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第二五話 メールとピンク色のお嬢様(その2)

「一ついいかしら」


「なんでしょう。ソニーユさん」


「どうしてロットエルに告げ口しないの? 私たちのこと」


「我が家にも情はありますから。それにこの国を想っての行動なのでしょう? なら、仕方ありませんわ」


 続けざまにメールが口を開く。


「同じくホールースを想っているジューンのこと、認めているんですか?」


 勝手に暴走するテロ組織だ。疎ましがっていてもおかしくはない。

 ロットエルの機嫌を損ねないよう尽力しているなら、邪険に扱うのが普通である。


「ふふ、立場上認めるわけにはいきませんわね」


「立場上?」


「えぇそのとおり。本心では……陰ながら応援していますわ。ホールース独立を唱うジューンは、小さな希望の火ですもの」


 フラーレンの瞳に闇が宿った。


「ロットエルは陽気で、暮らす人たちも優しい。ですが裏に潜む悪魔たちは、決して心許してはいけない。ホールースの金と、土地と、人を奪い、報告もせずに大事な山を削って道を整備し、多くの権利を剥奪し、まさに家を土足で踏みにじるが如き屈辱」


「なら、ジューンと一緒に……」


「そう簡単な話じゃありませんのよ。国がレジスタンスに加担したら、それこそ戦争になる。ジューンが牙なら、わたくしたちは盾となり、国を守らなくてはならない。愛する祖国のためなら、たとえこの身が引き裂かれようが焼かれようが、笑顔でこうべを垂れなくてはなりませんの。来年に控えた結婚も、その一環」


「結婚なさるんですか!?」


「はい。お会いしたこともないロットエル人と」


 フラーレンは他愛もないことだと主張するように、無理に笑ってみせた。


 保守的な人間が耳にしたら、惰弱だと叱責しただろう。

 けれどメールは、フラーレンの覚悟と決意を只々敬い、憧憬の念を抱いた。

 フラーレンの愛国心は決して低俗でも惰弱でもない。誰よりも国と国民を想っているから、甘んじてプライドを捨てているのだ。


 そしてジューンこそ、彼女に残された最後の希望なのだ。


「ジューンは吹けば消えるほど儚い焔。しかし絶やさぬよう近づけば火傷を負うほどの熱量を帯びた火。扱うのは困難で、ただ見守るしかできない歯がゆさはありますわ」


 自分がフラーレンだったらきっと、後先考えずジューンに接触し、ホールースを窮地に陥れていただろう。


 彼女と己を比べてしまい、メールは完全に自信を失ってしまった。

 フラーレンと違って、自分はバカで、大事な友達一人救えない。

 自尊心を捨てられるほどの勇気もなければ、覚悟を滾らせる精神力も皆無だ。


「メール、大丈夫?」


 ソニーユがメールの手を握った。

 メール自身も知らぬ間に、体が震え、目には涙が溢れていた。


「だいじょうぶ、です」


 泣いてはいけない。止まらなくなる。

 歯を食いしばって涙を拭い、気を逸らすべくド派手な部屋を見渡してみる。

 ふと、化粧台の上に小さな銅像があるのに気づいた。

 美しい女神の像。見間違うはずがない、リー・ライラム様だ。

 当然ながらピンクで塗装されていて、聖職者であるメールとしては度し難かったが、グッと文句を飲み込んだ。


「ライラム教徒なんですか?」


「いいえ。あれは贈り物ですわ。可愛いですわよね」


「可愛い、ですか……」


 ピンクならなんでも可愛い認定するのではないだろうか。


「メールさんは神を信じていますの?」


 一瞬、間が空いた。


「いえ、いまは信じていません。本当にいらっしゃるなら、世界はもっと……」


「そう。わたくしは信じていますわ。ライラム教ではなくても」


「ど、どうしてですか?」


「だって、世界を救い楽園へと導く尊いお方なら、いたほうがいいじゃありませんの。存在してほしい。だから信じていますわ。……クク、親友の受け売りですけどね」


 世の荒波に揉まれているはずなのに、彼女の言葉は真っ白で、夢見る子供のように純粋であった。

 どうやったらこんな台詞が言えるのか、メールにはとても真似できそうになかった。


「フラーレンさんは、強いです。挫けたり、諦めたことはないんですか?」


「強いものですか。いつだって泣きたい気分ですわよ」


「え、だけど……」


「でも、やるしかないから仕方ないのですわ。まあ本当に辛くなったら、気晴らしに親友と遊びますわね」


 フラーレンだけが特別なのではない、人は誰しも挫折し、心が死ぬときがある。

 けれど時間は止まらない。心臓は鼓動し続ける。


「人生は上手くいなかいことばかりですわ。頭のいい学者だって、優秀な兵士だって、預言者だってそう。……ですがもし失敗したら、誰かを守れなかったら、次また頑張ればいいのですわ。難しいなら、違う道を精一杯走るのでもいい。肝心なのは、決して人生に失望しないこと、ですわ」


