『ウン』がつきましたね!
「糞」という言葉が苦手な方はブラウザバックお願いします。
「パンパカパーン。おめでとうございます! 運が付きましたね」
その得体の知れないものすごくレトロな表彰音が足下から響いたのが始まりだった。
いやいやいや、あり得ない。だってさ、朝から鳥の糞をかけられることになるなんて。たとえばさ、これが水を引っかけられて、「あ、ごめんなさい」って謝ってくるって言う場面。あれならいいよ。だけどさ、鳥の糞が面接に向かう最中の新品同然のスーツにだぞ。あちゃあ、と空を見上げれば、何食わぬ顔の電線の白鳩のケツだ。くそぉ。お前はすっきりしたんだろうけど、俺は今からの人生糞まみれって感じじゃないか。
とはいっても、あの鳩に何を言ったとしても、もうさ、どうしようもないんだけど。
呪ってやろうっても鳩だしさ。賠償金っていっても鳩だしさ。
いや、糞ごときで呪うも何もな。賠償金ってのもな。いったい何の賠償金なんだよ。これから始まるはずだった輝かしい俺の経歴? 始まってもないくせに? あぁ、せめてクリーニング代くらい……。
そして、ため息一つ。
あの鳩はフンをしたことすら気づいていないのではないだろうか。っていうか、鳩ごときに復讐だの呪いだのとは人間小さくないか?
とりあえず、さっき駅前で配っていたポケットティッシュでそっと大方を取り、二枚でこすってみる。白いあとがくっきり残る。
もう一枚……だめだ。何枚使っても跡が残っている。俺は最後のティッシュを使い果たした後、ティッシュの袋をぞんざいにズボンのポケットに突っ込んで考えた。
えっと……。えっと。
バニラアイスを食べていてこぼしてしまったようなそんな染みだ。
そう言ってみるか?
いや、なぜに面接に向かう途中でバニラアイスなんか食うんだよ。その方が真剣さが欠けるとか思われる。
正直に御社近くの歩道でフンをひっかけられましたって言ってみるか?
……なんか、聞こえが悪い気がする。
今日だけ、と言って父親に借りた時計を見ると、面接の時間までたった15分だ。実際は30分前に到着しようと思っていたので、45分前だけど、いまから洋服店を探して、試着してみて、購入して、……。
ドラマとかであるガバッて扉を開けるパターンじゃないか?
そこで、……。えっと。
一瞬の走馬灯のような時間を過ごした俺は、そのまま面接先へと向かい始めた。いや、向かおうと足を一歩踏み出した。その時だった。
「パンパカパーン。おめでとうございます! 運が付きましたね」
見下ろした先にいたのは、ゴミムシ? ほら、あの黒いよくわからない甲虫のやつ。あいつが後ろ足二つで立ち上がって、きらきら光る瞳で俺を見上げていたのだ。
夢だ。あ、これって、もしかしたら、俺まだベッドの中で眠っていてさ、夢落ちの遅刻エンドって奴?
そう思い、頬を挟む感じで両手で頬を打ち付ける。
じんわり痛い。
「あ、ほら僕って運の伝道師だから。いつもは運を転がして人に回すのが仕事なんすよ。でも、いやぁ、羨ましいっすよ。だって、運の方から落ちてくるなんて」
これは夢。運、運って、うん〇の間違いだよな。っていうか、お前、もしや、フンコロガシなのか?
突っ込みかけて、時間を思い出した。とりあえず、進むを選ぼう。例えば夢を見ている俺が、万が一未だに布団に埋もれているのだとしても、45分前ならなんとか、さっきのドラマエンドまではたどり着けるはずだ。
進めば未来は拓けるはずだ。フンコロガシはついてくる。どこかで踏まれてしまえばいいんだという気持ちを潜ませて、大股で面接会場つまり志望している就職先まで歩いていく。
それでも、フンコロガシはついてくる。
ちょこちょこちょこと器用に足を動かして。
そして、……。
「ありがとうございました!」
はっきりとした大きな声で、お辞儀は45度を保ち、面接室の扉を閉めた俺は大きなため息しかなかった。
静かな失笑と同情するような視線。そこはかとなく感じる貶されているような雰囲気。運の尽きだ。
「運が尽きましたね」もしや。やっぱり、鳩の糞の件は言うべきだったのだろうか。この染み目立つしなぁ。
えっ?
