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今日も少女は、偽りの笑顔を見せる。
「マジ昨日の音楽番組の〇〇エモかったよね」
「うんうん。マジエモかった」
自分は昨日そのテレビ番組を見ていない。何がエモかったのかは欠片も分からない。だが、笑って話を合わせる。
話が分からなければ、せっかくの楽しい雰囲気が台無しになると思ったからだ。
創麗学園高等部、一年C組に在籍している加藤結居蘭は悩んでいた。
本当の自分でいたいのに、それでは現実、上手く生きられない事に。
一歩間違えば、自分は排除の対象とされ、無視ならばまだ良いが、最悪いじめられる事になる。
そんなのは御免だと、結居蘭は興味もない番組の内容を携帯で検索し、内容が分かったらSNSで感想等を見て、大体を把握していた。
こんなつまらない事してる時間があるならば、本を読んだり、ゲームをしたいと、結居蘭は思っていた。
「あ! 結居蘭今日ふわふわツインテじゃんかわいー。あたしも朝巻いては来たんだけどー」
「朝巻くのとか大変だよねー」
「大変だけどー、やっぱ可愛くありたいじゃん? 結居蘭も茶色に染めたら良いのにー」
(ツインテールなんて、二次元の女の子だけで十分なのに)
そんな事を思っても、口には出せない。
皆、結居蘭が陰キャオタクだとは知らない。
皆、結居蘭の本当を事を知らない。
結居蘭もまた、皆の本当を知らない。
それで良いのだ。皆は結居蘭にとって、友達では無いのだから。
結居蘭は高校に入ってからの学校生活で、ありのままの自分を出したことがない。
とは言っても、つい二ヶ月前に高校生になったばかりなのだが。
小学生、中学生の過程で色々な事があり、結居蘭は周りに合わせて、自分の意見を言わず、笑っていれば平穏に暮らせるのだと知った。
例えそれが、自分の好きな事や、自分の考えと違ったとしても、それを口から発してはいけない。
そう思っていたけれど、結居蘭は最近矛盾を抱いてしまった。
辛いと気づいてしまったのだ、今の生活が。
自分を偽るのは想像以上に辛いもので、最初はこれで学校生活が何事も無く終わるなら良いと思っていた。だが、現実は違く、話を合わせる為に好きでもない物を見たりし、本当に好きな物の時間が減る辛さ。
好きでもない、少し派手な見た目をすると、余計に自分が自分ではない気になり、虚しく悲しくなる。
本当の自分とは、そもそも何だったのか? 私の意味とは、存在とは、価値とは……。
そんな事を考えていると、学校に行きたくなくなった。
朝から放課後まで、結居蘭は偽りの笑顔で笑うだけ。
簡単だった筈なのに、今はとても辛い。
「ねぇねぇ結居蘭! 今日これからカラオケなんだけど一緒にどう?」
「えー、行きたいけどお小遣いピンチだからパスしとくねーごめん」
「わかったー! じゃーねー」
「じゃーまたねー……はぁ」
さよならを告げ、皆が教室から出ていったと分かれば、無意識にため息が出た。
「疲れた……辛かった」
結んでいたツインテールを解き、上げていたスカート丈を戻す。
本当は極力地味で、目立ちたくない。そして喋りたくもない、人と関係を持ちたくない。
(大切な人を作りたくない。出来ても、離れていくだけ。――傷付くだけ)
だったら作りたくない。
結居蘭は過去の痛みを、今も忘れられないでいる。
そんな事を考える結居蘭の目の前は、涙で霞んだ。
結居蘭はその涙を拭い自分の席につき、みんなが帰るまで待った。
窓側の席な為、窓から見える景色をぼんやりと眺める。綺麗な夕焼けだ。この静寂が、今の結居蘭には心地良かった。
このまま空に溶けてしまいたい。
空気になりたい、雲になりたい。
そんな事を思い続けた。
「こんな場所、なくなればいいのに」
皆が正門から出て行ったのが見えると、結居蘭は席を立ち、そのまま帰路についた。
***
ゆっくりと目が覚め、枕元に置いてある携帯の画面の時間を見れば、九時過ぎであった。
「――学校……行きたくない」
結居蘭がそう親に言ってしまってから一ヶ月半が経った。
今はもう夏休み期間だ。
親に心配や迷惑をかける筈ではなかったが、結居蘭はそこまで上手に演じられなかった。
母には「何かあったの? 疲れた顔してる。――学校で嫌な事あったの?」と聞かれ、結居蘭は泣いてしまった。
