第三話 メールと姉と人殺し(その1)
メール(ミリアイル)が屋敷に来てから一日が経った。
今朝の朝食はライスと卵とサラダで、パンだけだったシスター時代とは比べ物にならない豪華さにメールは軽く涙腺が緩んだ。
強いて不満を上げるなら、毎朝の日課である礼拝が行えないこと。
神に感謝し、幸福を祈る時間がないのは寂しい。というか、物足りない。
サラダを咀嚼しながら、父のハロルドが話しかけてきた。
「どうだメール。もう疲れは取れたか?」
「は、はい。お父様」
いまのところ、メールの正体がバレる気配はない。
メールが視線を逸らすと、姉のソニーユが緩やかに、かつ物静かに食事をしていた。
そのまま食堂を見渡せば、二名のメイドが壁際で待機している。
彼女たちと、雑用係の男性一人の計三人が、この屋敷の使用人である。
地主の家にしては少ない方で、これはハロルドのケチな性格が原因である。
「メール、家庭教師の先生は来週から来てくださる。それまでゆっくりしていなさい」
「あ、ありがとうございます」
「ところでソニーユ、やけに静かじゃないか。せっかくこうしてメールと朝ごはんが食べられると言うのに」
淡々と、ソニーユが応えた。
「別に。食事中にペラペラ喋るのは好きじゃないから」
ソニーユの視線がメールと重なった。
彼女の鋭い眼差しがメールは苦手で、つい顔を背けてしまう。
ソニーユが続けた。
「一番の理由は、お父様が性懲りもなく『彼』を今日、屋敷に招くからですけど」
「仕方ないじゃないか。彼らはいずれロットエルから我らが国、ホールースを解放してくれるかもしれないのだから」
「ただの野蛮なテロリストが?」
瞬間、メールの目が見開いた。
二人が口にしている彼らとは、テロ組織ジューンで間違いない。
それが屋敷に来る。しかも、今日。
メールの心臓がドクンと高鳴った。
彼女の役目はジューンのリーダーを見つけ出すことである。
ならばもしかすれば今日、早々に会えるかもしれないのだ。
そうなったらこんなスパイ活動は直ぐに終わり、優しいシスターたちの下に帰ることができる。
メールは期待に胸を膨らませ、口を大きく開けてライスを頬張った。
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客人は資金援助の件で訪ねてくる。
本来ハロルドと二人で話し合いをするため、メールが介入する余地などない。
しかし幸運にも、客人は事故から生還したメールに会いたがっているそうで、結果的に応接室にてその人物と接触することに成功した。
客人は男だった。
ハロルドが彼と握手を交わす。
「お久しぶりです。ヅダさん」
「そちらも元気そうで」
ヅダの視線がメールを見下ろした。
「メール、崖から落ちたと聞いていたが、無事でなによりだ」
「ど、どうも」
メールはヅダの名前を耳にした瞬間、深く失望した。
キサラヴィンが捜しているジューンの頭の名は、ザルザなのだ。
どちらかが偽名で、ザルザ=ヅダなら話は別だが、判断できる材料はなにもない。
ヅダと目を合わせていると、彼は目を細めてメールの体を舐め回すように見始めた。
その気味悪さにメールは、猛獣に睨まれた草食動物のような気分になり、思い出す。
相手は残虐非道のテロリストなのだと。
メールはヅダにすっかり萎縮し、恐怖で手が震えだしたが、頑張って質問してみた。
「あの、本日、ザルザさんは……」
「あの方がこんなところに来るわけ無いだろ」
「そ、そうですよね。アハハ」
考えてみれば当たり前である。
ザルザは大国ロットエル帝国の諜報員ですら見つけられない人物。
そんな者がこうも迂闊に人前にでるわけがない。
がっくり落ち込むメールの手を、隣で座っていたソニーユが掴んだ。
「どうしたの?」
「へ!? い、いや別に」
ハロルドとヅダが本題について話し合っている間、メールは精一杯ザルザに会うための口実を考えた。
