そして、おとこになる
【昨夜の身体を、剝がさんと】
ゲホゲホ ブクブク ザザぁーザー ギィーコ ギィーコ ギュッギュギュ
すいっちょん ギーギー すいっちょん ギーギー
闇に白みが立った。あとはお天とうさんが顔を出せばお湯屋は戸を開ける。今日も一日が始まるのだ。戸口から漏れる湯気を見て早めの催促を掛けるお客もいるが、そうした新参者は前後ろ挟んだ年季の入った姐さんがたしなめる。説教役は背ぃの小さい姐さんの持ち場。
「ちゃんと別れたいやろ。朝んなったら昨晩のことに引きずられん身体となるようきっちり別れたいやろ。せやったら、きっかり日の出まで待たんと。急いてはいかん」
いつもの新入りへの説教など放っておけばいいのに、背ぇの高い姐さんは「そない言ったかて、まだまだこっちの言葉かて分からん娘にややこし言い回ししたかて、なんもなりゃせんやろ」と、あさってばかり向いてる澄まし顔のままチャチを入れる。それでもそれが年がら年中損ばかり引き受けて肩こりの絶えない背ぃの低い相棒が自分自身に言い聞かせてる説教なのをよく知っているから、目をパチクリしてる娘の握りしめてる薄いタオルを「一番風呂に入るのの真新しいもん、こないくたくたにして」と、たたみ直し、娘の真新し風呂桶にかぶせてくれた。
「姐さんら、お待っとさんでした」
半分まで湯船の蓋をかえし終えたところで、勘三郎がいきもせいぜいに駆けながら、風呂屋の扉を開ける。湯気が上がるのとお天とうさんが顔を出すのはいつも一緒。姐さんらがそれを見たら、少しでも早く湯船に浸かるれるよう駆け足で店を開けるのも一緒だ。
ー 今日も無事に朝を迎えられた。
今朝に着替えるように、姐さんらは着ていたものを次々籠に放り込む。そして、そのまま、一番先の女は、はじめて大きなお風呂に入る小さな子と同じに、ザンブと湯船に飛び込む。姐さんらの脱衣の間に、ばぁは残りの風呂ぶたを反らし、最後の一枚を裏へ運ぶのを合図に女の立てる水しぶきがワンワと鳴った。
「お疲れさん。今朝もギリギリで、姐さんらに見咎められんと済んだな」
既に口開けの一巡は終わり、番台に上がった勘三郎が脱衣場に向かって声をかける。さっき背ぇの高い姐さんにタオルを畳み直してもらった新参者はたったひとり残っていて、しおらしさと老獪の混じったふたつの顔でこくりごくり頷く。
「今日の女は、その新しい娘にしたんか。なりは大きゅうても、なったばっかりの娘や、きっとあちこちくたびれてはる、ちゃーんといたわったり」
その娘のまだ数えるほどしか他人には見せていない背中を送り出すと、女たちの抜けた脱衣場はシーンと音を立てる。拍子木を鳴らしたようなカラカラ乾いた笑い声の響く湯室とは対照的な静かさ。
ー ここは片付いたよって。
区切りの声が、この湯屋の陽だまりを裏から支える男たちの真摯な汗へと誘う。湯室から零れ出ている木桶と床板のぶつかる小気味いい音ひとつとっても、昨夜の西日が落ちるギリギリまで今日一日のぬめり一片残さぬよう、水滴ひとつ滞らぬよう、タワシを掛け続けた男たちの汗の結晶だ。だから、女たちが吐き出す黒く重苦しい金属の混じってた話し声は、ツルリ乾いた木桶と床が返すカラカラ声に混じり合い、言葉は意味を捨てられて、朗らかさだけ湯屋の高い天井に木魂している。
勘三郎は焚口に回った。いったんは沸き立った湯でも、姐さんら全員の昨夜の黒い澱を洗い流すには、大勢の掌を当て続けなければならない。薪を割り、ふいごを足して炎をジャンジャンに踊らせる。
ー のぼってくお天とさんに負けんように明るい光をいっぱいお湯に送ってやらんとなぁ。
おとっつぁんと勘三郎の名をもろうた男たちは、皆んな此処で汗を流していた。年寄りもチビも、おとっつぁんの発する短い指示で己れの役割を瞬時に悟り、一糸乱れずキビキビとこの場にいる者しか見えぬ動線を紡いでいる。
「東の口の火が少し弱まってきた。丸もの五本、割れもの十本足してくれ、勘三郎」
「風が山寄りに回ってきた。西の方のふいご、もう締めとくれ、勘三郎」
焚口は東西南北の四方それぞれに設けられている。仰山の姐さんが入いっとる湯船、といっしょに見立てたら、大コンロに大鍋いう面構えや。
大型トレーラーが停まった。おとっつぁんの指示がなくても、二十本のタイヤが軋む音で手元の空いた勘三郎たちは、お湯を作るための新しい糧を取りに向かう。これだけボンボン燃やすには、奉公人の寝所のある大店を三屋倒した廃材が必要だ。逆さ釘が固い顎髭みたくささくれだった四寸角の廃材を、明日の湯に備えて燃料に変えておかんと。もとはお店の庭だった空き地から、木から釘を抜き出すときのキューキュー撓る音があちこち立ってくる。
焚きものは、浜辺のマテ貝のようにヒュンヒュンあたまを抜かれる。真っ平らに戻った四寸角は山に積まれ、その後の割り方作業の出番を待つことになる。釘抜きに飽きた疲れた勘三郎たちは、休む代わりに片肌脱いで、作業の手を釘抜きから斧に持ち替えて、二割、四割と燃料の形に仕上げていく。十年、五十年、百年と屋の一部だった木は、明日は燃えて灰になるまで昔の赤い木肌を外気に晒し、朝のお天とうさんを楽しんでいる。
ー 朝日浴びた輝きは、百年ぶりに中の赤い肌を晒す樹には一番のごちそうや。
「また抜け出しよって。取れへんのやな、その悪いクセ」
ばぁの気配を感じて、勘三郎はたしなめる。すると、「大丈夫、あの娘は初めてのお湯に抱かれて、暫くは湯船に抱かれてグッスリや」と、この木の香を嗅ごうと鼻をくんくんさせる。おがくず臭い匂いのどこがエエのかと思うが、匂いそのものは口実のような気がする。大して生なましいことを起こさんままに、気配は澱ごと消え失せる。
毎日繰り返される途切れないやりとり。勘三郎と婆ぁは、これで今朝から明日までの朝の確からしさを、掌の上に置いた分銅のように確かめる。今では婆ぁの気配を感じ取れるのは勘三郎ひとりになってしまった。口開けするまでのお湯が婆ぁの世話によっているのは、おとっつぁん含め他の勘三郎たちの誰も知らない。
「毎朝いつも同じお湯加減でおられるのは、ばぁのお陰」
【おっかさんは、せんないままや】
はしご段を上がった二階屋は、姐さんらが火照った身体を潤す休息場。「うち」に戻れる勘三郎よりほか、ここに上がれる勘三郎はいない。あたまを男たちから女子に拵え直してあがれば、三斗樽と大鍋の、それに「かんおけさん」と親しみを込めて呼ばれている小ぶりだが贅のこもった寝床が壁いっぱいに積まれている。
たまき、おひさ、みわ、おちゃぴぃ、あや、くみ、かよ、さや・・・・・・勘三郎の口から昇った女達は、皆んな女の丸みを隠した作務衣姿で、階下の勘三郎たち男衆と同じく自分らだけに見えとる動線を紡ぐように働きまわっている。燗をつけ湯気のこもった羹を用意し、それに満たされ順々に眠りの落ちた姐さんらをおんぶして、かんおけさんの引かれた先に運んでいく。おちゃぴぃは、いまでも蚤のように痩せっぽちなら2倍、たっぷりやったら5倍の姐さんたちを負ぶって、ミズスマシのように四角い休息場を廻ってる。
湯気の昇る大鍋の縁には、一合ちろりが時計順にかけられ、出番を待つ。その真ん中から、丼鉢一杯すくえる大ぶりのおたまで、湯豆腐を真ん中からかっこむ。脚の高い白い汁椀に割り入れると、ネギの輪切りに醤油をひとさし。白いキメに滲みた醤油とネギの香りは細く天井まで立ち昇る。すぐに口にもってけるよう、箸を割って、ちろりの湯を拭い、薄口の杯と「熱いから気をつけて」の声を添えてやって。
出してくれる両手も受けとる両手も、白く温かい。口に入り胃の腑に落ちれば温かさと酔いが一緒にやってくる。白く透き通った心地がぐるぐる廻る。薄口の杯は柔らかく疾り湯気をまとった豆腐は唇より前に崩れることはない。ここでは急かされるなど毛頭ない。口に運ぶ繰り返しはまどろみとなって、味わうよりも指と口の往復を眺めることに味わいを覚える。
しろい杯 ぷるるん豆腐 すいつき唇 おいしい指
どこに隔てる先があるだろう。酔いは、ますます綿あめのように巻かれていく。汲めども汲めども上がってくる姐さんに、三斗樽は栓する暇なく、湯豆腐はおたまが空で臥されるときはない。それなのに此処の女たちは、井戸に釣瓶をおとせば酒肴は尽きることなく汲みだせると、なんの不安も抱かない。不可思議な心遣いの両掌に気を向ける女子はいない。姐さんらはもちろん作務衣姿の女たちもそこまで気遣うものはひとりもいない。
勘三郎だけがしっている。ばぁの成しているものとしっている。ばぁは勘三郎だけはしっていると分かっていればそれで十分なのだ。
「皆んな、この屋に起こることは婆ぁの掌によるもの、この湯屋そのものが婆ぁやものなぁー」婆ぁの穴という穴から温かなものが溢れ、沁みだして、勘三郎の背中を擦ってくれる。
オイッ オイッ オイッ ヨイッ ヨイッ ヨイッ
ふたりの掌。ふたりのおえつ。背中までぶるぶる震えてくる。その度に、婆ぁは救われる。毎日毎日の昨夜の姐たちを癒やす繰り言の手仕事で、同じやったと目方を確かめ、勘三郎は婆ぁを、婆ぁは勘三郎を救ってくれる。
「婆ぁは、どないなかたちして、うちと同なんじ心持ち写し取ってるんやろう」振り返っても独り言にしかならない。語りかけるとき、婆ぁはいつも消えたあとだ。
ひとりでいる時ゃあ独り言 ふたりでいる時ゃあ二人言
ー 時は重なったりは、せぇへんからなぁ ー このへんで、梯子段を降りようとすると、大きな掌が肩を鷲づかみしてきた。
「たまには、此処でみんなと一緒にやったらどうや。うちも中を美和に代わってもろうて、これからあがり酒するとこや、白いぬくぬくん中、ふたりして入ろうや・・・・」
おひさはんは、なんの衒いもなく、勘三郎の中に割って入る。それは昔から変わらない。ばぁでさえ、勘三郎を覆う白い靄に手を近づけるときは、たとえ臥所の中でも、あるものをないようにないものをあるように作法をもって接しているのに、おひさはんにはそれがない。衒いなく手を掛けてくる。
己れの掌がこないに大きいことも勘三郎の肩がいまだにこんなにも華奢なことも、その形そのもののほかは、受け取ろうとしない。
「お疲れさんでした、おっかさん。うち・・・・うちなぁ、もう少しおとっつぁんを手伝ってやらんと、そしたら寄らしてもらうわぁ」と、代わりの手札をそっと出す。呼び慣れぬ「おっかさん」が閊えると、小さく始まった声の震えが、せっかくのこの白い清潔な朝の世界を壊してしまうのを勘三郎はしっている。そんな行ったり来たりが我が子の中でいつも行わているのを見えてるはずないおひさはんは、いつもどおりの笑顔に送られ「そうかぁーつれないなぁ、また今度かなぁ。おとっつぁんによろしゅう、あと婿はんにも」と、代わりに入った美和に温めてもらった酒をまずは杯半分に注いでゆっくりなめるように楽しみ始めた。
もう姐さんたちと同じお客の顔で、「こないに両の掌あわせて拝んでも、一合こっきりや」の繰り言が始まる。そして、最後は話相手で誰であっても、「そない言っても、うちもそん中におったらいくら仲良しの馴染みの姐さんらに頼まれたかて、ここは夜の飲み屋やあらへん、朝に看板あげる風呂屋や、一合こっきりと決まってるって言うてしまうしなぁ」の決まりごとで、さきに「かんおけはん」用意したおっちゃっぴーに負ぶわれ姐さんたち同様に朝の白い清潔な世界のひととなる。
ー これも毎朝の繰り言ーと慣わしの中にいれてみても、それでも梯子段を降りる勘三郎の肩は日によって少しずつ違っている。いまの掴まれた余韻は二階への後ろ髪をひかれそう。「おっか・ぁ・・ぁ」の震える声が叫んでる。それが久なのかは定かでないが、そうであってほしい想いよりも「そりゃあ、違うやろ」のあきらめの声が、己れのうちに居るおひさはんの声で伝わってきそう。
降りたら、待っているのは男ばかりの鉄火場。段取りのせいにして梯子段の下にうずくまっている二つの麻袋に階上のもやもやを詰めこむ。
「あんなぁ、おっかさんは男はんからも女子はんからも同なじもん見る眼で好かれよる。ほんに得なおひとや、あないに柳みたいに細いのに掌ばかり大きゅう出来ていて・・・・・」
麻袋に詰めてはみたが、二階からおくれてきた女の声が束になって降りてくる。言葉のとれた女の声は気の合ったひとり言のよう。ここに降りるまでの間にみんなに配りものでもしてきたのか、上気して朗らかになった姐さんらの合いの手みたいに初々しい。それを正面から受け取り、子どもっぽい意固地とわかっていても、それでもやっぱり勘三郎は麻袋を見てしまう。
「うちにしか見えんもんを、ばぁとはあないに仲良うおれるのに一・・・・・・抱きしめられたあとの甘酸っぱいぬくもりは、うちにはようよう縁がないんやろか」
産んでくれたお久はんにそれを向けてもせんないもの、おっかさんは女やけど、おっかぁやないもんなぁ。
笑える。からから笑いの栓があく。外で拵えた型ではどうにもならんことがあるんや。ひとには、それぞれ分ゆうもんがある。
結い直したあたまを再び男に戻し、窯に入る。 二階の賑やかさが始まる頃、階下は引けを待つばかりの穏やかな火とそれを番するおとっつぁんしか居らん静かさに変わっていた。
【おちゃっぴぃお姉ちゃん】
「今朝は、いつもよりも窯の引けは早そうな」
ただいま代わりに階下の様子を口にすると、おとっつぁんは、勘三郎が今日もまた「あんなぁ」を麻袋に詰めてきたことの皆んなを「分かっとる、しってるしってる」と、腕まくりした右手一本大きく上げて応えてくれた。「今朝は、入りのドォーンが大きゅうて、口あけと一緒にボンボンと火を足さなにゃいけんやったけど、そのぶん廻しは短う済んだ」と手仕事してきた右手が暖かく告げる。
おとっつぁんは寡黙なお人や。ベロを出してまで言わずと分かることは、話を繰り返したりはしない。そのくせ勘三郎のいつもの繰り言は遮らず吸い込んでいてくれる。むろん右手は上がったままだ。落ち着いた茜色に照らされた肩からの二の腕は腕力がむきだしになった肉の断片を想起させる。そのくせ、腕の穂先についてる掌は小さく、ゴツゴツさは微塵も感じさせない。
ー さっき、鷲掴みされたお久はんの掌が、おとっつぁんのやったらどれだけええんやろう ー
「変わりようのないもんを、無理に恋しがるのは悪い癖や」と、おとっつぁんは必ずそれだけ口の出して締めてくれる。勘三郎は、笑えばいいのか泣けばいいのか分からん顔を交互に返すだけ。
「此処はええから早ぉー上へおあがり、今日は早い時間がから白いもんに包まって女子はんらと同じ夢を見とったらええ」
