表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。

タイムスリップしたらしき原始人の少女を俺んちで保護することになったんだけど…短編版

作者: 明石竜

「ぅおーい、梶之助ぇー。これ飲みんしゃい。背ぇがキリンのようにでかくなるぞう。こいつであと二十五センチ伸ばせ」

「いらねえ。そんなもんで背が伸びるはずないだろ。生物学的に考えて」

今日から風薫る五月。俺は今朝も相変わらず五郎次爺ちゃん特製ドリンクを振舞われた。

「オウノウ、今宵もボク、夜なべして一生懸命頭捻って考えて作ったのに、ヤモリとアオダイショウのミックシュジューシュ」

「……」

 俺の名は鬼丸梶之助。播磨南東部の時のまちに生まれ育った十五歳。この春、高校に入学したばかりだ。

 冒頭で述べたように俺の祖父の名は五郎次。俺は昔から五郎次爺ちゃん、と親しんで呼んでいる。ついでに言っておこう。親父の名は権太左衛門だ。

 お気づきの方もおられるかもしれないが、これらの名前にはある共通点がある。全て“歴代横綱”の下の名前なのだ。二代・綾川五郎次、三代・丸山権太左衛門、そして俺の名の元になったのが四代・谷風梶之助である。

 五郎次爺ちゃんが生まれてくるまでは、代々鬼丸家に生まれ育った男共は皆、六尺三十貫(今の単位で言うと180センチ、百キロくらいかな)を超える大男に成長し、そりゃあもうとてつもなく相撲が強かったそうだ。真冬の荒れ狂う海で全長五十尺ものザトウクジラを素手で引き上げたとか、いやもっとすごいのは、高さ五千尺はあろう山を片手で押し三里ほど動かしたとか、その他にもお侍に日本刀で首を打たれた時も逆に刃の方が折れてしまったとか、大筒火縄銃の弾を数十発体中に浴びせられてもかすり傷一つ負わずけろりとしていたとか、酒をたった一人で一晩に三斗以上飲み干したとか俄かに信じがたいことも云われている。ところがどっこい五郎次爺ちゃんで、ある問題が発生。天の神様か遺伝子のいたずらか急に体が小柄になってしまったのだ。 

 男ばかり七人兄弟の末っ子として、五郎次爺ちゃんは十歳頃までは『茂』という当時ごくごく一般的な名で育てられていたが、その時代としても成長が遅く、当時力士であった曽祖父はその未熟さを見るに見兼ねて歴代横綱の下の名前に無理やり改名させたそうである。それ以来、鬼丸家に生まれる男子には、験担ぎにと歴代横綱の名を付けることが決まりとなった。ただ、祖父の名から分かるとおり、初代横綱明石志賀之助の名だけは恐れ多くて名付けられなかったそうだ。その風習が孫である俺にも当然のように影響している。俺はこんな江戸時代生まれの人みたいな名前を付けられて正直大迷惑だ。まあ親父のよりはややマシだが。

 そんなことしたって結局、効果は全く無かったのだから。五郎次爺ちゃんの身長は、今は少し腰が曲がっているが最高でも155センチだった。改名させてわずか三ヵ月後に「この世で一番でっかいエベレストに挑んでくる。世界で初めて頂上に立つのはこのワシなんじゃ!」とか言って相撲部屋を出て行ったきり消息を絶ったらしい。曽祖父の遺言水の泡だ。親父も俺も、五郎次爺ちゃん以降の遺伝子を見事なほどしっかりと受け継いでいる。親父153センチ、俺151センチと時代の進歩に逆行するかのように少しずつ小柄になっているのだ。俺はご覧の通り超小柄で、同年代女子の平均身長よりも低い。そして体重もわずか四十キロと痩せ型なのだ。極めつけに俺は母さんに似て幼顔であり、未だに小学生に間違えられることさえある。

 ついでにあと一つ言っておこう。俺が四代目の名前を付けられている時点で疑問に思った方もおられるかもしれないがそう、不思議なことに鬼丸家では、五郎次爺ちゃん誕生以降八十年余り親戚一同含め、なぜか男が俺と親父しか生まれてこなかったという珍現象が起きているのだ。ようするに俺には“おじさん“なる者はいない。いとこも全て女の子だ。漢字で書けば従姉妹となる。

 つまり俺は今、鬼丸家唯一の若手の男なのだ。俺には、進学やら就職やらで、この家にはいないが姉が四人。親父と母さんは男の子がずっと欲しかったそうで俺の誕生にはやっと男の子が生まれたと、ご近所内あげての大祝いだったそうだ。

 五郎次爺ちゃんは曽祖父の意思を受け継いで相撲部屋へ門戸を叩きにいったそうだが当然のように体格検査で撥ねられ門前払いされたという。その五郎次爺ちゃんは親父に託すがやはりダメ、っていうか条件さらに悪くなってるし。結局は大学教授になった親父は俺の相撲界入りを俺が生まれて来る前から既に諦めていたようで、物心ついた頃から国公立もしくは有名私大、出来れば院まで行って安定した公務員か研究職でも目指した方が絶対いいよと言われて続けている。俺もその考えには同意なのだ。事実俺は今、東大・京大合格者を毎年コンスタントに輩出している進学校に通っているし。

 しかし五郎次爺ちゃんは、未だ俺の将来の相撲界入りを熱心に薦めてくるのだ。自分がなれなかったのがよっぽど悔しかったのだろうか? 当然期待に沿えずというか俺は相撲、いや全てのスポーツ競技が大の苦手な超々インドアマンなのだ。高校に入ってから週一で必修となっている柔道の授業がある日はとっても鬱である。


五郎次爺ちゃん特製ドリンクは即効流しに捨てて、俺は学校に行く支度をすませる。それを目にした五郎次爺ちゃん再び寝室に閉じ篭って寝込む。自分の思い通りにならないとすぐこんな風に拗ねる癖があるのだ。シルバーストライキである。

 午前八時ちょっと過ぎ、学校がある日はいつもこの時間帯に玄関のチャイムが鳴らされる。

「おっはよう、梶之助くん、学校行こう!」

「あのさ、千咲ちゃん。もうその名前で呼ぶの、いや、苗字も珍しいからなんか嫌だけど」

 この子の名前は西海千咲、俺んちから歩いて二分くらいのすぐ近所に住む、俺の幼馴染だ。俺が小学校に入学した頃からいつも一緒に登校している。ちなみに彼女の身長は144センチと俺よりもさらに低く痩せ型で華奢に見え、日本人形のようなサラサラした黒髪に三つ編み一つ結び、つぶらな瞳に丸い眼鏡をかけた、まさしく美少女ゲームなんか出てくる文学少女キャラそのもののとってもかわいらしい子なのだ。

 だが、その外見とは裏腹に俺とは天地真逆でスポーツ全般超万能。中でも特に信じられないのが、その体格で“相撲”をやっていることなのだ。しかもかなり強い。俺は昔から練習相手としていつも標的にされ、何度も何度も何度もぶん投げられた経験がある。読者の皆さん、どうか俺のことを情けないと思わないでくれ、お願いだ。

 あっ、さっき千咲の容姿のことあんな例え方したが俺、そういう系のゲームは一切やらねえぞ。じゃあ何で知っているのかというと、じつはここだけの話、五郎次爺ちゃんが筋金入りのゲーマーでな、特に美少女ゲームが大好きなのだそうだ。お年寄りがTVゲームしかもこのジャンル好んでするなんて珍しいだろ? ところが五郎次爺ちゃん、家電製品は全般的に大の音痴でな、まあこちらは八十過ぎのご老人にはごく普通のことだとは思うが、エアコンリモコンの操作方法とか全自動ドラム式洗濯機の使い方なんかも全く知らないのだ。ゲーム機についても当然のようにチンプンカンプンで、トースターと間違えたのかソフト投入口に食パンや冷凍ピザなどがセットされてあることがしばしばあるのだ。そんなわけで、俺がゲーム機にCD‐ROMをセットしたり、パソコンの無線LAN設定をしてあげたり、さらには老眼なものだから小さい字とか、俺が代わりに説明書読んだりなんかして手伝ってやってる過程で、知らず知らずのうちに目にそんな情報が飛び込んでくるだけなのだ。

 俺の親父と母さんは、この時間には既に出勤しているので、齢八五の五郎次爺ちゃん一人残し出発。俺と千咲は高校に入ってからは自転車通学だ。所要時間は十分ほど。それほど遠いわけでもないので雨の日は歩いていくこともある。

 実は俺、恥ずかしながら中学へ上がる頃までチャリには全く乗れなかった。俺がコマなしで乗れるようにまでなれたのも千咲が猛特訓してくれたおかげなのだ。俺は千咲にとても感謝している。


 いつも通り八時二十分頃に学校へ到着。俺と千咲は同じクラス、二組だ。

 二十五分の予鈴、次の半のチャイムで朝のホームルーム開始。そして四十分のチャイムが鳴ると一時限目の授業開始、今日は数学Ⅰ。

「それではこの問題を、鬼丸君」

 マッシュルームカット真四角メガネ小太り見た目オタク系教師に指名され、黒板へと向かう俺。白チョークですばやく解答を書く。

「答えは、x=±2、±√3i、です」

 出題されたのは四次方程式の解を求める問題だった。

「おう、見事正解ではないかあ! いじわるして数Ⅱの内容出したのに。やはり君はオイラァの見込んだ通りの秀才君だな」

 某数学者の名前のような一人称を使うのも彼の特徴だ。

 俺にとってはこんなものお茶の子さいさいである。俺は自慢ではないが入学式翌日にあった新入生テストで、国数英の総合得点はこの秀才ばかりが集う理系特進クラスでもトップを取得している。親父の期待は裏切らない。そして中学卒業する頃には既に数Ⅲまで高校数学全内容の知識が頭に入っていた。そのため今更授業を聞くまでも無いが、サボると当然卒業単位は取れないからな。

ちなみに千咲の成績はこのクラスでは中の下くらいだ。どちらかというと文系科目の方が得意みたい。

 二時限目に現国、三時限目に現代社会。そして四時限目数学Aの授業を受け終えて昼休みに入る。

「梶之助くん、お弁当分けてちょうだい」

 千咲からの要求、もちろん俺は快く了承。母さん手作りの弁当は俺を大きくしようとでもしてるのかとてつもなくドでかくてな、五人前はある。俺にはとてもじゃないが食いきれないんだ。驚くべきことに体に似合わず一人で四人前以上食っているんだぜ。小田切○葉並みの食欲だ。

 

