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短編集「死の物語」

私が生きた証

作者: 九十九疾風

 たった一度でも、死にたいと思ったことはないか?


  その質問への答えとしてはノーだ。だが、死のうと思ったことは1度たりともない。


 そうか。じゃあ君は悲しい人間なんだね。


  そう言って離れていく少年は、どこか憐れむように、でもどこか安堵したような表情でじっとボクを捉えて離さない。

  そして少年は、突然顔を緩めてはっきりと呟いた。


 おめでとう。君の命は、あと2年だよ───




 ・・・




  微かに目に届く光によって、私はやたら重い瞼を開ける。いつもより狭い視界には、真っ白な天井と自分に繋がれているであろう無数のチューブが目に入った。


 あれ?私何があったんだっけ?


  記憶が曖昧で、イマイチ自分がどんな状況に置かれているのか判断出来ないでいると、少しずつ戻ってきた聴覚が、周りの喧騒を拾った。

「───が──たぞ─────」「──だ───なに───」

  聞き慣れない声。遠い場所にいるのか、近くにいるのかわからない。

  徐々に覚醒しつつある意識の中で、昨日の記憶が少しずつ蘇る。


 そうだ、私は倒れたんだ。普通に家で生活してたはずなのに、急に心臓が痛くなって、それで……だめだ、その先が思い出せない。


「………………み…………ず……………………」

  自分の声とは思えない声が出た。ただ飲み物を欲しただけなのに、どうしてこんな老人のようにしゃがれているのだろうか。

「い、意識が!丙田ひのえださんの意識が戻りました!」

  近くで叫ぶ声。うるさい。耳にキンキン来る。それよりも飲み物をくれ…喉が焼けるように熱いんだ。

  ボクのそんな思いとは裏腹に、少しずつベットの周りに人が集まって来ているのがわかった。

「ま、まさかこんなことが……」「これは奇跡だ!」「いや、でもそんなはずは……」「初めてだ…1度失った意識を取り戻すとは…」

「おうどん食べたい」「こんなこともあるのかね〜」「は、早く院長に知らせなくては!」

  近くで医師?があたふたしながら話していた。1人関係ない事言ってたけど……

「これ!静かにしなさい」

  入ってきた人は、やたらと年季の入った声で場の空気を両断した。恐らく、院長と呼ばれている人間だろう。どうしてボクがこんなことになっているのかを1から10まで洗いざらい問いただしたいが、今はやめておく。

「どうも、初めましてになるかな。ここの院長の野木のぎ 誠司せいじだ。早速だが、いくつか質問に答えてもらいたい。指は動かせますか。もし動かせるなら、肯定の時のみ動かしてください」

  実際、今胸から下の感覚が無い。それ以外の場所も、動かすことが出来そうにない。ましてや指なんて……

  試しにやってみると、本当に微かに、雀の涙程の動きならできた。院長はそれで充分とばかりに首を振り、口を開いた。

「自分の名前はわかりますか?」

  自分の名前?丙田ひのえだ 舞輝まき。ちゃんと分かる。指を動かした。

「住んでいるところは?」

  指を動かす。

「年齢は?」

  指を動かす。

「通っている学校は?」

  指を動かす。

「自分が今どうしてここにいるのかは?」

 指を…………動かせなかった。

「今が何月何日なのかは?」

 指を、動かせなくなった。

「少し本題に。自分の病名は?」

「病名」、その言葉を聞いた途端、脳が働きを停止した。

「分かりました。結構です。楽にしてください」

  もう質問は終わったのだろうか?いや、それは今は関係ない。少しだけわかったことを整理しよう。えっと……まず私は病気になってここに運ばれて、長い時間眠ってて、それで今目覚めたってこと?