おとっつぁんは勘三郎が戻した髪をもう一度女へと結いあげた。それは、上と下への通過儀礼で自分でしてるおざなりな急ごしらえでなく、掌の指一本一本を丁寧に櫛に持ち替え梳いてくれる甘酸っぱい香りのする拵えになった。
「ほんに、おおきぃに」
禿さんしてたときのような声が出たので、そのまま振り返らず梯子段を登る。作務衣姿の女たちにこない可愛く拵えてもろた髪を覗かれたらと思うと、板を踏みしめる足の運びまでギュぅの音をはみ出さぬ童女に戻っていく。
二階はすでに静かだった。姐さんたちはおろか、おちゃぴぃたまき美和もみんな白い「かんおけはん」に片付いている。明るさと暖かな湯上がりが満ちた静けさで、白い音だけがシンシンと立ち昇っていた。湯豆腐が立てるグツグツで、そこに久だけが残されていることに気づいた。
「えろう待たされたなぁ、さあさあ隣に座ってお呉れ」
すでの「かんおけはん」の白い人になったとばかり思っていたのに。ずーと、うちを待って、ちろり一合の酒を後生大事に抱えていてくれたんか。
「熱いうちに、いこかぁ」
ちろりは、湯豆腐の入ってる大鍋の中に先程まで入っていたような新鮮な温かさに溢れていた。大椀に張られた湯豆腐のキメのそろった白い顔もそのままだ。箸のあとはおろか、おひさはんの「えろう待たされた」と口説いていた時間はどこにも見いだせぬ。春の海に行って、遠い岬に立つ釣り人を見るように、此処はいつまでも止まっている。
「此処は、いつも変わりなしや」
おっかさん、此処ってどこなん。杯は干されて、再びちろりから注がれる。うちの掌ぇを押し留めて、自分の杯に半分入れ、残りはお前やと、うちのにも半分キッチリ入れてくれた。
飲むよりも前にちろりに触れたくなる。
赤銅の鈍く光る質感はふたりの肌よりも熱くて、すぐに身体に入ってくる。赤い鉛色した光沢は、少し歪んだふたりの顔をチャーミングな顔に見たててくれる。酒よりも早くふたりは上気する。
「何、みてるん」と覗き込むより先に笑いが口の端から溢れて、酒精より甘い匂いがした。
「おっかさんも、これが好きなんか」
「うん、うちはこれが一番や。見ても飲んでもぬくぬくにして呉れる」
飲むよりも先に見ると言ってくれたのが嬉しくて、ふたりは温たかさで繋がっとる気がした。久と飲むのは初めてではない。二人きりの温かで静かな夕暮れにまどろむのは数え切れぬほどあったような・・・・・それが、いつも初めてのような気がする。おっかさんとはいつも初めてが繰り返される。横から、ラッパのファンファーレで始まるワルツが、壊れたレコードのように何度も何度も歌い出す。うるさい感じはない。この白さがしんしんと立ち昇る中にいると、不思議なくらい嫌な感じは湧いてこない。
段々に積み直された「かんおけはん」の中で寝入る女達は、みんな同じ夢を見ている。白いペンキを塗られた木製の馬たちがポールの間を穏やかに廻るメリーゴーランド、橙色のネオンは馬も女も慌てさせずにすやすやを促すだけ。遠くへ逃げたりはしないけれど、けっして掌に触れることの出来ない景色を身にまとわりつかせる。いましがたの湯から上がったときの、どっぷりのお湯よりむしろ「あのひと」の香りが鼻をひとナデする感じ。
ねじ巻き人形の登場のように、「かんおけはん」からおちゃぴぃ飛び出してくる。足の裏に小さな車輪を付けて、おっかさんとふたり、洗濯があがったシーツ抱えるみたいに背中におんぶされ、エイサエイサ片付け始めた。
おっかさんの肉襦袢のうえに禿さん姿のうちがいる。
ついさっきまで座ってたスツールはすでにカウンターにひっくり返されている。先ほどまで白い湯気立てて鎮座していた大鍋は綺麗に洗って磨かれ、天井から下がったフックに片耳を引っ掛けられ、明日のための白いふきんまでかけられていた。
どこから見ても店仕舞いの体裁だ。すべてが緩んだおっかさんは、痺れた感覚をすべて吸い取ってくれて、生クリームたっぷりの上食食パンのフワフワ生地のよう。重さも息苦しさもなく、ただただ悦びだけが湧いてくる。
「まんま、まんま、白いまんま」
おちゃぴぃの声は、いったん立ち昇ったあと、小糠雨になって落ちてくる。直には聞こえず、おっかさんの骨を通しての声なのでどこまでもあいまいであやふやだが、おちゃぴーが小糠雨に変わった己れの声に見惚れてる澄んだ目の感じはよーくわかった。こぬか雨の音のひとつひとつをすべて拾い上げて次が出る。
「湯気を立たせて 丸ぁるく しょ」
新しい歳を迎えるための、大つごもりで控える姿が浮かんだ。身奇麗にして無垢な先を待ってるくすぐったさ。いやいや、くすぐったさが先にあったのかもしれない。おちゃぴぃもそれを感じて、エヘッと笑う。おっかさん挟んで、姿隠して遊んでるような時分に戻った。「次はカンザちゃんの番」と口の中の濡れたまんまのささやきで伝えに来る。おっかさんにもおっかさんの骨にも内緒で、聞こえんように響かんように直に伝わる。
「雪ん子ふたり顔を出し」
勘三郎もおちゃっぴーも小さくなった。なりばかりでなくほんに幼くてて小さくて、静かで暖かな牛の死骸からピョこんと二つ出てきた黄色いキノコのよう。こんな蚤ほどになってまで、おちゃっぴーは山の肉塊を運び続けようとする。同じ身の上になって、肉塊の山の頂きから眺めても、おっかさんに阻まれたおちゃっぴーは、ひとつとして見えやしない。「ねぇ、カンザちゃーん、雪ん子ってどんな子」押しつぶされて潜もっているが、地の声が上までちゃんと届いてきた。
そうやなぁ、白くて丸くて小っちゃくて、そんなんしたら溶けて己が無うなってしまうのが分かっとるくせに、あったかいもんが好きで好きで耐まらんようなって・・・・・・・うちら二人、よっぽど寂しかったんやなぁ
ー もがいても拝んでも白い平らな崖ばかり。
久と身体ごとお久はんを香いでいる勘三郎を背負いながら、おちゃっぴーは片方の目だけを使って夢を見る。豆がゆっくりコロコロ転がるように遠い遠い千里の道を二人を担いで歩いていく。
ー こんなことせんでも夢くらい見れるって。
少し乳臭い匂いがして、おっかさんはたまきに代わっていた。
夢を見ながらでも、あの仔は働いてるんだもの、少しくらいは歩み寄らんとなぁ。声は降ってはこんかったけど、ばぁは頷いたはず。また一緒の身体に戻ったおちゃっぴーは幸せそうだった。
「はなれていたもんが、つながった。はなれていたもんが、つながった。はなれていたもんが、つながった。・・・・・・ ・・・・・・ ・・・・・・ ・・・・・・ ・・・・・・ ・・・・・・ 」
りふれいんはクルクル回って、大小の影に代わって降りてくる。とても薄いうえに恥ずかしがりやときているから、ひとつひとつを見つけようとしても、見ている先から溶けて順々に消えていく夢。おちゃっぴーはたまきの乳臭い匂いさえ、追いかけても追いかけても覚えていられない。
「たがいの顔は前後ろ えにしを辿る術はなし」
なぁ、おちゃっぴー。たまきってお前の姉ちゃんなんか、おっかさんなんかぁ・・・・・なぁ、たまき。おちゃっぴーってお前の妹なんか、産んだ仔ぉなんか・・・・・再びまみえ繋がった二人を、こうして直に感じていると、そのどちらでもないような気がして、ついつい作法から外れた堂々巡りをしてしまう。そんな理から外れた世迷言は、とうにどうでもええと思っていたのに。
「それが一番いちばん。ないもんねだりばかりしよって、いったい何になる」
長いお経の間の正座から解放されたような顔で、おっかさんが挟んだ。白いもんばっかりに囲まれていたのが脱げて、両肩が楽になったせいか多弁だ。おひさはんとでも呼ばんと、返事さえ返してくれん顔になっとる。
ー やっぱり、分を超えてまでひとは変えられんてー いいよいいよ、ばぁ、その先まで言わんでも。毎日毎日おんなじことの繰り返しに付き合うてくれてありがとう。それでも明日の朝はお湯屋を開ける。ー たんと風呂をたてんとー こうしてすやすや寝入ってる姐さんらは本まもんなんやもの。うちらみんなこの屋のものは、折り合いつけて、風呂つけて、熱燗に湯豆腐もって、白いかんおけさん並べて待っとりますぅ。
たった一合ぽっちの熱燗、飲むほうの口と酔うほうの口、どっちが仰山のおべんちゃら云うんやろうなぁー ねえちゃん、また肥えたんかぁ、毎日、毎日だんだんに重うなるばっかりでー そりゃ、そうやぁ。毎日毎日、うちは「腹ん中」の引継ぎだけや。あとは真っ白で眩しいくせに静かで退屈な寝床ん中でぬくぬくしとるだけやもん。キメのええお肉、拵えとるだけやもん。
「うち、いっぺんだって苦しいなんて云っとらんよ。ただのご挨拶や、気ぃ悪うしたんなら堪忍やで」
わかっとるがなぁ、お前がええ仔なことくらい。ちょっといけずしただけや。ねえちゃん、おねえちゃん云うてる仔にほんまの意地悪なんてするかいな、おちゃっぴー・・・・・ほんまに、ねえちゃんでええんやな、おねえちゃんって云うてくれるんやな。
「姉ちゃんをねえちゃんって、ただ呼んでるだけやもん。そない嬉しがることない思うけど」
そうや、そうや。おちゃっぴー、お前は賢い。お前の言う道理が一番や。
「うちをねえちゃんの中で負ぶうようになってから」
ふたりで決めたことやもんなぁ
「そうや。うちの道理が一番や」
なんやお前、姉ちゃんぶった口きくようになったな
「だって、いま、うちが負ぶうとるんよ。ねえちゃんの大きくて重くて、そんでも柔らこうてええ匂いのするお肉、みんなうちが負ぶうよるんよ」
そんなら、今からお前がうちの姉チャンや、おちゃぴぃお姉チャン
「おちゃぴぃお姉チャン、ええ響きや。もういっぺん、云うと呉れ」
おちゃぴぃお姉チャン、おちゃぴぃお姉チャン、おちゃぴぃお姉チャン、・・・・・ ・・・・ ・・・
「もうええ、もうええ、もうええよ。これ以上云われたら、うち、もう可笑しゅうて穴いう穴から吹き出した湿っぽいもんで足が踏んばれんようなってしまう・・・・・腰が折れたバキバキが背中ン中から跳び出してくるわ」
堪忍やー、堪忍やでぇ。だれがお前みたいなエエ子の脚を折らしてたまるもんか・・・・・そないな悪さするのんは、何処の何奴どいつや。どないな顔してる女や。此処に連れてきてみぃ、うちが立てんように八つ裂きにしてくれる、二度と一緒に極楽の夢なんぞ見れんようにしたる・・・・・・どうしたん、おちゃぴぃ。ずっと下ばっかり向いて、身体ぁ震わせて。ねえちゃんばっかりがトサカ立てて、お前の心配しとるんやでぇ・・・うッうんッ、うちやてぇ、うちがお前の身体をバラバラにするいうんかぁ。あーあぁ、うちはアホやなぁ、ほんまにアホや、勝手におのれの頭ん中で一周まわって、おのれの顔も見んでおのれを呪うとった。にくい、にくいって呪詛かけとった。蚤まで小そうなった妹におのれの重たいタブタブの身体ぁ負ぶわせとるんで、悪い性根がそないなけったいなもん描かせたんやな
「ねえちゃんの、そないに血相変えた顔、久しぶりにみたわぁ」
ふぅー、そないな大昔まで思い出さんでも、ええにぃ・・・・・
「わかっとる。きつう言われたことは身に染みとる。うちは、姉ちゃんの中に負ぶわれて仕舞いこまれたんが始まりや。同じ身体ん中で、同じもん入れたり引っこめたりして、いっしょの女子でいきてきたんやもんなぁ」
それから数えても、おまえと二人、ほんに永う、こないしてやってきなたぁ
「そうやなぁ、うちはいつも姉ちゃんと一緒や。けど、・・・・・・姉ちゃんは、ほかにもいっぱい居るやろ」
男のことか
「それも、ある」
それもって、ほかにも在る云うんかい
「女子も、おった」
うちは想われるのは好きや、それも仰山になぁ。それを一人だけに仕向けぇ云うんは酷やろ、殺生やろぉ、せやから顔は仰山に在ったような気がする。仰山の顔に挟まって、お前が「居心地わるうて」しておったのは、しっとる。せやけど、そんな中に女子が・・・・・・分からんなぁ
「ねえちゃんの顔は、想ってくれるお人ばかりに向いとる。己れが想うとることには気づかれへんお人や。うちとはちがう、うちは想うてばっかりや。ねえちゃんのこと、かんざちゃんのこと、ばぁのこと」
おちゃっぴぃ、おまえよりほかほんまに想うとる顔なんて、ひとつとして浮かんでは来ィへんのやけど。
「ねえちゃん、ほんまにうちの顔、まっ正面から見ておったんかぁ、笑いものになるよりほか術のない小んまいちんちくりん横に並べて、ー可愛い、可愛い云うとる己ればっかりボーっと見とっただけやないんか」と、最後の方は、寝床に送り込んでなんもかんも分からんようになっとる顔に、ふぅーと吹きかけてた。そんで立ち去る。
それが、おちゃっぴぃの一日の務めの始末の仕方だった。顔はおひさはんに代わっている、勘三郎はもうどこにもいない。
やっぱりばぁは、おちゃっぴぃを一人にさせたがる。
けれど、そうした身の上が勘三郎を一番に近づける。永遠に逢えない隠れんぼしている仲良しこよし。二人をみていると、素直にそれが浮かんできた。
【女子たちが眠ったあとの男たちはお喋りが多い】
最後の女子が眠りに入る頃、男たちは明日のための湯磨きを始める。新しい薪を拵える音も窯のボォーボォー唸る音もない。上で眠る女子の背中には濡れてる木肌とお湯が擦れ合う穏やかな響が伝わっていく。穏やかな響きに安心している女たちの体液と波動はスヤスヤに合わせていく。火が消えて冷める一方の湯屋に、今度は男たちの吐く白い息が湯屋の靄をかたちづくる。
「きょうの静けさは、深いもののよう」
勘三郎は、もう降りてはこない。
冷たく軋ませるもののいなくなった梯子段を眺めたら、そう思った。変わらないと思う毎日も、各々は異なるのだから、毎日を繋いでいるつもりが「ふっ」と違ったものの脇から入る日だってある。
「勘三郎ッー」と慟哭の声が聞こえ、それを親方の指示する声と受け取る輩は「はぁーい」と反射で返す。三人の合わさった声が重なっていく。みんな、若い声だ。だが、幼い声はひとつもいない。
古参の働き手は、響きからその声が自分らに向けられたものでないのを知っている。新入りはそこまで慣れてはいない。「今のは、おれたちに向かってのやない」と、それでも近づこうとしてる新入りたちの腕を捻って持ち場へと促す。
みんな、しっている。毎日、一番に働いているのが、おとっつあんであることを。火を止めてからそのあとやってくる二時の静寂は、深い潜水のあとの長い長い呼吸と同じご馳走の一服なのを。だから、ひとりに。たった独りにしてあげる。みんなが空けた隙間には、ひとり、一人、また一人が降りてくる。
