「犯人はヤス」殺人事件
敦賀発播州赤穂行きの新快速のトイレで男が刺殺された。現場は密室。そしてダイイングメッセージには血文字で『ヤス』。そして現れる何人ものヤス。一体血文字は何を指すのか。滋賀県警の警部がこの謎に挑む。
著者:N高等学校「文芸とライトノベル作家の会」所属 Suzuki
「中条警部、赤穂で事件です」
「それがどうして滋賀県警の俺のところに回ってくるんだ?」
中条一徹は関西ではやり手の刑事として有名である。探偵のように証拠をかき集め、泥臭い方法でなく事件を解決する。ただし、今回のように管轄外の事件が回されてくるのはまれであった。
「それが、遺体が見つかったのは兵庫の播州赤穂なのですが、滋賀県内で殺害された可能性もあると……」
「播州赤穂? ということは、遺体は新快速にでも乗っていたのか?」
「そうです。大阪府警と京都府警、それから福井県警にも応援要請を出したと」
「ということは、敦賀発播州赤穂行きか?」
「そうですね。資料はまだ目を通していませんが、恐らくそうだと」
連絡を入れてきた山城譲之助が言う。最近中条が眼をかけている若い刑事だ。
「それじゃあ出かけるか」
「はい」
中条たちは召集のあった兵庫県警に向かうことになった。
「ところでだが、一番長い新快速はどの区間を走るか知っているか?」
兵庫県警へと向かう車の中で資料に目を通していた中条が山城にクイズを出す。
「え、どこでしょう? 米原から姫路くらいですか?」
「不正解だ。正解は敦賀から播州赤穂間。所要時間4時間以上だ。停車駅は敦賀から米原までの各駅と彦根・能登川・近江八幡・野洲・守山・草津・南草津・石山・大津・山科・京都・高槻・新大阪・大阪・尼崎・芦屋・三ノ宮・神戸・明石・西明石・加古川・姫路とそれから相生までの各駅・相生からの各駅だな。今日は日曜だから5時33分に敦賀を出ている。ほとんどの新快速が姫路止まりなんだがこれだけは播州赤穂まで行くんだな」
「やけに詳しいんですね」
「今調べた」
悪びれもなく中条が言う。
「確か死亡推定時刻は今日の午前7時から7時半ごろだったよな。となると、近江八幡から高槻のどこか」
資料によると被害者の名前は田村広。金融会社、所謂闇金というやつの社長を務めていた。新快速播州赤穂行きの12両目にある男子用トイレで刺殺されているのが見つかっている。凶器は新品の包丁でトイレの個室内で発見された。死亡推定時刻は中条の言った通り午前7時から7時半の間又はその前後。トイレは内側から施錠されていたが、折り返しの播州赤穂駅で不審に思った車掌が返事がないことを確認して扉を開けると遺体を発見した。
ちなみに中条の言った近江八幡駅は6時51分発、高槻は7時41分着である。
「それから、連絡を受けたところによるとまだはっきりとはしていませんがダイイングメッセージがあったと」
「ほう」
中条が頷く。刑事よりも探偵といった作業に特化する中条にとっては見過ごせない展開だった。さらに言うならば一応密室殺人でもある。中条はそのことに関してまったく触れなかったが。
「まあ、中条警部なら楽勝ですよ」
「だといいな」
まもなく車は兵庫県警に到着した。
「被害者を恨んでいるような人はいたのか?」
「それが、かなりたくさんいたらしく。最近でも南洋三という人が仕事場に殴りこんできたと」
兵庫県警で早速刑事に尋ねる中条。
「今現在取り調べ中です」
「ちなみに住所はどこだ?」
「近江八幡の篠原だそうです」
「やけに速いな。大津から来たのだが」
「勤務地が相生で、休日出勤らしいですよ」
なるほどといった具合で中条は頷いた。
「それで、アリバイは?」
「篠原駅6時26分発姫路行きの快速に乗ったと主張しています。被害者の乗っていた新快速には乗っていないと。10時前には会社についたと」
篠原駅は近江八幡駅と野洲駅の間にある駅で、新快速は停車しない。
「新藤警部、鑑識です」
そこに鑑識が駆けこんできた。兵庫県警の刑事の名前は新藤というらしい。
「例のダイイングメッセージの件ですが、ほぼ確実に被害者が描いたものだと判明しました」
「そう言えばそんなものがあったな。なんて書かれていたんだ?」
中条が尋ねる。ダイイングメッセージがあったとは聞かされていたものの、その中身が何かまでは知らされていなかった。中条はそれを、犯人の細工の可能性があったからだろうと判断した。
「カタカナに文字で、『ヤス』と。血で書かれていました。被害者が自分の血で残したものにほぼ間違いないそうです」
「犯人はヤス、か……」
新藤が呟いた。そして指示を飛ばす。
「被害者の会社から金を借りている奴のリストを作れ。その中にヤスという愛称のやつがいるはずだ。そいつを連れてこい」
「俺も手伝いますよ」
中条もせっかくなので作業に参加することにした。
「いました、ヤス。名前は安川加奈子。間違いなくヤスです」
「決まりだな、そいつをひっ捕らえろ」
新藤が指示を出す。けれど別の刑事も声を上げた。
「警部、こっちにもいました。狭間康則。愛称はヤスです」
「なんだって!?」
驚いたと言った表情をする新藤。どうやら、ヤスが複数人いることは想定していなかったらしい。
「こっちにも。ハンガリーの男性でミハイル・ヤースという人物がいました。これもヤスって呼ばれるんじゃ」
「こっちにもありました」