  もしかして、さっきの夢……少年の最後の言葉の意味って、そのままの意味なのかな……

  整理しようとすると新たな疑問が生まれ、頭の中をかき乱される。もう、今日は寝よう。ある種の現実逃避も兼ねて、眠ることにした。


 必死に、涙を堪えて。




 ・・・




  それからの1年間は、本当に苦難の連続だった。それでも、体は日常生活を自力で送ることが出来る程度には回復した。そして、私は自分の命のタイムリミットを知った。それは、長いようでとても短い、そんな時間……


 私の命は、あと1年───


「ほんっと、また舞輝と一緒に暮らせるなんて!お医者様から最初お話を聞いた時なんてもう無理だって思っちゃったわ!今日はご馳走ね!」

「お母さん、食事規制のこと忘れてないよね?」

「ええ!今日は奮発してお寿司でも取ろうと思ってたのよ〜」

「いや、だめだから!生魚食べれないから!私だけ卵とカッパしか食べれないから!」

「あら?おかしいわね〜。注文前で良かったわ。じゃあ赤飯でいい?」

「うん、それでいいよ」

  お母さんのこの天然が懐かしく感じる。たった1年という時間は、決して短いわけじゃない。それでも、つい思ってしまう。


 この1年で、私が生きた証を残せるのか──と


  とっくの昔に枯れた涙は、簡単に潤い始めた。私はお母さんに一言言って、二階にある自分の部屋にゆっくりと歩を進めた。

  本当なら走って行きたかったが、まだ走れない。多分、今後いっさい走れない。

  これまでと同じように幸せな日常が待ってると思ってた。でも、甘かった。日常というのは、そんな私を鞭打つかのように残酷なものだけ突きつけてくる。

  自分の余命を聞かされ、毎日のように涙を流した。苦しかった。悔しかった。私が1人で苦しんでいる今頃、友達は二度と来ない高校生活を満喫していて、私が死んだ後も幸せを探して生きているんだって思うと、なんだか自分が情けなくなったきた。

  どうしようもない。本当にどうしようもないんだって、入院してた時間に思い知らされた。一日の内に何度も吐血し、鼻血を出し、血涙を流し、それによって貧血になって輸血。最初の数ヶ月はその繰り返しだった。生きているのか、死んでいるのかすら曖昧で、本当に2年も生きていられるのかな?なんて思ってた。

  病状がある程度収まり、一日の出血量も少なくなってきた頃、私はやっと集中治療室から移動することが出来た。何ヶ月ぶりかに見た太陽は、あまりにも眩しくて、懐かしくて、皮肉めいていて…………気づいたら泣いていた。


 ───どうして、泣いてるの?


  外を見ていた私に、声をかける人がいた。


「わからないよ。でも、涙が止まらない」


  声の主を見ることなく、そう答えた。これは自分自身の問題。そうやって割り切ってたからだと思う。


 ───よくわからないけど、笑った方が楽しいよ!ほら!


  突然、顔を掴まれて回された。その時私は、初めて声の主の顔を見た。


 ───楽しく生きるって、幸せだよ!


  10歳ほどの少女が、満面の笑みを浮かべてすぐそこにいた。


「変なの。でも、私も楽しい方がいいや」


  つられて笑うと、少女はより一層大きな笑顔になった。

  これが、始まり。私の、私自身が生きた証を残すためだけの人生の。たった一人の少女と出会って芽生えた、温かい思い。これをお土産にして持っていこうと思う。そしてまた会った時、より温かくして返そう。たくさんの思い出と一緒に、いっぱいお話するんだ。

 例え浄土でも、出会えるといいね───




 ・・・




  4月の風を全身で受けながら歩く桜並木は、とても心地よくて荒んだ心が癒されていく。

「久しぶりに来たけど、やっぱりいい場所……」

  1度辞めた高校に足を踏み入れるなんて普通ならしないけど、今回は別。懐かしさ半分申し訳なさ半分で歩を進める。今は絶賛春休み中とあって誰とも会わないのは、正直都合がいい。

「こんにちは」

「あれ!?舞輝ちゃん!?久しぶり!体は大丈夫?ちょっと待ってね今お茶を入れるから」

「いえ、大丈夫です。すぐに帰るので」

「そう?そんなに慌てなくていいのに」

「時間があまり無いので……」

  職員室に行くと、目的の人物である山倉やまくら 誠子せいこ先生がいた。いてくれて良かった。

「先生、短い間でしたが本当にありがとうございました」

  山倉先生には本当にお世話になった。慣れない学校生活の中で、唯一安心できる場所でいてくれていた。勉強も毎日個別で見てもらっていた。私を唯一見捨てなかった先生。それがこの山倉先生。

