第5話:悩む神様
神様は悩んでいました。神様なのに悩んでいました。神様だからこそ悩んでいました。ともすれば死んでしまいそうでした。神様なのに。神様だって死ぬのです。しかし神様は死ぬことを悩んでいたわけではありません。神様はこの世界をどういう形にするべきか悩んでいるのです。この世界の生き物が皆、悩むべきか、考えているのです。この世界の生き物が皆、何に悩むべきか、悩んでいるのです。悩むことなんて何もないのかもしれません。しかし悩まないで生きることにしてよいのか、まだ神様には結論が出ません。簡単に決めてしまってよいのか悩んでいるのです。悩みをなくしてよいものか、神様は決めかねているのです。ひとまず人という生き物には悩むことをできるようにしています。しかし、人は度々苦しんでいる様子でした。人が度々苦しんでいる姿を見るのは辛いことでした。しかし、なくしてよいものか…まだ神様には判断ができないでいました。神様も悩んでいるのです。
悩みは幾度も人間を迷わせ、道を迷わせ、行いを惑わせ、生きることを戸惑わせました。しかし、何かの意味がそこには在るように見えたのです。何かの意味がその過程にあるように感じたのです。真実はわかりません。結果を、もう一つの結果で見ることができないからです。いま出たその結果を、全く同じ状況下で実験的に再現・比較することが出来ないからです。それは神様にとっても同じことでした。神様の力を以てしても、全く同じ状況下を再構築することは出来ません。再現したこと自体、時空を巻き戻したと同時に記憶や事実も巻き戻されているからです。ひきかえせないのです。消えてしまうのです、もうひとつの流れは。もしくは、幾重にも重なり合った流れの一つに巻き込まれ、取り込まれるのかもしれません。複雑怪奇極まりない状況下へ放り込まれ、全ては拡がり続け、やがてはまた一つに集約されるのかもしれません。神様もその一部に過ぎないのです。神様にもなんとなくそれらを見ている風にしか制御できないのです。仕方ないことなのです。創世の宇宙から、それ以前から、またそのまたそれ以前から、そうであったのですから、そういうものなのです。鈍く内側から光る青い果実を手に、神様はまだ悩んでいます。ああ、困った。悩んでいる人を見るのは忍びないが、悩むことをなくしてしまうのはそれはそれで何が起こるかわからない。悩みの種だ。
悩むことをできなくして、考えることだけをできるようにしたらどうだろう。これは前向きに良いであろうと想定する。しかし、悩むことから生まれる可能性や強さも決して侮れないものなのではないだろうか。悩んで悩んで、自分自身と向き合い、そのときの精一杯で、未来を掴み取ってゆく。悩みを越えた者は、強い。悩みに打ち勝ち過去の自分を超越し、よりよい成長を遂げる。これも大事なことだと思う。神様は悩む。もしかしたら、悩むことで死んでしまう者も出てしまうだろう… しかし、悩むことで生きながらえる者もいるのではないだろうか… 神様は悩んでいます。未だ解けぬ謎解きを目の前にして、未だ脱出できぬ迷路の檻の中で。神様は悩んでいます。ひきかえすことのできないこの宇宙の果てのどこかの島で。神様は悩んでいます。朝食のトーストがバターをすっかりと吸い込んで軟らかく湿っていることも忘れて。
染み込んで濃くなった中心の黄色い豊潤な香りは、ひたすらに美味しい。