第二七話 メールとザルザの正体(その2)
メールとソニーユはホールースの北東部、『悪魔の手』と呼ばれる連峰へ案内された。
ヅダを先頭に険しい山道を登って数十分、山中に小さな小屋が見えてくる。
侘しいながらもきちんと手入れが施された山小屋であった。
おそらくあそこにザルザがいる。メールの心臓が緊張で高鳴る。
ずっと捜していた人物。いかな時にも顔を見せず、干渉すらしてこなかった。いまさらジューンを裏切るつもりはないが、もしザルザが自分勝手で仲間を駒としかみていない人間なら、容赦なくキサラヴィンに報告してしまうかもしれない。
扉の前で、ヅダがメールに忠告した。
「いいか、ザルザ様が仰るから仕方なく連れてきたんだ。お前を認めたわけじゃない」
「わかっています」
「あと、この先で見たこと聞いたことは、絶対に他言無用だ。もちろん親にも。万が一外部に漏れたなら、俺はお前をスパイだと断定し即刻殺す。わかったな? ソニーユもだ」
姉妹が頷くと、ヅダは小屋の中へ二人を招いた。
掃除が行き届いた部屋の窓際に、美しい女性が立っていた。
長く綺麗な髪、スラッとした体つき、厳かで近寄りがたい顔。
「あ、あなたが?」
他に誰もいない。まさか、ザルザが女性だったとは。
驚きと同時、メールは彼女の顔に既視感を覚えていた。
どこかで見たことがある。会ったことがあるような気がする。
その答えを告げるように、ソニーユが声を漏らした。
「まさか……サラザール」
「お姉様、知っているんですか?」
「いや、そんなわけがない。ありえない!」
ソニーユは明らかに動揺し、後退りして腰まで抜かした。
まるで亡霊でも目にしたかのように。
女性はこちらに近づくと、自ら名乗った。
「待っていたわ、メール・リユ。私はザルザ。あなたの姉上が察している通り、本名はサラザール・ロットエル。現ロットエル皇帝セルデの、姉です」
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信仰している唯一神が女神なのも相まって、ロットエルにおける女性の地位は周辺国より高い。
血を引いていれば女性でも皇帝になれる国家だった。
七年前、前皇帝が病で亡くなり、時期後継者はサラザールになるだろうと誰もが予想していた。
美しく、勇敢で、国民からの支持も高い彼女なら、きっと素晴らしい皇帝になると期待されていたのだ。
だが戴冠式の前日、サラザールを乗せた馬車は崖から転落し、彼女は亡くなった。
公の記録にはそう記されている。
「本物、なんですか?」
「証拠を見せよう」
ザルザは首からかけたネックレスを外してみせた。
鎖の先に繋がれているのは、金で作られた指輪。宝石が埋め込まれ、内側には文字が刻まれている。
皇族だけが所持を許される指輪であった。
メールが彼女に感じた既視感は、幼い頃に街で顔を拝見したことがあるからだったのだ。
「ほ、ホントに皇族だ……」
ソニーユがヅダを見やった。
「なるほど、どうしてこれまで隠れていたのか、ようやくわかったわ。ロットエルに対抗する組織のリーダーがロットエル皇族、なんて洒落にならないものね。過激なホールース人からしたら、家族喧嘩に巻き込まれたと憤慨するから」
「その通りだ」
「なら目的は? 生きていたならなぜ国に戻らずレジスタンスを率いているの?」
「戻れば殺される。ライラム教の大司教、カラガルムにな」
「は?」
「あの日、俺はサラザール様と同じ馬車に乗っていた。親衛隊だったからな」
さらりと、ヅダもロットエル人だと暴露されたが、メールとソニーユは受け流した。
「あれは事故じゃない。意図的に仕組まれたんだ。あの男に!」
サラザールもロットエル信者であったが、政治の影響力が強まりすぎた教会には眉唾だった。
教えを広めるのが役割の司教らが、教会の腐敗すら解決していないのになぜ政に介入するのか。
疑問を感じていたサラザールは、皇帝となった暁にはロットエル教を大々的に改革すると決めていた。
それがカラガルムには気に食わなかったのだろう。彼はサラザールを事故死に見せかけ殺し、まだ幼いセルデを少年皇帝に祭り上げ、裏で糸を引くことで絶対権力を手にしたのだ。
ただ誤算だったのは、サラザールが生きていたこと。
彼女の生存はヅダしか知らない。このときまでは。
「私の目的はただ一つ、カラガルムからロットエルを取り戻すこと。あなたは、ここに閉じ籠もっていた私の代わりに、傷ついた組織の再建に尽力してくれた。その礼を告げるために、呼んだのです」
この事実、キサラヴィンに報告したらどうなるのだろう。
考えを巡らせていると、ザルザが両手でメールの手を握り、頭を下げた。
「これまで、ありがとう」
皇族より頭が高いなど許されない!