さらには中条も手を挙げる。
「山下保。読み方こそ『たもつ』ですがこの字はヤスとも読みます。ヤスという愛称には該当するかと」
「あのう、三谷涼という女性もいるのですが。これ、名字の最後と名前の最初を取ったらヤスですよね」
これでヤスが5人。混乱したのか新藤が叫んだ。
「もういい、怪しいヤス片っ端から全員連れてこい!」
「それじゃあ名前と住所と職業と年齢を」
連れてこられた5人のヤスに新藤が言う。先に取調室にいた南が居辛そうにしていた。
「あれ、中条警部どうかしたんですか?」
「ん、いやちょっと考え事をしていてな」
わきでは中条と山城がそんなことを話していた。
「安川加奈子です。明石在住、職業は主婦で年齢は38です」
「狭間康則、52、自営業。大阪に住んでいる」
「山下保、26、サラリーマンをしています。京都に住んでいますが……」
「ミハイル・ヤース、21です。大学生をしています。あ、神戸在住です」
「三谷涼、33。うちも自営業で高槻に住んでる」
5人全員が自己紹介する。
「それで、皆さんヤスで間違いないですね?」
新藤が言う。けれど、それに反発するように彼らは答えた。
「ちょっと待ってください、ヤスって普通男性に付けますよね。私、そんな風に呼ばれたことないですけど」
「というか、私のって相当こじつけくさいですけど」
「僕もヤスって呼ばれることもありますけど、普段は保ですよ」
「私もミハイルって呼ばれるね」
狭間以外の4人のヤスが答える。狭間も少し異論がありそうな顔をした。
「では、皆さん被害者の指し示していたヤスではないと?」
「というか、俺は確かに親しいやつにはヤスって呼ばれるけどよ。でも、田村のやろーとは親しくもなんともなかったし、あいつに名前間違えて覚えられてたぞ。風間って」
新藤がぽかんとする。あれ以降ヤスと呼ばれそうな人物は見つからず、この5人の中に犯人がいるに違いないと判断していたらしい。けれど、この中には被害者の指し示したヤスはいなさそうに思えた。
「しかし、皆さんそれぞれに思うところはあったのでは?」
「そりゃまあ、なかったかって言われると嘘になるけどよう」
「それは、別の人も同じだし」
「殺したいほど憎んでたかって言われると、ねえ?」
新藤の質問に関しても特に何もないと答えるヤス達。そして、保が南を指さした。
「恨んでたっていうのなら、そっちの人が大揉めにもめてるのを見ました」
「くっ」
悔しそうに新藤が歯噛みする。それを見て中条は助け舟を出してあげることにした。
「犯人なら、私知ってますよ?」
「な、いったい誰なんだ!」
「犯人はこの中にいる、あなたです」
そう言って中条はある1人を指さした。
「なっ!? なんで俺が! 俺はヤスでも何でもないぞ!」
中条が指さしたのは南洋三だった。落ち着き払った様子で中条が言う。
「まあ、ヤスの件に関しては後で説明するとしまして、まずは密室トリックについて説明しましょうか」
「そうだ密室! 犯行現場は密室だったんだろ!?」
南が焦ったように言う。どうやら今まで忘れていたらしい。
「まあ、結論から言うと、あんな鍵は密室でも何でもないんですけどね。あんなの、半分しまった状態で扉を閉めて後でマイナスドライバーか何かでガチャガチャやればそれで終わりです」
「それじゃあ、ヤスの方はどうなるんだ! 俺にはそんなのどこにもないぞ! 本当は何もわかってないんだろ」
あっさりと密室トリックは明らかにされた。南が叫ぶ。それに中条は余裕を持った笑みで応じた。
「わかっていますよ。狭間さん。被害者は人の名前を覚えるのが苦手だったのでは?」
「あ、そうかも。私も安川なのに安田とか安木とか間違えられたことがある」
「なら、とっさに書いたヤスというのが人名というのには無理があるかもしれません。では、ヤスというのは何を表すのか。固有の人物を指すのではなかったのです」
歌うように中条は語った。南の顔が青ざめる。
「ヤスというのは、新快速の停車駅である野洲駅を指したのです。つまり、『犯人はヤス』ではなく、『犯人はヤス駅で乗って来た』人物。すなわち南洋三さん、あなたです」
「こ、こじつけだ!」
「いえ、12両目というと新快速では一番後ろです。そんなところに乗る人物は朝のラッシュとは言え珍しいんじゃないですか? 野洲駅で乗ってきた人物に刺されたというのはわかると思いますよ」
「だとしても、俺は野洲駅で新快速に乗っていない! というか同じ電車に乗っていない」
南が言う。それを中条はいとも簡単に笑って否定した。
「それはありえません。相生駅に10時までに着こうと思えば、被害者の乗っていた30分着の電車かそれ以前しかありません。ですが、あなたが乗ったと主張している快速ではそれより前の電車には乗れないんですよ。それがあなたが嘘をついている証拠です。まあ、普通に考えて同じ時刻につくのに、直通で相生まで行ける被害者と同じ電車に乗らない時点で不自然ですけどね」
ガクッと、南が膝をついた。
「まあ、スーパーの防犯カメラでも調べればあなたが凶器を買うところが映っているはずです。どのみち逃げられませんよ」
「仕方なかったんだ! 借金が重なって!」
南が叫ぶ。それは敗北宣言だった。
こうして、「犯人はヤス」殺人事件は幕を閉じた。
中条警部たちは再登場の予定はないです。