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サキ作品集

名画の背景

作者: サキ(原著) 着地した鶏(翻訳)

「芸術を前にして戯言ざれごとを並べ立てるご婦人というのは、つまらんものです」

 クローヴィスは友人の新聞記者にそんなことを話し出す。

「あの手の女性は、絵画を取り上げるなり『だんだん味が出て深みが増してくるものですわ』なんてことを語りたがる。深みを増すのはかびくらいのものじゃないですか」


「絵といや、思い出したんだが」と新聞記者。

「アンリ・デプリって男の話。これ、お前さんに話したっけ?」


 クローヴィスは首を横に振った。


「アンリ・デプリという男は、ルクセンブルク大公国の生まれの旅商人で、色々と考えた末にその仕事に就いたそうだ。仕事向きは順調で、大公国の外にもよく足を伸ばしていた。そいつが北イタリアの小さな街に立ち寄った時のことだ。実家から一報が届く。なんでも、遠い親戚が亡くなって、そのまま自分のところにも遺産が転がり込んでくるという話だ」


「ただ、その遺産というのも、控え目に見積もってもあまり大きな額じゃなかった。そんなことはアンリ・デプリも重々承知だ。とはいえ金は手に入るから、ささやかな無駄遣いでもしようという気になったのさ。とりわけ、地方の芸術に金を落としてパトロンみたいなことをしてみたかった。例えば、その地方を代表する刺青いれずみ彫り師のシニョーレ・アンドレアス・ピンチーニだ。おそらくピンチーニ氏はイタリアでも稀に見る凄腕の刺青職人だったが、誰が見ても苦しい生活を送っていた。刺青の依頼料として、あれこれ合わせても600フランしかデプリ氏は提示しなかったが、ピンチーニ氏は喜んで仕事を引き受けたそうだ。そして、依頼人の背中一面、鎖骨から腰元にかけて、目にも鮮やかな『落ちるイカロス』の逸品が彫り上げられていった。ただ、図像が完成したとき、それを見たムッシュウ・デプリは少しがっかりした様子だった。何しろ、奴はイカロスを三十年戦争の時に傭兵隊長ヴァレンシュタインが陥落させた要塞だと思い込んでいたからね。それでも、拝観の恩恵に預かった人々が口々に『ピンチーニ氏の傑作だ』と誉め称えるものだから、デプリ氏も仕事の出来栄できばえにはすこぶる満足していたのさ」


「確かに、あれはピンチーニ氏の珠玉の名作だ。だが、同時に遺作でもあった。代金の支払いも待たずに、凄腕の職人は黄泉路よみじへと旅立って、飾り彫りのある墓石の下に埋められてしまった。墓石に彫られた羽根を広げた智天使ケルビムが相手じゃ、芸術好きなピンチーニ氏といえども、まったくちっとも腕を振るえなかったろうな。だが、話はそれで終わりじゃない。600フランの支払い期日は、後に残されたピンチーニ夫人がちゃんと覚えていたんだ。たちまち、旅商人アンリ・デプリは人生最大の非難をその身に受けることとなった。だが、デプリ氏もあれこれと小さな支払いが積み重なり、手持ちの遺産はもはやわずかな額を残すのみだった。その上、酒屋の支払いも差し迫り、当座の取引の帳尻合わせであれこれ金を使ってしまうと、ピンチーニ夫人に渡せるのはたったの430フランしか残らなかった。夫人が腹を立てたのも無理からぬ話だが、なにもデプリ氏が170フランも負けてくれと言い出したことだけが、ご立腹の理由じゃない。夫人が思いの丈を滔々(とうとう)と語る。『亡き夫の作品は、世間に認められるほどの傑作だというのに、ケチをつけて貶めようするなんて』という具合で、取り付く島もなかった。そんな夫人の思いとは裏腹に、一週間後にはデプリ氏は『405フランまで下げてくれ』と言わざるを得なくなってしまった。ここまでくると、さすがの未亡人も怒り心頭の怒髪天で、夫の傑作を売るのは止めにすると言ってのけた。それから数日後、夫人があの絵をベルガモ市に寄贈するという話を耳にするようになった。市当局もそれを歓んで受け入れると言うから、デプリ氏はひどく肝を冷やした。そして出来るだけ人に気付かれぬように、その地方を後にした。仕事の都合でローマに向かう段になると、無邪気に胸を撫で下ろしていた。ローマならアンリ・デプリという存在も、例の有名になった絵も、人目につくことはなかろうという算段だった」