お昼休みは一時間。五時限目開始は午後一時十分からだ。月曜日は化学基礎の授業が組まれてある。

「それでは、前回の復習からやりましょう」

化学担当の先生は、六十代前半のベテランお爺さん先生。亀のようにゆったりのんびりとした口調で講義しておられた。ちなみに苗字も亀村だ。本当に名前の通りで面白い。

「さっそくやけど、塩化ナトリウム分子は何結合になりますかな? えっと、西海さん」

「……」

 千咲は当てられたことにも気づかず、すやすやと眠っていた。

「おやおや? お休み中」

 亀村は千咲のもとへと、これまた亀のようなゆっくりとした速度で歩み寄り、

「おーい」

 と、一声かけた。

「……」

 千咲、まだ目を覚まさず。

すると亀村は、ある行動をとった。

「起きて下さいなー」

千咲のうなじを指示棒で軽くチョン、チョンとつつく。亀村先生、遠慮せずに頭思いっ切り叩いていいぞ。

「ひゃっ、ひゃう!」

 千咲はビクンと反応し、パチッと目を覚ました。上手くいったみたいだ。

「……あっ、私、いつの間にか寝ちゃってたんだ」

 垂れたよだれを制服の袖で慌ててふき取る。

「おはよう西海さん、季節もようなって、お昼ご飯食べて眠いところやけど、今授業中なんよう。ところでさっきから質問なんやけど、塩化ナトリウム分子は何結合になるかな?」

 亀村は優しく問いかけた。

「えっと…………あのう先生、塩化ナトリウムってナトリウムさんが演歌を歌うことですか? そんなこと絶対出来ないですよね?」

 千咲はお目覚め爽やかスマイルで意見した。

その瞬間、他のクラスメイトたちからドッと笑い声が起きる。

「西海さん、まだ寝ぼけてるね。えっと……この問題は……鬼丸くんに答えてもらおう」

「イオン結合です」

 代わりに指名された俺は即答してやった。

「はい正解。お見事」

亀村はそう褒めて、ゆっくりとした歩みで教卓のところへと戻っていく。

「梶之助くんすごーい! 天才だーっ」

 千咲はそう大声で叫び、パチパチと拍手した。恥ずかしいからやめろ。つーか常識だろ? 俺は小学生の頃から知ってたぞ。


六時限目、書道。

そして長い一日の授業の終わりを告げる七時限目。

「あっ、やっべえ!」

 普段はこの時限、公共なのだが、今日は特別編成時間割で柔道があったのだ。俺は完璧に忘れていた。

「では、次からは気をつけるように」

「はい、分かりました」

 ホッ、柔道の先生優しくてよかった。さすが愛称仏様だ。きっとことわざ通り三回までは忘れても大丈夫だな。

 俺は制服姿で参加。二クラス合同合計四十名くらいの男子でやるのだが、俺含め十名近くは忘れていたようで特に際立って目立つことはなかった。今はまだ受身の練習だけなのだが、これから組み手とか技の練習とかになってくるかと思うと本当に先が思いやられる。

 こうして全ての授業を終え、部活に入ってない俺はさっさと帰宅。明日から五連休だ。休み中は何して遊ぼうかな? いや高校に入ってからの学習の総復習もやらないと。

「梶之助くん、一緒に帰ろう」

「うん、いいよ」

 意外なようだが千咲も俺と同じく帰宅部なのだ。なぜかっていうと、千咲は女子相撲部に入りたがっていたが俺達の高校にはそんなものはなかった。っていうかそんなのがある方が珍しいと俺は思うが。そこで千咲は新しく立ち上げようとしたのだが、この学校で普段から相撲をやっているのは男子含めても千咲一人しかいなかった。そして部活動として認可されるには五人以上のメンバーがいなければならなかったためである。

 ただ、柔道部や空手部、稀にラグビー部のやつら(しかも男子)と週二、三回相撲の稽古をしている。俺はこういう部に正式に入部すればと千咲に勧めたのだがどうしても相撲部が良いといって聞かなかったのだ。

「ねえ、これから梶之助くんのおウチ寄っていい? 私、久し振りに五郎次お爺様にお会いしたいのーっ」

「別にいいけどね……」

 五郎次爺ちゃんは毎朝千咲が訪れる時間には俺の例の行動によって寝込んでいる。

 

       ☆


「こんばんはーっ、五郎次お爺様」

「ぅおう、千咲ちゃんだぁーっ。ワッホホーッイ! ボクのガールフレンドーッ。グッイーブニン」

 こんな風に、俺が帰る頃にはいつものキャラに戻っている。五郎次爺ちゃんは、犬は喜び庭駆け回るように歓喜し、千咲にガバッと抱きついた。

「え~いっ!」

 その刹那、千咲は五郎次爺ちゃんを一本背負い(柔道の技ではなく、大相撲の決まり手の一つである)でいともあっさり空中へ投げ飛ばしたのだ。五郎次爺ちゃんクルリ一回転ズサッと着地、衝撃で入れ歯ふわり空中遊泳。

「もう、五郎次お爺様ったら。でもそこが素敵ング」

 吹っ飛んだ入れ歯キャッチし付け直す五郎次爺ちゃん。

「フォフォフォフォ、ボク嬉しいな、若い娘さんに投げ飛ばされてもらえて」

 何を隠そう五郎次爺ちゃんは相撲が恐るべきほど弱いのだ。この俺でも軽く押せば勝てるくらいである。俺以上のもやし体型でまさに紙相撲級なのだ。

「どうよ梶之助、相撲はめっちゃんこ楽しいぞ。こんなに可愛い子達にブンブンブンブン投げ飛ばしてもらえるんじゃからな」

「……」

 五郎次爺ちゃんはじつのこと言うとな、本当の大相撲の世界というのを知らないようなのだ。双葉山が大活躍していた幼少期こそ大相撲をラジオで熱心に聴いていたというが終戦直後、彼の引退と共に自分もぱったり見なくなり、次第にその存在すら忘れ去っていったらしい。

代わって見るようになったのがこの地域で六十数年続く伝統行事、年一回開催され、千咲も小学生の頃から毎年出場している“女相撲大会”だったのである。

「そうじゃ! ボクね、お二人の対戦が見てみたいのう」

「五郎次爺ちゃん、そっ、そんな急に……」

「OK! お見せしてあげるよ五郎次お爺さま。ちょうどお日様に干そうとマワシ持って帰ってたから」

「ちっ、千咲ちゃんも乗らないでーっ」

「まあいいじゃない。そういや最近、もう五ヶ月くらいかな、お正月の時に取って以来、私も受験勉強忙しくて相撲封印してたから、かなり久々に対戦することになるね。そうと決まれば早速マワシ、マワシ。梶之助くん、付けてあげるからおズボンとおパンツ脱いで!」

 藪から棒に大胆発言。誰がやるか!

「ちっ、千咲ちゃん。俺、マワシ姿になるなんて恥ずかしいよ。前にも言ったでしょ」

「もう、なっさけない。そんじゃあ今回も上半身裸トランクス一丁でいいよ」

 それもかなり恥ずかしいことだが仕方がない。もしここで対戦拒否って逆らおうものなら後で学校の運動場のど真ん中で『送り吊り落とし』の刑喰らわされるのだ。相撲勝負に限らずな、ノート写させてとか、お掃除当番代わってとかそういう場合も然りだ。

 幼稚園の頃から度々させられて、高校入学してからもこれまで七回させられた。しかも昼休み狙って「今から私、梶之助くんを公開処刑しまーっす♪」とかご丁寧にスピーカーなんか使って大声で叫んで宣言して全校生徒の注目を集めてな、さらに先生達までもが拍手喝采楽しみながら見物してるんだぜ。

 こんな状況を羨ましく思ったのか被執行希望者男子、先生も含め年追うごとに増加中だ。しかし俺以外には大人しく、か弱く清楚で真面目な女の子としてまあその容姿からイメージされる通りのキャラで接している。ただそのギャップが素晴らしく萌えという輩も多い。

「あーら、いらっしゃい。お久し振りね千咲さん」

「こんばんは、おじゃましてます、寿美おばさま」

 千咲が女相撲用桜色のマワシ(上半身はもちろんレオタード着ているぞ)に着替え終え、準備が整った頃、母さんが帰って来た。自慢じゃないが、御年五〇を越えているけど白髪や顔の小皺はほとんど目立っておらずまだ三〇代前半くらいの若々しさが感じられる。背丈も一七〇センチ近くあり、すらりと高い。皮肉なことに、俺の四人いる姉は皆、母さんの遺伝子が受け継がれ一七〇センチを超えているのだ。

「千咲さんのマワシ姿はいつ見てもさまになってるわね」

「そ、それほどでもないですよーっ」

 頬をポッと桜餅色に染める千咲。

「ふふふ、かわいい。その格好してるってことは、ひょっとして――」

「その通りです。私今から梶之助くんとお相撲取るんです♪」

「やっぱり。どんな攻防が繰り広げられるのか楽しみね」

そんなわけで俺は離れに建てられてある相撲道場へとやって来た、というか千咲に腕を引っ張られ無理やり連れてこられた。木造瓦葺平屋建ての小屋で、造られたのは一九〇七年(明治四〇年)。すでに創立百年以上が経過している。当然のようにこれまでに何度か改修工事がされてあるものの、外観は建立当時のままほとんど変わっていない。入口横にある『鬼丸相撲道場』と木版に縦書き行書体で肉合彫りにされた看板もかなり色あせていて、時代の流れを感じさせていた。

出入口を通ってすぐ目の前に直径十五尺(およそ四メートル五五センチ)の土俵、さらに奥側に見物用の座敷も設けられてある。

かつて、五〇年ほど前までは、この場所で毎日のように鬼丸家や近隣に住む力自慢の男共よる激しい稽古が流血も交えながら行われ、大勢の見物人で賑わっていたようだが、今ではそんな面影すら全く感じられない。

今回みたいに、俺が千咲と無理やり相撲を取らされる時に使用されるくらいである。

 俺と他のみんなも靴と、靴下も脱いで素足になり道場の中へ。土足厳禁なのだ。

「千咲ちゃん、やっぱ勝負はやめない?」

 俺は過去の経験から当然のように怖気付いてしまう。

「今さら何言ってるのよ梶之助くん、男の子でしょ?」

「そうじゃぞ梶之助。男たるもの度胸が必要なのじゃ。そんじゃ、ボクが行司さんやるねっ!」

「それじゃあ、わたしが呼出さんやろうかしら」

「よろしくお願いします五郎次お爺様、寿美おばさま」

 千咲に頼まれると五郎次爺ちゃんはすぐさま大喜びで行司服に着替えて来た。右手には軍配団扇。俺んちにはこんなマニアックな物まで置いてあるのだ。

「梶之助くんも早く準備して」

「分かった、分かった」

千咲に命令され、俺はしぶしぶ長袖ワイシャツを脱いで上半身裸となり、ジーパンも脱いでトランクス一枚だけの姿になってやった。俺のあまり筋肉のない細身の体が露になる。

 俺の四股名は『谷風』。千咲に名付けられた、というか三代横綱そのまんまだが。

 そして千咲は『千咲風』。

 母さんは息を大きく吸い込んだ。そして、

【ひがあああああああしいいいいいいい、ちさきいいいいいかあああぜえええええ、ちさきいいいいいかあああぜえええええ。にいいいいいいいしいいいいいいい、たあああにいいいかあああぜえええ、たあああにいいいかあああぜえええ】

