第十五話 レドとロットエルの悪霊(その2)
突然現れたあの男が何者なのかを考察している余裕はない。
閉鎖された空間、行き交う疑惑と恐怖。
自身のスパイ行為が引き起こした窮状ならば、くぐり抜けるにはレド自身の覚悟は必要になるだろう。
「レド、ソート副団長は知ってるのかな、このこと」
「可能性は低いだろうなリシア。副団長は、自分の部下に裏切り者がいるとしたら自分の手でケジメをつけるタイプだ。団長だって似たような性質だろ」
クルノがレドに刃を向けた。
「お前ら、さっきからコソコソなに話しているんだ! 人に言えない話なのか!」
まず片付けなくてはならないのは、仲間たちの疑心暗鬼。
みんなが一つに纏まらなければ、次には進めない。
「俺は大きな声で話さないことは、軍学校時代から知ってるだろ?」
レドは警戒するクルノにゆっくりと近づき、フレンドリーに肩を叩いた。
「いいかクルノ、それにみんなも。俺たちは誇り高き聖騎士団じゃないか。裏切り者も見つけるなら、もっと冷静に、かっこよく見つけようじゃないか」
言いながら、レドはクルノに記憶操作の魔法を使用した。
記憶、つまり脳を操る力を応用すれば、精神状態を操作するもの容易い。
負の感情の原因となる記憶。その記憶の核以外を削ぎ落とせば、新しい記憶でもまるで遠い過去のように思わせることができる。
クルノは脳と心の距離が離れ、次第に落ち着きを取り戻していった。
「あ、あぁ、悪かった、レド」
「いいんだよ。みんなも、一旦剣を収めよう」
大丈夫、これならば説得でクルノを落ち着かせたように見えているはずである。
魔法を使用したとはわからないだろう。
諜報活動をする上で、この魔法を所持していることは絶対に隠し通さなくてはならない。使いたい相手に警戒されては困る。
ギャラリーにいる男がクルノに舌打ちをした。
「なにをやっている。裏切り者を早く暴かなければお前らを……」
瞬間、レドが男に火球を放った。
火球は男の顔を掠め、背後の壁に穴を開ける。
「なんのつもりだ!」
「あなたの指示に従っただけです。疑わしい者を殺せ。だから私は、人を弄ぶ悪魔を攻撃したまで」
「聖騎士団と言えど上官に牙をむくなど許されん! 即死刑だ!」
床の魔法陣が光り出す。レドを魔法で絞殺する気なのだ。
「死んで詫びろ!」
「聖騎士団は軍の管轄ですが、我らの上官は団長と、ソート副団長だけだ」
告げたと同時、
「よく言った、レド」
突如ギャラリーに現れたソートが、男の手首を切り落とした。
死の魔法が男の肉体を蝕み、肺を腐らせ、血が灼熱のような高温で全身を巡りだす。
舌を噛み切る判断すらできぬまま、男は呼吸困難で亡くなった。
ソートがレドたちを見下ろす。
「すまなかったな。勝手にこんな真似をされるとは。しかし、誰一人死なずによかった」
ソートの登場に団員たちは腰が抜けるほど安堵した。
魔法陣も使用者の死によって効果を失い、レドたちの首が自由になる。
「副団長、そいつはいったい何者なんですか」
「……悪霊だ」
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ロットエル帝国の首都中央にはアトライク城という巨大な城が聳え立っている。
あらゆる政がこの城で取り決められ、あらゆる争いの根幹を生む。
ロットエルの心臓と称すべき城の主はもちろん、齢一二歳の少年皇帝セルデである。
その城の廊下を、一人の男が歩いていた。
大司教カラガルム。リー・ライラム教及び帝国の実質的なトップに君臨する、城の本当の主人である。
カラガルムの反対からソートが歩いてきた。
すれ違う寸前、二人は立ち止まる。
「私が国外追放にまで追い込んだ男が、よりにもよって聖騎士団の本部に現れました」
「さあ、なんの話やら」
「あなたですら擁護しきれなかった拷問好きのサディスト。罪もない部下を拷問の末殺した悪魔を差し向けるとは、よほど腐っているらしい」
「おいおい、なんのことかな?」
カラガルムは笑みを浮かべ、まったく心の内を見せなかった。
それが余計にソートの神経を逆撫でる。
「そんなに聖騎士団が嫌いですか。二五〇年前、最初の肉体で生きていたあなたも聖騎士団だったのに」
大司教から笑みが消える。
誰にも告げず、もはや記録すら残っていないはずの過去だったからだ。
「諜報部にでも移ったらどうかな、ソート副団長。ちょこまか調べるのが好きなら、早くスパイを見つけ出してほしいものだね」
「もちろん。裏切り者は、私が殺します」
遠ざかるソートの足音に、カラガルムは振り返らずに告げた。
「一つ訂正しよう。私が嫌いなのは聖騎士団じゃない。『君』の聖騎士団だよ」
カラガルムは苛立ちのため息を漏らしたあと、カラガルムだけが入れる地下の牢へ向かった。
性奴隷であるデハンスの元王女を叩き起こすためである。
先日のデハンスとの戦争は、国としては領土の拡大が目的であったが、カラガルムとしては彼女を手に入れることが目的であった。
地下牢に入るなり、カラガルムはすぐ異変に気づいた。
女がいないのだ。
逃げられるわけがない。隠れる場所もない。
誰かが助け出そうにも、彼女の存在を知り、尚且カラガルムを敵に回すことを躊躇わない人物などいないはずである。
「まさか」
ソート以外は。
「あいつ……」
カラガルムは憤怒に支配されるまま、牢の壁に火球を発射した。
聖騎士団時代からもう何回も肉体を変えてきた彼だが、魔法の才能は魂と共に受け継がれている。
「よくも、私のおもちゃを……」
聖騎士団としては有能だからと、散々ソートを見過ごしていたカラガルムであったが、このときばかりは、溢れ出る殺意を抑え込むのは不可解だった。