おとっつあんの煙管は長くて重い。ひとひとりの片腕では持ち堪えられん代物だ。
「ほれほれ、ふたりの助っ人が、こうしてあの長煙管をあんじょうよう支えとるがな」
やはり口上は、天空のおひとが様になる。おとッつぁんのおとッつぁんの勘三郎が板につく。ええかっこしいは娘のお久はんと親子ともどもよう似とる。背中に負ったこきりこが、すいっちょんギーギーすいっちょんギーギーを調子よく唄いだし、静寂の靄はますます白い深みを増すばかり。
ーこの屋が湯屋になったとて、勘三郎のおとッつぁんとお久はんには、この身は婿としか見えてはおらんがのぉー
終わったあとの二の腕の震えは最近とみに芳しい。ゴツゴツのこぶに変わった肉塊を、それでも愛おしいものと空いた方の掌で温めていると、擦れもせず固くもならずのとても小さく幼かった時分のものに戻っていく。小さく細く柔らかかった二の腕、それを寒かろう哀しかろうと温め摺ってくれる掌が降りてくる。天井はとても低いから腕はすぐに伸びてくる。押しつぶされた部屋だから匂いはいつも湿ってる。けれども今もあの当時も、それを嫌なものとは思っていない。暗くて狭くて小さいことが恐ろしさに繋がる齢ではないのだ。暗く湿った柔らかなものに包まれていた時分は、小さくてどこにもぶつからず、痛くもなければ・・・・・・哀しくもなかったから。
「この屋に来るまではけっこう幸せな身の上であった、ということ。そう云いたいんやろうか」
山の上からゴロンゴロン転がって
柔らかだった 二の腕も
小さかった 肉塊も
ゴツゴツ石がくっついて
ぶつかり ぶっつかり
痛い 哀しい 身の上に
「成り果てた。あー、成り果てた」
勘三郎おとっつぁんばかりか、鳴り物まで入って、お囃子はどんどん賑やかになっていく。長煙管から出ていく白い煙は膨らみ、白い静寂はどんどん深く積もっていく。降り籠められた雪のように白い化身のように。
勘三郎に魅入られた女は夜を鬻ぐ者となり、男の方は勘三郎の名を与えられ風呂焚きに身を貶す。この頃は、間から犬や猫に化身した輩も混ざっているので、もともとが男からなのか女からなのかさえ、危うくなってきた。
ー あの時分からこうも長く伸びてしもうてはどれだけの代が繋ぎおうとることか、勘定なんぞ出来ゃせん。
そこに目がいくと、あせの婆ぁは嫌みの掌を振って、すぐにぷいっと別の持ち場に消えてしまう。二階でも釜場でも毎日三、四人新入りが混じってるのに勘定は変わらないのは、同じ数だけぷいっと抜けだたもんが在るのやろうけど、在った顔を並べ指を折っても、すげ変わった顔は思いつかない。
ー みんな同じ顔しとる、幸せの顔しとる。ほんまもんの勘三郎に遭うとるのや、そんだけで幸せや。ぬしひとり、勘三郎の名を持たん身には、どないに映っとるんやろなぁー こうしたときのばぁは、笑ったりはしない。怒ったりもしない。大きなアブクまで広がった白い部屋に篭もるおとっつぁんを、ただただ見ている。「お前様の、そのいかり肩みたく突っパッとるもん、肩肘張ったそないなもんを両方とももぎ取って無うならかしたらエエのに」
お久はんの寝言か、たまきの虚事か。どちらにせよ、天井からアブクとなって落ちてきて、おとっつぁんの顔を覆い包む。よせばいいのに新参者は、そんなものまで突っつきたがる。大きなアブクは小さなアブクを次々と産んでいく。溢れ出したアブクはマンボウがふかするように、「この世にたったひとり」と聞こえるように弾いてく。
おとっつぁんは静かなままだ。男たちは皆んなおとっつぁんに義理を立てているのに、我慢できずに突っついたメッキもんは「きャッ」と短く泣いて、半分のトグロを巻いた。短いしっぽを真っ先に晒し、己れの正体を曝け出す。一目散に戸口から、この屋の縁がはびこらぬ向こうまで駆け出し逃げた。小さくても痩せた白い猫か兎のどちらか分からぬまま昨日までの居場所に戻っていった。
昨日の居場所へ戻ったものは、この屋での姿と記憶は消されてしまう。その習わしはむかしから変わらない。ばぁでさえ、戻ったものに拘りあう力はない。むろんそんな気構えはない。ー 向こうに着いたら、早うに元に戻れればよいがなー と見送るだけ。
此処の誰もが目を離すので少しは覗いてみようと背伸びをしたら、自動車道路ばかりが立派になった街のラッシュアワーが覗けてくる。そこの、値段ばかりを先に購入した何の特徴もないシルバーメタリックの車に収まっていた。そこの、なりばかり立派の汗だくスーツでハンドル握ってる御仁か、後ろのチャイルドシートに羽交い締めされとる赤子かまでは見通せなんだが、どうやらヒトの身にだけは戻れたらしい。
「あないな処に舞い戻っては、またひとつ幸せは遠のいたかもしれんな」
誰とはなしに、もうひとり後ろを覗く目がポツリを零す。湯磨きの音だけが忙しくこだまする静けさとは相容れん声だった。
するっするっー しこっしこっー するっーするっ しこっーしこっ
こんだけ几帳面が詰まっとる中で、どちらの肩もへしがず釣り合うとる者がどれだけ居るんやろう。ぶつかり押し合いへし合いしとるだけ。間に生まれるものはない。
おとっつぁんばかりが、昨日ばかりあの頃ばかりを消えた火の埋み火の中で見ている。
昨日、明日
彼方、此方
互いの背中ばかり見とる、向き合えん者ばかり
古株は二人ともこの時間が嫌いだった。
作業を覚え段取りを覚えると、ピラミッドの三角を擬したように、作業の後前の勘三郎達の数はみるみる増えていく。実の身体よりも増していく身体に、男の悦びはあったが、何よりも本物の勘三郎に近づく悦びが、喉を潤した。そうした作法の中枢に、近づけば近づくほど影のように薄まる中枢に、「おとっつあん」と呼ばれる他の男たちとは異形の親方がいて、ひとつひとつ手順があがるごとに近づくごとにほんまもんの勘三郎と合わさる快楽が待っていて、おとっつあんは真っとうに親方と呼ばれるようになった。
ふたりは親方の長い一服の静かさが満ちる処まで近づいたが、それ以来親方の顔が見えてこない。
釜に火が入いり鉄火場になって指図と怒号がこんこん見える中では、親方の顔は何処からも覗けた。顔から見つかる表情がどうなっているなどの余分は考えなくてもよかった。
はっきり見える段になって、顔が消えた。
消えてはいるが、それはおくびに出さずにやり過ごす。
窯が開いて火が暴れまわっているときはいい。身体一杯に詰まった忙しさで、頭といえど余計に持っていかれる暇が差し挟んでくることはない。それが、火が仕舞となり親方がいつものように長煙管を出してくると、もういけない。身の落ち着けようがなくなる。親方の暗い溜息みたいに昇ってく煙を、手脚かためた体育座りして待つより仕方ない。
「毎日みてたって、慣れるもんやない」
首筋にじっと溜まった汗をみて、どちらか一方が声にする。毎日のことなのに間合いが測れない、えんえんこのまま。
クンクン鼻をならすだけさ。余計を考えずに、な。考えるから余計なんだ。女はいいよな、入って、飲んで、寝ちまえばいい。そしたら勝手に次がやってくる。そしたら、入って飲んで寝ちまう。外れは出てこない。
そうそう、外れはない。起きようがない。
そうそう、起きようがない。
風呂焚きの勘三郎たちは、年寄りなのに子供のまんまだ。丸くかがんだ後ろ姿は、染みだらけの背中と一緒に、尻っぱしょりの蒙古斑が並んでる。仔どものときから穴の中でこき使われて、己れの身体の老いたのさえ知らんうちにこうまでなってしまったよう。それでも、古株になってやっと手が空き始めると、出してくるのは、クドクドクドクド、おなじ話の繰り返し。処女をとおさんとならんかった婆さんのよう。哀れではあるが気色悪さが先に立つ。
ー それでも勘三郎の名をもうろうた者たちや、大事にせんとなぁ ーと思ってみても、はるばる此処までやってきた男のなれの果てが「あれや」と思うと、不憫を通り越し薄ら寒い。
働きづめに働いてあちこちこぶになった筋肉が萎えていき、ゴマ塩になった五分刈り顔は往年の田中邦衛みたくなってるのに、二人いっしょくたに処女でとおした婆さんと決めつけられたんでは、いくらなんでもせんないこと。
休むからいけないんだ、よ。
そうそう、それそれ。年を取ったからって、手足させる手下が多くなったからって、手を休めていたらロコなことなんてありゃしない。四六時中いそがしくして、手足あっためて、あたまん中だけ冷たく空っぽにしておくのが一番。
安心だ、安全だ。
男はそうした生き物なんだ、そうした作法に従うよう出来てるんだ。
猫よりもなお節足であった時分が懐かしい。「ひとりやない仰山の中におって」とは、あの時分よりほかは呼べんやろう。
働きバチの格好でもして、おったんか。
いいや、一匹づつでは摘まめもせんシロアリや。ミツバチみたく、顔を、一匹一匹拝めるような穏やかなもんやない。一匹一匹は片や。離れた遠目からあの立派な蟻塚みて、始めてひとつの生き物いうのが感じられる。・・・・・・女王様も含めて蟻塚に仕えるもんには、みんな役割が振り分けられとる。うちは貯蔵庫やった。役割なんて生易しいもんやないな、あれは機能や、ウンとかスンとかさえ与えては貰えんのやもの・・・・・・貯蔵庫いうのはな、外で捕まえた生餌をそのまま飼うておくんよ、殺さんようにしてな、まだ蟻塚に仕えとらん可愛い仔らにいつでもホカホカしたまんまを食べさせられるようにな。そのための袋になって永らえるよう仕向けられたもんが、きっちり百体、女王様の次にゴージャスな部屋をあてがわれて吊り上がっとるんよ。
三っつある節のひとつが、それ専用の機能に発達されとるんやな。そうと決まった時からずっと天井から吊り下げられて、列をつくって納める順番を待ってる仲間が、次々に荷物おろすみたいに口移しで押し込めよる。どんだけ入れても弾ける心配はいらん。はじめは飴みたいな黄金色しとった節のが、ぎゅうぎゅうの仰山につめこまれて、乳白色の透明じみた薄い色あいに変わっていく。貯蔵庫になった仲間たちの動かす筋肉は蠕動運動だけ。運ばれたザザムシを口にくわえたら、手足動けんようにひとつひとつ上手に毬にして、ゴクゴクそっちの方へ押し込めよる。中に入ったザザムシが透けて見えるくらい薄うなっても筋肉って丈夫なもんやでぇ。モータースポーツのカーボンファイバー以上や。どんだけ痛めつけても、綺麗な紡錘形たもったまんまや。生きたまんまのお肉、ハリガネの網タイツに小っちゃくぎゅうぎゅうに絞っていく。無機質な針金やったら、切れるか潰すか、こない綺麗な紡錘形のまま保たへん、均等に力がかかるようジワリジワリ転がしていくんが腕のみせどころ、や。
うちも多いときは200匹ばかりのザザムシ、腹ん中に飼ぉとったよ。そいつら、不意にアクビしよるんよ、2匹3匹のうちは気にはならんのやけど、ほれっ、あくびって移るやろ、つぎつぎ始まると腹ん中、アクビのアブク風船貯まりになって節と節の付け根の一番細うて柔らかい処が、ピアノ線つこうて締め付けてるみたいにキリキリきりきり、息が出来んほどや。
「苦しい、苦しい」云うて一気に吐いたら、腹ん中は血だらけ。200匹のザザムシが一瞬で赤いドロドロに変わりよる。
そしたら、貯蔵庫は「ボーン」の一発や。
アクビの始末に失敗した貯蔵庫は日常のことなんで、後始末の仲間が駆けつける。吊り下がったまんまやから下界の景色はようけ見えんかったけど、合理性と清潔が鉄則の蟻塚で、そないな事故現場は不条理やから、すぐに目の前から残骸は抹殺される。
貯蔵庫は丁度100体と決まってるから、99になった時点で、後始末と並行して次は用意される。まだどの機能にも振り分けられとらん幼い仲間がコロンコロンとこっちに転がされ、ひゅっと空いたフックに吊り下げられる。
目鼻もまだ生まれとらん白いマシュマロみたいな塊が、卵の時よりも尖んがった細い楕円形になっていくと、白いマシュマロが鉛色のいい感じに鈍ってきて、お腹の第三節がカーボンファイバーより頑丈な貯蔵庫に変化していく。此処にぶら下がっとるだけやから本当は必要ないんやけど、そんでもムシやから、無機物やのうて生き物やから、豆粒みたいに放っておかれる頭の節と胸の節は手脚6本に羽根4枚うぶ毛みたいな触覚2本が一応に揃って、フックの引掛け代わりに使われとる。
そんなこんなの毎日で冬を迎える。放り込まれるいっぽうだった貯蔵庫は、春を迎えるまで大切な食糧庫に看板を書き換える。8ヶ月かけて貯めこんでたザザムシが、蟻塚の口を閉じた4ヶ月の食い扶持になる。吐き出す量は食糧庫によって違う。一日10匹入れたんなら5匹、20匹入れたんなら10匹ゆうわけや。渡された機能は同じでも持って生まれた能力に差は出てくる。勘定の匙加減は、食糧庫に任されてる。少ないからって嫌味を言われることはない。みんな仲間やもの。
残りの1か月を切ると食糧庫は目に見えて痩せてくる。身の抜けたシワシワの袋みないになってくる。けれど淋しいなんてない。段々と待ち遠しい春がやってくるんやもの。この蟻塚の想いはうちらも一緒、だって仲間やモノ。冬の間、普段にも増して真っ暗になった「大ホール」の百体は、貯まった腹からザザムシが一個一個持ち去られ、その度に、吊り下げられたフックの軋む音が少ぉしずつ軽ぅなっていくのを聴くと、100体が100体とも幸せの口角は上がっていく。
ー そんな豆粒みたいに埋まっとる顔を誰が認めてくれるんやろう。それでも、そんな生涯を一人として背くもんはおらん。天井からでも覗かんと見えない顔の口角を、そろって、一斉に、ヒュっと上げるんや。
それで終まい。そこから先のことは残っとらん。これ以上に言葉を費やすことがないんやから、これ以上の酷い扱いはなかったんやろ。幸せの欠片ひとつない身の上やったけど、ひとりくらいそれを語ってやるもんの在らんことには、そうやったと信じてやらんことには・・・・・・辛いからなぁ
古参の片割れの、思い立ったように語り始めた長くて古い話は、此処で緒を切った。勘三郎の名をもらうまでの、此処に辿り着くまでの遠い遠い話かもしれない。或いは、おとっつあんの長い一服に耐え切れず、口が勝手に拵えた与太話かもしれぬ。だから、まだまだその唇はぬめぬめしてる、処女でとおした婆さんたちよりもいやらしい拵えに顔が変わっている。坊主でとおした男の死んだ途端に一気に腐肉が始まるような、ぬめりの雫が垂れてきた。
それが見えているのを承知で、古参の片割れは相棒の耳たぶを引っ張り、まだ何か注ぎ込むのを我慢できずに、おる。