「だが、亡き天才の御業みわざをその背に背負しょいこんでいるという事実は変わらないんだ。ある日、蒸し風呂で汗を流そうと、湯気の立ちこめる回廊で肌をあらわにすると、たちまち風呂屋の主人おやじが服を押し付けてきて、背中を無理矢理に隠そうとしてきた。北イタリア生まれの主人おやじが言うには『ベルガモ市の許可もなしに、かの名高い「落ちるイカロス」を衆目に晒すことは断じて出来ぬ』ということらしい。この背中のことが広く知られるようになると、人々の興味や政府の警戒心も高まってきて、デプリ氏は茹だるような暑さの昼下がりであっても、鎖骨まですっぽり隠れるほどの丈夫な水着が無ければ、海や川でちょっとした水遊びをすることもできなくなってしまった。後にベルガモ市のお偉いさんが、塩気のある水がピンチーニ氏の傑作を痛めてしまうかもしれないと思い立ち、この頭をひどく抱えている旅商人に向けて『いかなる事情があろうとも海水浴を禁じる』という終身刑を科したほどだ。こんな状況だったからこそ、デプリ氏の所属すいる商会の上司がボルドーの辺りに新しい仕事場を見つけてくれたときは、心の底から感謝したそうだ。だがね、フランスとイタリアの国境に差し掛かると、イタリアの正規軍が堂々と列をなして、デプリ氏の出国を阻んだものだから、感謝の気持ちも不意にかき消されてしまった。その時のデプリ氏は、自国の芸術品の国外持ち出しを禁ずるイタリアの厳格な法律のことを、しみじみと思い起こしていた」


「ルクセンブルク大公国とイタリア王国の両政府の間で外交会議が開かれた。面倒ごとの気配も感じられ、一時は欧州全土に暗雲が立ち込めたほどさ。だが、イタリア政府は堅牢な姿勢を崩さない。少なくとも絵の価値や旅商人アンリ・デプリ本人については、政府も関心は抱いていなかったが、それでも『落ちるイカロス(故アンドレアス・ピンチーニ作)』は現在ベルガモ市の所有物なのだから、これを国外に持ち出すべきではないとの決定を覆すことはなかった」


「ただ、熱っぽい騒ぎも次第に息を潜めていった。不幸なデプリ氏は、法が命じるままに隠居処分を強いられていたが、数か月後には激化する論争という嵐の渦中で再び相見あいまみえることになる。事の発端は、あるドイツの美術品鑑定士がベルガモ市の許しを受けて、あの名画を鑑定したことにある。そして、あの絵をピンチーニ氏の筆を模した贋作だと結論づけたんだ。鑑定士によると、おそらくピンチーニ氏が晩年に雇っていた弟子の一人の手によるものだろう、とのことだった。その名画を背負しょいこんでいる当の本人はと言うと、図像が彫られている間はずっと麻酔をかけられているのが常だったので、デプリ氏が何と言おうと全く信用されなかった。一方で、イタリアン美術誌アート・ジャーナルの編集者は、ドイツ人鑑定士の主張に対して反論を展開したはいいものの、鑑定士が現代の基準からすると品性下劣な私生活を送っていることまで報道してしまった。イタリアとドイツの全土がこの舌禍に巻き込まれ、すぐに欧州の他の国々もこの論争に口を挟み始めた。スペインの議会では嵐の如き光景があり、コペンハーゲン大学はドイツ人鑑定士に金メダルを贈呈した(後に、この度の鑑定士の主張の真贋を確かめるために委員会を派遣している)。一方、パリではポーランド人の男子学生二人が自殺を図り、この一件に関する『自分たち』の考えを世に示した」