足元にはフンコロガシが、……またきらきら目を光らせていた。
こんなところまで忍び込んでいたのか。
っていうか、人が落ち込んでいる最中にいったいどうしてそんなに目を輝かせてられるって言うんだよ?
清掃のおばちゃんに掃かれてしまえばいいのに。
とにかく、2週間後の応援お祈りメールでも待つか……。
フンコロガシはやはりチョコチョコチョコとついてくる。
行きと同じ道を通り、信号待ちをして、件の伝線下歩道まであと数メートル。俺の気持ちなんて露も知らない奴らが歩いているのが見える。そして、足元にフンコロガシ。
俺は運の尽きたあの瞬間を思い出し、大きくため息をついていた。
「お前さ、いつまでついてくんの?」
あれだけ饒舌だった口はどこかに置いてきてしまったのだろうか。それとも、やっぱり夢だったのか。フンコロガシは何も喋らない。そもそも、真っ直ぐに歩いているそのフンコロガシがたまたま俺と同じ方向を向いているのかもしれない。あぁ、やっぱり。面接試験までにはたどり着くが、そこで落ちるという悪いループが悪い夢を見せたのだ。
きっと目が覚めると朝からもう一度始まるんだ……。
きっとそうだ。
「きゃあ」
視線の先にはうら若き女性。でも、なんかふわふわ感があるにもかかわらず、仕事できそうオーラも感じる。就活なんて浪人もせずに終わったんだろうな。きっと良い大学のお嬢さんなんだろうな。
でも、そんなエリートさんも糞害に遭うんだ……。頭上を見れば、やはりあの白鳩。足元からそこはかとなく感じる視線。
え、もしや。もしやもしや。『運』ってこれか?
まるで促すように立ち止まる足元のフンコロガシ。
ティッシュ……は使い果たしている。あ、ハンカチハンカチ。ビジネスバッグの中を荒らすようにハンカチを探して、歩みを進める。
「大丈夫ですか?」
「あ、いえ、その」
あ、その怪しいものではないんです。いや、そんなこと思っているよりも、なぜハンカチをという理由を早く提示しなければ本当に怪しいヤツになる気もする。彼女の黒い瞳に疑心が生まれる前に、俺は言葉を発した。
「アイツですよね」
自分の背広をつまみながら、頭上を見上げる。やはり何食わぬ顔で電線に止まる白鳩がいる。
「どうぞ使ってください。他人事ではありませんので」
頬を染めた彼女が恥ずかしそうにそのハンカチを受け取る。
「あ、ありがとうございます」
足元のフンコロガシがサムズアップしたように見えた。これって、ほらドラマでよくある『連絡先』を向こうから教えて欲しいって言うヤツ?
「困りますよね……」
彼女が俺と同じように白鳩を見上げる。俺は、その視線の後足元を見る。フンコロガシが目をきらきら輝かせて俺をただ見上げていた。まるでもっと話しかけてみろと言わんばかりに。
え、まじで?
「そうなんです。俺なんて大葉社への面接の前に落とされて……まったく、ね」
女性の瞳が丸くなった。
「大葉社……!私そこに勤めてるんです」
そして、今俺は自宅のベッドの上。もちろんフンコロガシはいない。天井を見上げながら、小さな紙片を見つめる。
夢……ではなかった。
『人事部 坂城 真衣香』
この出会いで合否が決まるわけではないだろうけれど、もしかしたら本当に運が付いていたのかもしれない。
「さりげに伝えておきますね、かぁ……」
フンコロガシがきらきら光る瞳で見上げているような気がするのだ。