メールは咄嗟にもっと低く頭を下げた。
「こ、こここここちらこそ! 皇女殿下にお仕えしていたなんて、恐悦至極でございます!!」
「申し訳ないわ。人に顔を見られたくないばっかりに、あなたの愛国心に頼ってしまって」
「い、いえいえ! 平和のためですから!!」
「……強いのね、あなたは。私は自分の事ばかりで、こんな窮状に立たされても小屋から出るのを恐れてしまった」
リーダーでありながら何もしてあげていないことが、彼女自身に自責の念を植え付けていたのだろう。
メールとソニーユに正体を明かしたのは、ザルザなりのケジメなのかもしれない。
ザルザはソニーユの手も握り、感謝の意を述べた。
対してソニーユは、皇族相手にも臆せず述懐した。
「サラザール皇女殿下」
「ザルザでいいわ。いまの私は、ジューンのザルザだもの」
「ではザルザ様、あなたのご厚意、大変痛み入ります。そして壮健であったこと、ホールース人としても嬉しく思います。しかし、お会いできたのなら正直に言います」
「どうぞ」
「ジューンよってロットエル人が大勢亡くなっている。理解してないわけではありませんよね?」
「えぇ。返す言葉もない。言い訳もしないわ」
ヅダが口を挟む。
「必要な戦いだったのだ。世間じゃ無差別テロリストだと噂されているが、あれは悪徳司祭を殺すべくやったこと。……それでも、あのカラガルムを追放しなければもっと!」
「本気で、ロットエルを取り戻せるとでも?」
これまでの活動は、子供のイタズラに過ぎない。そう意味していると、メールも察した。
ザルザが悔しそうに目を伏せる。
「えぇ。それは重々承知している。そして私たちは、運にも恵まれていない」
ヅダが代わりに続けた。
「現在、ロットエル軍がガルズと交戦中なのは知っているな?」
「えぇ。ジューンは介入する予定だったし」
「聖騎士団に送り込んだスパイからの情報で、ロットエルは珍しく苦戦を強いられているらしい。国に残っている残存戦力も導入するほどに。……つまり」
「首都の警備が薄い」
「その通り。国を、いやせめてセルデ様を奪還するにはもってこいの好機なんだ。セルデ様さえカラガルムから引き離せたら、事態は進展する。だが……」
肝心の戦力が欠けている。
あの強襲のせいで。
多くのジューンが死んだ。それだけでなく、生き残った兵士たちの中には尻込みして戦意を失った者もいた。
「次の機会はない。ガルズほどの大国との戦争は、最低でも五〇年は起きないだろう。ロットエルにとっても今後の大陸の覇権を巡る天下分け目の戦いだ。出し惜しみなどしない」
このチャンスを活かす手段はないものか。全員が黙り込んで策を練る。
しばらくして、メールが手を上げた。
「力になってくれるかも知れない人たちがいます」
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メールはザルザと別れると、ソニーユ、ヅダと共に採石場へ向かった。
とっくに使われなくなり、ロットエルに故郷を追われた半裸族の住処となっている場所である。
到着し、土が掘られた大穴を目にすると、メールはソニーユに正体がバレた夜を思い出した。
バレていた、が正かったわけだが。
やがて半裸族が住処の洞窟からぞろぞろと現れた。
顔見知りであるメールとソニーユを視認すると、一族を仕切る老婆のもとへと通した。
「久しぶりじゃないか」
挨拶を交わし、ヅダを紹介する。
そして自分たちの現状を伝え、単刀直入に言い放った。
「私たちに、力を貸してください!」
命を正義に捧げてくれ。なんて勝手すぎる我がままだ。
メールだって理解している。罵られる可能性だって考慮している。
それでも、同じ気持ちを有している同士がいてくれたなら……。
「本当は、こっそりロットエルに忍び込んでこっそり皇帝陛下を連れ出せたらよかったんですけど、現実はそう甘くない」
目指すべき理想は、現実の前には塵のように容易く吹き飛ぶ。
だが、そんなことで諦めたくはない。いまのメールには、たとえ辛い道であろうが、進む覚悟がある。
「きっと、命のやり取りになってしまいます。……お願いします」
深々とメールは頭を下げた。
老婆が返答する前に、男たちが叫ぶ。
「ロットエル人を殺す!」
「今度はロットエルから奪うんだ!」
「やろう、やろう兄弟たち!」
老婆は訝しげに額をかいた。
「狩りをする男どもがいなくなるのは……」
「お金ならあります。表に出られないのなら、代わりに食料や生活必需品を購入し届けさせます」
「なるほど……なら当然武器もあるんだろうね」
老婆が不敵な笑みを浮かべた。
こうして、ジューンによる首都攻撃戦が急遽決定された。