「おとこは、哀れやなぁ。何かせんことには、いてもたっても在られんのや」
勘三郎は、おとっつあんの長ぁがい長ぁがい一服の、丸ぁるく白い煙に浮かんどる二つの坊主頭の皺を数えている。
それでも、今日の一服はやけに長い。古参たちに所業は、他人事ではないやもしれん
いつまでも終わらない一服
でも、長いのはいつも一緒。「終わらない」って、急に夢から剝がされたみたいに息を吐いたら、呼び戻される。
おなじ その くりかえし
【おちゃっぴぃはひとり日向ぼっこ】
毎日は その 繰り返し
うちは その 繰り返し
婆ぁは その 繰り返し
女子は その 繰り返し
ガチャり ビシャぁ ビシャぁ ドろーり あーあァ
目が覚めた。最後に寝入ったおちゃっぴぃが、いつもどおり最初に湯を沸かし、白いまどろみの姐さん達を起こしにかかる。頭よりも大きな両抱えのヤカンに水を張って、同じようになだめ起こした埋火に掛けると、そこら中に散らばってる「夕べを引きずった女の残り香」を冷たく絞った雑巾でギュっギュっと掃きだす。
つぎは、洗い籠に放りっぱなしの白い器たち。熱々の豆腐よりほか盛られたことのないウブな白い豆皿と握った感触を忘れさす薄く研いだ杯を潰さぬよう割らぬように、そぉーとそぉーとの声かけながら奥にしまい込んでるとちょうどヤカンの湯が湧いてくる。
「ちょうど」というのが大切だ。おちゃっぴぃはいつもここでそのことを正面に据える。
ここからは、豆急須を使って豆茶碗に一杯づつの手の込んだお茶の準備に取り掛かる。余った薬指と小指は掌の中に折り畳み、三本指だけで扱う豆茶碗豆急須を各々二列に並べて、お目覚めのお茶の色はグリーンと決め、煎茶に仕立てた緑茶にマテとルイボスのグリーンの刻みを用意。茶筒を開けたら匙で掬う一手間などなくても、それに見合う茶葉の概ねを覚え込んでる掌に茶筒のお尻たたきを任せておけば、万に一つの間違いはない。
ルイボスは、豆急須に沸き立った湯をそのまま注ぎ、ほかは、豆茶碗に注いでからそれぞれの適温までなじませておく。
シュる シュる パぁーぱっ
シュる シュる ぱぁー
ちゃんーと勘定したはずなのに、いつも豆茶碗の方が一組足りなくなって、奥を振り返る。
振り返ると、奥のマテ茶を入れた豆急須に長すぎる作務衣の右の裾がまとわりついて、クルリを描いてひっくり返る。十分に蒸されて膨らんだ緑のトロミは、既に腹をみんな吐き出して、負けて逆さになった独楽に成り下がった豆急須の傍らで、茶葉を筆代わりにまとわりつくような巴を一筆書きした。
それをまんじりと見つめるおちゃっぴぃの顔、顔、顔・・・・・・・・
今日一日の始まりは、そのモンタージュのカシャカシャ音から。きちんとちゃんと始まります。
今日一日の始まりも、そのモンタージュのカシャカシャ音から。きちんとちゃんと始まります。
夕べの闇を落とそうと朝湯に浸かり甘露の燗酒で眠りに入いる朝と、おちゃっぴーのいれてくれた丸くて濃い緑茶を口に入れた時の朝。一日に朝が両方あったって、いいじゃない、似合ってるじゃない。こんなに長い夜が張り付くんやから、うちらには朝がふたつあってもバチなんかあたれへんと、姐さん達はみんなそう思ってる。
白い眠りの余韻が今日からも明日からもずっと続きますようにと、両の掌あわせて祈りながら枕を離れる。豆茶碗にてんこ盛りのされた緑茶は健康そうなインゲン豆を寄せて拵えた逸品のよう。そのくせ、飲み終えたら、即退散。ここは湯屋。悦楽は売っても幸せは売り物じゃない。爽やかだって瑞々しくたって、名残なんてビーサンの裏にだってくっつけちゃいけない。
みんな、「姐さん」と呼ばれる由縁に、舞い戻らなきゃならないんだもの。
癖は左右に分かれていても、姐さんたちは組んでいる。脚を組む、腕を組む。胸を組む、目を組む、耳を組む。身体にふたつ備わっているものは、どれもこれもギュッと結んでいる。
豆茶碗で起きがけの一杯を飲むとき、着ていた白い根間着はキュキュッと丸めて足元に置いて、どこもかしこもすっぽんぽんの裸ん坊。
それが、この湯屋の茶事。それぞれに型のついたそんな作法を紛れ込ませたのはお客の姐さん達だが、いつも後ろでほくそ笑んでるところを見ると、仕向けたのは婆ぁの仕業であろう。
立ったままのもの、すきな座位のもの、寝間着のときと同様に寝転んでいるもの、向かい方はひとそれぞれなのに、白の寝間着を脱いだあとの裸の色は様々なのに、姐さん達は白無垢の権化のような。
いまが午の天辺であっても、この湯屋と姐さん達は、いまが今日の始まり、朝なのだ。
単調だが抑制のきいた拍子木とって、花街に送り出しまひょ、さぁさ、清冽な一本木が見返してくれはる。
婆ぁはもういいない。そんな俗趣味は持ち合わせておらんと、すでに何処かへ消えている。
あとには、うっすらの緑の片鱗を縁に残した豆茶碗の山と、居続け働く作務衣姿の女だけ。お湯を操る男たちに較べれば、二階の後片付けと下準備は皆んな地味に映る。燗酒と湯豆腐、それに寝所の片付け。指なぞ折らなくても、段取りはすぐに数えられる。
おちゃっぴいが洗い始めた豆茶碗と豆急須は、横に立ったたまきが拭き上げ、並べて奥へ奥へとせっせと仕舞われていく。ほかの女たちは、姐さんたちと自分たちの布団の虫干しにかかり始める。天井高く昇ったお天道さん拝みながら天窓高く順々に。若い女は下になり、年寄はその娘の肩に乗って。弛んだ布団をぴーんと張って白い皺の隙間に挟まったクグモリをピンピン弾くように。暖かな日差しばかりに見とれとると、年寄漁師の編みの手入れみたいなのんびりした潮の匂いしか漂ってこないが、洗い籠に入っとる豆茶碗の山を正面からまっすぐ見つめれば、女たちのひたむきさだけがミシミシ伝わる。
ー 作法の忠実さだけやない。ひたむきなのは、みんな健気に祈っとるから。
洗い籠の豆茶碗ひとつひとつ目で追って、緑の片鱗が残ってやせんか、ゆうべの名残が拭きおちてやせんかと気を配る。寝所の奥の奥に澱から滲み出たため息がくぐもってやせんかと気を配る。
「今夜も余計なもんなんか付けてこんで、昨夜と同んなじ身体のまんまで店に戻って来るんやで」
そんなはらからの声に耳をそばだてんでも、働いとる手が真正面から云うとる。ほかの女たちの手ばっかり当てにしとるお久はんかて、ほうれ、天窓の向こう行く姐さんたちを見送る祈りのときだけは、じっと此処に佇んではる。
針仕事に限らず女の手仕事には、祈りが付いてまわる。
おもてに見えてくる器用さ不器用さや気性のありやなしやとも違っていて、それを認めるための大きさ重さを計る手立てはないが、指の先からわずかながら零れているその先をずっと詰めている一途さは見えている。
片手で持つには少ぉし重い砂袋に両膝おって両手ですくって詰めている。すくってもすくっても指の間からササぁーと落ちる冷たい音にもめげんと、おんなじ早さおんなじ心持ちのまんま砂袋の祈りの嵩を増していく。
それは姐さんたちも一緒。屋も違えば男も違う女子を同じ構図で描くことなど出来はしないが、両膝おって器をなさぬ両の掌から零れる音を聞くのは一緒。
あわれやなぁ かぁわいらしいなぁ
けなげよのぉ たくましいもんよぉ
おとこからの呼び名が、その時々の気まぐれで変わっても、女の祈りは続いていく。おとこばかりでなくとも変わるもんばかりが仰山ある中で、詰めても詰めても両の掌から零れる音を聞く姿に変わりはない。
おちゃっぴーは泣いている。
姐さんら皆んな、背中に、斑や網目模様を付けてはる。あん何をなぞると、うちなぁー、切のうて切のうて、ほんまは目ぇ瞑りとうなるんを堪えて、この指みんな消えて無うなってもかまへんって擦すって擦すって消してあげとうなる、この手首折れてもかまへんって剥がしてやりとうなる・・・・・・せやけど、かなわん。
湯に浸かっても消えんし、甘い燗酒も真っ白な湯豆腐にも溶けてはくれん。うちには、背中にだまって白い寝間着かけてやることしか出来へん・・・・・・
ただ、姐さんらの脱いだ寝間着、冷とうて固とうなった寝間着拾い上げて、白い抜け殻みたいな中でボぉーと夜光虫みたいに光っとるもん見つけると、睨んで叩いて踏み殺してやるだけや。
ー お天道さん、この姐さん、助けてやりぃ、救ってやりぃー
ひなたぼっこの慟哭を聞くものは、誰もいない。己れのそないなややこしいもんに気づいとる女子はおらん。それでも、おちゃっぴーひとりだとしても、誰かしらはちゃーんと見つけとる。
いまのは誰
勘三郎、それとも婆ぁかいな
きいてるのは誰
勘三郎、それともおとっつぁん
花街には雨の音が似合うというに、ここはいっつも晴れよるなぁ。
ううん、お天道さんがにっこり顔出しとるのは、ほんに午の一時だけ、夜はいっつも雨に囲まれとる。路地ゆく姐さんらの下駄の音、いっつも濡れとるもん。昔っからヌマとかタニの隠れた言葉で指さされとった奥の詰まりの地やもん、濡れそぼったもんが乾いたことなんぞ、ありはせん。
そやから、此処だけは変わらなんだ。逃げた先のどん詰まりにやってくるもんと、そのどん詰まり嫌さにプぃーと出ていくもんの数は毎日毎晩ながれておったけど、ヌマやらタニやらを人様の口が流してとる間はこの湯屋はいつも同じ処に繋がってる。
男には鼠色の腹あて、女には緑色のもんぺ。やってきた者には誰でも身体におうた同じもんを当てごうてやって。
縫ってるもんは、みんな北の方からやってくる。やっぱり、大きな身体を丸めながらの北の女の仕草が一番似合とるからな。少ぉして厚くて少ぉし大きな掌が、一針、二針、三針と刺していった腹あて。どんなに薄っぺらな胴体した男でも、男やったら刺し子で詰まった布地に掌を当てたら、刺しておった女子の掌の厚み感じるのんか、ねじり鉢巻の奮い立ち姿で燃え盛っとる火の中にも怖気づかんと一度くらいは飛び込んでくれる。
それが男の型やかやな。
そこいくと女はいつでもひとつの顔はないなぁ。温ったかい涙流しておっても、あごの下や耳の裏に小さなイボみたいな顔こしらえて用心しとる。一度でも冷たい水ん中を潜った女は、笑いも出来せん怒りも出来せん顔を必ず用意しておる。
畳んで山にしたモンペ、上から順にとるなんて真似はまずせぇーへん。ひとつひとつ二本の指でつまんで裏の方から針入れてる北の女の厚ぼったい顎の下を覗きこんで、どうせただでもらうんやったら妙なもんが食っ付いとったら損やないかぁと、そない言うて、勘定するもんもないのにあたまのなかの算盤パチパチいわせて。
下働きのモンペひとつ選ぶのに、そない仰山のはかりごと。ご苦労なことで。尻の先まですっぽり収めたら、姐さんらの世話やくよりほか手立てなんぞないやろ。どんなに子どもに毛の生えた顔でも、「ねえさんねえさん」の声かけて伺うだけや。
それが嫌ならすぐにモンペ脱ぎ捨てて、来たときと同じ赤いもん腰に結わえ直し、己れのモモとハギを「まーまーのもんやろぉ」と男の口真似して値踏みして、帰りがけの姐さんらの塊見めがけて「置いとかんでぇー、うちも連れてってぇー」って、来たときとは違うカラカラよう鳴る下駄の落とさせて、一番手やのうて二番手の姉さんの帯を掴まえる。いまは、姐さんら、おのれを隠すよりも見せるように顔にいろいろ塗りたくるようになったけど、二番手歩く女の顔だけは変わらんな。
猿みたいに、前ばっかりに目ぇむき出して、歯ぁむき出して。すぐに猿の顔をつくる女は醜いもんや。みんなそないに成り下がるの知っとるから、すぐにはモンペ脱いだりはせぇへん。せいぜい値踏みはするけど定規あてたこの屋の下働きに何のかわり映えがあろうか。腰紐ゆわえたら朝の送り出しまで解かん生活に慣れていく。
あんな男が嫌さに此処まで流れてきたんやもの。そないな赤いべべ、真四角に畳んで箪笥に仕舞い込んだら、うちには金輪際ようのないべべやと線引きしたら、それっきりの。ちゃーんと前向くように女子は出来とるわ。
それに此処は山ん中の尼寺やないし、ホぞっとも溢れとるタニやし。あんな男はおらんでも男と女のことは匂うとるから、手首切ろうかなんて意地張らんでも女ひとりの意地腐れなんぞに落ちたりはせぇーへん。
【勘三郎の嫁とりを決めたのは誰やったんや】
・・・・・・・少ぉし、息っ、止めてみぃ。
ほぉーら、息をせんのも辛いけど息ぃ出来んと分かって浮かび上がったときの方がもっと辛いやろう。余計を考えず何も付け加えんとそのままを見ておるのが賢明っちゅうことやな。
ちいさな両の掌ぇ合わせた願掛け顔と濡れた唇みたいに上目遣いのしたり顔、どっちも此処の女子のもっとる横顔や。そないな左右別々の顔が何処ぞにあるって言うんか。あるやないか。おちゃっぴぃとたまき、お互いを背負うとるふたつの顔が。目に浮かんだかぁー、慌てて浮かべようとすると見えてくる前に喉が詰まって飲み込めんようになるやろぉ。
女子の姿かたちいうんは、あらためて正面にジーと据えると不思議なもんやなぁ、どこぞ云う角も引っかかりもないつるんとした顔してんのに何時までたってもようよう慣れていかん顔もおるし、目に刺さって開けられんほど醜いもんでも、息していく数だけ段々と此方に馴染んでくるもんもある。
ここを始めたころは、たまきがおぶっておったけどいまはもっぱらおちゃっぴぃが萬万端引き受けとるな。朝鮮張りの床板ミシミシいわして、あないに仰山の洗いもんに布団替え、それと姐さんらの見送りまで出張っとる。
はじめておちゃっぴぃに世話された新参の姐さんがハッと凍った顔を拵えても、なんにも周りには伝搬せん。伝わらん震えはすぐに静まって、その姐さんもいつもどおりの息の早さに戻って、ふたりのデコボコした身体に甲斐甲斐しゅう己れの身体を世話してもろうて、ぬるま湯浸とる景色しかもう映らんようなる。
そんななか、勘三郎ひとり違った景色を見ておる。乳母と乳兄弟の繋がりやもの、おちゃっぴいとたまきがお互いをどんなに想いおうても近づきおうても、勘三郎にはみんなが見とるようなひとつのもんにはなりはせん。負うて負われる姿しか映りはせんのや。
ー おちゃっぴぃの安泰と比べると、なんとたまきの危ういことよ
いっつもフラフラしとるおっかさんを ーお久はんって、一緒に混ざり合うて姿を消す。そのくせにじり寄って目尻ほそめて近づいていたかと思うと、ぷいっとそっぽ向いて、たまきの真似しよる。
女盛りやからって、そんな真似を此の屋で見せつけるのは女の匂いが強すぎやせんか。堪忍しておくれの白旗あげれば、二人仲良く並んだ顔をすたすたこっちまで持ってきてくれる。
