第二八話 レドと敗走
足が鉄球に繋がれたような感覚が聖騎士団たちを苦しめていた。
歩くのがつらい。体が重い。
列を成して進む兵士たちの表情は、疲労によって色を失っていた。
「レド」
レドの後ろを歩いていた同期のノーキラが声をかけてきた。
「俺たち、これからどうなるんだろうな」
「大丈夫、まだロットエルが完全に負けたわけじゃない」
先の戦いで、聖騎士団含めたロットエルの軍人の多くが戦死した。
敵国の戦死者と比べれば、その数は桁違い。完全な大敗であった。
これほど辛酸を嘗めさせられたのはロットエル帝国の歴史でも初。
最強の軍隊と称される彼らが、懸命に戦ったはずなのに。
「レド、もしかしたらこのまま……」
「……大丈夫さ、きっと。戦争はまだ終わってないんだから」
楽観を口にしたが、レドの本心は真逆であった。
たぶん、ロットエルは負ける。ガルズはホールースにまで足を伸ばしてきた。
いずれ本国、首都を攻め込み、やがて完全にロットエルを乗っ取るであろう。
後ろ向きな予想は、半ば自暴自棄の現れ。
恋人を失った悲しみと罪悪感が、未だにレドの精神を蝕んでいた。
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ロットエル軍はホールース南西部より遥かに後退し、体勢の立て直しを余儀なくされていた。
晩、レドが野営地のテントで仲間と身を休めていると、ソート副団長が入ってきた。
突然の上官の出現に、寝転がっていたレドは慌てて立ち上がる。
「お前たち、ご苦労だったな」
「副団長も、ご無事で」
同じテントにいたノーキラが、珍しく声を荒げた。
「副団長! どうして直前であんな指示が出たんですか! 無駄に戦力を分散させるなんて、バカな俺でもおかしいってわかります! 予定通り聖騎士団も、軍も、一つの塊になって攻撃すれば……みんな……死なずに……」
グスグスと鼻をすするノーキラから、レドは目を背けた。
確かに、彼は正しい。
本当なら地形と敵戦力を考慮し、聖騎士団を最前線にした矢形の陣形で挑むはずだった。
全勢力で正面からぶつかり、相手を引きつけつつ最終的に包囲する。それで決着のはずだったのだ。
なのに、戦闘がはじまる数時間前に、突然の作戦変更が下知された。
リー・ライラム教会の口出しであった。
宗教が軍事に干渉するなど普通はありえない。
そんな常識を、よりにもよって強国との戦争で覆してきたのだ。
すべてはリー・ライラム教の聡明さを外国へ誇示するため。
その駄々が、ロットエルの同士たちを大勢殺したのだ。
軍部でも反発があったであろう。
残念ながら、皇帝を裏で操るカラガルム大司教には、誰も逆らえない。
断腸の思いで部下に指示をだしたのは、ロットエル軍も聖騎士団も、同じであった。
「ノーキラ、お前の気持ちは充分理解している」
「でも副団長! このままじゃ俺たち、いや俺たちの故郷も、みんな!」
そのとき、
「ふふっ」
無意識に、レドが笑みをこぼした。
ロットエルを恨む男が、ロットエルのために戦った末、ロットエルに殺される。
こんな滑稽な末路はない。
「なんだよレド! なにがおかしいんだよ!」
「悪い、ノーキラ。あまりにも馬鹿げた戦争でさ、つい」
ソートが二人の肩を叩いた。
「諦めるな。リー・ライラム様の加護がある限り、俺たちは負けない」
「神頼み……ですか。いるどうかも定かじゃないのに」
「いいかレド、勝機は必ずやってくる。ロットエル軍は最強の軍隊。そして俺たちは、神の剣なのだから」
「……はい」
覇気のない、事務的な返事であった。
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一夜明け、聖騎士団の野営地に、本国にいた団長エイヴンが参着した。
団長自ら戦地に出向くなど前代未聞で、ソート含め聖騎士団全員が固唾を呑んだ。
団員を一箇所に集め、エイヴンが告げる。
「大司教から直々のご命令だ。予報によると今晩、大規模な嵐に見舞われる。敵国ガルズの動きも止まるであろう。我ら聖騎士団はその隙にガルズ陣営に単独で肉迫し、将軍スムライを討て、とのことだ」
戸惑いと怒りが聖騎士団を包んだ。
嵐のなか、少人数で敵地を奇襲し、将軍を殺す。
成功するわけがない!!