笑っていた。顔は笑っていた。「大丈夫、なにもないよ」と、口では言っていたのに、目からは大粒の涙が溢れた。
そこから涙が止まらなくなり、心の底から助けて欲しいと言う思いが溢れてしまい、結居蘭は母に本当の事を話した。
母は無理に学校へ行く必要は無いと言ってくれた。
結居蘭は「あの場所から逃げられた。――良かった。これで幸せだ」と思っていたが、最近になり再びこれからどうするのかと考え、直ぐに不安でいっぱいになった。
(このままずっと休んでるわけには行かない)
ベッドから起き、部屋を出た。
階段を降りてリビングに行けば【お昼ご飯は冷凍のパスタだよ】と書いてある紙がテーブルに置いてある。
母は図書館の司書をしていて、父は単身赴任で離れている。
結居蘭は考えていた。どうして自分を偽っても傷ついて、自分の意見を言っても、今度は他人を傷つけてしまうんだろうと。
考えれば考える程に、暗闇に落ちていく自分は、人間に向いてないのかもしれない。そう思っていた。
「……こんなんじゃ、ダメだよね」
気分をリフレッシュさせたいと思い、結居蘭は読みかけの本に目を通した。
本の世界に入り込む時間、ゲームの世界に入り込む時間が、結居蘭は何よりも好きで、幸せだった。
何も考えなくて良いから。その話を、ただ純粋に楽しめるから。
結居蘭はしばらく本の世界に夢中になった。
それからお昼ご飯に用意されていた冷凍パスタを電子レンジで温めてから食べ、母が帰ってくるまで、また本の世界に浸った。
「ただいまー」
リビングのドアが開き、結居蘭は窓を見た。もう空はオレンジがかっていて、今は夕方だと気づいた。
何時間本の世界に居たのだろうか。
「あ、お母さん。おかえり」
「ただいま。うふふ、ゆいらちゃん、本を夢中で読んでいたのね」
「うん」
結居蘭は母が買ってきた野菜などを冷蔵庫に入れたりしていたら、母に話しかけられた。
「ゆいらちゃん、紅茶淹れて欲しいなぁ」
「うん、もちろん良いよ」
「ありがとう」
結居蘭の好きな事は本を読む事、ゲームをする事、そして紅茶を飲む事。不器用な為料理や裁縫は全く出来ないのに、紅茶だけはちゃんと淹れられる。
紅茶の匂いは心を落ち着かせてくれて、飲むと穏やかな気持ちになれる。そんな気持ちにさせてくれる紅茶が、結居蘭はとても好きだ。
「――もし」
「?」
「もし……今の学校が嫌なら、転校って言うのも……ありかなって」
「……」
血の気が引いてくのが分かる。
「……なきゃ」
「え?」
「私が……私が、変わらなきゃ」
結居蘭はそう言い残し、部屋へと急いだ。
真っ暗の部屋、ベットにそのまま入り、布団を被った。
(変わらなきゃ……)
変わらなきゃいけないと思っても、大切な誰かが出来て、また離れてしまったらと考えると、とても怖くて仕方ない。
だからと言って、偽るのはもう疲れた。
本当は一人で居るのが一番良い。だがそれだと学校生活で困ってしまう。
どうして人間は、いや、私は、こんなにも臆病で弱い人間なのだろう。と思う。
涙が止まらない。
「……助けて」
わからない誰かに助けを求め、結居蘭はそのまま瞼を閉じた。
***
「お前は、何故生きているんだぁ?」
「そんなに辛いなら、諦めてしまえば良いのでは無いですか?」
夢なのか夢では無いのか分からない意識の中で、結居蘭は知らない二人の誰かにそう問いかけられた。
結居蘭には夢があるわけではなかった。
自分が生きていて楽しい事を探しても、ゲームや本を読む等があげられるが、それをしても尚満たされない。
辛さを消せない心はなんなのかと。そんなに辛いのならば、死んでしまえばいいと言われるのも、当然の話である。
だが、自分がそうしないのは何故なのかと結居蘭は考えると、口から直ぐに答えが紡がれた。
「私は、私である事をやめたくない」
「でも、それでは上手く生きられないのでしょう?」
「それでも、そうだとしても、私は……私を偽りたくないの!」
結居蘭は夢かも分からない、誰かも分からないその人に、つい熱くなるほどの思いをぶつけていた。
結居蘭はそこではじめて、自分が一番何を大切にしたいのかに気付かされた。
「――私は、私でいたいの。今、ハッキリと分かったけど……けどね、自分を突き通す覚悟も、度胸もないの。――笑ちゃうね」
