第四八話 渡り歩く蝶
数カ月後。
「それじゃあ行ってきます。お父様」
メールはソニーユ、レドと共に馬車に乗り込もうとしていた。
レドはロットエルへ帰るため、メールとソニーユは旅に出るため。
もっと広い世界を知りたくなったのだ。
「行っておいで、メール」
踵を返したメールであったが、ふと、足を止めて父ハロルドを見やった。
メールとしての任務はとっくに終わった。そろそろ、正直に告白すべきなのではないか。
いつまでも、実の娘の死を知らないままなんて、可哀想過ぎる。
「あの、お父様、実は、私……」
「なに浮かない顔をしているんだ。世界を救った英雄なんだから、笑顔でいないと」
「……」
「行っておいで。メール」
言うべきではない、というソニーユの気持ちも理解できる。
実は既に娘は死んでいて、目の前にいるのはただの偽物。そんな事実を知ってしまったら、精神がおかしくなってしまうかもしれない。
「話なら、いつかちゃんと聞くから。ほら、ソニーユが待っているよ」
「……はい」
メールは一礼すると、馬車に乗り込んで出発した。
ハロルドは、メールたちが見えなくなるまで、じっと動かず見送った。
年甲斐もなく、涙が溢れてくる。
「メール、見ているか。あの子とソニーユは成し遂げたよ。お前ができなかったことを」
姉が正体を見破ったように、父もまた、とっくに娘が別人であるなど、わかっていた。
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三人がロットエルに到着すると、レドはさっそく馬車から降りた。
「じゃあ、俺はここで」
「大丈夫ですか? 左腕だけで……」
「もう慣れたよ。ソニーユ、ミリアイルを頼む」
「任せて」
立ち去っていくレドの背に、メールが叫んだ。
「お兄様!」
「……なんだ?」
「また、会いましょう」
レドは微笑みながら頷いて、城へと向かった。
スパイ活動をしていたことを、正直に自白するのだ。
それで処刑されようが、拷問されようが、構わない。
「メール、行きましょう」
「はい」
メールがソニーユを老婆のシスターたちに紹介するべく、教会へ向かった。
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カラガルム死後のロットエルは、劇的に変化した。
他国との和を尊重し、独占していた資源や奪った領土を返還。政治体制も一新され、リー・ライラム教が政への口出しすることはなくなった。
形骸化した聖騎士団は正式に解体され、軍の一部隊として活動することになった。
後天的な魔法使いを作るのに必要な聖水は、各国で使用が禁じられたし、今後、魔法使いの数は極端に減るだろう。
加えて、レドにとってはいまいち納得できなかったが、彼の裏切り行為は政府によって全面的に許される形となった。
悪魔カラガルム討伐に尽力したため、であるからだった。
皇帝セルデや姉のサラザールによる贔屓もあっただろう。
予定が狂ったレドは、リシアに会いに彼女の家へ訪れた。
聖騎士団無きいま、彼女はただの軍人家系の娘に落ち着いている。
レドはリシアに殺される覚悟があったが、当のリシアには、彼を殺すなど、できなかった。
甘さなのか、愛なのか、本人もわからない。
「これからどうするのよ」
「宣教師になろうと思う」
「リー・ライラム教、嫌いなんじゃないの?」
「いまは別に。ただ、教えたいんだ。ソート副団長が俺にそうしてくれたように。この世には、いつだって希望があるんだと」
正式に宣教師になれば、他国から他国へ渡り歩くことになる。
リシアとは、一緒にいられない。
互いに別れの言葉は口にしなかった。
泣き出すリシアをレドが抱きしめる。
リシアはレドと軽く唇を重ねると、大好きだった男と別れた。
「なんにも、なくなっちゃった……」
自虐的に笑うリシアの肩を、家に訪れていたフラーレンが叩く。
「ワタクシがいるじゃありませんの」
「フラン……」
「ちょうど、秘書を探していましたの。だから、これからはずっと側にいますわ」
「……ふふっ、嬉しくないっての」
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さらに数週間後。
メールとソニーユの旅はとにかく東へ進んでいた。
やがて、双子の盗賊の生まれ故郷である島国が見えてくる。
二人が教えてくれた住所で、メールはリミィとリミツーの兄に出会った。
「そうか。あの子たちは死んだのか」
「はい。平和のために」
「平和のために?」
兄は悲しそうにはせず、むしろ祝福するように優しく笑みを浮かべた。
「じゃあいまごろ、あの世で楽しくやってるだろうね。悪魔なり天使なりを脅して、なにか奪っていたりして」
メールは懐から木彫りのリー・ライラム像を取り出した。
リミツーに渡していたものだ。
こびりついた血は、彼女のものだろう。
メールは二人が書いた大好きな本を抱きしめて、そっと涙を流した。
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ロットエルが年に一度の感謝祭を迎える。
賑わう人々の中に、ノーキラの姿があった。
後輩の軍人を侍らせ、偉そうに街中を歩いている。
彼は聖騎士団解体後、ロットエル軍兵士として第二の人生を築いていた。
「いいか、元聖騎士団の俺が楽しい感謝祭の歩き方を紹介してやる!」
「たった一年しかいなかったくせに」
「なんだとー!」
馬鹿にされつつも、後輩の多くが彼を慕っていた。
数時間して、城の周りに大勢の民衆が集まった。
バルコニーに立つ少年皇帝セルデの後ろには、赤ん坊を抱きかかえたサラザールがいる。
最後の戦いで死んだ、ヅダとの間に授かった子供である。
さらに後ろには、来賓としてフラーレンが訪れていた。
現在では父から独立し、ホールースの政治家として日々尽力している。
フラーレンの隣には、彼女の秘書兼護衛となったリシアが、周囲を警戒しながら立っていた。
セルデが民衆に告げる。
「新たな時代の幕を開ける。ロットエル共和国の建国を、ここに宣言する!」
帝政は廃止される。
セルデの位も貴族へと落ちるだろう。
だが後悔などなかった。
誰か一人ではなく、いろんな人や、いろんな国と共に歩めるのなら。
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メールとソニーユは北へ向かい、別の大陸へと渡った。
訪れた街はロットエルとは何もかもが違くて、目の休まるところがない。
同じ街の片隅で、結構な人だかりができていた。
片腕しかない宣教師が、人々にリー・ライラム教の教えを説いているようである。
メールたちがこの日泊まった宿は、酷く老朽化していた。
寒く、ベッドも固くて地面で寝ている気分になる。
「旅に出てよかったです」
「こんな宿に泊まっても?」
「これも旅の醍醐味ですよ、お姉様。リミィさんとリミツーさんも、ここに来たことあるんでしょうか?」
「街の人に聞いちゃダメよ。そうとう恨み買ってるかもしれないし」
「ふふっ、そうですね」
メールはソニーユの手を握り、ゆっくりとまぶたを閉じた。
「明日も、いろんなところに行きましょうね。お姉様」
「えぇ、おやすみ。ミリアイル」
終わりです!!