 ライラム教の神書にも似たような意味を持つ一節がある。

 若木はいくら暴風に見舞われても、自ら枯れようとはしない。力強く反発し、やがて青々とした葉をつかせ小さな命の傘となるだろう。


 逆境に打ちのめされていては、メールの体は枯れていく。

 ならば肉体が壊死する前に顔を上げ、目を見開き道を切り開くしかないのだ。


「また……頑張る……」


「少なくともわたくしはそうやって乗り越えましたわ。月並みな動機付け、ですが一番効果的。……あとはメールさん、あなた次第ですわ」


 ララを助けられなかった。

 友達が目の前で死んでいくのを見た。

 

 どうすればララを救えただろう。

 決まっている。もっと早く駆けつけていればよかったのだ。


 もしまた同じ状況になったなら、次こそは間に合わせてみせよう。

 ララならきっと、そう励ましてくれるはずだから。


「ララちゃん……」


 休憩なら充分にした。足が動かないのなら、誰かに手を引いてもらえばいい。

 メールには、どんなときでも側にいてくれる姉がいるではないか。

 

「フラーレンさん、ありがとうございます」


「なにがですの?」


「フラーレンさんを見ていたら、私も頑張ろうって気持ちになれました。辛いことばっかりですけど、上手く行かないことばっかりですけど、ほんの少しでも、世界を変えられるように」


 メールは勢いよく紅茶を飲み干すと、「ふん!」と大きく息を吐いて気合を入れた。

 心はまだ歩み続けられる。ララの分まで、信念を貫いてやる。


 大仰に元気を取り戻したメールがおかしくて、フラーレンはクスクスと笑い出した。


「あの子もこれくらい素直ならいいのに」


「あの子とは?」


「こっちの話です。……わたくしも楽しい時間を過ごせましたわ。メールさんの愛らしさとやる気に免じて、お父様を説得しましょう」


「え!? お、お金を……」


「秘密裏に渡すやり口ならいくらでもありますのよ。まあ、それでもロットエルにバレてしまう可能性はゼロではないのですけれど」


「いいんですか!? でもなんで?」


「メールさん、ここへ来るまでに大変な目に遭われたのでしょう。あの涙で伝わってきましたわ。しかしあなたは弱さを隠し、悲しみに打ち勝とうとした。その姿に感動しましたのよ」


 憧れの人の称賛が、メールの胸を高鳴らせた。


「もちろんお渡しするからには条件があります」


「な、なんですか?」


「ホールースに、自由をください」


 瞬間、メールは察した。

 これは好意ではない。フラーレンの賭けだ。

 ロットエルからの独立、その唯一の道標を先導する者たちへの支援。


 ならば絶対に約束を果たさなくてはならない。


 メールは大きく深呼吸をして、拳を握った。


「はい!」


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 帰り道、馬車の荷台でソニーユは、こっそり呟いた。


「フラーレン、最初から試すつもりだったのね」


「なにをですか?」


「片棒を担ぐに値する人材か否か。どうやらメールは、お眼鏡に適ったみたいだけど」


「私、なにもしてませんよ?」


「どんな人間かなんて、少し会話すればわかるもんよ。特にメールは、人一倍単純で素直なんだから」


 褒められたような気がして、メールの頬が緩んだ。

 もしかしたらフラーレンは、内心援助をする気でいたのかもしれない。


「それにしてもフラーレンさんすごいです。本当にお父上をご説得なされるなんて」


「まあなんか親バカっぽいし。でもしっかりしてるよ、あの子は」


 受け取った資金は、ホールース各地に散らばったジューンのメンバーの医療費や食費、物資の再調達に使う。

 金は手に入った。次なる問題は、人である。


「お姉様、私諦めません。理想通りにならなくても、せめて理想に近づけるように」


「うん」


「まだ私の我がままに付き合ってもらえませんか? お姉様がいてくれると、嬉しいです」


「なに言ってるのよ。当たり前でしょ? 私も個人的に、じっとしているのは我慢ならなくなってきたし」


「ありがとうございます!」


 ソニーユの手がメールに握られた。

 小さな手から伝わる熱は、本当の妹より冷たい。

 隣にいる少女は『メール』ではないのだと、嫌でも認識させられる。

 それでもソニーユは確かに、もう一人の妹との絆に心地よさを覚えていた。

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