 独特の節回しで四股名を呼び上げた。オペラ歌手のような美しいソプラノボイスだった。俺と千咲はそれを合図に土俵へと上がる。

「梶之助くん、もしかして緊張しちゃってる?」

 千咲は四股を踏みながら問い詰めてきやがる。

「しっ、してねえよ」

 いや内心していた。というかそれよりも本当に怖い。俺緊張の仕切りが続く。

 仕切りを四度繰り返したところで、母さんから制限時間いっぱいであることが告げられた。

「さあ、梶之助君、思いっきりドンッってぶつかって来てね!」

 そう言って、こぶしで胸元を叩く千咲。にっこり笑っている。

【お互い待った無しじゃ。はっきよーい、のこった!】

 五郎次爺ちゃんから軍配が返された。俺は千咲に言われたとおり渾身の力をこめて突進していった。すると千咲のマワシをいとも簡単にがっちり捕まえることが出来たのだ。

「梶之助くん今回超いい当たり。その調子でも~っと強く押してみてね」

「うっ、動かねえ……」

 千咲の体は、まるで巨大な岩のようだった。

「もう、私のペッタンコなおっぱいにこ~んなにお顔埋めちゃって、エッチね」

 いや千咲、俺決してそんなつもりは――。

「せっかくわざとマワシ取らせて梶之助くん有利にしてあげたのにな。とりゃあ!」

 千咲の掛け声。その瞬間俺は一瞬のうちに千咲の肩に担ぎ上げられ空中一回転。先ほどの五郎次爺ちゃんと同じ技をかけられてしまったのだ。

【ただいまの決まり手は一本背負い、一本背負いで千咲風の勝ち! どうじゃ梶之助、地球に居ながらにして無重力空間を漂っているような清清しい気分になれたじゃろ? 千咲ちゃんの一本背負いは五つ星じゃよ。この技でボクもアストロナウト気分が味わえるんだもん】

 ならねえよ全然。っていうか俺受身の取り方を知らねえから思いっ切り地面に腰打ち付けてめっちゃ痛え。後で青痣出来るぞ、こりゃ。

風対決。全く何も出来なかった俺の完敗だ。

「えっへん。どうだ梶之助くん、参ったか?」

 無様にうつ伏せに転がっている俺を容赦なく上から見下ろす千咲。しかもトランクスがずれて半ケツ状態になっている所を踏みつけやがった。さらには勝利のポーズVサインまでとりやがる。

「また負けちゃった。やっぱ千咲ちゃん強すぎるよ」

「んもう、情けないなあ」

 そう言い放ちこんな俺に手を貸してくれ優しく起こしてくれた。いつもこんな感じだ。千咲が鬼丸家の男だったらと思うことが何度あったことか。

「梶之助くん、ご協力ありがとう。私とってもいい運動になったよ。なんかお腹空いてきちゃった」

「千咲さん、良かったらお夕飯も食べてく? 今夜はスープカレーよ」

「スッ、スープカレーですと! もっ、もちろんいただきます。私の大好物ですからーっ」

 エサを目の前にして「待て!」の命令をかけられた犬のごとく涎を垂らしながら喜ぶ千咲。母さんは小学校の家庭科教師を勤めている。料理の腕前は天下一品なのだ。


「はーい、出来たわよ」

 二十分ほど待つと、母さんは四人分をテーブル席へと運んで来た。

「千咲ちゃんの分は虚空にしたのよ」

「わーい。ありがとう寿美おばさま」

 マグマのように真っ赤なスープがでで~んとご登場。千咲は筋金入りの辛党なのだ。俺はいつも千咲の食う料理に、俺はレンタルブルーレイで見た口だが一昔前のド○えもんの映画でパパの大好物として出て来た『とかげのスープ』よりも度肝を抜く強烈なインパクトを与えられる。味噌汁にタバスコ入れたり、食パンにコチュジャン塗りたくったり。

「あっ、相変わらず千咲ちゃんの……すごいよな。俺なんか覚醒でも辛くて食えないのに」

「もちろん甘い物も大好きよ。甘い物食べた直後に辛い物食べた時の爽快感といったらもう最高よ!」

 スイカに塩に代表される味の対比効果かよ。

「梶之助くん、まだまだお子様だもんね。辛いの無理だよね。あっかちゃーん」

 千咲は俺に指差してゲラゲラ笑って来た。俺よりちっこい千咲には言われたくない。さすがの性格穏やかな俺もこれにはちょっとだけカチンと来た。

「これくらい俺でも食える!」

「へえ、強気ね。じゃあさっそく食べてみてよ」

 やっちまった挑戦状。後戻りは香車の駒のごとくもう出来ない。

「わっ、分かったよ」

「はいどうぞ、召し上がれ」

 俺の前にススッと差し出されたその地獄皿。この赤いものは、例えるならえーと……そうだあれだ! ヨーグルトやアイスなんかに入ってる“つぶつぶいちご”だと思って食えばいいのだ。そう考えればこんなもの楽勝。楽勝。

「ぐっ……」

 俺は男らしく赤い部分が特に目立つ所目掛けてレンゲを振り下ろす。そして口の中へ一気に放り込み食す。

「……ん? あっ、あんまり、辛くないような……っ、うわあああああああ~っ!」

 俺の口内にスローインされてから約1.5秒後、俺の口元は一瞬にしてバーナーの点火口へと姿を化した。

 俺はすぐさま冷蔵庫へ光の速さで猛ダッシュ。五百ミリリットル入りアイスココアを取り出して一気にゴクゴク飲み干した。

「アハハハ、やっぱり無理じゃない」

 千咲は得意げになっているのかまたもや笑顔でVサイン。

「くっ、くそ……」

 これも俺の完敗だ。まだ舌がピリピリ痛む。

「そんじゃいただきまーす」

 千咲はそいつを平然と口の中へとベルトコンベアのように流れ作業的に運んでゆく。しかもこれ食う直前にチョコレートと鶏卵素麺食って口の中甘い物で満たしていたんだぜ。こいつは化け物だ。


「満腹、満腹♪ ごっちゃんでしたぁーっ♪」

 ちゃっかりお代わりまでいただいた千咲であった。

「千咲さん、ついでにお風呂も入ってかない?」

 母さんは強く勧めた。

「そうですねー。さっきの相撲と、このカレーでかなり汗かいちゃったし」

「お着替えはいっぱいあるからどれでも好きなのを使ってね」

 千咲はタンスの中から俺の姉たちが着ていたパジャマや下着を取り出した。

「このパンツ、ピンクのウサギさん柄で素敵ですね。これにしよう。そうだ梶之助くん、いっしょに入ろう!」

 そう言い、俺の手を引っ張ってきやがった。

「入るわけないだろ!」

「もう、梶之助くんったら大人びちゃって。下はまだまだお子様サイズのくせに」

 今度は俺の肩をパンパン叩いてきやがった。

 ああその通りだ。てかなんで知ってる。

 月に三、四回千咲が夕方以降に俺んちへ来る時は、百パーセントの確率でお湯をいただいていく。俺んちには、自慢じゃないが十人以上は一度に入れるとても広い檜風呂が備え付けられてあるのだ。千咲は他に何の用もなくそれだけが目当てでやって来ることもある。ちなみに借りた下着類を返しに来たことは一度もない。全てジャ○アンのように自分の所有物にしているのだ、やつのように無理やり奪ったわけではないが。

               ○

「あー、汗も引いてさっぱりしました。それではそろそろお暇しますね」

 千咲は、左肩に通学カバンをかけて、運動靴を履いた。

「またね千咲ちゃん」

「千咲さん、お夕飯ご馳走するからいつでもいらしてね」 

「グッバイ千咲ちゃーん。またボクを投げ飛ばしに来てねーっ」

 仄かにラベンダーセッケンの匂いを漂わせながら、チャリで数十秒の夜道を帰ってゆく千咲。俺は姿が見えなくなるまでじっと眺めていた。


五月二日。大型連休初日。清清しい五月晴れだ。

 休みの日の今朝も、やはりいつものように特製ドリンク(今日はコウモリの糞の粉末を緑茶に溶かしたもの)を振るわれ、即効流しに捨てる。五郎次爺ちゃん嘆き寝込む。

「おっはよう!」

 いつもの時間よりは二時間ほど遅いのだが、千咲が今日も俺んちにやって来た。下着を返しに来たわけではないだろうし、これはきっと……。

「ねえ梶之助くん、今から一緒にショッピングに行こう!」

 やはりな。

「うん、暇だからいいよ」

 これも拒否るとあとで絶対処刑されるし、家にいても五郎次爺ちゃんからテレビゲームに付き合わされるか相撲のトークばかり聞かされるかだろうし俺は快く付き合うことにした。最初に言っておくが俺と千咲は恋人同士ではない。単なるお友達同士だ。だから二人っきりで出かけても何のイベントも起きないぞ。

 俺と千咲、チャリに乗ってまず始めにやって来たのは俺んち最寄り鉄道駅の山陽本線JR大久保駅、その南側に広がる大型ショッピング施設『イオン明石』。一番館ビブレへ入店した。

「ねえ梶之助くん、さっそくだけど私、お洋服買うから一緒に選んでーっ」

 俺は千咲に腕を無理やりグイグイ引っ張られ、エスカレータに乗せられ、連れてこられたその場所は、

「ちょっ、ちょっと待って千咲ちゃん」

 じょっ、女性用下着売り場じゃあないか。

「どうしたの梶之助くん? お顔がおサルさんのオシリみたいな色になってるよ」

 嫌な例え方だ。じつは俺、ここは姉達にも何度も連れてこられた経験がある。けれども男の俺がなんかここにいるのは気まずいだろう。こう感じるのは俺だけなのか、他にも男性客は数名いたのだが。