「先生がいなかったら、私は学校に来ることすらままなりませんでした。心の底から感謝しています。これからは、あまり無理をし過ぎないようにしてくださいね。あと、ちゃんと幸せになってください」

「なになに?急にどうしたの?そんな改まって。まるでこれから会えないみたいに…」

「できれば、これからも会いたいです。でも、多分それは叶いません」

 私は今、床を見ている。先生の顔はわからないけど、きっと首をかしげているのだろうな…………

「そっか……それは残念ね。でも仕方ないわ。その代わり、精一杯楽しまなきゃ許さないよ!」

「え…………?」

  驚きのあまり先生の顔を見る。先生は、笑っていた。あの時と全く同じ顔で、笑っていた。

「言いたくないことの一つや二つ、あるのは当たり前だから、無理して言わなくてもいいのよ。私が言った意味、わかった?」

「……はい!」

  私の周りは、どうしようもないくらいのお人好ししかいないのだろうか?ううん多分違う。私がそういう人との関係ばかり望んだからだ。でも、私は今も生きてる。今でも生きていられるんだと思う。


 ───最期は1人なのかな?なんか寂しいな……


  もう一度桜並木を通る時、ふとそんなことを思ってしまう。つい一年前まではものすごく遠いところに感じてたのに、手に取るように感じられるのはどうしてだろう?環境が変わったから?状況が変わったから?多分どちらともない。変わったのは私自身。

  泣くのはもう、やめよう。もう充分泣いたから。


 ───そうだな〜。まずはあれをしよう。それからは……やりたいことが多すぎて選べないや。


  次から次へと思い浮かぶ後悔の数々は、とても1年で消化できるものではなかった。それに、運動できない私からしたら、できることがげんていされすぎる。少なくとも、ほかの地域にまで足を伸ばすつもりは無い。これ以上、お母さんに迷惑をかけたくない。

  そんな風に歩いているうちに家の前に立っていた。


 ───そうだね。まずは手近な所からやって行こうかな。


 私は玄関のドアを開け、何年ぶりかわからない言葉を口にする。


「ただいま!今日のご飯何?」




 ・・・




  それからの日々を言葉で表すとしたら、怒涛が最適だろう。1日1日が台風のように過ぎていく。充実しすぎていて、私の手に有り余っていた。体の前に精神が滅入っちゃいそうな気がしたけど、大丈夫。まだまだ頑張らなきゃ。


 ───私が生きた証、どうすれば残せるかな……


 3ヶ月経った。もう、残り時間の4分の1が終わってしまった。その間に生きた証を残せたのかと聞かれたら微妙としか答えられない。そのせいか、少しずつ焦りにも似た緊張感を感じるようになった。

  時よ止まれと願っても、夜が来て、朝が来てまた夜が来て……そうやって時間は前に進んでいく。実際、好きなことだけをして死んでいくのもありだとは思う。けど、それは本当に幸せなのだろうか。私の中の結論はノー。でも、大きなことを成し遂げるにはあまりに短くて、虚しさに負けてしまいそう。

  そもそも、生きた証ってどんなもののとこを言うのだろうか。何かの賞を受ける?なにか伝説でも作ってみる?そんなのは夢物語で、現実性は皆無。

「う〜ん……難しい」

  久しぶりに立ち寄った雑貨屋で、何か残せそうなものは無いか探っていると、ふと花柄のノートが目に入った。


 ───このノート、なんだか可哀想……私みたい


 周りの商品はほとんど売り切れていて、そのノートだけが寂しく棚に置かれている。そんなノートを今の私と重ねて、どこか親近感が湧いたので衝動買いに近い感じで買ってしまった。

