9. 唯一無二
客室に連れられると、既に夕食の準備が整えられていたようで空腹を誘う良い匂いが漂ってくる。
「今日は魚か。」
「お気に召さないようでしたら他のものに取り替えさせます。」
「陛下は魚がお嫌いなんですか。」
「あまり得意ではないな。だが、リーシャが嫌でなければ同じものを食そう。」
「僕は問題ありませんよ。」
促されるまま席に座り、サラダと舌平目のソテーの盛られた皿に視線を動かした。
陛下の食事はコースで出てくるのかと身構えていたが、ワンプレート式で安心しながら食事を勧めていく。
得意ではないと言っていた彼は始終無表情のままだったが、全て食べ終えたようだ。
食後のデザートを済ませ、暫く読書に勤しんでいたが、制服からネグリジェ姿に着替えさせられ寝る準備を整えられた。
隣の部屋からラフな格好をしたレオルドが現れ、満面の笑みを浮かべている。
「リーシャ。」
「なんですか?」
「君は本当に私の好意を受け取ってくれているか?冗談だと思っていたりはしないだろうな。」
「さ、さすがに皇帝陛下のお立場でこのような質の悪いジョークを話されるとは思っていませんよ。ただ…。」
「ただ、なんだ。」
「以前にもお話した通り陛下の婚約者という身分に実感を持てないので…。」
「女性の姿で寝所を共にしてもか。」
突然の浮遊感とともに広いキングサイズのベッドに連れられ、横にさせられると当然のようにブランケットの中に入ってくる。
既に眠気を感じているのか。
欠伸をこぼしながら当然のように引き寄せられ、目を閉じてしまった。
数分もしないうちに小さな寝息が聞こえ、それに促されるように眠りに落ちていく。
どれくらいの時間が経ったのだろうか。
カーテンから漏れる薄暗い明かりに朝方だろうかと身体を起こしてみると抱擁は意外にも簡単に外れた。
静かに寝息を溢すレオルドを横目にカーテンから外を見ると月明かりだったようできれいな満月が見える。
いつもより早く寝すぎたせいだと乾いた喉を潤すべくサイドテーブルに置かれた水の入ったコップを手に椅子へと腰掛けた。
「…婚約者、か。」
小さく呟いた言葉は誰に届くことなく静かな空間に溶けて消えていく。
ベッドで何かを探すように腕を動かし始めたレオルドを見ながら小さくため息。
婚約者という存在は親の決めたことだけに強く拒否することも出来ない。
私が嫌だと直談判すれば、溺愛してくれている父のことだ。
自分の立場が危ういものになったとしても聞き入れてくれるだろう。
もし、相手に嫌われていたのであればその選択肢も視野の中に入るが。
有り難いことにレオルドから好意以外は感じたことがなく。
そんな状況でこれ以上何を望むというのだ。
ただ、気になるのはエドワードの存在。
自惚れるわけでは無いが、好意的に思ってもらえているのは周知の事実で。
偽りとはいえ同性同士という立場でもだ。
もし、私が本当は女性で婚約者の居る存在だと知ったらどう思うのだろう。
裏切られたとか…?
こちらにそういう意図がないとしても感じ方次第ではそう思われでもおかしくない。
この先どう立ち振る舞うべきか考えているとムクリと起き上がる姿が見えた。
「リーシャ…?そんなところに居たら風邪を引く…。ここにおいで。」
広げられた手は、来ないという可能性は一切考えていないようだ。
明日は学校が休みとはいえ、このまま起きているのは流石に無理があるとベッドへ戻れば暖かいブランケットの中へと引き込まれもう離さないとでも言いたげな強めの抱擁を受ける。
「…陛下?」
「リーシャの時だけはレオルドと呼んでくれないか。未来の妻に陛下と呼びなれてもらっては困る。」
「…レオルド様で良いのでしょうか?」
「本当は様なんて要らないのだが、最初はそれでいいか。それで?何を考えていたんだ。」
「え?」
「思い悩んでいるように見えた。」
「そんなことないです。」
「些細なことでも気付けるくらい君を見ている私が気付かないと思うか。」
「…。」
「リーシャは優しいからな。婚約者の存在を知らない同室の男の事を考えていたのだろう。」
「どうして…。」
「同性として接するには些か度を越しているからな。彼の噂を聞いたが、女性関係にあまり誠実ではないという。それが何を思って君に好意を持つことになったのか。君の魅力は男装していようと隠せないものではあるが、どういう出会いだったんだ?」
レオルドの言葉にエドワードとの出会いについて話せば、なるほどと納得したような表情を見せた。
「最強騎士の称号を有する彼に勝つなんて最高だな。」
「試合だったからですよ。実戦では瞬殺だったでしょうね。」
「怪我はしてないか?」
「ええ。」
「もし、リーシャに少しでも怪我を負わせていたら二度と動けないように四肢を奪っていた。」
いきなり闇を映した彼は、教材に記載されていた通りのヴァリエ帝国を治める皇帝陛下のそれだ。
最強騎士であるエドワードすら圧倒できるような威圧感を纏っている。
怖いくらいの雰囲気に身体に自然と力が入っていったことに気付いたようで、優しい手つきで髪を撫でる。
「リーシャは私にとってそれくらい唯一無二の存在なんだよ。」
耳元に口を寄せるとそう言って満面の笑みを浮かべるのだった。