「ちっ、千咲ちゃん一人で選んでてよ。俺は他の所……本屋さんで待ってるから」

「もう、照れ屋さんね」

 ともかくもこの場にはいたくないので、こうして俺はビブレから少し南へ下った所にある本屋『未来屋書店』でしばし待つこととなった。


「お待たせーっ!」

 三十分ほど待っていると、バーゲン戦争を勝ち抜いたおばさんのごとく買い物袋両手に抱えた千咲が戻って来た。俺は一つ持ってあげた。

「かなりいっぱい買ったんだね。いくらくらい使ったの?」

「合計税込みで一万九千六百八十円よ。お買い得でしょ?」

 高ぁっ! 女の買い物は分からん。

「ねえ梶之助くん、次は映画見よう!」

「いいけど、ホラー物と恋愛物はダメだよ」

 この二ジャンルは映画でなくとも俺の大の苦手なのだ。

 再び一番館へ戻り、その最上階にあるイオンシネマ明石へ。ここは七つものスクリーンが入っている大型シネコンだ。

「あれ見ようよ。つい先週公開されたばっかだし私早く見たいの」

 千咲が指差した映画館横に掲げられているポスターを眺める。

「あのアニメかぁ。なんか乗り気がしないんだけどね……」

 どちらかというと幼稚園児から小学校低学年向けのアニメ映画なのだが、……まあいいや時間潰しにもなるし、それに何より千咲が喜んでいるから。

「私と梶之助くん、中学生、いやひょっとしたら小学生料金で入れるかもよ」

「確かにそうかもしれないけど、なんかね、後ろめたいっていうか……」



「小学生お二人様ですね」

 結局、受付のお姉さんに年齢確認されることも無く、俺と千咲は目的の映画が上映される3番スクリーンへ。こんな映画を見に来るのはせいぜい小学校高学年くらいまでだろうから、俺と千咲のことは少し背の高い、(いや小六の平均程度しかないが)小学生にしか見られていないんだろうな。

 俺と千咲は真ん中くらいの座席に座った。

上映前に長々と流されるCM中に俺はぐっすり爆睡してしまっていた。

隣の千咲はずっとスクリーンに釘付けだったようだ。

 俺はラスト五分くらいのところで、まるで五、六歳児の子を思わせるような千咲の興奮した叫び声で目が覚めた。

「めっちゃ面白かったぁーっ! 梶之助くん、また一緒に見に行こうね」

「暇だったらね」

 実を言うと、俺は、内容ほとんど頭に入ってないんだが。

 映画館を出た後は、二番館フードコートでランチタイム。

「私たち、もしかしたら、お子様ランチ頼めるんじゃない?」

「いやさすがにそれは無理だろ。いくらなんでも十歳以下には……」

 すると千咲は呼びボタンを押して、ウェイトレスを呼んだ。

「ご注文はお決まりでしょうか?」

「はい、お姉ちゃん、お子様ランチ二つ下しゃい」

 急に、幼稚園児のような話し口調に変えた千咲。

「かしこまりました。お飲み物はいかがなさいますか?」

「ジンジャエール下しゃい。梶之助くんは何にするう?」

「俺は烏龍茶でいいよ」

「それでは少々お待ち下さいね」

 ウェイトレスは何の疑いもなくカウンターへと戻っていった。

「ほらね、大丈夫だったでしょう?」

「俺、天ざる蕎麦にするつもりだったのに……」

 入館料だけでなく、またもや成功してしまうとは――なんだかものすごく気まずい。俺と千咲って……。

 

 そして五分ほどのち、

「お待たせしました。お子様ランチでございます」

 イルカさんの形をしたお皿に日本の国旗の立ったチャーハンに、プリン、スパゲッティ。タルタルソースのたっぷりかかったエビフライ、ハンバーグステーキなど定番のもの。その他お惣菜がバリエーション豊富に盛られていた。

「お二人はお友達同士さんね。四年生くらいかな? これ、サービスよ。仲良く遊んで自由研究の参考にしてね」

 ……まあ、小四でも背の高いやつだと160くらいはあるからな。シャボン玉セットと水鉄砲までおまけで付けてくれたのだ。何とも言い表しようが無い妙な気分だ。

「それじゃ食べよう。はい、あーん」

 俺の目の前にフォークで巻きつけられたトマトスパゲッティを持ってくる千咲。

「……ちっ、千咲ちゃん。はっ、恥ずかしいから」

 なんで高校生の俺達がこんなもの食わなきゃならんのだと思ったのだが、食ってみるとなかなか美味いものである。なんつうか栄養バランスがきちんと整っているというか。

 昼めし後は、千咲の希望で三番館にあるアニメイトイオン明石店に立ち寄って、館内から外へ出ると、足を伸ばしてここから三、四キロ離れている、ちょうど今が見頃な《薬師院ぼたん寺》と、その場所から数百メートル先にある藤棚で有名な《住吉神社》へ。

 千咲はお花が大好きなのだ。まあ彼女の容姿からすれば確かにイメージ通りなのだ。見た目だけは本当に可愛い。嬉しそうに眺めてデジカメに残していた。

 その後、俺と千咲はチャリを押しながら神社裏海岸沿いの道をプラプラ歩く。いつの間にか江井ヶ島海岸へたどり着いていた。

「今日はとっても暑いし、もう泳げそうだね」

 千咲は靴と靴下を脱いで、砂を踏みしめた。

「あ、千咲ちゃん、まだ整備されてないからガラス瓶とか落ちてるかもしれないし、裸足で歩くと危ないよ」

「いっけない、足切っちゃうとこだったよ。心配してくれてありがとう」

「いやいや」

 俺は不覚にもちょっぴり照れてしまった。

 ここから望む播磨灘の風景は美しい。俺と千咲は砂浜で、さっき貰ったシャボン玉を吹いたり水鉄砲に海水入れて撃ち合ったりして遊んでいた。傍から見れば絶対小学生同士がじゃれあっているようにしか見られてないだろうな。でも楽しいからついついやっちまう。

 

 いつの間にか、空が鉛色に変化していた。

「千咲ちゃん、なんか一雨来そうだよ」

「ほんとだ、どっかで雨宿りしよっか」

 そんなわけで、俺と千咲はちょうど午後三時のおやつ時ということもあり、軽食とるため近くの喫茶店へ。

入店してから一分も経っていないだろうか、案の定天気が急変し大雨が降り始めたのだ。

この時期よくある春の嵐である。外は夜のように薄暗くなっていた。

「そういや午後からお天気悪くなるって言ってたような」

「朝快晴だったから天気予報のおじさま信じずに傘持って無かったよ。間一髪だったね」

 その刹那だった。

ピカピカピカッとジグザクに走る稲光その約三秒後ドゴォゴォーンと強烈な爆音が鳴り響いたのだ。喫茶店一瞬停電すぐ復帰。

「びっくりしたーっ。さっきの雷めっちゃすごかったね。近くに落ちたのかも……ちょっ、ちょっと梶之助くん」

「あっ……ごめん千咲ちゃん」

 その時俺は咄嗟にテーブルの下に隠れ、千咲の膝の辺りにコアラのようにしがみ付いていたのだ。俺は高校生になった今でも雷が大の苦手なのである。

「もう、梶之助くんったらいつまでたっても弱虫さんなんだから。よちよちよち」

 千咲は俺の頭をなでなでしてくれた。っていうか情けねえ俺。

 ほんの二十分ほどで雨も止み再び日差しも出て来た。俺と千咲は店をあとにする。

 雷はあれ一回きりで済んだみたいだ。良かったあ。

「なんか急に気温下がったみたいだね。さむっ!」

 外は冷たい北寄りの風がピューピュー吹いていた。寒冷前線が通過したようだ。

「上着着る?」

 千咲はお買い物袋からビブレで手に入れた服を取り出した。

「……いっ、いいよ、こんなのは」

 手渡されたのは、もろに女の子向けのウサギの刺繍が成された水色の毛糸服だった。俺は当然のように断る。

「絶対似合うのになあ」

 

 俺達は再びチャリ押しながら海岸へと戻って来た。

「波もさっきより高くなってるよ。危険だしそろそろ帰ろうか」

「そうね……?」

 千咲は何かに気付いたようだ。

「ねっ、ねえ、梶之助くん、あそこ見て」

 千咲が指差した、海に向かって左手の方角へと俺は顔を向けた。

「んっ?」

 ここから一キロくらいは先であろうか。何やら人らしきものが見えたのだ。俺と千咲はその下と駆け寄った。チャリに乗って五分くらい。

「かっわいい!」

「えっ……」

 そこにはなんと、イノシシと鹿の毛皮らしき物を身に纏い、長さ八〇センチほどある柄のついた石槍を持った女の子が仰向けに大の字に寝そべっていたのだ。その子は十歳くらいに見えた。美しい小麦色の肌をしていたがお顔を拝見してみると日本人っぽい。しかしこの身なり。

「この子、小学生かな? いい寝顔ね」

「っていうかその前に現代人じゃないような。槍の形見ると旧石器とまではいかなくても縄文人っぽい」

「確かにそんな感じもするね。でもそうだとしたらなんで現代に来れたんだろ?」

「さっきの雷の衝撃で、どこかこの辺りに、今俺達がいる時代と、縄文時代とを繋ぐタイムスリップ空間が一瞬開いちゃってこの子が誤って転落したとか」 

 事実、このすぐ近くについ先ほどの雷が直撃したであろう焼け焦げた松の木があったのだ。この辺りに落ちたのは間違いないだろう。

「私も同じようなSFチックなこと考えてたよ。やっぱ気が合うね」

 いや、俺は冗談で言っただけだ。確かに雷は落ちたようだが、それが過去の時代へと繋がる要因になるなんて現実主義の俺には到底考えられない。

「ウゥゥゥーッ、ウッ!」

 その時だった。その女の子は叫び声を上げた。目を覚ましたようだ。

「キャッ!」

「うわ、危ねっ!」

「フウウウ、ウウウウウウウ!」

 その女の子はむくりと起き上がるやいなや、腹をすかせたライオンが死に物狂いで獲物に襲い掛かる時のような獰猛な目つきでいきなり俺達に持っていた槍を交互に突きつけ威嚇して来たのだ。警戒しているみたいだ俺と千咲のことを。

 やっぱり、本当に縄文人なのか? なんかあの国民的アニメの、映画大長編シリーズ第三六弾でもこんなの見たぞ。ク○ルだ。とりあえず俺と千咲、後ずさりして一旦距離を置く。それでも再び襲い掛かって来たがその子は力尽きたのか槍の先端部分が俺の目の先三寸ほどの所まで迫った所でパタッと倒れ再び眠りついてしまった。