「ノート買ったはいいけど……あ、そっか。生きた証を文字にすればいいんだ。楽しいことをした日々を、このノートに残そう。あと9ヶ月なら、1冊で充分だよね」

  自分でもびっくりするくらい明るい声だった。これからの日々を楽しく過ごすことが出来る。もう何も気にすることなく。たったそれだけの事が、どうしようもなく嬉しかった。


 残り268日。今日から毎日起きたことを日記として書きます。楽しかったこと、辛かったことを全て書きます。記録として残すために。今日はまず────


  1日目は、ノートの1ページ目の半分も使ってしまい、本当に足りるのかな?なんて思ったりした。でも、こうやって一日を振り返ることは楽しかった。2回、一日を送っているようで。

  その日から、私は行動を変えた。なるべく楽しいことをしよう。それを第1に考え、以前よりも体を動かすようになった。その生活を始めてから3ヶ月ほど経った。その3ヶ月間は、本当に寿命が1年無い人なのかと疑問になるほど、明るくて、充実していて、一般人と何も変わらない生活を送っていた。

  その時間、少女は確かに生きていた。小学生に戻ったかのように純粋に一日一日を楽しんでいた。散歩をしたり、買い物をしたり、花を愛でたりして。

  普通の人からしたら他愛のないことでも、私からしたらかけがえのないものだった。かけがえのない時間を共に過ごし、思い出という記憶を鮮やかに彩ってくれるそれらは、日記にも影響をもたらしていた。

 ───けど、そんな幸せが長く続かないのが運命。

  その日、私は熱を出した。少し無茶が過ぎたのだろう。微熱が出た。体がだるいとか、咳が止まらないとか、苦しいとかそういう感じではないにしても、体の妙な熱はなかなか逃げようとしてくれなかった。結局、その日は1日中寝て過ごす羽目になった。


 ───ちょっと苦しい。でも、それが生きてるってことだよね


  こんなことですら、無意識の内に前向きに捉えようとする。それはいい事だし、むしろ続けるべきことなんだと思うけど、逆に気疲れしそうで怖いな……まぁ、大丈夫でしょ。そんな毎週毎週熱が出るなんてことないだろうし。


  でも、これは始まりだった。私が気づいていない間にも確実に病魔は、私を侵食していた。




 ・・・




「ごちそうさまでした」

「あら?全然食べてないじゃない。どうしたの?」

「う〜ん、なんか食欲なくて」

  テーブルに残された、ほとんど手のつけられていない料理を見て、私はとても不思議に思った。というか嫌な予感がした。いつもなら普通に平らげられる量なのに、今日はなぜだかほとんど食べられなかった。食欲がない訳では無いのだが、体が拒んでいるかのように箸が進まない。


 ───また、病気の影響、かな……


  日に日に自分なからたまの中で何かが蠢いているのは感じてたけど、まさかこんな形で現れてくるなんて思いもしなかった。よくよく考えれば、もう半分切ってるんだ。私の人生は。

  その日は、外出を控えて昨日買った本を読むことにした。本の内容はありふれた恋愛モノ。私はその本を見た時、何か運命じみたものを感じて買った。正直、本を読む暇なんてないと思ってたけど、今日という時間を過ごす相棒にはもってこいの代物だ。

 

 ───どうして買ったんだっけ?まぁ、読めばわかるかな。


  私は軽い気持ちで、その本を読み始めた。

  一番最初のページ、めくってすぐ目に入る場所に書いてあった文字は、シンプルでありつつもとてつもなく大きな意味を孕んでいるように感じた。


『終章:ありがとう』───




 ・・・




  気づいたら私は、その物語の虜になっていた。夜になり、お母さんに声をかけられるまでその本を読み続けていた。200ページ少々に描かれた主人公の苦難、葛藤、絶望、挫折……それら全てが自分と重なり、勝手に物語の主人公と自分を重ねていた。何度も何度も読み返されたその物語は、私の中の大事な場所にしっかりと留められていた。

  その日の日記には短く、こう記されていたという。


「私が死ぬ時、どんな言葉を残すのかな?もし、そこに私らしさがあったら、後悔はないだろうと思う」


 と。ちょうど真ん中に記されたこの言葉は、この先の少女の人生を表しているようで、儚くも激しくて、それでいて確固たる意思を持ったものだった。なにか自分を残そうとした少女の、切実なる願いだった。