そんなとき、端っこに飾りもんされとる美和の人形は無うなっとる。嫁いだ晩から、美也は居なくなったときに気が付く女子やった。だから、いつまでも三つ指ついた白無垢のままの姿しか留まっとらん。もっともそれを眺めとるんは勘三郎と婆ぁのふたりっきりやけど、たまきもお久はんも、美也の名を口にしたんは祝言の晩の一回っきりやったけど、そのくせ都合のいいように使っておったがな。
そもそも勘三郎の嫁取り決めたんは誰なんや。
婿はん、かぁ。それはないわな。大広間の隅に籠って午餉飯粒ばっかり数えておったお人が、そないな段取り組めるはずあるわけないなぁ。やっぱり姿形の見えんようになったもんが緒を付けて、何処ぞの誰ぞの掌ぇを順繰りに手繰り寄せ握り寄せ、娘を美也にさせたんや。
白無垢着せて、お店までエッサホイサと運んでいったんやな。嫁取りのあの日、みんな背中合わせして向こう側を見ておったけど、見覚えある顔が仰山に並んでおったわぁ・・・・・向こう町の御料さん、角屋敷の大奥様、辻元の見張り番の喜助じじぃまで出張っておった。
みんな己れの目の中に入れて可愛がってくれたお人ばかりや。己れの涙で身体ぁ洗うてくれて、甘もうて白おうて四角いお菓子を手ずから渡して、小僧さんが包んできたお店の反物を残らず全て買い上げてくださる神様みたいなおひとばかりや。
ー 神様ゆうたかて、みんながみんな仏様みたいな顔のおひとばかりやないやろ。鬼の形相もおるやろ
なんや、婆ぁ、もう起きてきたんか。もう隣に並んでおるんかい。
声は続いては来ない。むかしむかしのものやもしれぬ。
うちの錦絵・・・握ってるもんの顔は怖いなぁ。遭うたことの薄いもんほど、想いばっかりが大きゅう膨らんでいく。そうなるのが恐ろしゅうて、顔ばかりを醜く拵えよる。
不憫なもんやな。掌も想いも届かんような高みにあるもんを、一片なりと目にせなんだら、こないな煉獄を彷徨|わんでも。罪なもんよ、のう。
美也、美也、こっちに来たらどないや。うちも婆ぁもあないな御頭結ってた時分とは違うやろ。生まれ落ちたときから、何処ぞも誰ぞも分からん知らんもんの掌で、おのおの縦に並べて好き勝手に線引して区切られとった建前ばかりが幅をきかす時分とは、違うやろ。おっかさんかてたまきかて、違うやろ。ウンウンニコニコ顔ならべて頷いとるばっかりやろう。
うちがこないな顔して言うても本気にしとらんのよなぁ。変わらんなぁ、お前は。何処も誰ぞも変わらんと決めてかかって、ジッと三つ指ついたまんまの怒り肩ぁ、生娘のときのまんなや・・・・・・・あれから、あないに仰山の勘三郎を腹の中から捻り出しよったのに、ことの顛末も一部始終も見ておりゃしません分かりゃしませんって顔しとる。
それって、お久はんに仕込まれたんやろう・・・・それとも、たまきのときか・・・・・・そうれ、顔が
疼いてきたがなぁ。すましておってもダメやでェ、つるんとしたその乳色したホッペ、拵えもんやないか。ほうれ、漆でコーティングしたメッシュの細かいガサガサがぞろぞろゆうて出てきよった。
あないに数珠つなぎの勘三郎を仰山に拵えて、蜜柑みたくに産んで産んで、ずっと生のままでおられるかい。なぁー、本当はどないしたん。何処ぞで拾うてきたん、誰ぞから買うてきたん。隠さんと云うてみい。尻に敷いとる座布団の綿を片手で千切っては少しづつ帯の隙間に詰めておったの、しっかり見取ったんやから・・・・・・・・なんや、震えとるやないか、両方の肩からヒク、ヒクって書き出しとるわ。無言の行でもあるまいに、口つこうて声だしてみぃ。
プふぅ、あハぁ、うワぁハハあははぁー・・・・・・もう我慢できん、かんにんかんにん、堪忍やでぇ
よっこらさぁー、と。白い小さな磁器ばかり重なった造り付けの棚から梯子を使わずに降りてこれる大きな身体に戻りつつある。ずっと縮こまった身体に伸びを入れると、一歩ずつ一歩ずつ元の大きさに落ち着く感じがしてきた。
片付け忘れの緑茶がないかと探したら、豆茶碗に冷えたまま山盛りになってるやつを見つけて、零さんように壊さんように親指小指の二本で上手に口の中へ垂らし込んだ。
「甘露」
実の声がしてきて、仔を産む源は北の女に変わりつつあった。
「どいつもこいつも仔どもを産まんと、おしゃべりばかりしよる女の戯言や」
穏やかな静寂ばかりとなったこの屋に、大きな実の声は背中に抱えるほどの目方を女たちに強いてくる。
此処がお前の持分や、ここだけにじっと座ってるおったらええんやって、四角四方の布団の中に放り込んでもろうたら、そこの真ん中でちょこんと座っておったら、綿を帯の中に仕込む小細工なんぞせんでも、他所から赤ん坊引っさらうような危ない真似なんぞせんでも、
「勘三郎やったら、なんぼでも、産めますがなぁ」
姐さん方みたく仰山のお情けもらわんでも、あの晩に旦那はんから貰うたイッぺんのお情けで、うちなぁ、ずーっと勘三郎をこうして拵えてきたんやもの、産んできたんやもの。
姐さんらみたく仰山に身も心も擦り減らさんかて、旦那はんにちゃんとご飯食べさせてもろうたら、象牙の銀箸でちょこっとずつお午のお膳たべさせてもろうたら、
「手ぇ繋いで、その掌に勘三郎かいて、数珠つなぎに順々に己れの出ていく順番待ってる勘三郎を次々に産んでみせますぅ」
そうよ、そうよ、そうやよぉー、地モグラに連れてきてもろうたんよぉー
全身ずぶ濡れの真っ黒なもんにくるまってる地モグラに逢うたことおへんかぁ、見たことおへんかぁ・・・・・・・目の前に出されたもんに箸つけるだけでエエって云われて、男の子なんぼでも産んでエエって云われて
北におっても、黒くて重たい曇かぶって針仕事ばっかりしとっても、腹は大きゅうにはならんからね
種つけてくれる神さんの虫が背中から這い回って来んことには、シワくちゃ顔の娘のごした婆さんなるまで待っとるだけ、いつまでたっても右の針もつ掌ばっかり往生に動き回る婆さんの掌にのまんまって、地モグラが右ん方の耳元で囁くんよぉ。緑に膨らませた甘ぁーい緑茶を耳の中に注ぎ入れてのぉ
美也の大方は北の女に変わっている。仮縫いが施された白無垢には無数の黒糸が漆の厚みで刺さるかから、ドスンドスンの音が零れる。
花吹雪が落ちる、舞う。上から、おちゃっぴいが、大道具小道具合いの手の一人何役にもなって、花嫁姿の美也をおだて続ける。ひとり相撲の滑稽さでも、こないなことでもせんことには、ひとり静かに女王蜂のように静かに勘三郎を産み続ける女の性は、やりきれまい。
顔やかたちは分かれていても、風呂焚きの男はみんな勘三郎。美也がひとつひとつ産んでいった仔、親方の仔、おとっつあんの仔。一度や二度、猫にやつした身に墜ちても、此処まで辿り着こうと逃げてくる。母と父が両方一緒に待っていてくれるんやもの。
見知っとるだけの猫でええから、思い浮かべてみぃ
時々プイっと居なくなるのが牡猫で、左前足の肉球をホジホジしとるのそぉーとうしろから覗いて、そこに豆文字で「かんざぶろう」が浮かんでいたら、それは間違いなく美也の産み落とした勘三郎に相違ない。
たとえ居なんなった間が短くても、それが散歩でも徘徊でもなく、「居らんなった」と感じるんやったら、きっと穴を見つけてこっちまで出張ってきたと思えばいい。
穴からこっちまで、長いか短いかあてにならんように、時の長さかてあてにはならんもんやから。
もっとも豆文字見つけるんは少ぉーしコツがいる。横になって寄り添って、その猫と同じ大きさまで縮まらんとな。お互いの掌合わせるみたいに猫の左前足いじっておったら、そのうちいい具合に縮こまって水かきが生えてきて、ぴったり吸い付いてきよる。ちゃんと産毛みたいのも生えていて、あんまり見とれとると、そっち側の顔ばっかりしとると二度と戻れんようになるけどな。牡猫に合わせるときは、からだみんな引っ張り込まれんよう、床柱に手足のどれか結わえ付けとかんとな。
この屋でようやく勘三郎に戻ったのに、顔だけまだふたつつみっつ混ざったまんまのものもおるやろ。女子と違うて、いったん入れたもんは、分けることも別れることもかなわんからな。
おとこはな、どーんな些細なことも後戻り出来んように出来とる。
進むか止める、その二つだけや。見ておるぶんには分かりやすいが、中に入いれば、本人も廻りも、起こりよるのは面倒くさいことばっかりや。そうすると、おとっつぁんは正真正銘の男の中の男、鑑ちゅうわけや。おっかさんには指一本触れず、勘三郎うむために一度だけ種づけしよっただけやもの。あとは大広間の座布団一枚のうえで毎日毎日同じ午餉の御膳に箸つける毎日を送りよった。この屋に模様替えしてからは、半裸赤銅した風呂焚きの親方、藪入りもせんと毎日毎日大煙管の一服もろうただけで、あとはずっと窯の前で火の番しとる。女子らが白いもんに包まれぬくぬく小っちゃな夢ん中へで浮かんどるときも、年寄りの勘三郎たちが貧相な講釈ばっかりもうもうした湯気の中に垂らしても、若い勘三郎たちが翌日のため己れらでせっかく磨いた洗い場ぁうんコまみれになっとるときも、濁った白い煙のうえに浮かんどる。
このおひとには昔も今もオス猫はいらんのやろなぁ。このおひとがオス猫そのものやもの。おとこはんが持っとる「背中に包んだ女々しさ」の類ひとつも持っとられへんもの。どの世間様におっても、いっつもひとりで居るのやもの。裸んぼに黒いマントとシャッポひとつで、あないに遠い北の方まで、時間も場所もなんもかも湿ってゴニョゴニョしとる中まで潜って廻って来はったのに、なにひとつ顔は変わりゃあせん。己れは混ざらんのやもの、どないに圧かけようとあのおひとの中じゃただただ周りが早ぉうに回っとるのと同んなじや。
どこの男はんかて添い寝して身体を縮めてまで探そうとしてはるのに、オス猫に映る己れの姿がなんにも変化せん不動になるの待っておるのに、ひとのなりした男のくせに何の衒いももたんと涼しい顔のまんまおまんま食べて水蜘蛛みたく白い煙の中に浮かんどる。
【水グモの御仁】
ぷかり ふわり ぷわぁー
おとっつぁん、生まれたんは岩の中からやったって、いっつも云うてはった。女のはらから知らんから女のほじほじしたの、一片たりと身に付けよらんって。
「婿はんに」って勘三郎おとっつぁんが迎えにいくまで、猫のひたいみたいに狭い山の頂の3軒しかおらん村の中で、あないに固太りするまで毎日毎日順繰りに食わせてもろうてた。
一の家で飯もろて、二の家で礫もろて、三の家で情もろて
どこの家に門付けするときも、腹の中のコマ見られんよう胸元隠して回しておった。ブーンっておと、腹ん中からやったし、おとっつぁんよりほか聞こえんから裸にひん剥かれたかて分かるはずないんやけど。
これから身にかかるどないな仰山のことも、胸の袷から暗い腹ん中を覗くとブオーンと一本足で廻っとる万華鏡がピクリとも揺れんと明るい虹色の輝き見せてくれて、たとえ喉の奥に手ぇ突っ込んでも触れられんこと百も承知やったけど、それでおとっつぁん、ばらばらにならんよう固太りの身体拵えることが出来たんや。
水蜘蛛なぁ、あの水グモ。あのお山のてっぺんにも住んでおった。見つけたら衒いなくすぐにしゃがみこんで、池の中いつまでもジーと見つめてあげてた水蜘蛛。
八本の脚では足らんと、腹の節から産毛にしか見えん仰山の掌を繰り出して水面に顔を出したら、一気に空気の珠つかまえて胸の中に抱え込んで、さっきまでお尻しずめてた水草の角が丸ぁるく残ってる処まで戻ってひとり用の丸ぁるい泡に結わえ直して落ち着かせんと、すぐに他所の角々しい世間の水に推し負かされてしまう。
おとっつぁんがいかに大男でも、ノミが逆立ちするほど仰山の空気の泡を「胸やら腹やら」に溜め込んでも、いっぺんには両手両足踏ん張った先よりは大きゅうにはなれん。あなにに長い間もぐっておったのに水の中お湯の中には仲良う解けこまれんかった。掌には水かきも出来んとあっプあっプのままやった。どないに立ち回ってもお尻は外さんのやもの、前や後ろを紡いでる命あるもんにはどんどんどんどん先を越される。
そないに長い時が横たわっておっても、コマの軸はブレず止まらず。万華鏡が奏でる景色ばかりを拝んでる御仁は、
おとっつぁん
婿はん
あんさん、おひとりや
ほんまに、ひとのなりしたまんま水の中潜ってお湯の中潜って、うちらの処まで辿り着いた御仁は婿はんだけや。
水蜘蛛なぁ、あの水グモ。水の中に住んどる蜘蛛は何千何万おるけど、地上をそのまま持ち込んどるのはあのクモだけなんよ。
ほんまになぁ、あの大きな空気溜まりの中やったら、お午の一番高おうにあがっとるお天道さん綺麗やろな。水グモのな、釣鐘型の空気溜まり、あの小指の先の小さなつぶつぶジィーと見とるといつの間にか中に居るクモが消えて、キラキラ光る水晶の先から続く広い世界が見えて・・・・・
あかん、あかん。見とれたらあかん。親方の煙の中を何もつけん眼で見ておると、親方は消えてコマのぶぉーんいう音しか見えんようになる。そしたら親方の見とる万華鏡の中に塗りかためられてしまう。そうなったらもうお終いや、重くて暗くて平べったい向こう側に行ったっきりや。
水グモはな、おるのはおひとり様と決まってる。他人はただそれを眺めるだけ。
桃源やのうて苦行やからな。
おとっつぁんは、いったい、どっちを感じておるのやろ。
どっちかなんて、はらからのないおひとの顔や。詮索したかて詮ないこと。
ほぉーれ、ほぉーれ、だんだん煙が薄うになった。また今日一日の始まりや。余計なアブクが入り込まんよう四六時中両手両足ばたつかにゃあかん幸せな一日の始まりやでぇ。
頬骨首筋尖り返し、勘三郎おとっつぁんは白い脚絆の支度に取り掛かる。「外は白みが迫る時分」と、まだまだ眠ってるお天道さんのため天井ひとつ突き破りこきりこ一本舞い上げる。これが朝の勝ち鬨と、脚絆巻く手の心は躍る。気に留めてているのは、相方の伴侍の声の調子だけ。おっかさんをあせのばぁから貰い受け、おとっつあんを山の頂から貰い受け、勘三郎の今に至る縁を起こしたことなど疾うに蚊帳の外。
縁を起こしたお方にしては、あまりの始末では。
勘三郎おとっつあんは疾うに抜け殻。勘三郎の名で覚えれるものとて、ない。そこまでは殺生というなら、隠居はんでええがな。
ほかの者はいざしらず、勘三郎は、抜け殻にせよ白の脚絆がキュッキュッ巻かれる度に増える白の重なる透き間から縁を手繰り寄せ見つめている。
白々あけるには、漆黒はまだまだ深い。
この谷に再び散った姐さんたちの髪も息もまだまだ光沢を放ったまんま濡れている。もうそろそろと此方に向かってカンカンの下駄の音よこしてるのは、小さな仔のちびた下駄に無理矢理あしを押し込めた勘違い女ひとりだけ。ほかの姐さんがたのビーサンぱたぱたは未だ未だ潜ってる。