 女の子が立ち上がったことで分かったことだが、背丈は千咲よりもさらに低く、135センチくらいだった。だが武器を持ってるし、不用意に近づかないほうが吉だろう。

 先ほどまでの行動、これはもうこの子は縄文人だと認めるしかないな。千咲は初めから確信していたようだが俺も。

「あっ、危なかったぁ~。とりあえず警察でも呼んでこの子を保護してもらおっか」

「でもこれ、ちょっと状況説明しにくいよね」

 確かにそうだ。縄文人が突然現代に現れたなんて言ったら、きっと俺と千咲の方が頭メルヘンな不審者扱いされちまうよな。

「そういやさ、この辺りって明石原人の腰骨が見つかった場所だったね。それと何か関係があるのかな? つーかもうすぐ原人まつりの時期でもあるし」

「うーん、分からないけどこのままここに放って置くのはかわいそうよ」

 その女の子は数分後再び目を覚ましたが、元気がなく弱り切っており戦意も消失しているようでもはや俺と千咲に襲って来なかった。女の子は毛皮こそ身に纏っているもののボロボロに破れかけ露出度が高い。このままではちとまずいし、それに先ほどの雨で気温も下がっておりこの姿ではかなり寒いだろう。千咲はさっき俺に渡そうとした服を手渡すとすぐにその上から着てくれた。一応現代の服の着方は知っているようである。

 まあ、情けは人のためならずということもあるし、千咲のチャリの荷台にその子を乗せて俺んちへと連れて帰ったのだ。

 昨日千咲が帰ってから夜遅く、母さんは、昨日は家に帰らずそのまま空港へ向かった親父と共に海外旅行へ旅立った。ゴールデンウィーク最終日前日、つまり五日夕方までは留守というナイスな状況。そのため泊めてやってもいいかなと俺も思っていた。


「五郎次お爺様。私、今日も来ましたよーっ」

「ただいま、五郎次爺ちゃん。あのさ……」

「おう、おかえり梶之助、そして千咲ちゃぁーっん。それから、んん? こっ、この子は? ……きゃっわいい! ベリーキュート! ボクのニューカマーガールフレンドじゃあ。でっ、でかした梶之助、千咲ちゃん。ようやった、ようやったぞ!」

 五郎次爺ちゃんはこの子の姿を見るなり大声で叫び大興奮。

「驚かないで聞いてくれ。この子、縄文時代からやって来たみたいなんだ」

「縄文時代じゃと! そりゃますます萌える。ボクはさっきまで大和時代っぽい雰囲気のギャルゲーやってたがそれよりさらに古のお方にリアル三次元で巡り合えるとは――」

「五郎次お爺様、どうかこの子をしばらく泊めてあげて下さい」

「もっちろんOKよ、というかこれからずっとボクんちの子にならんかのう」

 五郎次爺ちゃん断るどころかフィーバーして大歓迎だ。

「ムム……」

「ウエルカムトゥザ現代! ナイスツーミーツー、マイネイムイズゴロウジ。このボクとハグしよう。これが今の時代の挨拶の仕方じゃよ」

 抱きつこうとした五郎次爺ちゃん。つーか英語も絶対通じねえだろ。しかもいつも思うが発音悪っ。センス0だ。

「ウウウウウウウ~ッ!」

 女の子は怯えた表情で五郎次爺ちゃんに槍を向け、狙いを定めた。先ほどからずっと警戒していた……気持ちは分かる。

「アウチッ!」

 次の瞬間、女の子が持っていた槍が五郎次爺ちゃんのおでこに見事ヒット。グザリと突き刺さった。

「おお、とっても元気でパワフルな子じゃ。ますます好きになってしもうたよ。サンキューベリーマッチ」

 ウ○トラビームの如く血がどくどく流れ出る五郎次爺ちゃん。だがとっても大喜び。まあこれはある意味正当防衛である。よって女の子は無罪。

 その直後、さっきので無駄なエネルギーを消費したのか女の子のお腹から大きなグ~の音が響き渡った。

「ムウウウウウーッ」

 女の子は少し頬を桃色に染めた。なんかちょっと現代の女の子らしさも垣間見える。

「お腹空いてるのね?」

「クウー」

 千咲に尋ねられると女の子はこくりと頷いた。現代日本語分かるのか? いや、適当に相槌打っているだけかもしれない。

「そんじゃとりあえず、自称一流シェフのボクが最高級の手料理をご馳走してやろう。ハサミムシのフライとテントウムシの姿焼きと……」

 ちょっと待った五郎次爺ちゃん。そんなもの食わせたらいくら狩猟を中心に生活を賄っていた縄文人といえども(ちょっと失礼か)絶対腹壊すぞ。つーか昆虫達に謝れ。とりあえず俺がラーメンやらお好み焼きやらインスタント料理を作ってあげた。ちなみに千咲も料理が壊滅的に出来ないのだ。なんつうか、まだジャイ○ンシチューの方がマシというか。仮に出来たとしてもきっとあの激辛料理しか作らないだろうからな。

 その女の子は満面の笑みを浮かべながらズルズルズルッと豪快に音を立てて現在の食品を味わっている。

「美味しい?」

「ルルルウウウ」

 その女の子は、七・八人前はあったのをあっという間に全て平らげてしまった。これで安心しきったのか俺と千咲のことを完全に味方だと思ってくれたようだ(五郎次爺ちゃんにはまだ少し警戒心を示していたが)。

「ねえ、私たちでこの子のお名前つけてあげようよ」

「そりゃグッドアイデ~アじゃのう千咲ちゃん」

「ちょっ、ちょっと二人とも、ペットじゃないんだし」

 まあでも縄文人であろうこの子に本当の名前があるかどうかは不明だしな。一応名付けてあげることにした。

「うーむ。何にしようかのう。喜三郎か、緑之助か、雷五郎か、諾右衛門か、久吉か、光右衛門か……」

 五郎次爺ちゃん、それ、五代以降の横綱の名前じゃねえか。却下だ。

「女の子だから、お花の名前にしようよ!」

 千咲の提案したそれが妥当だな。

「えーっ! ボクのネーミングは?」

「没!」

「五郎次お爺さま。この子は歴とした女の子ですよ。そんなますらをぶりなお名前つけちゃかわいそうですよ」

「はーぃ」

 五郎次爺ちゃんはがっくり肩を落とし、丸まった背中をさらに丸め、しょんぼりした表情で自分の寝室へ。これで邪魔者は消えた。

「梶之助くん、今ちょうど五月だし…………アヤメ、でいいかな?」

「それが良さそうだね。可愛い名前だし」

「よし、決定! 今からあなたのお名前は、アヤメちゃんね」

「ユーム」

 千咲がそう告げると、女の子は笑みを浮かべてとっても喜んでくれたようだ。

「そうだ。アヤメちゃん体も汚れてるし、お風呂入れてあげよっか」

「そうだね。髪の毛に土埃がいっぱい付いてるから」

 風呂は五郎次爺ちゃんが既に沸かしてくれていたようだ。

「現代のお風呂の入り方分かる? 良かったら私と入らない?」

「ウウウウウーッ!」

 肩を掴まれたアヤメはその千咲の手をパシッと払いのけ一人でスタスタ風呂場へと向かった。 

「ふくらみかけのおっぱい見られるのが嫌なのかな? ちっちゃい私よりさらにちっちゃいけどやっぱ同い年くらいなのかな?」

 縄文時代の発育状況を考慮するとそれも不思議ではないと思う。現代人の俺と千咲ですらこの有様なんだし。

 

 十五分ほどして、アヤメは恍惚の表情で戻って来た。

「アヤメちゃん、梶之助くんちのお風呂めっちゃ快適でしょう?」

「ヌーン」

「良かったねアヤメちゃん、きれいになったらますます可愛く見えるよ。萌えキャラだーっ。ネコミミカチューシャ付けてあげるーっ」

「千咲ちゃん、やめてあげなよ。嫌がってるよ」

「ルグーッ」

 アヤメはそれを即効で払いのけ投げ捨てた。

「ごめん、ごめん。あっ、そういえば一つ聞いていいかな。これ、今日撮った牡丹の写真なんだけど、アヤメちゃんはどの色のが好き?」

「ムムーッ」

 千咲にデジカメをかざされ尋ねられるとアヤメは、これはイエスノーで答える質問ではないのだが、これも先ほどと同じような頷き方だった。やはり……。

 千咲が帰ったあと、とりあえずアヤメに現代の日本語を覚えさせようと思い国語辞典を手渡し、そしてテレビ番組も見せてみた。


「ヌウーッン!」

 胡坐を掻いて大喜びで笑いながら画面を眺めるアヤメ。俺はてっきり怖がって逃げ出すと思ったのだが。そういやさっき千咲のデジカメ見ても驚いた様子は見せ無かったからな。

 縄文人がテレビ(しかも8K対応最新式ハイビジョンプラズマ)を視聴する。俺達現代人が例えばタイムマシンに乗る以上になんとも奇妙な光景ではあるが、きっとこれで現代日本語も習得してくれることであろう。          


***

 

 五月三日。五郎次爺ちゃん昨日のショックからまだ立ち直れず今朝は特製ドリンク作り中止。アヤメに悪影響与えるかもしれないからそれでよし。

 大型連休二日目の今日は俺と千咲、そしてアヤメの三人でお隣加古郡播磨町にある《大中遺跡》へ。その場所へはチャリで行けないこともないのだが、アヤメを荷台に乗せて四十分以上こぎ続けるのはさすがの千咲もキツイと考え、最寄りのJR土山駅まで二駅電車に乗ることにした。土山駅からはさらに〈であいのみち〉と呼ばれる別府鉄道の廃線跡でもある遊歩道を十五分ほど歩いて俺達三人は訪れた。

 ちなみに途中駅の魚住は、近年高校野球の強豪校となり甲子園出場やプロ野球選手も輩出し,東京パラリンピック車いすテニス銀メダリスト、上地結衣の母校でもある明石商業高校や、高校生クイズ全国大会出場経験もある明石高専の最寄り駅である。少し遠いが、女優の平愛梨の母校、江井ヶ島中学やアナウンサーの赤江珠緒の母校、魚住中学もJRでは魚住駅が最寄りである。

 山電沿線になるが、魚住に隣接する二見地域は、暴言発言で話題になった泉房穂市長や、気象予報士の蓬莱大介さんが生まれ育った地域である。人工島にある兵庫県立農林水産技術総合センター・水産技術センターには令和四年十一月十三日に天皇皇后両陛下も訪問されている。

 アヤメは電車という、縄文時代という遥か昔のことから考慮すれば、つい最近出来たばかりの乗り物に対しても、ごく普通に乗り込んでいた。しかも切符もちゃんと自動改札機に通して。テレビで覚えたのか? そういや今朝、鉄道旅番組見てたし。

 ここは史跡公園『播磨大中古代の村』として公開されており、園内には古代の人々が暮らしていた竪穴式住居もいくつか復元されている。

 俺達三人はさっそく《兵庫県立考古博物館》へ。ここはナウマンゾウのジオラマや、古代の人々が使っていた土器や槍などが多数展示されている。体験学習室もあるのだ。縄文時代の暮らし振りを俺と千咲も深く学んでみようと思ったわけだ。

「火おこしって思ったよりすげえむずいな。本当に火が出るのか?」

「ワタシニ、オマカセクダサイ、カジスケサン」

 アヤメが挑戦すると、あっという間に火をおこしてしまった。

「すごいわアヤメちゃん。さっすが。私でも出来なかったのに。現代日本語も上手になったね」

「ハイ、チサキチャン、トテモカンタンデシタヨ」

 アヤメはたった一晩で驚くほど現代語をマスターしていた。縄文人パワー恐るべし。


 ちなみに五郎次爺ちゃん、俺達が帰る頃にはすっかりカムバックしていた。

                   

                  ***


 五月四日。今朝は珍しくまともなドリンク(それでもコーラにマヨネーズをミックスさせたやつだが)だったので俺は飲み干してやった。まずっ!