  それからの日々は、微かな寄り道すらも許さないような人生であった。ほとんどなくなってしまった食欲のせいで、毎日毎日水分を少しだけ摂ることしかできなくなっていた。体力はほとんどなくなっていて、数十メートル歩くだけでも息が切れてしまう程になっていた。

「ねぇ、お母さん……」

「なぁに?どうしたの?」

  私は弱々しい声でお母さんを呼んだ。人生のタイムリミットまで残り4ヶ月となったその日、いつの間にか生活の中心となってしまっていたベットに座りながら、1つ、お願いに近いわがままを言った。

「小学校……行きたい」

「小学校?って言うと、おじいちゃん家の近くの?」

  コクリと頷くと、お母さんはどこか納得したような顔で私の頭を撫でた。

「いいよ!連れてってあげるね!さ、ちゃちゃっと準備して行っちゃおう!時間は有限なのだー!」

「うん。車椅子、お願い」

「任せな!30分で連れてってあげるからね!」

「いや、片道1時間半はかかるって」

  私のそんなくだらない指摘なんて耳に入ってこないとでも言いたげなお母さんは、目にも止まらぬ速さで私と自分の準備を済ませた。

  車に乗り、目的地に向かう。知らない景色が徐々に郷愁を帯びていく。それが何故か嬉しくて、ずっと景色に見とれていた。

「さぁ!着いたよ!いやぁ、頑張ったんだけど1時間もかかってしまったよ」

「いや、それでも充分速いよ」

「さ、行こうか」

  日曜日ということもあり、学校には人の気配が無い。見周りの人はいるだろうけど、滅多として鉢合わせするなんてことは無いだろう。それに、1人の方が都合がいい。小学生の時の後悔を埋めた“箱”を取り出すのに、私以外の人はいらない。

「ううん、ここからは一人で大丈夫だよ。お母さんはここで待ってて」

「そうなの?無理はダメよ。気をつけてね」

  車から降りると、肌寒くて乾燥した風が私を出迎えた。少し厚着で来たには来たが、ちょっと肌寒い。

「いってきます」

  私は一直線に目的地に向かう。正門から入り、グラウンドを挟んで正面にある校舎の左側。体育館の裏に───


 ───あの時埋めた私の恋、今も残ってくれてるのかな……


  今からちょうど5年前、私は好きな人に告白しようと体育館裏にその人を呼び出した。その人の名前は須之宮すのみや はる。私の初恋の人。

  緊張に身を晒しながら、ひとつの便箋を手に体育館裏に向かった。でも、そこにいたのは、今はもう名前すら覚えてない女の子に告白されている須之宮 春の姿だった。その後のことは、思い出したくない。私は、初恋と一緒に果てしない後悔と涙を埋めた。大きな桜の木の根元に。

「…………あれ?」

  少しずつ体育館裏に近づくにつれて、何か違和感を感じた。本来ならば自分以外誰も居ないはずの場所。そんな認識全てを否定するような違和感を。

  そしてそれは、体育館裏に着いた瞬間に1種の確信となって私の前に現れた。

  世界が一瞬、色を失った。全てがスローモーションのように流れ、焦点が桜の木の下に座り込んでいる人物に合わさっていく。少しずつ加速する鼓動。それにすら気づかないほどに私は動転していた。

「ん?誰?」

  少し中性的とも取れる顔立ちの男性が私に気づき、不思議そうな顔で眺めている。

「久しぶり……だね。覚えてない?6年生の時に同じクラスだった丙田 舞輝」

「ひのえだ、まき?まき……って!舞輝!?久しぶりだな!変わりすぎてて気づかなかったぞ」

  跳ぶように立ち上がって笑顔を向けてくる男性。私が彼を見間違うはずがない。私が最初で最後の恋をした人なんだから。

「そっちは変わってないね。すぐわかったよ。それで、こんな所で何してるの?」

「まぁ、色々と。舞輝は?」

「私は、後悔を拾いに来たの。手遅れになる前に」

  どうしてだろう?春くんになら、言ってもいいと思えてしまう。でも、いっか。春くんなら、こんな馬鹿げた告白も優しく受け取ってくれると思う。

「あのね、私、病気なんだ。一生治らない病気。かかったのは、1年半以上も前だけど」

  下を向いてるから表情まではわからない。けど、春くんは何も言わない。変な同情も、詮索もしない。私は、自分のペースで言葉を紡いでいく。

「それでね、私……あと5ヶ月後には、死ぬの」

  とても悲しくて辛いことなのに、言葉だと僅かに文字で表わせられてしまう。泣きそうなのに……もっと長く生きてたいっていう気持ちに押しつぶされてしまいそうなくらいなのに……

