第九話 メールとソニーユ(その2)
「一目見たときから気づいていたわ。お姉さんだもん」
「気づいていたって……」
「あの子は、本当はもう死んでいるんでしょ?」
気づいたならなぜ指摘しない? なぜ黙っていたのか。
怒るはずだ、恨むはずだ。亡くなった妹に成りすまし我が物顔でメールを名乗る少女を、生かしておくわけがない。
なのに、なぜソニーユは……。
「どう、して……」
「最初は言おうと思ったわ。でも、勇気がでなかった」
ソニーユの手がメールの頬に触れる。
寂寥に満ちた眼差しが、偽物の妹を見つめた。
「二度も別れたくなかったのよ。それほどまでに、あなたはメールに似ている。この頬も、髪も、匂いすら」
「だから」
「そう、だから偽物とわかっていてもあなたを許していた」
メールの胸中を罪悪感が染め上げた。
ソニーユの弱い心に付け入って、利用して、迷惑までかけていたのだ。
こんな低俗な人間を、神が導くわけがない。
ただひたすらに申し訳なくて、後ろめたくて、メールは溢れる悔恨を眼から垂れ流し、膝をついた。
「ごめんなさい。ごめんなさい!! どうか、どうか私を殺してください、たくさん苦しめて、辱めて殺してください! ごめんなさい!」
「殺さないわよ。あなただって、好きで騙していたわけじゃないんでしょ? 見てればわかるわよ。あなたは平然と人を騙せる人間じゃない。何か事情があるんだわ」
「ですが私がしたことは罪です!」
ソニーユは悲しそうに目を細めると、メールを抱き寄せた。
「やめてよ。そんなのあなたの自己満足じゃない。こうしていると、本当にメールを抱きしめているような気分になる。お父様だって、あなたのおかげで娘の死という絶望から救われた。私たちの幻の幸福を、まだ奪わないで」
「ソニーユさん……」
「私も結構、狂ってるわね。……ふふっ、でもよかった。あなたが本当のメールよりポンコツで」
「え」
突然ディスられてしまった。
「だって中身まであの子そのものだったら、きっと信じてしまうもの。神を」
ソニーユはおかしそうに笑い、メールの頭を撫でた。
まるですべての罪を拭い去ってくれるような居心地の良さが、メールに新たな迷いをもたらす。
本当に甘えてしまってよいのだろうか。
素直にソニーユの許しを受け入れていいのだろうか。
「私はね、後悔しているの。あの子がジューンに協力すると告げたとき、反発ばかりした。……あの子も意地っ張りだから、自分を曲げなかったわ。むしろ『姉様はただ、生ぬるい現状維持を続けたいだけです』って、怒鳴られた。……それから何度も喧嘩して、口も効かなくなって、そしてあの子は、亡くなった」
月光がソニーユの頬を照らす。
瞳から伝う水の線が煌めいた。
「今度は側にいたいの。今度こそメールを支えて、応援していたい。ジューンにいたっていい。私が必ず守るから。どんなことがあっても味方でい続けるから。……まだ消えないで」
だから、ソニーユはジューンに加入したのだ。
強引にジューンから遠ざけようとしたら、またいなくなってしまいそうで、怖かったから。
「ソニーユさん……」
メールは羨ましかった。ソニーユの愛情を一身に受けている少女が。
ソニーユの献身的な想いは、厚情は、本物のメールに向けられたもの。
偽物にでは決してない。
故郷を離れ独りとなったメールには寂しくて、切なくてしょうがなかったが、グッと胸に押し殺すしかなかった。
許してくれたのにさらに愛を求めるなんて、図々しいにも程がある。
「だから、あなたは生きていいのよ。いや、むしろ、いなくならないで。もしあなたが罰を願うなら、それが贖罪」
拒否権などない。これは償いなのだから。
「……本当に、ごめんなさい」
それから少し、二人は互いの体温を感じあった。
亡くなった妹の代わりと、幻影に囚われた姉の温かさが、互いに伝わり混ざり合う。
ソニーユが問う。
「一応教えて、あなたの目的。ザルザを見つけること?」
「はい。……でも」
「でも?」
「このままただ命令に従っているだけじゃ、いけないんじゃないかって」
迷いの末に見えた道。
進路というにはあまりにも霧がかかっていて、どこへ繋がっているのかもわからない。
それでも、祖国に不信感を抱いてしまったメールにとっては、朧気ながら光が指しているように思えた。
「言葉にしづらいんですけど、こう、なんていうか、ジューンやホールースの人たちも、ロットエルのせいで辛い思いをした人たちも、ロットエル自身も、みんなが平和になれる方法がないかって」
「壮大ね。……うん、わかった。協力する。もしあなたの夢が叶ったら、教えてちょうだい」
「何をですか?」
「本当の名前。そのとき私も、覚悟を決める。あの子と別れる覚悟を」
つまりそれまでは、絶対的に偽物以上にはなれない。
別にいい。構わない。
そもそも、当初の任務であるザルザ捜しだってすぐに止められない。シスターたちを助けるには、それなりに成果を挙げなくてはならないのだ。
結局、口にしただけで何も変化しない。だが、ほんの小さな一歩は踏み込めた気がした。
ふと、メールはソニーユの腹部にある小さな切り傷に気づいた。
半裸族との戦いのときに刃が掠めてしまったのだろうか。
すでに血が止まっているほど些細な怪我だったが、メールはそっと手を触れた。
背に緑色の淡い蝶の羽が出現する。
光が二人を包み、ソニーユは神秘的な羽の美しさに見惚れながら、メールの優しい魔法に身を委ねる。
ふいに、妹と過ごした日々が脳裏をよぎった。
可愛い妹だった。強い子であった。
次第に脳と体が分離して、ソニーユの血潮が熱を帯びる。
傷が完治した瞬間、ソニーユは最低だと理解していながらも、どうしようもない衝動を抑えきれずに、メールと唇を重ねた。
「愛しているわ、メール」
姉妹同士ならごく当たり前の愛情表現。だが現在ソニーユが抱きしめている少女は、妹を演じてくれている赤の他人。
それなのに少女は、精一杯本物になろうと、満面の笑みを浮かべた。
「私もです、お姉様」
応援よろしくおねがいしますーーっ!!