 ご満悦な五郎次爺ちゃん家に残し、俺と千咲はアヤメを姫路市にある的形潮干狩り場に連れて来た。縄文時代には貝塚っていうのもあるし、アサリとかハマグリとかとって遊ぼうという千咲の提案だ。もちろんアヤメは喜んでくれたし、俺も久々にやってかなり楽しめた。

 今日までにアヤメは電子レンジとHD・ブルーレイレコーダーの録画予約の仕方をマスターしてしまっていた。もはや五郎次爺ちゃん以上に急速に現代人へとより一層近づき、縄文人らしさというのがほとんど感じられなくなっていた。この様子だとますます現代生活に馴染んでしまい、もし帰れたとしても縄文時代の生活に戻りにくくなってしまうのではと、少し心配である。


五月五日。こどもの日の今日は、千咲の出場する女相撲大会が開催される。この大会は、出場者(力士)はもちろん行司、呼出、審判に至るまで全て女の子。観客だけは男が多数を占めるという異様な光景が広がるちょっとユニークな相撲大会だ。県内各地から多数の参加者が集ってくるらしい。

「千咲ちゃん、ボク、今回も全身全霊スピリッツパワー全開で応援するからねーっ」

 五郎次爺ちゃんは両手に扇子を持ち、さらにはなんとも恥さらしなド派手な応援衣装を身に纏ってやって来た。ちなみに今朝は捨ててやったがこのために機嫌は上々のまま。

 アヤメは当然だが、俺も見に来たのは今回が初めて。今までずっと千咲から「負けるとこ見られるのは恥ずかしいからダメッ!」って言われ続けていたからな。五郎次爺ちゃんは聞く耳持たず。今年は高校生になって気分一新したのか、ぜひ見に来て欲しいとのことだった。

 この女相撲大会は、毎年開催日が五月五日と決まっている。女の子の日は普通の日なのに、男の子の日が祝祭日になっているなんて男女差別だ、と主張していた女性有志陣が集い、その日に反逆して女の子だけの祭典が開かれることになったという。会場周辺には力士幟ならぬ端午の節句の象徴、鯉幟が多数掲げられていた。しかも真鯉と小鯉だけ、緋鯉も飾ってやれ。

「ワタシモデタイ!」

 強い出場意欲を見せたアヤメ。

「もちろんOKよ。この大会は飛び入り参加も大歓迎なの。選手登録してくるね。四股名は、えーと、アヤメを漢字にした時のもう一方の読み方、しょうぶを使って……琴菖蒲、ことしょうぶね」

「カッコイイシコナデスネ。ワタシハトテモキニイリマシタ。チサキチャン、アリガトウ」

「喜んでもらえて嬉しいな」

 これにより今大会の出場女力士総数は六十四名となった。八名毎A~H計八ブロックに分かれ、それぞれの頂点に勝ち残った者同士で再びその八人によるトーナメント戦(A対B、C対D、E対F、G対H)が行われる。出場者数が奇数の場合は籤引きで勝ち抜けというラッキーなことも起こり、少しは運にも左右されるようである。西方か東方かも、前大会優勝者が東方になれる特権がある以外は全て抽選で決められる。

 アヤメはCブロック、二人の出場までしばし観戦しながら待つ。



【それではこれよりCブロック一回戦の取組を行います】

「さ、アヤメちゃん、ついに出番よ」

 千咲はアヤメの肩をポンポンッと叩いた。

「リョウカイデス。ゼンリョクデタタカイマス!」

 アヤメはすっくと立ち上がりこぶしを握りしめ、威風堂々土俵へと向かって行った。

【ひがあああああああしいいいいいいい、いなみいいいいいいいりゅううううううう、いなみいいいいいいいりゅううううううう。にいいいいいいいしいいいいいいい、ことしょうううううううぶううううううう、ことしょうううううううぶううううううう】

 呼出から四股名を呼び上げられると、アヤメは土俵の上に上がり四股を踏んだ。所作を待ち時間中に千咲から教わっていたのだ。

【東方、稲美竜、加古郡稲美町出身、二十一歳、彼女にマワシを捕まえられてしまったらもう一巻の終わり、無類の強さを発揮します。もがけばもがくほど術中にハマる。それはまるで底なし沼に落っこちたよう。西方、琴菖蒲、縄文時代出身、推定十歳。このとってもかわいらしい女の子は今大会が初出場です。みなさん応援してあげてね】

 続いてアナウンサーから四股名、出身地、年齢、そして簡単なコメントが告げられる。アヤメの出身地には突っ込みどころ満載だが、そこはスルーしていた。

「ことしょうぶううう 好きじゃ好きじゃ、大好きじゃあああああああ、アイラブユウウウウウウウーッ!」

 最前列砂被り席にいる五郎次爺ちゃんあんな大声で、恥ずかしいから止めろ。ていうか近くの他の男性観客らも釣られて叫び回りやがるし、俺達三人以外の現代人にはまだまだ慣れてないアヤメちゃん、ますます緊張しちゃうじゃないか。

 俺と千咲は真ん中くらいの席で静かに見物。

 数回仕切りを繰り返し、いよいよ制限時間いっぱいとなった。相手力士、稲美竜はコメントを聞く限りかなり手強そうだ。

「千咲ちゃん、アヤメちゃん大丈夫かな?」

 俺は少し心配している。

「アヤメちゃんの目には炎がメラメラ灯ってるわ。あの様子ならきっと勝てるよ」

【待ったなし、手を下ろして下さいね。はっけよい、のこった!】

 行司から軍配返されたその刹那、

「トリャアアアアアアア!」

 アヤメは相手にマワシを取らせる隙を与えず突っ張りを目にも止まらぬ速さで断続的に繰り出した。稲美竜勢いに負けてあっさり尻餅をつく。

 これにて勝負あり、心配は杞憂。相手は何も出来ずアヤメの圧勝であった。

【ことしょうううぶううううう】

 アヤメはきちんと右手で手刀を切って行司から勝ち名乗りを受け、五郎次爺ちゃんに目もくれず俺と千咲の座っている場所へと戻って来た。

【ただいまの決まり手は突き倒し、突き倒して琴菖蒲の勝ち】

 アナウンサーから決まり手が発表された。

「アヤメちゃん、とっても強いね。俺なんかと大違いだ」

「ワタシ、イママデノトリクミミテ、ミヨウミマネデツッパリヲダシタラカッテシマイマシタ」

「アヤメちゃん絶対相撲の才能あるわね。その調子で次も頑張れ!」

 千咲はFブロック。つまりアヤメとは決勝まで勝ち進まない限り対戦が組まれない。

 アヤメはなんとその後も勝ち続け、Cブロックの頂点に立つことが出来た。準々決勝進出が決まったのだ。これはひょっとしたら――。


【続きましてFブロックの取組を行います】

 いよいよ千咲の出番もやって来た。

【東方、千咲風、明石市出身、十五歳。去年は大会始まって以来の最年少優勝なるかと思われたのですが惜しくも準優勝、しかし中学生ながらたいへん健闘していました。高校生になっての初出場。今大会優勝候補の一人です。西方、家島錦、姫路市出身、三十四歳。普段は海女さんをやっています】

仕切りの際『ちさきかぜえええええ!』と、会場中から大きな声援が巻き起こる。千咲は大人気力士なのだ。

【時間です。待ったなし、手を下ろしてはっけよい、のこった!】

 相手力士・家島錦は千咲より二十センチ近くは背が高かったが全く諸共せず。家島錦が張り手を繰り出して来た腕をサッと掴んで両手に抱え、引っ張り込み捻り倒した。

【ただいまの決まり手はとったり、とったりで千咲風の勝ち】

 初戦は余裕で勝ち、その後もアヤメと同じく続々勝ち進め千咲も準々決勝戦進出。

《準々決勝》 アヤメ、豪快な波離間投げで勝利。千咲も合掌捻りというこれまた豪快な決まり手であっさり勝った。両者《準決勝》へと進む。

【東方、琴菖蒲、縄文時代出身、推定十歳。西方、出石富士、豊岡市出身、五十五歳、この春、東大大学院博士課程を出たけれど、実家に戻って仕事もせず深夜アニメばかり見ている今はいわゆるインテリニート状態にある一人息子を養うために、お蕎麦屋さんで頑張るたくましいかーちゃんです。もうお年ですが今回も賞金狙って出場を決めたそうですよ】

 体格差かなりでかい。背丈だけでなく横幅も。千咲・家島錦戦以上だ。まともにぶつかって勝つには無理があるだろう。アヤメはどう攻めるか。

【時間です。待ったなし。手を下ろして。はっけよい、のこった!】

 アヤメが立ち合い一瞬、わずか一秒半。

【ただいまの決まり手は蹴手繰り、蹴手繰りで琴菖蒲の勝ち】

 そう来たか、あっさり勝利。決勝戦進出。これであとは千咲が勝てば。

 出石富士もいろいろと大変なんだろうな。観客らが憐憫の目で見ていたよ。俺も共感している。最高学府出ていても人生いろいろなんだな。俺はあんな風には絶対ならねえぞ。

「ああん、ダメだ私、次絶対勝てないよ」

「千咲ちゃん珍しいね。そんなに自信無くしちゃうなんて」

「だって次の相手、去年決勝で撞木反りかけられて負けた相手だもの。怖いのよ」

「ワタシ、オウエンスルヨ。ガンバレ! チサキチャン」

「アヤメちゃん、ありがとう。きっと無理だろうけど私、精一杯頑張ってくるよ」

 千咲はぎこちない足どりで土俵へと向かう。

【東方、月見山賊、神戸市須磨区出身、三十九歳。優勝回数十六回を誇る超実力派。昨年の優勝者です。今回八連覇なるか。西方、千咲風、明石市出身、十五歳。昨年決勝の雪辱なるか】