「それでね、私、昔ここに埋めたものを……拾い忘れた後悔を捨てるために、今ここにいるの」

「そっか……」

  春くんはそう言うと、天を仰いで右手を掲げた。

「『後ろを向くべからず。前を羨望すべからず。汝は今を臨めば良い』」

「え?」

「俺の好きな言葉だよ。ざっくり言うと今を生きろ。過去は戻らないし未来はいくら焦っても来ない。つまりは、さ」

  1度言葉を切って私の顔とぶつかってしまいそうな程近づいてきた。

「たとえ5ヶ月後に死ぬってわかってても、今が楽しいなら笑えるんじゃないかってこと。今日で後悔はお終い!って感じでさ」

  君は笑った。大きく笑った。

  やっぱり、君は優しすぎるよ……どうして私なんかのために優しくしてくれるの?もうすぐ死ぬのに……

「まぁ、ここで再会したのも何かの縁だ。手伝うぜ。後悔を捨てるの」

「う……ん。あり、がと」

  最後は、消え入るような声だった。これは多分、泣いてるからじゃない。それに、私は泣いてなんか……

「良かったら、俺の胸使う?」

「……え?」

  戸惑っていると、温かいものに包まれた。春くんは昔より体ががっちりしてて、力強くなってた。そんな彼の胸に顔を押し付けるようにして、私は泣いた。声を殺しながら泣いた。自分の中では何時間とたってる感覚だったけど、実際は数分だったらしい。まぁ、詳しいことは、覚えてないんだけどね…………




 ・・・




  その後私は、埋めてあった手紙を春くんと一緒に掘り返して、一緒に焼却炉に棄てた。ひとつの後悔と共に。

  その時私は、春くんと1つ、約束をした。私はそれから、自分でも幸せだって思えるようなそんな日々を過ごしていた。ただ、病気の影響は日に日にあからさまになっていた。そして、寿命残り1ヶ月半まで迫ったバレンタインの日、とうとう私は倒れた。

  意識が回復した私は、これからの自分の生活場所が病院になったことを知った。けど、涙は自然と出てこなかった。




 ・・・




 ───このまま、死んじゃうのかな……


  度重なる検査の中、ふとそんなことを思った。実際寿命はあと1ヶ月を切っているのだから、死の気配を近くに感じてはいた。

  ずっと続けていた日記は、一応書いてはいる程度まで文章量が落ちてきていた。食欲なんてものは遠い昔に消え去っているため、点滴による栄養補給でなんとか生き長らえている。体は、徐々に動かなくなってきていた。まだ自力で起き上がることは出来るが、もう少ししたらそうすることすら危うくなるだろう。


 ───結局、私が残せたのはこの日記だけ…………か


  残り数ページとなっているノートを眺めながら、虚ろな目でこれまでを振り返る。今は微かな灯火。でも、それまで描いてきた軌跡は決して微かなものじゃない。そう、胸を張れる人生だったと思ってる。

「丙田さ〜ん。点滴変えますね〜」

  いつの間にか無くなりかけていた点滴を看護師さんが変えていく。左側につけられたそれが少しずつ落ちてくるのを眺めながら、右から鼓膜を刺激する機械音を聞く。最初は退屈だったけど、今となってはそれだけでも幸せを感じた。食欲もなくなり、声もほとんどでなくなったとあればいつほかの機能が停止するかわからない。

『今を楽しむ』

 君が教えてくれた幸せだよ、春くん。

  今はまだ落ち着いている。けど、いつ暴走するかわからない。医師の口からその言葉を聞いた時、「運がいい」と感じた。すぐにでも死んでしまうのなら元も子もないが、まだちゃんと猶予は残されてる。

