第一〇話 レドとリー・ライラム教(その1)
この日のリシアは気合バリバリであった。
年に一度の感謝祭。街が賑わう特別な日を、レドと過ごせるからである。
若い男と女が二人だけでイベントに参加する。どう見ても、第三者の目から見ても、いや神が見てもこれはデートである。
おろしたてのワンピースは結構高かった。靴はブランド物だし、母親の香水も借りてきている。
お気に入りの長い金髪は今日も綺麗で、肌の調子も良い。
なにより、顔が可愛い!
イケる、間違いなく一〇〇%確実に、どんな男でも落とせる!
「おまたせ」
聖騎士団の女子寮の前に、レドがやってきた。
「お、おはよう、レド。いい天気ね」
「うん。リシアの私服を見るの久しぶりだな」
「そうね」
これは感想を述べる流れ。似合っているとか、可愛いとか、とにかく美辞麗句が飛んでくることを期待したリシアだったが、
「行こっか」
「え?」
「行かないの?」
「……」
言わないってことは、似合ってない……ってコト!?
なんかもう、すでに泣きそうなリシアだった。
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感謝祭とは、自分の口を通してリー・ライラムに多くの食べ物を捧げる儀式がはじまりである。
この日だけはとにかく『食す』ことが最重要とされていて、立ち並ぶ屋台も、飲食店も、教会も、信者には『ほぼ無料』で食事を提供する決まりになっている。
その費用はすべて国が負担してくれるので、赤字で閉店にはならない。
ほぼ無料というのは、店側に注文する際に些細な対価を払うからだ。
古代、神の代弁者が書いたリー・ライラム教の聖典、『神書』に記された、神が人間に食の喜びを授けるくだりの一節を唱えなければならないのである。
とはいえ信者ならまず覚えているし、子供でもすぐ暗記できるほど簡単な文なので、ほぼ無料なわけである。
「賑わってるな」
街は食べ歩いている若者や、座り込んで酒とつまみで談笑している中年たちで溢れ、人々の楽しげな笑い声が花火のように鳴り響いている。
ロットエル嫌いのレドも、このイベントだけは気に入っていた。
貴族だろうが貧民だろうが、聖職者だろうが浮浪者だろうが、神書の一節さえ覚えていれば平等に食べることができるからだ。
どうせなら信者以外の他国の者も無料で提供されたらいいが、さすがにそれは強欲である。
ちなみに、食事を提供する者や聖職者は赤いローブを着た白髪の老婆の格好をしているのだが、これは神話における美食の天使を模したものだ。
「リシア、なに食べる?」
問いながら、レドはひしめき合う人々の顔を隈なく見やった。
幼い頃生き別れた妹が、まだロットエルにいるかもしれないからだ。
レドは聖騎士団に入団したのは、妹を見つけるためでもある。
いまのところ、手がかり一つ掴めないが。
「そうね〜。迷っちゃうな〜」
「やっぱりいないか……」
「え?」
「なんでもない。さ、どうする?」
祭りは一日中開催されるが、人間の腹は有限。調子に乗って初っ端から暴食し、動けなくなっちゃいましたではせっかくの祭りが台無しである。
「ヘルシーなものがいいかな。神様だって、カロリー気にしてるかもしれないし」
「神に気を使ってどうするんだよ。いるわけないのに」
「レドって変なやつよね。信仰篤いのに神を信じないなんて、矛盾してる。礼拝の時間は何に祈っているの?」
「もちろん神だよ。いたらいいなって希望を胸に祈っている。いやしないけど」
「いるわよ。神様はちゃんといる」
「根拠は? 世界は平和じゃないのに?」
「だって、いたほうがいいじゃない」
リシアの言葉は真っ白で、純粋で、眩しかった。
きっと彼女は、世界が滅びたって明日に希望を夢見るのだろう。
その前向きさは意志の強さか、地獄を知らないからかは、レドにはわからなかった。
「じゃあ、なんで神は親を……」
救ってくれなかったんだよ。そう言いかけたが、やめた。
友達にする話ではない。
熱心なリー・ライラム教信者が、悪魔どもの保身によって処刑されたなど。
「親?」
「なんでもない」
「……リー・ライラム教が完璧じゃないのはわかってるわよ。だけど、それと神の存在は別。多くの悩める人を救い、死に希望を与えてくださるお方が、人々には必要なのよ」
救済する者として、神という概念が便利なのはレドも理解している。
曖昧で、多様な解釈を許す神は、各個人の都合のいいように扱われるから。
それに、神は世界を平和にしないとレドは告げたが、誤りがある。
古代において神は、確かに世界に平和をもたらしていた。
もともとロットエル帝国は、建国以前は様々な人種がせめぎ合う紛争地域の小さな村であった。
多くの民族が持つ強い『我』、その混沌を一つの思想でまとめ上げたのが、『神』なる概念だったのだ。
この世のあり方、死の恐怖。そこに答えと救いを与える神によって文明は統一され、互いに手を取り合い、そして、大国ロットエル帝国へと発展したのである。
「私は、神様だけは絶対に否定したくないな。教えを押し付けるつもりはないけいどね」
とそのとき、
「は〜、忙しい! あ!」
大樽を抱えた女性が、レドにぶつかった。
「ごめんなさい、大丈夫?」
「あ、はい。そっちこそ……あ、ミクさん」
「あら〜、レドくん! え!? デート!?」
「いや、付き合ってはいないので」
そこは否定するなと口内で呟くリシアだった。
「レド、この人は?」
「あぁ、ミクさんはよく男子寮に食材を運んできてくれるんだ。配送業を営んでるんだよ」
「だけどこんな日でしょ? 馬車は使えないから走って各地に届けてるわけ」
ミクが樽を置くと、ドンっと鈍い音がした。
かなりの重量があるようだ。
「なにが入ってるんですか?」
「芋よ。もう重くて重くて」
「力仕事なら男に任せたらいいのに……」
「いいのいいの。これも神様のためなんだから」
瞬間、レドは彼女が寮で他の聖騎士団員に語っていた話を思い出した。
ミクはホールース人で、数年前に夫と息子を亡くしていた。
そのすっぽり空いた心を埋めたのが、リー・ライラム教だった。
家族は教徒じゃなくても、彼女が深く信仰すれば、神が作る楽園にて再会できると、神父に慰められたのだ。
死後の世界の有無は別として、彼女はリー・ライラム教のおかげで前向きに生きられるようになったわけである。
それは、リー・ライラム教に親を殺されたレドにとって、素直に受け入れがたい話であった。
ちなみに僕は仏教徒です。