 千咲の話によれば、月見山賊は元女子プロレスラーとのこと。それでこんなに優勝していたのか。これは千咲が自信無くす気も分かる。

 六度目の仕切りで、制限時間いっぱいとなった。

【待ったなし、手を下ろして。はっけよい、のこった!】

 次の瞬間、

【まだまだまだ!】

 行司から注意された。立ち合い不成立、千咲の手がちゃんと仕切り線についていなかった。相当緊張してるなこれは。リラックスして頑張れ千咲ちゃん。

【待ったなし、手をちゃんと下ろして。はっけよい、のこった!】

 二度目の立ち合い、今度は上手く立った。だが千咲、月見山賊に一瞬のうちにマワシを掴まれ、一気に押し込まれる。そしてついに俵の上に足がかかってしまった。もうあとがない。千咲非常に苦しい表情。

 容赦なく体を預けてくる月見山賊、だがその時、

「とりゃあああああああああああああああああああああああああーっ!」

 と、千咲が大きな叫び声をあげた。そして、


【ただいまの決まり手はうっちゃり、うっちゃりで千咲風の勝ち。去年の屈辱を晴らしましたーっ。やったね!】

 千咲は土俵際ギリギリの所、捨て身の投げ技を打ち、奇跡的に勝つことが出来た。そして本当に決勝戦で千咲とアヤメとの一騎打ちとなったのだ。

 嬉しそうに観客席へと戻って来る千咲。

「すごいよ千咲ちゃん。あんな怪物みたいなのに勝てるなんて」

「オメデトウ、チサキチャン。コレデワタシトタイセンデキルヨ」

「こっ、これはかつて双葉山が得意とした技じゃよ。今度ボクにもこの技かけてね」

「そこまで私を追い詰められたらね。アヤメちゃん、私、例え年下でも手加減しないよ。本気でいくからね。前大会は準優勝で悔しい思いしてたからね」

「ワタシモ、ホンキダシマスヨ!」

 闘争心むき出しの両者。これは楽しみな取組になりそうだ。

《決勝戦つまりは優勝決定戦》。法螺貝の合図で取組が始まる。

【東方、千咲風、明石市出身、十五歳。西方、琴菖蒲、縄文時代出身、推定十歳】

 仕切りの際は激しい睨み合いが続いていた。女同士の争いってすげえ怖えな。

 制限時間いっぱい、最後の塩。千咲は山のようにがっちり掴み、高々と舞い上げた。アヤメもそれに負けるものかと豪快に撒き散らす。だがその勢いは千咲の方が勝っていた。

【待ったなし、手を下ろして。はっけよい、のこった!】

 軍配返され、すぐに両者激しい張り手の打ち合いが始まった。パチンパチンと激しい音が聞こえてくる。凄まじい突きの攻防が繰り広げられているのだ。

 やがて、がっぷり四つに組み合う体勢に変わった。乾坤一擲互いに力比べ。

「とりゃあっ!」

 千咲が投げを打った。だが決まらず再びもとの状態へ。

「ヤアッ!」

 そして今度はアヤメが投げる。こちらも決まらず。

 今度は千咲、寄りに出た。土俵際俵の上まで追い詰められたアヤメ、だがそこから負けるものかと寄り返す。再び両者、土俵中央へ。意地と意地のぶつかり合い。大相撲だ。

『うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!』

 場内も激しい歓声が響く。

「琴菖蒲か千咲風か、うーむ、どちらも頑張れファイト、ファイト!」

 五郎次爺ちゃん選べず。俺も、どちらにも勝って欲しいと思っている。

 その時だった。アヤメがもう一度打った投げに千咲の足が泳いでしまった。つまり千咲がアヤメに対し背中を向けてしまった状態だ。そしてアヤメはすかさずそのチャンスを逃すまいと後ろからがっちり千咲の両マワシを捕まえた。千咲、こうなったらもうどうすることも出来ず、一応は“後ろもたれ”という決まり手技もあるのだが。

 そしてアヤメは、自分より大きい千咲の体をふわり軽々と持ち上げたのだ。これはもう勝負あったな。

「エイヤッ!」

 案の定そのまま杵を振り下ろすかのように豪快に叩き落とした。千咲その場に座りこむ。

【ただいまの決まり手は送り吊り落とし、送り吊り落として琴菖蒲の勝ち。今大会の優勝者が決まりましたーっ!】

 会場中から割れんばかりの大きな拍手喝采。千咲は俺によくかける技で敗れてしまったのだ。悔しそうな表情。立ち上がり一礼して土俵から下りた。

【ことしょうううぶううううう】

 今大会最後の勝ち名乗りを行司から受け、満面の笑みで花道を引き下がるアヤメ。その際「ことしょうぶううううう、好きだあああああ、うおおおおおおお!」「元祖萌えキャラ」「石槍で突かれたい」「縄文時代に帰らないでくれーっ、現代の方がずっと楽しいよ」などという男性応援陣からのありがた迷惑な声援が送られた。つーか縄文時代に帰ってもらわないと困るのだが。

「今年も準優勝かあ。でもアヤメちゃんもとい琴菖蒲、優勝おめでとう! あんなに強いとは思わなかった。また対戦しようね!」

「チサキチャン、トテモツヨカタ。ワタシモアブナカタヨ」

 千咲とアヤメはお互い友情の握手を交わした。

 沈みゆく夕日が二人を美しく照らす。

「ボク、とってもナイスな試合を見せてもらったよ。ボク、もういつ死んでもいいわい。アヤメちゃんは女相撲界の新しい風じゃ」

「すごいよアヤメちゃん、俺より小さい体で大きな相手力士をあっさり倒してくなんて、さすが現代っ子とは体のつくりが違うね」

「ホメテクレテアリガト、カジスケチャン、ゴロジジイチャン」

 アヤメは屈託のない笑顔を浮かべていた。

 

 全ての取組終了後、土俵上に演台が設けられた。

【表彰式に先立ちまして、『鯉のぼりの歌』合唱。皆様ご起立願います】

 国歌じゃなくこれかよ。和楽器の伴奏が流れ、

『甍の波と雲の波~♪』

 会場の皆、一斉に歌い出す。

 これは『やねよりたかい~』の歌い出しで始まるよく知られている方のやつじゃなくて、大正二年に弘田龍太郎によって作曲された尋常小学唱歌の一つだ。

【ご唱和ありがとうございます。ご着席下さい。これより、賜杯拝戴。優勝、琴菖蒲、成績は六戦全勝。右は第六十三回播磨女相撲大会において成績優秀により賜盃にその名を刻し、永く名誉を表彰します。初出場にして初優勝。おめでとうございます!】

 アヤメは頭に五月人形の兜を授けられ、表彰状、トロフィー、柏餅、ちまき、金一封などなど多数の豪華景品、そして祝福のキスを受け取った。

「アリガトウ。ワタシ、イマ、トテモウレシイ。サイコウノオモイデガデキマシタ」

 アヤメは優勝インタビューされた際、ちょっぴり嬉し涙を見せていた。

 準優勝の千咲にも、表彰状と金一封が授与された。

 これにて今年の播磨女相撲大会は華やかに幕を閉じる。

 はてさて、優勝はおめでたいことなのだが今後アヤメをどうするか。もはや家族の一員のようになっていたがそろそろ元いた時代に帰してやらなければと思う。でも一体どうすりゃいい。特殊相対性理論的観点から考えても不可能じゃないかと思う。かといって……。


千咲と別れ、俺と五郎次爺ちゃんはアヤメを連れて家の前に帰りつくと、部屋の明かりがついていた。既に母さんと親父が帰っているようだ。

「五郎次爺ちゃん、アヤメちゃんのこと、どう説明すればいいと思う?」

 ライトアップされた庭の盆栽に夢中になっているアヤメをよそにコソコソ話。縄文人が現代にタイムスリップして来たなんて言っても絶対信じてもらえないだろな。

「黙って二階へ監禁しておくとかどうじゃ。ギャルゲーでよくある手法じゃろ?」

 つーかそれ犯罪だろ、あ、いや俺達が今までやってたこともアヤメがもし現代人であれば未成年者略取及び誘拐罪に当たるわけだが。

確か小学校上がる前だったか、俺が河原で捨て犬拾って来た時も五郎次爺ちゃんに協力してもらってしばらくの間ナイショで飼ってたな。見つかった時は母さんに竹刀でバッチンバッチン百発くらいケツ叩かれたよ。それがトラウマとなって、あれ以来隠し事は絶対しないよう心がけている。だからアヤメのこともきちんと話さなきゃ。

 恐る恐る横開き玄関扉を開ける俺、五郎次爺ちゃんはいつも通りのなり。

「ただいまーっ」

「寿美ちゃん、ボク今帰ったっさ。アイムホーム!」

「おかえり梶之助ちゃん、お父様。お荷物お持ちするね」

 母さんは台所から出て玄関の方へ向かって来るようだ。いきなりバレるぞこれ。

「かっ、母さん、あのさ、驚かないで聞いてくれ。実はさ、じょ……」

 俺が勇気を出して説明しようとした次の瞬間だった。

「オウ! アナタハ、コトミオバサマジャアリマセンカ!」

 アヤメは大きな声でそう叫んだのだ。

「あらあ、アヤメさんじゃない。もう着いてたのね」

「ハイ、ミッカマエニハスデニツイテイマシタ」

 えっ!? 一体どういうことだ? アヤメ、母さんの姿見た途端唐突に。

「あ、あのさ、アヤメちゃんって、母さんの知り合いだったの?」

 俺は一応尋ねてみた。

「そうよ。今はハワイに住んでいるわたしの学生時代の友人、威海たけみの子で日系人。梶之助より三つ年下よ。日本語もペラペラなの」

 母さんはしれっと言い張った。

「嘘……じょっ、縄文人じゃなかったの?」

 つーか今はそうだが、最初会った時日本語話せてなかったぞ。

「なあんじゃ、ボクも過去の世界からのタイムトラベラーさんかと思っていたのに」

「あらま、梶之助とお父様ったら。そんなことがあるわけないじゃない、現代科学技術的に」

「でっ、でも石槍持ってて、毛皮を着てて……」

「そうじゃ、そうじゃ、まさしく縄文ティスト満々載じゃったぞ。これを縄文人といわず何と呼ぶ?」

「ああ、あれね。アヤメさんが日本の歴史上の登場人物になりきりたいって言って、いつもこんな感じのコスプレ衣装身に着けているらしいの。特に旧石器から弥生時代にかけてのがお気に入りで、当時の人々のように自給自足の生活も普段からしているそうよ。梶之助ちゃんやお父様も平安時代の十二単とか、戦国時代の鎧兜とか着たくなることあるでしょう?」