「そんな中でも、名画の背景となった不幸な男の暮らし向きは前より良くなることはなかったし、奴がいつの間にかイタリア無政府主義者の連中にくみしたというのは別に驚くことじゃなかった。それからデプリ氏は、少なくとも四度、危険極まりない不良外国人として国境まで護送されたことがあるが、いつも『落ちるイカロス(伝アンドレアス・ピンチーニ作、二十世紀初頭)』のおかげで元居たところに連れ戻された。そんなある日、ジェノヴァで開かれた無政府主義者の会合で、議論が白熱する中、仲間の一人が勢い余って腐食性の液体で満たされた小瓶を奴の背中にぶちまけてしまった。身に付けていた赤いシャツのおかげで軽傷で済んだが、背中のイカロスは姿形も分からぬほど台無しになってしまった。小瓶を投げつけた男は、無政府主義者の同士を攻撃したとがで厳しい叱責を受け、国宝級美術院損壊の罪で七年の懲役を受けたそうだ。一方、アンリ・デプリ氏は退院できるようになるとすぐに、不良外国人として国境の向こう側に追放されたのさ」


「パリの静かな通り、特に美術省の辺りだ。あそこの近くを通りかかると、気落ちしている不憫な男に出くわすかもしれないな。話しかけてやれば、少しルクセンブルク訛りのある言葉で答えてくれるはずさ。妄想じみちゃいるが、そいつは自分がミロのヴィーナスの失われた両腕のうちの一つだと思い込んでるんだ。そして、自分を買い取ってくれるように、誰ぞフランス政府を説き伏せてくれないかと願っているそうだ。俺は、そいつは至って正気だと思ってるよ。まあ、この話題じゃなければ、だがね。」


原著:「The Chronicles of Clovis」(1911) 所収「The Background」

原著者:Saki (Hector Hugh Munro, 1870-1916)

(Sakiの著作権保護期間が満了していることをここに書き添えておきます。)

翻訳者:着地した鶏

底本:「The Chronicles of Clovis」(Project Gutenberg) 所収「The Background」

初訳公開:2020年10月9日



【訳註もといメモ】

いつもならここに長々と愚にもつかぬ毒にも薬にもならないような訳註を並べ立てるのだが、今回は特筆すべきこともないと思うので、気になったことを少しだけ述べるに留めようと思う。


1. 『イカロス』(Icarus)と『ヴァレンシュタイン』(Wallenstein)

イカロスはギリシア神話に登場する人物で、蝋で作った羽根で迷宮からの脱出を図るも、太陽に近づきすぎて羽根が溶けて墜落死してしまう、というエピソードで有名。一方、ヴァレンシュタインは三十年戦争(1618 - 1648)で活躍したボヘミアの傭兵隊長で、三十年戦争の立役者と言えば彼とグスタフ・アドルフの名が挙がるほど有名。

さて、本題に移るが、アンリ・デプリ氏の勘違いともなった『イカロス要塞』だが、少し調べてみてもヴァレンシュタインが攻略した要塞にこのような名前の城は無く、似たような名前の砦があったかもしれないがそれも定かではなく、全てはデプリ氏のみぞ知るといったところだ。


2. 本作発表時の欧州情勢について

 物語終盤で『名画の背景』たるデプリ氏が欧州全土の騒乱の種となっているが、この短編が発表された20世紀初頭というのは第一次世界大戦前夜の火種を孕んだ時代である。19世紀の『諸国民の春』に始まるナショナリズムの勃興、ボーア戦争や米西戦争のような植民地戦争、崩壊しつつある君主制から共和制へのパラダイムシフト。ちなみに当時のポーランド・リトアニア共和国は数度に渡るポーランド分割によって国家としては消滅している。

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