いちの家で飯もろて
にぃの家で礫もろて
さぁーんの家で情もろて
誰ぞかそれを唄に廻しとる者のせいで、だんだんに消えようとしていた煙草の煙も山の頂きも未だ未だ晴れようとは、せん。万華鏡の映す幾何学模様は天井板の節のようないびつな楕円に、かわっとる。
微熱が続く子の火照った面影ばかりが勘三郎の頬に集まってくる。
山への登り口を探そうと足元に目をやれば、山はなく、あるのはセコイアばりの巨木が根を張る地獄ばかり。樹はどれもが青桐だ。どんなにセコイアの真似をしたって、しがみつけば生娘のように硬くて軽い。どこぞにも引っかかりはなく樹冠まですいすい押し上げてくれる。
勘三郎は、この身が生娘なのか生娘は恋しがるだけなのか思いあぐねながらも、緑への乾きをそのまま受け入れてまっすぐに登っていった。いまのいままで居った足元が地獄にみえてからは、樹冠は鋭く突き出た天の極みなどではなくて、桃色したぼんぼりの夜におとっつあんが背中に描いてくれた「可愛らしゅうなりぃ」ってゆうてくれた景色。幼い小さな掌が寄せて掬って盆に納める丸ぁるい景色。
「桃色のぼんぼりと同んなじ顔した禿さんが並んどる。その庭を前にして、生まれて初めて同んなじ桃色したべべ着せてもろた晩やった」
髪もこんなふうにと、いまでは梯子段超える度に片手で結えるようになった女髪を、あの晩はじめて結ってくれたんは誰やったんやろう。後ろの気配は婆ぁやったけど・・・・・いいや、おとっつあんが二人羽織するみたいに婆ぁのなかすり抜けて結い上げてくれたんや、その合間合間に絵筆を取ってうちの背中に可愛いらしゅうなるもんいっぱい画いてくれて。
おとっつあんの胸の中のこま、「万華鏡は桃源郷」って唄ってはった。「まぁるい淵してる山のてっぺん」って。盆を底の方から透かして覗く眼をして、片目つむって、瞑った方の目で万華鏡をみて、余っとる方でうちの背中に同んなじ線を施して。うちがぼんぼりと禿さんに呆けとる一晩に、ふたりにしか見えん細工を施したんよ。
あー、青桐の樹冠、木漏れ日あびてプリズムのよう
おとっつあんのふるさとの「万華鏡は桃源郷」は、障子越しの影絵のように淡い点描画となって勘三郎の背中に散らばってる無数の針の色の痕を解き放つ。
青桐に昇ることは、想いがそのときまで下ること。
【じゅるじゅるを呉れる三つの家】
勘三郎は、縁を踏み分け、その地に降り立つ。
ぷるんとしたモッツアレラに指を入れ手を入れ身体ごと滑りこませると、つるんとした冷たい絹ごしのまま山のてっぺんに跳び出た。扉は閉じていた。それは粒の混じっていない御影石になっていて、光沢と割れ目を除けば今さっき赤子を産み落とした痕などみつけようもない。
三軒の家は皆んな等しく並んでいる。お互いを繋ぐ結び目は、まだ見当たらない。結ぶのは、泣かない代わりに這いずり回るばかりの赤子だけ。赤子は纏足を施した老婆の足で草むらから踏み分け始めた。草むらは柔らかい。お互いがつくった濃淡ばかりで赤子を拒むカケラはひとつもなかったが、赤子は重かった。重くて纏足の這いずりは草むらを切り立った断崖に変えて、赤子の行く手に立ちふさがる。一寸の移動でも重さは小さく包んだ足に食い込んでくる。
銀の箸より重いものなんぞ持ったことのない深房の女が、老いて初めて重く積んだ荷台を踏む。踏む出す度、纏足の足に血がにじむ。己れが食む重さが小さく包んだ足に突き刺さる。
それでも断崖は、赤子を拒むんではのうて、包んでおった。
一歩ごとの歩み一滴ごとの血の滴りを、赤子の痛さ苦しさと一緒に三軒の家は同じ重さで受け止めておった。
みんな 見ておる
みんな 待っておる
飯もらう家は、それまでずっと飯食うのもしらんのに、はじめて三升炊きの釜いっぱい張ったあと尻っぱしょりで火を起こす。
礫もらう家は、それまでずっと肉の断ち方もしらんのに、寝たきり死にぞこないの爺さんまでかき集め薪雑把磨くに汗をかく。
情もらう家は、冷める間も水換える間もないほどに風呂をたて、胸といわず腰といわずにどこもかしこも綿毛のようにふやかした。
赤子は荷駄の重さに押し出され、「まんま、まんま」を目指す。求めているのか逃れる術か。ようようの図りようはなく、ただただ膝行るだけ。
飯もらう家からの粥の匂いが一文字に届く。赤子の乾きは、まず何よりも空腹だった。それはモッツアレラをこじ開け、這い出て、岩に代わって閉じられたときから始まっていた。荷駄の重みが纏足の爪先を苦しめていくのに、それよりもがらんどうした腹が空腹で膨れることの苦しみの方が大きかった。
荷駄に積まれている、米・粟・黍が、不具な男の拵らえた俵から雨粒を降らしたように零れていくのが見える。
もったいないのう
早よぉ来い 早よぉ来い
女ばかりに粥を炊かせ、手のなくなった年寄りは背中と一枚になった腹を見せて、膨らむだけ膨らんだ空腹ばかりを相手に戯れ言を並べる。
赤子の引いとる荷駄 ほんま みえとるようや
荷駄からの雨粒は土砂降りのように落ちていくのに、荷駄は重くなる一方。それでも赤子は引かねばならぬ、己れの餓鬼を養うために。草むらは柔らかいで、お互いがつくった濃淡ばかりを映し出す。
此処より先は進めぬ処で飯くれる家の戸口はガラリと開いて、尻っぱしょりの太ももと同じだけの二の腕に抱かれ、赤子は三升釜から柄杓ごと甕に移すように粥を飲ませてもらう。
赤子に落ちてはじめて飲ませてもらう乳だった。口から喉へ、喉から腹へと、一文字に落ちていく。口ですすっているというよりも建設現場のミキサー車から出ていくモルタルの充填が似つかわしい。先に空洞をつくって流し込み形を固めていく。
塑像の誕生、からだのドロドロとおりぬけ羽化するサナギ、そんな明るい楽しさが溢れる。
ヒルのように陰でたむろするばかりの年寄りたちは、女たちの拳固をかいくぐり、ハイエナのような鼻先で、椀でひと匙すくってはゴチョゴチョ、すくって逃げてはゴニョゴニョしては腹をくちくさせている。
楽しさはない。懸命なだけ。あまりに長い空腹があって、欲はあっても食べる仕方を忘れてる。乾きに任せてドロドロ熱々をあたまから被ったり、干からびた下っ腹を攪いてのひぃーひぃー跳ね回ることより始めねばならない。齢をとればケロイドは慣れっこだ。女が赤子にするように赤く腫れたものをフゥーフゥーいって冷ましてくれないかとねめながら、粥をすする。齢のぶん、餓鬼から脱するのは早かった。
女は赤子をあやしはしない。血糊のついた纏足を憐れみもしない。ただ、乳を仔に与え続けるだけ。微笑みや暖かさは用意していない。それであっても、赤子の重たい荷駄から飛び散るように零れていた米・粟・
黍は治まり、女たちの柄杓によってもたらされた粥はがらん胴だった塑像を固めていく。
もう、いざらずとも泣かずともよい身体に、姿は変わる。
もう産着は小さくなったので、年寄りの切れ端を恵んでもらいそれを寄せ集め、手の空いた女たちへの針仕事に回される。赤子を抱いた女の脚のような二の腕から柄杓は解かれたので、まだまだ熱く底をついてない三升釜からてんでに掬ってもそれで殴られる心配がなくなったのをしった年寄りたちは、我さきにとそこに手を突っ込む。米・粟・黍の糊は乳白色から飴色交じりに変色しているのに、火傷でそのあと三日三晩うなされるのに、そんなことなどお構えなしに爪の無くなった指を突っ立てては口へ、突っ立てては口へを繰り返している。
そんなこんなの間に、半端切れに寄せ集めは、竃から針仕事に移った女の掌によってみるみる変わっている寸法に仕上がっていく。
トントン。
白っぽかった格好は黒っぽさに変わり、出立のときを押し出してくる。格好ばかり丈夫となったが、まだその一歩が前に出ない。この家の誰よりも大きくなったのに、纏足はそのまま。丈夫になった分、小さな切っ先はますます痛々しい。
ひとごとやない、ほんまに痛い。太い畳針がブスブス縫い込む痛さや。せやけど女たちは戸口を開けるのだから、出るより仕方がない。空腹を刻んでいく例の音は消えたが、餓鬼は顔を変えただけでまだまだ居座り続けている。
ブーン ブォーン ブーン
模様替えは既に告げられている。塑像のつるりとした塊から抜け出た身体は、纏足に刺さる畳針のほかにもブスリブスリの痛みをあちこち散らばせ始めている。
口腔に異物が混じる。太ももみたいな逆三角の腕に抱かれて乳もらうときは、柔らかで
濡れそぼるばかりだった口腔に、前歯奥歯三十二本はいっきに生えそろい、食わえるものをもたないくせにカチカチチカチカ、「モッツアレラが御影石になったときの痛さ硬さを、思い出せ、思い出せ」と頭骨に響かせ追い立てる。
そうそうに肉は固くなる。青銅の羅漢にはなれなくても、豪力の矢が突き立っても、肉が二重に切り裂かれはしない鋼の芯は宿ってきた。いざらずともよい身体になったのに、礫もらう家は容易に近づいてこない、しかし確かに近づいている。礫ばかりでなく刃物が混ざってる気配はすでの承知している。錆の浮いた薄刃のすえた匂いを感じて、身体はもう余分に硬さを編み込み始めている。
その家からは油染みの浮く澱の暗さに覆われていた。パチパチいってる稲妻の隙間から薪ざっぽうを棍棒に見よう見まねで仕立てる男たちの影が浮かぶ。弓なりの上半身から、ずっと打擲とは無縁だった無垢な残酷さが見て取れた。
もう、纏足は気にならなくなった。つま先の痛覚はシルクのトウシューズに履き替えたプリマドンナのようにハレの日を前にした日常に組み込まれていて、そこだけを特別視しない。それに比べて耳たぶは芳一のように無防備だった。それに乳首も。家禽のトサカのように無為の添え物と化している。
女たちが刺し子までして縫い合わせてくれた産着を老爺たちは睨め廻す。首、目玉、脇の下、纏足、そして耳たぶに乳首と、局所にしか見とらんもんの目で睨め廻され、産着は縮み、ほどけ、穴が空く。
老爺たちは、ふだんは背中合わせの素知らぬ顔のくせに、こんなときばかりさかりのついた女みたいに悦ぶ。布がほどけ剝がされる度に肉は鎖帷子を縫い込んでいくが、それが届かぬところは必ずできる。老爺の厚ぼったい唇は、それを次々に廻していく。
「薄刃でソグのがええか、針で仰山の穴ぁ空けるほうが楽しめるか」
よくも、まぁー、こうまで恥ずかしげもうのぉー、みっしりの連み合い通じ合いができるもんよ。
密かごとは、本編より冷たいうちに頭の方で探っとる作法の時分がいちばんに血潮が沸き立つというもの、だて。
冷たい血潮が喉を押し上げる。溢れ出す甘露に男たちは歓喜する。しかし数えるのもままならぬようになって齢を重ねた身の上にはそれを飲み干す術はない。男たちはいったんバラバラにした部位をさらに刻むではなく、角度を変えて舌なめずりする。女たちは剥がれる度に結い上げ血肉が下に零れぬようにしてくれているが、その一方で、やせ我慢する丈夫ぶりをこれでもかと掌いっぱいに苛むのだから、肉の変容は止まらない。女たちの掌は結い上げるよりも苛むほうが忙しいのだから、刺し子の産着などはとうのむかし。いまはもう骨と肉との判別さえおぼつかない。それでも、これだけ、切り刻まれバラバラにされているというのに、壊されていく自覚は生まれてこない。
男たちが固めた棍棒をつかうのは女達のほうだった。やはり感情に任せて打ち下ろす暴力は女たちのほうが似つかわしい。
肉を潰して、骨を叩く。
力をそのままに乗り移らせるのは、冷たく鋭利なものよりも非効率な道具のほうが似つかわしい。
女たちにはむさぼる乾きが底に見えるから、生身のまま食い扶持にされとる気がする。それに比べると男の方は、耳たぶにせよ目ン玉にせよ、いったんはあたまの中にいれてから反芻して楽しむ合間の事務作業が横たわっている。羹をフーフーいいながら冷ましてからでないと味わえないジャマものの影がある。
そんな理屈をこねながらも、みんながみんな決まりごとどおり獲るものはきちんと獲っていく。
棍棒が後ろ手の順々に渡されるたび、一緒に渡されているものが後ろ影から見せてきそうになるのだが、痛みよりも先にくる一撃の連続が凸凹に出てくるものを封じてします。
打擲も、ずっと続けば馴れはくる。するもの見るものばかりでなく、受け取る側にも公平に反復作業の単調さはやってくる。
そうなると、ガサガサゴツゴツからフワフワなツルツルなキメを味わう豆腐のような模様替えがやってくる。棍棒はすりこぎ棒の丸味に、女達はすりこぎ鉢を支える掌に昇華される。
濁音はもうしない。ニカワを薄く乳白色にピーンと貼っていく音だけが耳のあたりをゴソゴソ這いずり回る。ニカワもきっとこの身の骨と肉から精製したものなのだろうけど、太宗は蛹のドロドロにあてがわれたようだ。ドロドロになっても、いずれ結い直される肉の確かさは覚えている。
太るためだけに食っていた身体は、こんどは蝶となって羽ばたかねば。
床に水を撒いて、デッキブラシで押し流している。どんなに零れないよう閉じ込めてくれても、変態を行ったのだもの、多少の残滓は吐き出される。作業はすべておわったのだ。
白々と明けたのか眼窩に光が入いる。眼窩に目玉のあったことを久々に意識する。視覚はほのぼの蘇って、その順に従い光から映像へと意識は移る。薄らいだ霧の中でずっと待っていてくれたように、寝かされている白い生地の上に新しい皮膚が畳まれていた。
もともとが自分のものだから、真新しいようでいて着古し馴染んだ質感で袖を通した。それは皮膚なのだが、その下の肌にすんなり食いついてくる。手首、足首、あたまの首。首という首に丸首シャツをあてがうようにして起き上がる。
また、世間と己れとが五感で繋がった。痛みだけは戻らないでほしいと抗ったら、最後にすり寄せた耳たぶが「心配いらない」と囁いた。あたりはもぬけのから。道具はおろか人っ子一人いない。何を期待していたのか、拍子抜けする。拍子抜けといえば、どこもかしこもたどり着くまでの丈夫ぶりのまま。あんなにたくさん苛なまれ切り刻まれたのに、掌のあとひとつ残っていない。見てはいなくとも指の腹の感触から顔貌も変わっていない。
戸を開けてくれる人はいないが、ここも出ていかねばならない。刺し子の入った産着は戦利品なのか、老爺たちに持っていかれたようで残っていない。再び皮膚を身につけたので着替えたような気になっていたが、再び裸んぼうに戻ってしまった。