「ほうか、そりゃ納得じゃな。ボクもしょっちゅう中世ヨーロッパ風にメイド服着るからのう」

 五郎次爺ちゃん即納得するな。俺はそんなの着たくなえねえし、それにまだなんか納得できねえ。

 親父も奥から出て来た。

「オウ! ゴンダザエモンサンジャアリマセンカ。コンバンハーッ」

「おう、こんばんはアヤメ君。長旅お疲れさん。日本は遠かっただろ?」

「ソレホドデモナカッタデスヨ」

「あ、そういや母さん、アヤメちゃんは一体どういう手段でここへやって来たの?」

 今までずっとタイムスリップだと思ってた。

「話はわたしと権太左衛門さんがワイキキビーチに降り立った時に遡るわ。この場所で初めて外国人力士が出たんだなって威海と一緒にお相撲の話をしていたら、アヤメさんが間に入ってその話に乗って来たの」

「そこで寿美がな、アヤメ君に日本の大相撲のことをいっぱい話してあげたんだよ」

「そしたらね、目をキラキラ輝かせながら日本へいち早く行ってみたいって言って、いきなり海に飛び込んであっという間に水平線上から姿を消しちゃったの。威海に聞いてみるとこういうことはよくあるってことだったの。イースター島とかオーストラリアへもよく遊びに行ってるみたいよ。これが若さね」

「そっ、それじゃ、もっ、もしかして……」

「ハイ。ワタシハ、ハワイカラ、ヒラオヨギデオヨイデ、ニホンヘトヤッテキタノデス」

「本当にアヤメさん、噂どおりドルフィンのように泳ぎ上手なのね」

「さすがは南の島育ちの子だな」

 なんという驚異的身体能力。数千キロ離れてるし、そんなことがありえるのか? 俺は冷静になって尋ねてみる。

「母さんと親父がホノルル空港に着いたのって、確か現時時間で一日朝十時頃だよね?」

「ええ、それで空港で手続きして、ワイキキビーチに辿り着いたのか現地時間五月一日の午前十一時過ぎよ」

「それで俺と千咲が海岸へ見に行ったのが日本時間五月二日午後三時半頃だったから、ハワイと日本の時差は十九時間で……たった九時間くらいで辿り着いたの!?」

「タシカニ、ソレクライデシタカネ」

 やっぱ、ありえねえだろそれ……飛行機並みとか。

「……あっ、そっ、そういえばさ、この子の名前、アヤメって千咲ちゃんが名付けたんだけど偶然それと一致してたんだね」

「あらあ、この子から聞かなかったの?」

「スミマセンワタシ、ニホンノカイガンヘタドリツイタラ、イキナリワタシノメノマエニ、カミナリガオチテキテ、ショクデシバラクキオクヲウシナッテイタヨウデシタ。デモ、カジスケサンノワタシテクレタ、ジショ、テレビ、ソノタイロイロナ、シゲキテキケイケンヲサセテモラッタオカゲデ、ジョジョニキオクガヨミガエテキタノデス」

 アヤメはにこっと微笑んだ。

「まあ、とっても災難な目に遭ったのね。でもなんとか記憶が蘇ってよかったわね。今は初めて会った時のアヤメさんのキャラとなんら変わりないわ」

 ……なんつーかさ、こんな人体科学の常識覆すようなことが出来てしまうのであれば本当に縄文人がタイムスリップして現代にやって来ても全く不思議な事ではないと思えてくるよ。もう、いいや。これ以上アヤメのこと深く詮索することはやめて、ちょっとスポーツ万能な子として接しよう。そうだ、今日のあの出来事伝えなきゃ。

「母さん、親父。アヤメちゃんね、今日あった播磨女相撲大会で、決勝戦で千咲ちゃんに勝って優勝したんだよ。琴菖蒲って四股名、千咲ちゃんに付けてもらって。正式年齢分からなかったから最年少記録更新にはならなかったけど」

「あらまあ! すごいわアヤメさん。いよっ、播磨一! 格好いい四股名も付けてもらってよかったわね」

「ハイ。ワタシ、ホントウニ、リキシニナレタキブンデスヨ」

 アヤメは本当に嬉しそうだ。

「梶之助ちゃんとお父様には今までずっと黙ってたんだけど、アヤメさんは前々から鬼丸家で預かることに決めていたのよ。お相撲さんの後継者にね。今回海外旅行に行った一番の目的はこの子を連れて帰るためだったの」

「そういうわけでアヤメ君も来たことだし、明日からこの家の道場を久し振りに鬼丸部屋として復活させる。実を言うとな、オレもおまえを立派な相撲取りにしてやりたいと心の中ではずっと思っていたんだ。オレの体格から判断して、おまえも絶対無理だなって諦めていたんだよ。でもなんかオレの中にある蟠りがいつまで経っても抜けなくてな。血は繋がってなくてもいいから鬼丸家出身の新しい力士をどうしても誕生させたかったんだ」

「ちょうどいいことに威海に数年前から相談されてたのよ。アヤメさんが小学校卒業したら日本に留学させて相撲のことを本格的に学ばせてあげてって。学年終わるのは八月だけど、大相撲の世界では中卒で入門する子達って、卒業式前の三月でも初土俵踏んでるでしょう? それと同じように早めがいいかなって思って」

「アヤメ君も小柄だが遺伝的に関係ないし、それにまだ成長期前だからきっとこれからどんどん背が伸びるぞ。相撲大会でも優勝したみたいだし、将来は絶対横綱になれる器だな」

 母さんと親父、交互の会話が続く。

……にしても母さん、隠し事はいけないことだっていつも口酸っぱく言ってるのに密かにそんな計画立ててたのか。まあでもなんかもうどうでもいいや。ただ、一つだけ突っ込みどころが。

「でも親父、母さん。アヤメちゃん女の子だよ」

「あら、気付けなかった? この子は“男の子”なのよ。アヤメさん、梶之助ちゃんとお父様に証拠見せてあげてね」

「ワカシマシタ、コトミオバサマ。チョッピリハズカシイケレド、キョウノスモウデドキョウガツキマシタ。カジノスケサン、ゴロジジイサンニナラ、オトコドウジナノデオミセスルコトガデキマス……」

 するとアヤメはピンクのスカートと、クマさん柄女の子用パンツをゆっくり脱ぎおろし、俺と五郎次爺ちゃんの真正面に仁王立ちとなったのだ。

「えっ、えええええええ!」

「ほふぇ……」

 俺は、まだとてもちっちゃいが、確かに男の象徴であるアレを目撃してしまったのだ。もちろん目を疑った。五郎次爺ちゃんもびっくり仰天入れ歯飛び出す、声出なくなる。

 ……そういや、アヤメの素っ裸って全く見てなかったな。ずっと女の子だと思ってたし。

「モウヨロシイデスカ? シマイマスネ」

 頬を緋鯉色に染めていたアヤメ。顔だけを見ると女の子だと疑う余地ない。どう見ても女の子にしか見えない。

「やっぱりおまえも父さんも顔を見ただけでは見抜けなかったか。俺も最初騙された。体つきも女の子っぽいからな。それだけアヤメ君の潜在能力が高いってことだ」

 親父はにこにこ笑いながら言い張った。

「トイウワケデ、コレカラモ、シバラクオセワニナリマーッス」

 アヤメは不○家のあの人形みたいに舌をペロリと出した。

「あっ、ど、どうも……改めてよろしくね、アヤメちゃん」

 俺は無意識に頭をぺこりと下げてアヤメに会釈していた。

「イエイエ、コチラコソ。ワタシハ、リッパナオスモウサンニナッテ、ホンデモッテ、ヨコヅナメザシテ、ゼンシンゼンレイデ、ショウジンシタイデス!」

 未来を見据えるアヤメの目は、珊瑚礁の広がるエメラルドグリーンの海のようにキラキラと光り輝いていた。

 こうしてアヤメは、晴れて俺んちの新たな家族として正式に迎え入れられることとなったのだ。

 

 夜遅く、俺は千咲にアヤメがじつは男の子だったことをスマホで伝えた。すると千咲はますますアヤメに興味を示してしまったみたいで、次の日の朝早くさっそく新生・鬼丸部屋へとやって来てアヤメと相撲の三番稽古を行った。二十番取って千咲の九勝十一敗とほぼ互角。

 ちなみに三番稽古とは、三番だけ取るという意味ではない。


               〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇●〇〇〇〇


 それから、さらに数週間が過ぎた。

 あの日以降、俺に代わりアヤメが千咲の新たな練習相手として標的にされることになった。おかげで俺は『送り吊り落とし』の刑に遭うことも無くなり、平凡平和な高校生活を送れるようになったのである。第一志望の京大目指し日々学業に専念中。

 ちなみに千咲、本当の性別は知っても、アヤメのことを以前と同じく女の子として扱っているみたいだ。

 ついでに五郎次爺ちゃんはというと未だ、いやアヤメが来る前以上に俺に相撲界入りを熱心に勧めてくるようになっていた。相撲にはライバルが必要だということで、昭和初期の双葉山と玉錦のような関係をアヤメと共に目指し、新たな一つの時代を築いて欲しいとのことだ。俺には絶対無理だ(笑)。すまねえ五郎次爺ちゃん。

 アヤメに対しては男の子だと知ると、それ以降は五代横綱・小野川の下の名前『喜三郎』と呼ぶようになっていた。しかしアヤメはその呼び名を嫌がり五郎次爺ちゃんまた拗ねる。けれども特製ドリンクは、アヤメにすごく気に入ってもらえたとさ。めでたし、めでたし。

 

ちなみにアヤメは地元パン屋特注バンズに木いちご・野いちご・クルミ、三種類の木の実から作られた、甘酸っぱい特製ソースを塗した但馬牛の超粗挽きパテ、イチジク、クルミなんかを挟んだワイルドかつフルーティーな見た目の明石のご当地バーガー、『明石原人バーガー』もすごく気に入ったそうだ。  

                          (おしまい)


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