド・ノキオがにやり、と笑った気がした。
審判がすでに待っており、決闘の第三戦は始まる準備ができていた。
やっぱりこれは出来試合だ。
おれを酔いつぶれさせて勝利するとか、国王汚いよ。いや大臣の入れ知恵か。
ちら、と見るとおれの妻たちは心配そうに見ている。ヨシノなんかは顔を覆っている。
まあ、みんな酔ったおれを見たことないしね。
元いた世界でも酒でずいぶん失敗したし。
そうそう。おれが異世界へくる直前も酒で失敗したんだった。
スナック「夜顔」
ウイスキー一杯で理性が飛んで。
暴れるおれを駐在さんがどうやって止めたか分かる?
拳銃突きつけて「こごがら出ねど撃づぞ」って言ったんだ。
ひどいよね。田舎だから許される横暴だ。
調書もとらず、おれに拳銃向けたまま「はえぐ帰れ。もだもだしてらど殺すぞ」だってさ。
ま、おれも昔は散々暴れたから。
暴走族とも喧嘩したし。
あれ、そういえば、いつの間にかポケットに何か入っているな。いつとったんだろう。ああ、観葉植物の植木鉢からだ
そうこうしているうちにおれたちは決闘場の中央に相対した。
国王がおれに手袋を投げつけた。
審判が開始を宣言する。
国王がおれにつかみかかった。おれはなぜかポケットに入っていた砂を国王の目に向かって投げつけた。
国王が目を抑える。
「おい。この国はなんでこんた面倒ぐさぇんだ」一速。
おれは国王の顔をぶちのめした。国王はよろめいて尻もちをついた。
「どいづもこいづもおれどご負げさせるべどごそごそ立ぢ回りやがって」二速。
おれは倒れた国王の顔を踏みつけた。
「おれは王位だば興味ねえんだよ。めんけ妻と幸せに暮らしてゃだげだったのに」三速。
目の前が赤くなる。自分が何をやっているかわからなくなってくる。
「くたばれ、この!」四速。
おれは国王の上で何度も飛び上がっては踏みつけた。
「おい! もう止めろ」護衛たちや大臣たちが群がり、おれを止めようと組み付くのをおればぶちのめし、投げ飛ばし、蹴とばし、殴りつけた。
「くたばれー!」トップギア。
おれの身体にシーボルトがむしゃぶりつき、ヨシノが顔にしがみついて視界をふさいだ。「えいっ!」ローラの叫びが聞こえると同時におれの後頭部は何か重い打撃を受けた。
それでおれの意識はどこかへ飛んで行った。
気が付くとおれは座り込んでおり、あたりには大臣や護衛兵、審判などが倒れている。おれの正面にはぐったりとした国王が倒れていた。
騒ぎを聞きつけて衛兵たちが多数現れる。衛兵たちの槍で制されて、おれたちは全てその場を動くことを禁じられた。
やっちまったようだ。また酒のせいで。
起き上がったノキア・オッポ・ド・ノキオがおれに向かって指を突きつけて言う。「この無礼者が。国王ばかりかわれわれに大してなんという狼藉を。衛兵! この者を捕らえよ!」
衛兵たちがおれに槍を突きつけた。後ろでヨシノの悲鳴が上がる。
おれが両腕を取られ、手首に鉄の枷を付けられそうになったとき、声がした。
「待て」
起き上がろうとして、何とか上体のみを起こした国王だった。
「この者の勝利じゃ」おれを指さす。
「そ、そのような! 陛下! この者は卑怯な手段で陛下を倒したのですぞ」
「卑怯というのなら、わしらも卑怯であろう」国王の静かな声にみな静まり返った。
「もとはと言えば、タイラー卿を酔いつぶれさせてわしに勝たせようとした、そうではないか」
国王の指摘にぐうの音も出ないノキア・オッポ・ド・ノキオ。
「まあ、わしも長年王座にいた。世代交代もやむを得まいよ」
「そ、そのような」
おぬしの跡取りはタイラーの妻でずいぶん満足しているようではないか。年寄りはそろそろ権力をゆずってはどうかな」
居並ぶ大臣たちはぐうの音も出ない様子だった。
国王はおれを向いて言った。
「それがし、風呂に入ってくるのでしばらくお待ちを」
そうして両肩を衛兵に支えられながら決闘場から退出した。
おれたちはずいぶん待たされた。
おれは酔いが抜けるまで尻もちをついたままだった。そんなおれにかいがいしく妻たちは奉仕してくれる。
シーボルトがおれをマッサージしてくれた。
ローラはおれの後頭部にできた大きなたんこぶに氷を当てて冷やしている。ヨシノはおれの身体のあちこちに軟膏を塗り、包帯を巻いてくれた。
そんな様子を見て、大臣たちの視線から憎しみが抜け、あきらめの表情となった。
(本当に、この男はわが娘に愛されているのだな)
娘を嫁に出した父親の顔だ。
とうとう奥が騒がしくなり、入浴を終えた国王が来たのがわかった。
え?
そこには国王の面影はあるものの、全く異なった容姿の貴婦人がいた。
あれほどあったひげは全て抜け落ち、顔はつるつるだ。
背丈は相変わらずおれより頭一つ分高いが、身体が丸くなっている。出るべきところは飛び出し、しまるべき所きゅっとしまったすごいグラマラスな美女だ。
青光りする全身に香油を塗り、金色のビキニしか来ていない身体は光り輝いている。
そしてチョーカー。
真っ黒なチョーカーに鎖がつながり、その鎖の端をおれに差し出した。
元国王は言った。
「おいはあだの奴隷だす」
「え?」おれは振り返った。ヨシノがうなずく。「国王決闘で負けた者は妻ではなく相手の奴隷となります。それが規則です」
おれは差し出された鎖の端を受け取った。元国王はにっこりと妖艶な笑みを浮かべひざまづいた。
おつきの者がおれに金色のチョーカーを差し出した。国王がつけていたものだ。
これをつけろ、ということか。
ヨシノが手伝ってくれたが、金色のチョーカーはおれには小さすぎて首がしまる。あれほど優れた筋肉美を持っていた元国王もおれより首は細かったようだ。
おれは仕方なく、チョーカーを頭の上に乗せた。
金色のチョーカーはちょうど王冠のようになった。
「新国王タイラー・フォン・ダース一世万歳!」
もはや吹っ切れた表情のノキア・オッポ・ド・ノキオが叫ぶと同時にみなが唱和する。「新国王万歳!」
了