 私が最期の最期まで「私」でいられる、その猶予が───




 ・・・




「今日も問題なし。まだ暴走の兆しは見えないね」

  自己換算で決めた命日まであと1週間となった日、医師の口から安堵したように告げられた。でも、私はわかってる。自分の中で今にも爆発せんと膨らみ続けている存在に。もう精神の闘いだった。体は動かないし、視覚、聴覚共にかなり低下してきている。まだ僅かに動かせる手で日記を書いてるけど、1行を埋められたら奇跡なくらいだ。


 ───寝ようかな……


  ほとんどやることがなくて暇だから…………って理由で寝られたらどれだけ楽なんだろうって思う。でも、今はどうしても寝たかった。

  目をつぶってしばらくすると、すっと意識が落ちていくのがわかる。そして、私の意識が完全に落ちた時、私の心臓が止まった。




 ───ねぇ、ここはどこ?


「夢の中、が正解かな」


 ───君は、あの時の……


「よく覚えてたね。そうだよ。また君の寿命を伝えに来たんだ」


 ───そっか。じゃあまだ生きられるんだね


「そうでもあるし、そうではないとも言えるね。断言するよ。君の寿命はあと2日。2日後の日付が変わった瞬間、君の命は終わる」





 ・・・




「丙田さん!丙田さん!!」

  外から、私を必死に呼ぶ声が聞こえる……少しずつ意識が浮上し、心臓が鼓動をかすかに取り戻した。

「先生!丙田さんの意識が回復しました!」

  ドタバタとした周りの騒ぎが耳に入る。今は、そっとしておいてくれないかな…………私、泣きたいよ……


 ───もし、運命なんてものがあるなら、私はそれを恨みます


 ───なぜなら、私に不幸しかくれないからです


 ───あなたが私と同じ立場なら、どうしますか?


 ───運命を許せますか?「死」を受け入れられますか?


 もしそれができるのなら、君はとてもすごい人です───




  最後の、一日が始まった。あれ以降特に目立ったことはなく、今日まで生きられている奇跡に感謝したい。

  でも、今日で私は死ぬ。夢の少年に言われたからじゃなくて、感覚でわかる。ずっと抑えていたものがはち切れんばかりに体の内側から侵食してきている。もう、日記の文字は読めるものではなくなっていた。

「丙田さん、点滴変えますね」

  その日の夜11時55分に、いつもの様に看護師さんが点滴を変えに来た。落ち着いた、本当に落ち着いた時間だった。看護師さんが部屋を出ていくまでは……

 ドクンッ

  突然、体全体が跳ねるかのように痙攣し始めた。心臓の動きが止まり、呼吸が止まり、意識がどこかに引きずり込まれていく感覚。


 ───やばい、このままじゃ…………


  私は本当に最期の力を振り絞り、ノートの最終ページにペンで文字を書き入れた。

  そこで力尽き、ベットに倒れ込むようにして私は元の姿勢に戻った。

  その時間、僅か15秒。


 ───だめ……もう…………


  引きずり込まれていく最中、私は少し夢を見ていた。これまでの人生だ。それが終わった先、最後の最後に溢れ出てきた沢山の想い。それは、一人の人で染まっていた。


 ───結局……言いそびれちゃった…………


  意識が途切れる寸前、私は最期に言いそびれた2つ目の言葉を零した。


 ───春くん……大好きだよ。どうしようもないくらいに




 ・・・



「失礼します」

「あら、春くん来てくれたの?わざわざありがとうね」

「いえ。それより、舞輝は?」

「あそこにいるわ。見てあげて」

  俺は舞輝が死んだ日、何故か嫌な予感がして病院に駆けつけた。そこには既に冷たくなった舞輝と、その近くで泣き崩れる舞輝の母の姿があった。舞輝の母とは初対面だったけど、話は聞いていた。