やっと気づいたその答えだったが、結居蘭は直ぐにそれが叶わないと悟り、自傷的な笑みを浮かべながらそう答えた。
結居蘭の中でとても辛い記憶が、彼女を彼女ではいられなくしていた。
自分が自分でいることで、周りとの違いから他人に嫌われてしまう辛さ。
そして最悪の場合は、排除の対象と見なされ攻撃をされる辛さ。
彼女はそれらの記憶から、本当の自分では居られない。
「――世界っていうのは、難しいよなぁ。自分が自分でいたいだけなのに、それが叶わないなんて。――つまらねぇって、お前も思うだろぉ?」
おちゃらけたような声の方の知らない誰かが、結居蘭にそう問いかけてきた。
彼女はその問いに対して、振り絞るような声で答えた。
「どうしたらいいの……」
「信じてみろよ。――俺が見せてやる、面白い運命を」
***
目を開けたら真っ暗だった。
そうだ、布団の中なんだと思い布団を退ける。
今は何時かと思い、部屋の電気を付けて時計を見れば、午前三時。
夢はすぐに終わって、少ししか寝てないと思ったのに大分寝ていた。
(信じてみろ……か)
結居蘭は夢で見た事を幼い頃から信じてきた。
時には馬鹿だと周りに笑われるような事も信じてきた。
時には違う結果を招いたり、その通りになったりしたので、良い事があるとは限らない。
だが、今結居蘭が一歩進むには十分な理由であった。
そうだ、皆の事を私は決めつけて来たのかもしれない。
本当の私を見せても、今まで通り普通に仲良くしようと言えば良いんじゃないだろうかと結居蘭は考えた。
夏休み明けなら丁度タイミングも良い「今まで黙ってたけど……」そう言おう。
「……やってみよう。――私は、私になりたいから」
結居蘭は学校へ行くと決意し、残りの少ない休みはあっという間に過ぎて行った。
九月一日
結居蘭は髪は結びもせず、化粧もせず、スカートも折らずに学校へ来た。
心臓が大きく脈打つ。とてもうるさい。
怖いという思いでいっぱいだが、これが私なんだと少しの勇気を持ち、自分のクラスのドアを開けた。自分の席に座ろうとすれば、知った顔が周りの机に座りいつも通り話をしている。
結居蘭は久しぶりにみんなに挨拶をした。
「……おはよう」
「おは、え? もしかして、結居蘭?」
「え? 結居蘭⁉︎」
一気に皆が結居蘭を見る。
結居蘭は下を向きながら返事をした。
「う、うん。ゆいら、だよ」
どう言われるだろう、少しの静寂がとても長く感じる。
「きゃはは、どうしたのその格好」
「そうだよ結居蘭ー。初日だからって先生にめっちゃうるさく言われて、仕方なくその格好なんでしょー? 可哀想に結居蘭ーよしよし」
「あ……」
「違う」その一言が、喉に詰まった。
「ほら、メイク道具貸してあげるから」
「あ……ありがとう」
「そんなダサい格好させられて、せっかくいっつもかわいいのにー」
「……あはは」
笑ってしまった。
結居蘭はまた笑ってしまった。
(ダメだ。いつもの私では、ここには居られないんだ……)
涙が溢れそうで、どうしようと思った時、チャイムが鳴り先生が入ってきた。
「ほらー席付けー」
結居蘭は先生が新学期について話している間に泣いた。皆には分からない様に、机に突っ伏して。
「そこ! 寝てる奴はー……加藤!!」
「……」
「初日そうそ――」
急に教室のドアが乱暴に開けられる音がして、先生の言葉は遮られた。
「うえぁー!! はぁ、やっとついたぜ」
誰かが遅刻で登校してきた様だ。
遅刻してきたにも関わらず不真面目な態度だったので、先生はその子の方へ行った。
(ありがとう、知らない子)
そのまま先生の話を聞いていると、この後は席替えをするらしい。
朝のホームルームが終わって、席替えも終わり、皆が結居蘭の周りに集まってくる。
「はいメイク道具」
「ありがとう」
結居蘭は今まで通りに化粧をして、髪も結び、スカートも折った。
そう、また偽りを始めてしまった。
結居蘭の希望はすぐに打ち砕かれ、本当の自分は居場所を失った。
偽りでしか上手く行かないんだ。 憧れは憧れのまま、夢は夢。
そう思うと悔しい気持ちと悲しい気持ちで、涙が溢れそうになる。
(助けて)
結居蘭はまた知らない誰かに、助けを求めた。
読んでくださりありがとうございます。
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次回もお楽しみに。