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p.18 星降りが始まります

 追憶の丘とは、最後の聖人の終焉の地である。

 星は激烈に降り注ぎ、辺り一帯が更地になったその場所。空の怒りは相当なものであったが、皮肉にも星の魔法は土地を抉るだけでは消費されずに残り、豊かな国や山々を生み出した。

 ファッセロッタからそう遠くないところにあるこの丘は、魔女にとって定番の星降り観測場所だ。

「あら」

「……は」

 ふわりと箒で舞い降りたそこにいたのは、随分と寛いだ様子の魔術師であった。彼は目の詰まった上等の敷物の上に寝そべり、酒器や小鉢などの晩酌セットや、魔術用であろう筆記具などの置かれた台がいくつか、ふよんと浮かんでいる。

「とてものんびりな魔術師さん……えっと、こんばんは」

 魔女が声をかけると、魔術師はあからさまに嫌そうな顔をした。

「なんでいるんだよ」

「わ、わたくしはいつも、ここで星降りを見ているのですよ」

 ほら、と箒にくくりつけた不格好だが大容量の籠を見せる。降る星を集めたり、空の明かりを食材に写したりと、満月の夜ほどではないにせよ、やることはたくさんあるのだ。

 そんなふうに魔術師へと説明をしつつ、魔女の視線はただ一点に向けられていた。

「おい」

「え? ええ、素敵な敷物ですね」

 一番星の光を紡いだものだろうか、宵から夜半へと流れるような織りに凛とした銀色の糸で縁取りされたその敷物は研ぎ澄まされた美しさがあり、瀟洒(しょうしゃ)な身なりの魔術師によく似合っている。色合いは清麗としているが、どこか夜の艶やかさも感じさせた。

(なにより、ふかふかで暖かそうだわ……!)

 魔女は、いつも箒に乗ったままで痛む足腰のことに気がついてしまったのだ。

「……ったく」

 敷物は大人二人が寝そべってもまだ余裕のある広さだ。無言の主張に押し負けて、魔術師はため息をつきながら魔女のために場所を空けてくれた。恐る恐る足を乗せてみると、高密度で弾力のある感触が楽しい。

 ゆっくり腰を下ろし、手でもそのやわらかさを確かめている魔女のもとに、瓶が二本載った台が近寄ってくる。

「枯れ葉の祈り酒か、霜林檎の蜜酒。好きなほうを選べ」

「まあ、よろしいのですか? ……えっと、わたくしは焼き菓子に、レモンと生姜のジュースしか持っていないのですけれど、お酒のお礼に足りますか?」

 不安に思って訊ねたが、「お返しを求めているわけじゃない」と意外にも優しい言葉が返ってきて魔女は目をきらきら輝かせた。あまりの喜びように、魔術師はふと我に返ったように意地悪な笑みを浮かべる。

「罠とは考えないのか?」

「……罠なのですか?」

「あのなあ…………はあ、ほら早く選べ。……なんだその目は」

「もしかしてそちらにあるのは恥じらい雪のお酒ではありませんか?」

「遠慮がなさすぎるだろ」

「素敵な紳士の魔術師さんにはわからないかもしれませんけれど、魔女が手に入れるのは難しいのです。わたくしがこのお酒を最後に飲んだのは、とある聖人さんが手土産に持ってきてくれた時なのですよ」

 恥じらい雪の酒とは、甘い言葉に陥落した雪が溶けるときに酒精を帯びたものだ。生態上、男にしかなびかず、また自身を誘惑した者の手を離れると途端にただの雪解け水となってしまうため、流通することもない。

 しかしその味は、世界三大美酒のひとつに挙げられるほどのものである。

「そうか。お前は聖人と直接会ったこともあるんだな」

「そうなのです、その時にコツを教えてもらっていれば、家でも手に入れることができたかもしれないのですけれど」

 なぜか無防備な目をした魔術師に、「惜しいことをしました」と笑ってみせる。魔女の家は、自慢の屋根に降り積もる雪を口説くことにどうにも不快感があるらしく、ただただ溶かしてしまうのだ。

「…………そういえば、前にも家人がどうとか言っていたな。お前は――」

「あ、ほら。星降りが始まりますよ」

 つう、と空を滑り落ちた青白い星を皮切りに、次々と星が流れ降る。


「……おい。なんだあれは」

 二人はしばらく黙ってそれぞれの作業をしたり、降る星をぼんやり眺めたりしていたが、そろそろ終盤という頃、ひどく驚いた様子で魔術師が声を上げた。

「どうしましたか?」

「馬鹿っ、早く立て!」

 彼の焦ったような声に魔女は反射的に箒に飛び乗ったが、なにをそんなに必死になっているのか、わからない。

「……魔術師さん?」

「お前は目が悪いのか? まさかあれが見えないとは言わないだろうな?」

(あれ……? ああ)

 魔術師の示した指の先を辿り、魔女はようやく理解する。

 そこにあるのは煌々と痛いほどに白く光る巨星。肉眼でも複雑な揺らぎの見えるそれは、今にも(はじ)けそうだ。

「ちゃんと見えていますよ。そろそろ頃合いですね」

「は?」

「あら、魔術師さんは初めてですか? それは確かに驚いてしまうでしょう。ほら、落ちてきますよ。あ、魔術は禁止です」

 魔女が指を振るのに合わせて、ひゅうん、と星の欠片がこちらへ向かって落ちてくる。軽やかに軌跡を描いているように見えるが、轟音に夜の空気が振動する。

 ハッと息を吸い込む音がして、しかし魔女の制止を聞き魔術の展開をとめた魔術師に、魔女は微笑みを向けた。

 ――大丈夫。

 そう告げると同時に、勢いよく光は降ってきて、それはすべて魔女の魔法の中に収まった。

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