家の前にはデッキブラシが8本立て掛けてあった。男も女も混じったこの家にいた者たちが八人だったのをしった。
相も変わらぬ纏足なのに、足取りは軽い。ほかと同様に痛みは上がってこない。痛みは女のものからやってくるから女の呪縛から解放されたのやもしれん。
その分、デッキブラシに想いが及ぶ。遠ざかるごと振り返るごとに一本一本に八人八様の姿が写し込まれているようでならない。あの硬いブラシの先々でこの身の残り滓が掃き出されていったと考えたら、そのひとつひとつに寄り添おうていきとうなる。後ろ髪を引かれる思いになる。本当に襟足の先の毛を刷毛の先にそれぞれ結びつけてやりとうなる。
せやけど、振り返ってもそんな掌は一本もいない。おちゃっぴいの「だるまさんが転んだ」が聞こえてくるのを必死で堪えた。どろどろサナギを経た後の色も形も感覚も皆んな同じと思っていたが、それぞれに老爺たちの手による刷り込みはきっちりと入り込んでおるようだ。
その老爺かて、どこぞかの乾きを背負うとる。乾きは増す一方なのに次の家はまだまだ遠い。足取りばかり軽うなっても次の家はようよう見えてはけぇーへん。老爺の乾きは増しているのか、海綿がパカパカと焼しめたホタテの貝殻の音を立ててくる。
掃き出された残りかすは、もうとっくに先に着いたことだろう。
先の窓から覗き込む視線が集まり始めた。彷徨で萎えはしているが、すっぽんの局所はじりじりこそばゆい。
シュワシュワ パッパ
シュワシュワ パッパ
お互いに乗り合わせた何百のカエルたちの口からラムネが泡を吹いて踊りだす。白く煤けた屋根瓦に雨が一粒一粒染み込み色を取り戻している。
歓喜のお膳立ては、こちらの彷徨よりも近づいてくれているよう。
やっとこさ、次の家が見えてきた。並んだ三軒だのに、遥か彼方のお膳立てを間に挟まねばならなかったようだ。振り返ってもデッキブラシは既に隣の家に片付けられ、襟足の後ろ髪を引かれるおそれも、無ぅなった。
屋根瓦にあたる雨がようやく此方にまで届いてくる。気遣っているんやろう、か。ひとつぶひとつぶが顔を見てもらえるようにと弾いたり飛んでいったりせずに平らかに滑ってくる。
奥ゆかしい。この家には力まかせといった感はない。それが手管の呼び水にせよ、口をあんぐり開けとる野蛮は感じられない。これからのことが慈悲に満ちた精錬なぞではなくとも、三指ついて待っててくれる作法と情熱はひしひしと伝わる。
「えんえんを抱えたまんまお待ちしてたんや。几帳面やって言われたなら、はいって云いますけど、奥ゆかしいなんぞ云われたら、そないなもん知りはらしません云います」
臥せったままの顔がサラサラを書くように云う。
顔は挙げずとも皆んな女性としれている。もてなす者は女こそ相応しい。
順にあげてく女の顔から、デッキブラシの掃き出した残りカスが此処まで出張っとらんかと探してみたが、存らなんだ。顔を上げると、役目に遵じた女たちの掌がつぎつぎ身体を引っ張っていく。
女たちは皆んなすっぽんぽんのまま。こちらもこれから何か着させてはもらうことはないやろう。着るものもなければ隠れるところもなければ、このままずっと男のママやろう。あの老爺たちを思うと、なんだか気の毒な気がする。掌はおろか足も男根も突起物はすべて女たちの掌のものに吸い取られていくので、名残のあるうちに八っつのデッキブラシに掌を合わせた。
情が内に注がれている。
それを営みと呼ぶのなら、すべからく形がある、身体がいる。たとえ独り寝の薄ら涙だとて上手い絵師の手によらねば、ほのほのの女の涙は誘えない。衣擦れひとつせぬ営みであっても刹那の作法は用意されている。
はじめに男根は女陰で隠される。台に載せられ、「仰向け」と」命じられた刹那、白いテーブル掛けでもかけるようにそれで蓋をされた。そこにだけ蓋となるべく神経を配る役割の女なのだろう。身体にかかる重みはなく、僅かな震えも帰ってこない。台を囲むほかの女たちは、手の小指足の小指に至るまでの小さな突起物まで己れの一番に柔らかなもので包み隠そうとする。
身体の大きさも柔らかなさも異なる女たちの突起物への順繰りのご奉仕は、仕込まれた作法によっている。
準備が整ったので、本体は順々に穴に注がれていく。 ひたひた ひたひた
本体はぬるぬる温かな汁。両手でつくったお椀から注がれて、少ぉし暖かく粘っている。柔らかでももっとくねくねしたしたものを想像していたので、粘っていても流れてくれるとは思わなかった。やさしさを感じる。
めいめいが顔に懸けると、瞳はすぐさま黄金色になった。そのまま、耳、鼻、口へと吸い込まれ、腹まで廻ったものは臍に、背中に廻ったものは尻へと、一滴も台無しにならず与えられていく。
ー お腹いっぱいに、なって
腹が膨れてくれば、その都度女のもとへと帰っていく。流れ流される作法に途切れることはない。もらった情けが金色なら放おる情けも金色。上気した女のまつ毛の先から金色した鱗が舞い散る。金鱗は蒔絵師の手にかかったように、この家の壁といわず天井といわず金に染めていく。
金の出処は女によるのか営みによるのか。ひたひたは巡っていき、この家の金はひとつになる。
ー 三指ついてたときはあないに奥の方まで傅いて、遠い長さがはかりしれんかったのに、今はこうしてひとつに収斂され、九尺の心張り棒が組み合わさって、四畳半をこうして整えとる、と。山頂も樹冠の先も営みの行き着く先はこのかたち。
「あない仰山を、いっせいにやったら、入りきやんやろぉ。穏やかなまんまひとつに成りたいんやったらいつもの四畳半になっとったらエエ」
金鱗はエエと返事でもするみたいにいっせいに光を失い色を失い、四畳半は風雪のみで固まったいつもの顔をさらした。
おとっつぁんは、あいも変わらぬひとり膳。
飯も汁もたった今運ばれたふりして、フーフー湯気いっとる。
こないいろいろ巡るのに、纏足は相変わらずのママ。女の怨は消えずに足に宿ったママ。それでも、もう、鹿や馬の蹄と同様の岩場渡りの痛々しさはせんでもエエ。向こうから迎えに来てくれはるから。ほうら、息せき切って登るひとの息遣いが聞こえる。
勘三郎おとっつぁんが登ってくる。婿にしようと、杖もつかずに登ってくる。降りるときにはスッポンポンではまずかろう寒かろうと、肌着やら襦袢やら綿入れやら背負って登ってくる。
さきほどから箸はつけているのに、飯も汁もたった今運ばれたふりしてフーフー、湯気いっとる。幸せでおるのは、ここにおることや言われたのに。この四畳半でえんえん冷めない飯と汁に向かっておることやったのに、ゴツゴツした地面にまた降りていくんやなぁ。あの肌着やら襦袢やら綿入れやらを着て、この山を降りるんや。あのひとに仕えあのひとの娘にされた女と祝言をあげるんや。
おとっつぁん、綿入までしっかり着込んだあと、四畳半のお部屋さんを背負うて奉公にはいった。あとは、なにが起ころうとされようと、背負うた四畳半のお部屋さんの中にはいってなぁ。「うちを拵えるときのおっかさんへの一遍だけのときも、あの四畳半の中で同んなじお部屋さん背負うてしておったんかぁ」
勘三郎は、四畳半までの顛末を見届けて、今がここを降りる潮時なのだと飲み込んだ。お店の先まで見届けてしまったが、ふたりはまだまだ山を降りる途中にいる。追いかけるように二人連れの間に入いる。そんなときの勘三郎は、幼な仔の短い足に変わり、先に行ったっり後ろについたりとちょこまかちょこまか関心を買おうとするのだが、二人は見知らぬ美しい童にむける関心は起こしてくれない。
こちらの勝手とはいえ、こんだけ長い付き合いやのにと思うと、少し寂しさが込み上がる。勘三郎は、降りるすがら、己れが小さく愚かなものになっていく気がした。それでも再び同じところに戻ってきた。
己れのたった一つのものといえ、お店はそんな大きなものを背負ったままにしておいて呉れるはずはなく、四畳半は影だけ残して姿を隠す。存ろうが存るまいが見えようが見えまいが、それは隠れているだけだからおとっつぁんには何も不都合はない。
「ひとりでひとつ、ふたりがひとつ、居心地いいらぐじゅあり」
青桐に登って、その樹冠にあるおとっつぁんのふるさとを経たあと、勘三郎は、身体が男であるような感じがした。まだ裸にひんむいてはおらなんだが、身体の素は男になっている。だからといって、そこまでせんでもよかろうにと、留めてくれる掌がある。
ー 男になるときに結い直したものを男に戻るときに結い直すだけのこと、作法に変わりなければ、しばらくは時がかかるであろうが、のぉ。
小さくなっていく、疎かになっていく寂しさが横たわる。ただただ、漬物石のように重く儚く横たわる・・・・・・
じゅるじゅる音がする。青桐に掴まり、樹冠まで、おとっつぁんのふるさとの山の頂まで登った身体の記憶さえ不確かなものになっていきそう。
【ようやく、おとこはんになりはった】
何時寄ってもお店は谷と見まがう潜った底に寄り塊まっている。名前を付した看板やら表札の類やらは一切掲げられていない。「もしや」の訪れる者に顔は向けずただただその通りに丸めた背中を見せるだけ。いじけているのか隠れているのか、それすらすでに忘れてしまっているのか。
それでも見知った屋だもの。どんなに顔を変えようと、そこまでの途は身体が覚えている。後ずさりせずとも一本道でその屋に辿り着いた。
錦絵の回収を言い訳に勘三郎がいつもの途から帰ってきた。顔は、同じ顔している。
そんな素振りに婆ぁは浮かぬ顔。「何をいまさら」と腕組みした格好までこさえて顔を突きつける。此処から先まで見知った身の上やないか、此処にはもう舞い戻ったらあかんことくらい分かっとるやろ、あっちこっちに義理を欠いてしまう、そないなったらうちもお前ももう金輪際のうなってしまう、ちゃんと聞いとるんか。ふん。その姿のええ唇、ぽーんとうちの前に突き出して「ひとつ歌でもご披露しましょか」の顔つきや。
「此っちはええなぁ。あるもんないもんみんなシュっとしとる。婆ぁかてそうや、向こうでは何処ぞおるか分からんような、ぼやけた輪郭に粉吹いたような・・」
慌てて婆ぁの掌が口を塞ぐ。「口にしたらあかん。此処には存らんもんを口にしたら、皆んな羽はやして散り散りになってしまうやないか」
何をいまさら。目に見えんもんばっかり後生大事にしよっておるのは婆ぁの方やないかと口の端から出そうとしたが、戻ってきたのは講釈しに来たのではない。
それよりも、
「やっぱり婆ぁは生身がええなぁ、婆ぁなんてカビ臭いもん羽織るのはもったいない。エエ女やでぇ」
何をいまさら歯の浮いたような、向こうでさんざんおべんちゃらばかり仕込まれてきて、と両手で塞いではみたが生身の勘三郎を前にして逃れる女子などいようはずはない。久方やものとそのまましっぽりいってしまう。
沁みこんどる間は時が止まったよう。
一本道でことは及んだ。辿り着いてみると婆ぁの生身は流れたりはせずに、ドスンと止まる。それなら、次がやってくるまでの間はと、身を沈め今を楽しむ。
火照りは冷めてきた。ゆらゆらしてるものが本当に固まったのを見極め背中をゴソゴソかき回す。やっぱり婆ぁにもそれは用意されてて、「あーダメダメ、そんなこと。そんなところ」なんて。何処に潜ましていたのそんなサクランボみたいな声。そんな身もだえされても、いけずな程に躊躇は起こらない、そのまま引き抜く。ごりごり。ゴリゴリ。
「えげつない奴や」
地声に戻った婆ぁは、それでも乙女の顔は見られないよう顔は向こうを向いたまま。
「うちなぁー」と、勘三郎のいけずが乙女を被った丸めた声を更にまん丸に丸め中の方まで傾けてくる。
「錦絵、取り戻しに来たんよ」
「みんなか」
「みんなや、婆ぁが刷ったもん皆んなや」
「もともとはお前様のものやもの。刷って配って貼り付けて、こんどはそれを取り返すことやな。えこ贔屓のうすることやったら、ご法度ではないやろう、けど・・・・・・」
と、もぞもぞ。三度こっちを睨めてモゾモゾ。すり替わった新しい肌の赤子みたいなすべすべを嬲るにかまけていればいいものを、まだ何か言いたそうに睨めてくる。
けど、なんで、そないえげつない真似するために舞い戻ったん。いまだに此処で暮らしとるもんは、女子も男も年寄りの果てまでも、おまえ様を背中に貼り付けたもろうたなどは、とうのむかしに蚊帳の外にしとるというに。己れで己れの顔が見えんように、背中に張り付いたものなど出来ゃせんと腹に決めたことを、わざわざしゃしゃり出て来んでもそのままにしとったらええのに。
剝がそうなんぞといきり立ったら、彫り物つぶすときと同んじや。ずっと放ったらかしにしとった業が、背負うまでの業と背負ってからの業の両方が一気に押し出されるんやもの。やらんといかんのにせんかったこととせんといかんのにやらんかったこと、そんなんが順序もわきまえんと一気に滑り落ちてくるやないか。
もぞもぞ、ゴツゴツ、つるりん、キュッ。
一番嫌いな顔のお面かぶった仰山が押し寄せてくる。
「うちの中におった錦絵、だんだんとお前様と似てへんようになってくなぁ。遠のいていくなぁ。離れていくなぁ」
婆ぁは、繰り言をひとつひとつ、こてを使って塗り潰す。たまにポツンとひとつ置いてけぼりに眺めてみるが、積み上げる作業はやめようとしない。このむずがゆさの所以を取り払う気はないらしい。よほど生身が無うなるのが恐ろしいとみえて、奥に隠した別の顔を真一文字にして胡桃の数珠をジャラジャラ鳴らす。
刷ったのは確かにうちやけど描いたもん彫ったもんのことまではようけ知らん、此処に着いたときにはもう形は出来とったんやから。そうしたお膳立てまで気持ち悪うなるくらいチャーんと揃うとるんやから・・・・・・けど、此処ばかりやないやろ、身に纏っとるもんの居心地の悪さやったら誰でも持っとる。
勘三郎、お前様だけや、ずっと肌にぴったり似合うとるべべばかり羽織うとるのは。何を見ても何処を見てもうっとりするばかりやもの。そんなお前様の錦絵をこっそり手に入れて己れの背中ん中に隠しておったもんの背中を剝がしていく、そう云うんやなぁ。
婆ぁの繰り言はまだまだ続く。そろろろ身支度をせねばと見回せば、これからの仰山の錦絵背負うための新しく編んだ錦の袋が用意されていた。婆ぁのややこしさは相変わらずと懐かしむ心根がはみ出してこないうちにサッサと退散しよう。ついでに使い勝手がよさそうなので、囲炉裏にくべられた引っ搔き棒をしばし拝借する。冷めるまで待つわけにもいかずそのまま掴んでこの屋を出るとする。いつものように手の届く辺りに穴が出てきた。もう婆ぁの繰り言は零れてこない。