  舞輝の顔は、笑っていた。小学生の頃、周りに笑顔を振りまいていた舞輝の最期の表情も笑顔だとか、舞輝らしすぎて涙が堪えられなかった。


 ───ごめん舞輝。あの時、声をかけていれば……お互い、後悔なんてしなかったのかな…………


  亡骸に手を合わせながら、俺はずっと隠していた胸の内をさらけ出していた。もう届かぬ想いだとしても、後悔の念が止めさせてくれなかった。

  あの日、俺は舞輝に体育館裏に呼び出された。告白かな?なんて思ってワクワクして…………いざ行ってみると、そこには偶然幼なじみの咲織さおりがいて、邪魔だったから軽く談笑しながら体育館裏から連れ出し、もう一度戻った。

 そこには、涙を流しながら桜の木の下に何かを埋めている舞輝がいた。すれ違い。それに気づいた時には、もう取り返しがつかなくなっていた。

  俺は、ずっと舞輝が好きだった。誰にでも明るく接して、笑顔をみんなに上げていた名前の字の通りの舞輝が、どうしようもなく好きだった!

  俺のこの後悔は、もう一生拭えない。

「春くん、良かったらこれを……」

「……これ、は?」

「舞輝が生前書き記していた日記。良かったらあなたにも」

  俺は半分我を忘れてその日記に見入った。最初の方は自由奔放な舞輝らしさ全開の内容だったけど、徐々に文量が減っていた。ここからも、少しずつ病魔が舞輝を貪っていたことがわかる。

  楽しかった。可愛かった。綺麗だった。懐かしかった。悲しかった。苦しかった。辛かった。泣いた。怖い───

  日記も3分の2を読み終わった。そこに記されてる内容は、少しずつ暗く、舞輝がどれだけ苦しんだのか、手に取るようにわかった。そして、それからの文は少しずつ乱れていた。壊れていく身体。精神的にも追い込まれていく日々。そんな日々がなんの比喩もなくダイレクトに記されていた。

  俺は、ぐっと胸が締め付けられた。終盤に近づくにつれ、文字は読解不能になって行く。ミミズが這ったような字。それでも舞輝は、日記を書き続けた。

  日記の最後の文字。死ぬ寸前に書いたであろうその文字を見た時、耐えきれなくなって泣いた。声を上げて泣いた。

  運命に負けた少女が最後に綴った微かな抵抗は、俺の後悔も、懺悔も、罪悪感も、怒りも、悲しみも、苦しみも、全てを包み込んで自分ごと遠い世界に持っていった。




 ・・・




  あれから10年もの時間が流れた。

「お邪魔しま〜す」

「あら、毎年ありがとうね。あの子も待ってるわ」

  社会人になって忙しくなったけど、それでも毎年この日には丙田家を訪れていた。今日はあいつの命日だ。来ないわけがない。

  仏壇には、相変わらず可愛い花柄のノートが置いてあった。

「今年も来たよ。聞こえてるかな?俺さ、結婚するんだ。相手は咲織だよ。覚えてるかな?あのさ……」

  俺は、言葉をつまさせてしまった。話したいことが無いわけじゃない。むしろ、ありすぎて何から話せばいいかわからないのだ。

「ごめん、上手くまとまんないや。向こうの世界でも、元気にしててくれたら嬉しい」

  結局何も言えないまま、俺は仏間から出ようとした。

  その時、俺は何かに突き動かされるかのように仏壇を見た。気のせい?いや、そんなはずはない。

「ま、いっか」


『おめでとう』


  俺には、確かに聞こえた。舞輝のその声が。





 俺が立ち去った仏間に風が吹く。

 その風は、仏壇のノートをめくって行く。

 最後のページで不思議とそのノートはめくられるのをやめた。

 その最終行。

 死ぬ寸前の少女が書いた最後の言葉。




『さいごに、ありがとう』



 その文字だけが、寂しく光に照らされていた────

どうも。九十九 疾風です。

短編小説「私が生きた証」はいかがだったでしょうか。

私自身、この物語を執筆しながら最後のあたり泣いていました。

運命を超えた先、少女はきっと初めて素直な気持ちになれる。

後悔を超えた先、初めて自分を見つけられる。


我々にも、当てはまるのではないでしょうか?

そう思っていただけたのなら、私としては嬉しい限りです。

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