だがキサラヴィンの情報によれば、ザルザは仲間にも姿を見せない男。それを無理に会わせろと頼めば、スパイではないかと疑われてしまうかもしれない。
やっぱり私には無理だよ。と諦めると、ヅダがソニーユを見やった。
「そういうわけだから、次の作戦にはソニーユにも参加してもらいたいな。聖騎士団をも凌駕する槍の名手に」
ソニーユにそんな一面があるとは以外で、メールは情けなく「はぇ〜」と声を漏らしてしまった。
聖騎士団といえば魔法を使う戦士たち。そんな人たちより強いとは、ソニーユも魔法が使えるのだろうか。
ソニーユが冷たく返答した。
「いい加減、はっきりあなた達が嫌いだと告げないとダメみたいね」
「てっきり協力的になったからここにいるんだと」
「あなたがまたメールに変なこと吹き込まないか、見張っているだけよ」
「残念だ。こちらも人手不足だから、少しでも人員を確保したいというのに」
瞬間、メールは閃いた。
「な、なら私が!」
ジューンに入る。それがザルザに繋がる一番の近道な気がしたのだ。
「戦ったりできませんけど、料理とかできますし、力仕事も少しくらい……」
言い終わる直前で、ソニーユが立ち上がった。
「なに言ってるか理解しているの? こいつに洗脳されて、ジューンの活動に手を貸していたから、ロットエルに睨まれて殺されかけたんじゃないの?」
「そ、それは……」
本物のメールはロットエルに強い敵対心を抱いていたようである。
ちなみにソニーユの推理は外れていた。ロットエルはジューンの協力者をわざわざ事故に見せかけて殺すなどと、回りくどいやり方はしない。
メールは何と返せばいいのかわからず、黙り込んだ。
代わりに、ヅダが口を開く。
「いいだろう。ちょうど良い機会だ。そこで試そうじゃないか。この子が、本当にメールなのか」
「は?」
ヅダの一言に、メールだけでなくソニーユやハロルドも言葉を失った。
「当然だろう。崖から落ちたにも関わらず、傷一つなく生還するなど、信じられない。それに何だか、口調も別人のようにオドオドしている。ロットエルが送り込んだ諜報部員、という可能性がある」
「や、あの……」
「メールにそっくりな者か、もしくは似せたのか、はたまた、本人を洗脳したのか、それはわからんがな」
ソニーユとハロルドが疑いの眼差しを向けた。
言い訳を考えなくては、すぐに誤魔化さなくてはならない。
なのに、緊張と恐怖心で頭が真っ白になって、なにも思い浮かばない。
バレたらどうなる。決まっている、きっと殺される。
手だけなく、足まで震えだした。
嫌な汗が全身から吹き出して、うっすらと寒気もする。
涙まで出そうだ。
それでも、メールは必死に自分を奮い立たせた。
何か言わなくてはならない。もたもたしていたら死ぬ。偽物だと見破られたら死ぬ。
まだ死にたくない!
「わ、わ、わかりました。私としては、みなさんの力になれるなら、それでいいわけですから」
涙に滲んだ瞳で、ソニーユを見つめた。
「やらせてください、お姉様。疑われたままなんて、嫌です」
「メール……」
ソニーユは大仰にため息をつくと、ヅダに告げる。
「私も参加するわ、メールが心配だもの。疑いを晴らすためとか言って、この子に無茶をさせそうで」
ニヤリと、ヅダが笑った。
最終的にヅダの良いように事が運んでしまい、メールはソニーユに申し訳無さを覚えた。
彼女の家族愛を利用される原因を作った自分が、恥ずかしい。
きっと神はお許しにならないだろうと、メールは自身の地獄行きを察した。
「ごめんなさい、お姉様」
「えぇ……。あとメール、着替えてらっしゃい」
「へ?」
「漏らしてるわよ」
言われてはじめて、メールは下半身の生暖かさに気づいた。
「ぎゃああああ!!!! ごめんなさああああい!!!!」
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