これが今生のお別れと分かると下駄ばきのまんま振り向いて、「もう一遍」の人差し指を立てたくなったが、「身勝手なやつや」と言われそう。ほんに婆ぁのループはしゃっくりのよう。知らんまに此方に移ってきよる。
婆ぁでさえこれやもの、先が思いやられる。それでも穴に下駄の歯を引っ掛け、向かわなければならない。
すぐに。
長屋の壁土をガリガリ踏みつけてまたぐようにそこに身体を預けると、向こう側はするりとやってきた。それでも下駄履きで出かける先だ。足元はどうでも悪かった。
雨がささくれのように刺さって膨らんだ路地の小さな外れ。
ーこんな寂しいところ早く抜けんと
そう足早に過ぎ去っていったひとの足跡がそのままに小さな水たまりとなって残っている。大また小また、駆けていったときがいつでも見えるようにと、想いとはうらはらに施したひとの陽炎がすっくと焔を立てている。ぶつからぬと分かっていてもそのまま真っ直ぐ歩くわけもいかず、これ以上はいかぬところまで身体をくねらせて先へと進む。
こんなでも、空の方はもうすっかり晴れあがっている。綿を丸めたような雲がひとつだけ置いてけぼりをくった顔して漂ってるとおもったら、朧の月がこちらに顔を向けていた。すべてを胸の内に入れ尋ねる先を教えてやろうとでもいうのか、あちらこちらに付いて廻る。
ー このまま一緒に
ふたり分の影でも作られたら堪らない。ひとりでは少しさみしいと下駄のカラカラ乾いた音を弾ませてたら、ひとり逃げ込む分の影をつくった長屋の庇をみつけ、ひとまたぎに飛び込む。そのどん詰まりが目指す新造の家だった。
屋と違い家の方はひとの名が付いているので、生成りのまま入いるには間の悪さが絡んでくる。といって声をかけるのも間抜けな所業なので待ってみる。向こうの御仁も同じような心持ちで間を狭めているのが感じられる。ただただ待つことをやり過ごす。
「からりぃー」
その擬態語した声と一緒に開口部がさらけ出された。が、影は深く顔は表には出てこない。引き込む長くて白い腕が此方の腕ごと身体ごと抱き込んで、あとは「シャダン」と鍵をかける。まだまだぐっしょりの素足も下駄も気にしないで奥へ奥へと引っぱっていく。
「すっかり変わっちまったねぇ。でもすぐに分かった、お前だって。ずーと待っていた、ただただずーと」
穴が開くほどに見つめていても、このひとの顔は定まっては呉れない。こちらの声が届けば定まってくれるだろうと口を開けようとするが、このひとの人差し指がぴたり蓋をする。ただただこの人の声を繋いでいくより仕方がないらしい。
「小さかろうが大きくなろうが、お前はお前。うちの中にずーと住んでおったまんまや」
お菓子の匂いがする。腹の中は繋がってるので、作っている最中なのは、砂糖と卵をかき混ぜて焙烙でゆっくりゆっくり炙っては膨らませている最中なのは、伝わってくる。どこぞも角の見えない丸ぁるいもので腹を一杯に満たそうと思ってくれているのだ。
ーまたあのときと同んなじ処に二人して一緒に座っておるんやなぁ ー
暗闇を手探りするままそこまで辿り着くと、何よりも先に、みるみる唇に丸ぁるく砂糖の粒が纏わり付いてきた。糖蜜を絞って乾かしただけの砂糖は煮詰めた火照りが粉にかわって、唇いっぱい粘りを貼り付ける。
あのときみたいにベロを出して唇をペロリ一周すると、そのひとの唇が薄墨がそこだけ晴れるように丸ぁるく現れてきた。ふんわり綿雪の唇を紅つこうて真一文字の線引くみたいになぞった。そのまま化粧施すみたいに小んまい真ん丸の頃に戻った掌でピシャピシャやったら、真っ赤な唇ゴロっと開いて瓜ざね顔が麗しく現れた。
ー 何時んときの幾つんときの顔やろぅ、うちと初めて逢うた一日前の日やろか、それとも御新造はんって呼ばれはったころやろか ー
うちがはじめて逢ぅたときも、すでにうちより小んまい仔が五人もおって、そんでもお部屋さんから「御新造はん」呼ばれて、世間様も当たり前にそれを受け入れておった。せやからこうして、何度も何度もベロで舐めたかて、何時のときか幾つのときか、よう分からんようになってしまう。
「ひとり産むやろぉ。」と、唾を飲むゴクリの音が鳴る。
そしたらうちなぁー、初めて旦那さんからお情けもろうた時まで若ぉなるんよ、女子になってからの分、みんなその仔にあげよるから、もうすっからかん。すっからかんになったら、ちゃーんと見ておいでやからサイコロ振って、「振出までお戻り」云わはって、まだ蜜の入っとらん硬いまんまの甜瓜まで戻してくれるん。
「かたい、ミツのはいっとらん甜瓜まで戻るんやモノぉ」・・・・・乳が爆ぜる匂いはせんなぁ・・・・・髪の毛、おかっぱにもどしなはったんや。今風やな、よう似合うとる。おっきな黒目のおかっぱの女が出張った腹かかえて、たたんだり、しゃがんだり、ときには素っ裸になったり。どれも途切れん線のまんまに上手に描けるんやけど、どんだけ産んだゆうたかて、この方の赤子抱えた姿は似合わへんな。女子から描いたかて赤子から描いたかて、どの線も途中からプっつり切れてしまう。お互いが繋がっとらんものの線はプっつり切れてしまう。
「こないに大きゅうに立派になりはったんやもの。もう甘いお菓子なんぞ、いらんやろ」と、別のもん差し出すように甜瓜の顔を寄せてくる。その瞳、大きゅうて冷たいのは変わらんままやのに、魅入られるほど煮詰まる蜜の香りが鼻腔を刺してくる、そして、それを手招きする。そのくせ、明かりには晒さぬ身体の方は、こないにぴたり吸い付けても、冷たさは朝露のまんま。
「みしってる身やもの」と、右の掌ひとつあてがい身体ふたつを繋げるように貫いた。このひとの中でずっと染み込んでいる冷たい波が、そこだけ熱いものに変わっているのを伝えてくれる。
「ようようの男はんになりはって・・・・・・せやけど、こうして、いま、うちん中で預かっとるもんが見えんようになったら、小さなおむすび握ったみたいな肩ん中の丸ぁるい骨ばったところも、春一番に取り立ての絹さやみたいな耳のコリコリしたところも、ほーんにこんな、小んまかった頃の可愛らしいまんまや」と、そこの耳のところに囁いてくれる。
そないされると、頭も身体もトロトロになって・・・・・感ずかれんようにソォーと背中に掌を回していくには、このあたまとは別のあたまが必要だ。
鋭くて鈍い冷たい光沢まで純度を上げて磨き上げた、もうひとつ別のあたま。
火っかき棒に錦の袋。ちゃんとこの部屋にも呼ばれて、ちょこんと隅の方で控えとる。これからうちが何をするのんか、何が己れの身に掛かってくるんか、すべてお見通しなんやろぅ、分かってるんやろぅ。それもかまへん。それが抗えんことも承知しとるやろ。
腹這いの姿勢のまんま、右足の親指の先、つつつぅーって火っかき棒覗き込むみたいに走らせて、そぉーと、くわえこんで、挟みこんで、火のつく口先から覆いかぶさっとるその背中に押し込む。
「あっ、あらぁあらぁ、あっ、あー」
延髄から喉仏まで一気に突き通った声って、あんな声いうんやろ。断末魔のよりも先までのうめき声あげて、ご新造はんは果てはった。
火っかき棒の口先からは、刷り降ろしの染料が立ってきそうな錦絵が、紅い大首あらわした。
すべてお見通しやったんやろか、シクシクさまざめの泣き顔も、婆ぁの「えげつない奴や」の口説き口上もなく、ことが起こったあとのぬめりの跡はどこにも残ってへん。
ずっと背中合わせしよった勘三郎の大首絵が消えたら、あとは男の情もろて次々に仔を成していく一本道。ぴーんと張って切れていかんよう、どこをとっても丸みに移ろう女のかたち。
「後生大事」と決めてかかっていても、己れではなくなり異物になれば素直が顔を出す。かくれんぼしよった顔がやっと見つけてもらったみたいな顔しとる。
ー おわったあとの湯上りの顔。
そう、それっ。おわったあとの明るい満月みたいに、無性に大きゅうなってとる。
「その大首絵、紅が乾くまでは丸められんやろ。しばらくはお客さんで此処におってもらうことになるんやから」と、前よりも大きく丸く重くなった尻を両手つこうて持ち上げて奥へと引っ込んだ。
この奥より先に入り込む処などないよう窺えたが、あの大きな尻まですっぽり居なくなったところをみると、何かそこにはあるらしい。ガサガサかたこと気ぜわしく世話してる様子が窺える。聞こうとすると何か誰かが邪魔して聞こえなくなる。うちの耳の奥のザワザワがたごともそれに加担している。そっちにばかり気を取られていると、せっかくのあのひとのかいがいしいもてなしがどんどん薄くなってしまう。
大首絵はあらかた乾いてきた。
かゆいとこかくみたいに火っかき棒でそこをこすっても染料の膨らみは落ちてこない。もう危なっかしい感じはしない。このひとの背中から抜き出したばかりのときは、染料は沸々と立っていて、紅い切れ味もドロドロもこのひとの血肉そのもののような気がしていたけど、こんなふうに乾いてみると大首絵はかたちばかりやのうて使こうた染料までうちだけのもんのような気がしてくる。
ー 取り返しに行くんや云うて息巻いてたんは何処のどなたはんやろー 婆ぁが横から小突いてきそう。わざわざ隠所に棲まうひとの元まで出向いてそのひとの背中の生肌剝いだのに、剝いだもんの滴りが無うなって乾いてくると、「そないにえげつないマネしよって」が遠のいていく。血糊でウゴウゴしとったうちの大首絵、乾いてかたちの輪郭がすっきりするに連れ、近づいてい来るよりも遠のいていくよう。
「いつも、それや」
目の前に居るもんは見んと遠くに居る己ればっかり見とれておって。若くて麗しかった勘三郎だけが「うちは、お前様」と味方してくれる。もういくら気にかけようととしても奥のガサがさカタかたは止んでしまった。乾いた大首絵はいつでも丸められる。
婆ぁから取り上げた錦の袋には、覚えのない仰山の大首絵が既にぎっしり刺さっている。取り上げたのは、婆ぁの背中の一本だけやと覚えているのに。
異和感が廻る。ループの後味の悪さが骨に廻る。けれど、剝ぎ取ったのは、うち。まみえていったのは、うち。定かでなくとも身体は慣れているから、いつものように一寸巾になるまでぎゅうぎゅうに丸めていく。袋の方でも心得たもので、すりすりしながら一本分の新参者を迎える透き間を用意しているので、大したことなくそこに突き刺さった。
元のぎっしりに戻れば、もうどれがどれやら探し出す術はない。きっとどれくらい同じ心持ちを繰り返すのだろう。振り返れば当たりの付きそうな気もするが、あたまはそこでいつもループする。
お茶なんぞ振る舞ってくれるはずはないのだ。うちは、お客さんではない。用が済んだら出ていかんと。此処は、あのひとの家なのやもの。あるじがおらんようになったからゆうて家の看板はずしたら、あかん。
そしたら大きな顔した寂しさがストンと降りてきた。哀しいでも切ないでもない。大きな顔したくせにろくすっぽ他のもんに見せたりせーへんから、仲間は連れてはこない。
勘三郎だけが持つ寂しさ、ほかのもんに分けたりは出来へん寂しさ。
哀しいには、哀しゅうさせるもんが必ずおる。切ないには、存るはずのもんが無うなったあとの|かげろうがついて回る。せやけど、寂しいのんは己れだけのもんや。写してくれる鏡もなければそれを教えてくれる他人様もおらん。
「ようやく、男はんに成りはった」
声は婆ぁではない。はじめて聞く男の声だ。拵えものでない男の声が腹から溢れ出て、あたまから足の指まで満遍なく浴びされていく。声だけを頼りの杖にようよう辿り着いておるのに泉の在りかを教わる術はない。
それは己れによるのか他人様によるものか。生まれてきたもんか漂うてきたもんか。
辿り着いたんやもの。ひとりごち云うより聞いてみましょう。この新しい感じを味わうのは初めてなんやから。さびしいは本当に潔い。何もくっついてへん。乾いとる。そして歌っとる。たったひとりで歌っとる。
響いてくるんは、イタリア語それともスペイン語。誰ひとり覚えておらん古いラテン語。初めて接する言葉なのに子音のひとつひとつが弾いた弦のひと粒ひと粒に乗っかり、風船を抱っこするときのように空の向こうを波打たせる。ふんわりした乗り心地を邪魔するものは何処にもいない。西南のたよやかな揺らぎでもなければ東北の冷たいが生まれたものを育む積み重なった土壌でもない。
かぜ。
そう、南東のかぜが頬を膨らませ真っ直ぐ沖へと進めてくれる。舞台に立つ役者はひとりだけ。風を受けて倒れず進む体幹だけあればいい。相手役もセリフもない舞台のト書きは、ー胸を張って前へ。その一言だけ。
こないなさらりの南風も、割ったばかりの生木の肌を四方八方にさらしておる身には、気張らんことには立っておられん。ついさっきまで喰っついておった生皮が己れの身のように愛しゅうてたまらん。恋焦がれる。断末魔の赤子の日照りの泣き声が横隔膜を叩き出す。
歌いよる。歌いよる。情念だけが口を突き、片耳さえ持ち合わせてくれぬお天道さんに向かって。
すいっちょん ぎーぎー
すいっちょん ぎーぎー
もうあない大げさに千束を持たんでも、歌える、舞える。天空を丸い摺り足で這うと、小気味よく左右一対の鹿となって渦を巻く。右があがれば左は下がり左を回せば右は踏みしめる。体幹が転がぬようおちゃっぴぃが相方を務めに現れる。鹿となっても勘三郎の相方を務めるのはおちゃっぴぃに決まってる。
おちゃっぴぃ、たまきもお久はんも背負わんならん姐さんらもう背負わんようなって二十人三十人の女子背負っとった小さな蚤は、ほんに軽うなった身の上を楽しんどる。
すいっちょん ぎーぎー
すいっちょん ぎーぎー
竹の千束でなければ鳴っておるのは、何ものなんか
・・・・・・ほね。白炭まで固うなった骨が、お互いの音を打ち消さんよう孤を保ったまま鳴っておる
それを包んどる半透明の虹色がかったもんは、何ものなんか
・・・・・・ほのお。ほのおが立っておる
この白炭、もとはアオギリやろ。骨の芯まで磨いたアオギリを白炭に固め百目蠟燭に仕立てて延々の炎を立て続ける。燃やし続ける。皺さえ固く成り果てたいま、いちいちそれを見に行かんでも触りに行かんでも先に待っとるもんが枯れて無うなるのは知っておったのに、延々と此処までの彷徨を続けてきたのは何によるものなのかようやく身になる気がする。
もう温かなお湯が溢れ流れる音は聞こえてはこない。羽化したカゲロウが地面から一斉に浮かび上がるように幾千万の鋼の粒が満ち満ちてきた。
蹉跌が群がるように
男は尊命に恋焦がれ
律せられゆく己れを
誉れとする