ただの少国家相手ならまだしも、相手の武力はロットエルと同等。加えて、魔法使いの部隊まで有しているのだ。
先日の戦いで彼らと多少交戦したが、まるで鏡に写った自分たちと戦っているような感覚を聖騎士団に与えた。
よほど深く聖騎士団の戦い研究し、身につけたのだろう。
数は少ないながらも、決して惰弱な部隊ではない。
リシアが叫んだ。
「そんなの自殺行為ですよ!」
彼女に続き、次々と不満の声が挙がる。
みんなの視線が、声が、ソート副団長へ向けられる。
彼なら、ソート副団長なら、きっと命令を覆せると信じているのだ。
期待を一身に背負ったソートは、渋面でエイヴンに問いかけた。
「続きがあるんですよね?」
エイヴンは悔しそうに歯を食いしばってから、頷いた。
「これはジューン殲滅作戦で、甚大な被害をもたらした落とし前。反抗するなら、聖騎士団は解体される」
もしソートがジューンを滅するために軍を動かさなければ、ガルズをとっくに倒すことができたはずだ。
それがカラガルムの主張であった。
ソートは小さくため息をつくと、空を見上げた。
鈍色の雲が天を覆っていた。
「みんな、気にするな」
ゆらりと、ソートは団員たちの方を振り返った。
「カラガルムに聖騎士団の命運を握る口実を作ったのは、俺だ。……俺一人でやる。みんなは体を休めろ」
誰も、何も口にしなかった。
驚きと、不安と、ソートならやってしまうかもしれないという希望が、言語化不可能の感情となって言葉をせき止めていた。
もちろん、レドも同様であったが、
「副団長」
このまま空気に流されてはいけないと、正気に戻った。
ソートは強い。彼と共に戦った者なら誰でも知っている。しかし、それでも、客観的に考えて、不可能だ。
レドはソートの覚悟に心打たれ、決意した。
「俺もいきます」
あの殲滅作戦で苦い思いをしたのはソートだけではない。
何もできず、大切な人を失った。
その罪はソートより重い。
ならばせめて、一縷の望みをかけて地獄へ身を投げよう。
ララを死に追いやってしまったことへの罪滅ぼしになるのなら。
それは決意というより、ヤケクソに近しい判断であった。
「レド……お前……」
別の団員が前に出る。
「なら俺も!」
「ソート副団長を見殺しになんかできません!」
「こうなったら大司教に俺たちの力を見せつけてやろうぜ!」
「聖騎士団が一つになれば敵なしよ!」
結局、その場にいた団員たち全員が参加の意を表明した。
そこには同調圧力など一切ない。あるのはただ、ソートへの忠誠心と敬愛であった。
誰よりも強く、誰よりも厳しく、誰よりも最前線で、誰よりも武勲を立て続けた英雄を、見捨てるような真似はできない。
ロットエル聖騎士団、彼らの信仰心は、リー・ライラムではなく、一人の兵士に向けられているのだった。
ソートは部下の想いを噛み締め、瞳を潤わせた。
「ありがとう。だが、これは集団自殺ではない。我らが祖国を守る、聖戦だ」
レドの胸がグッと熱くなった。
みんな、守るために戦おうとしている。仲間を、国を。
なのに自分は、ただ贖罪を受けたいだけ。
一つに纏まった団員たちのなかで、レドだけは疎外感を覚えた。
ララの死という呪いは、戦地の高揚を持ってしてもレドから離れはしなかったのだ。
せめて足を引っ張らないようにみんなを支えよう。
聖騎士団に入団したばかりは豪胆で自信に満ちていたレドであったが、いまはもう見る影もない。
卑屈と陰気に取り憑かれたレドを、リシアが遠くから見つめていた。
裏切り者かもしれない男の背は小さく、押せば倒れてしまいそうなほどか弱かった。




