プロローグ
プロローグ。
主な登場人物が出てきます。
涙がこぼれる。
何が悲しいのかも分からずに。
そんなことは少なくなかった。
北宮沙羅はまた、1人泣いていた。
しとしと。しくしく。
窓の外の風景と呼応するように彼女の涙は溢れる。
ここ湊鼠町は、1年の半分以上が雨だ。
しかもいまは大梅雨。
港鼠では30日以上雨が続くことも珍しくない。
外出はそうそうしたくはないものだが、沙羅は食事の蓄えが底をつきそうなことに気づいた。
涙をなんとか止め、薄紅のカーディガンを羽織ると耐水のローファーを履き、外へ出た。
山脇に作られた湊鼠町は高低差が激しく、また海の際でもある。
地中海の町とも見間違えられる美しい景観を町全体として持っているため、観光地としての人気も高いらしい。
この雨があるから、住む人は増えないんだろうな。
行きつけのバザールへ向かう途中の見慣れた風景を眺めながら独りごちた。
この町で暮らす限り、傘は欠かせない。
また、高低差が激しいため自転車など使えない。
景観を維持する条例があるため、普通の街のような建物は建てられない。
もちろん、それに伴うような商売も。
魅力的な暮らしの中には制約がともなっている。
「いらっしゃー…沙羅ちゃんか!久しぶりだね」
「お久しぶりです」
Andyバザールは湊鼠でも指折りの品揃えを誇る食料品店だが、ネーミングセンスには笑わずにはいられない。
店主の安藤さん。あんどうさん。あんでぃさん。
これでいて、どう見ても顔つきは日本人なのだから何が何だかわからない。
「今日は何買いにきたの?」
「食べるもの無くなっちゃいました」
「大梅雨だもんねー。外出れないと食べるしかなくなるよね!」
「そうですよ。何も無くなっちゃいました」
「何も?」
「何もないですよ?調味料以外は食べられるもの何もなくなりました」
「…そこまで調理しきる沙羅ちゃんには感服だわ…」
「私も食い意地だけなら安藤さんにも負けませんねっ!」
気のいいおっちゃんのような感じだから、安藤さんとは比較的話しやすい。
いつも話し込んでは長居してしまう。
「それじゃあこれ、会計お願いしますね」
米に小麦粉に麺類にベーコン、卵、野菜類などなどをどっさりとかごに入れて、安藤さんに渡す。
「相変わらず買い込むけど、ちゃんと持って帰れる?運ぼうか?」
「大丈夫ですよ、慣れてますし」
「まあもう心配いらないかな…はい、これお会計ね」
「ありがとうございます」
「また来てねー!」
軽い挨拶をして、店をあとにした。
パンパンの袋をもって傘を差すのも手慣れたもので、また歩き出した。
沙羅にとってAndyバザールが好都合なのは、行きは上りで帰りが下りなことだ。
たくさん買っても帰りが下りな限り、沙羅にとっては対した問題ではなかった。
灰色に染まった空の下。
さてさてここからは私が語り部です。
作者さんは一旦おやすみしてもらいましょう。
帰り道で私はふと思いつき、ある所へ立ち寄ることにしました。
私の大好きな匂いの立ち込める、お気に入りの場所です。
「シバさーん!こんにちは!」
私が足を運んだのは古本カフェです。
大好きな本に囲まれて、大好きなコーヒーを飲めるとっておきのスポットです。
たまに掘り出し物も見つけられます。
それに、すっかり白髪頭と白いヒゲでサンタを彷彿とさせるマスターのシバさんともすっかり仲良しです。
「おお、いらっしゃい。沙羅ちゃんが大梅雨に来るなんて珍しいね」
「ちょっと買出しにでてまして。ついで寄りです」
「それでも久々に会えて嬉しいよ」
「シバさんにそういってもらえると照れるな〜。今日ヒナちゃんは?」
ヒナちゃんとは、ここでバイトとして働いている同い年の女の子です。
比較的仲が良く、連絡をとっては遊びに行くこともあります。まあ、雨が降ってなければ、ですけど。
「ヒナちゃんは今日入ってないんだよ」
「そうなんですか」
今日はヒナちゃん目当てで訪れたものですから、少し残念です。
「あれ、じゃあシバさん一人で回してるの?」
「いやいや、新しく入った子がいるんだ。せっかくだから紹介しようか。柊くーん」
そして奥から現れたのは細身で背の高い、高い鼻が顔の真ん中にあり大きな二重の目のついた、透き通った顔をした青年でした。
正直、ものすごいイケメンです。
そういった方が早いです。
しかも、私、どストライクです。
スパァーンと気持ちいいキャッチャーミットの音が聞こえた気がしました。
「こちら、沙羅ちゃん。うちの常連さんだよ」
シバさんの紹介をうけ、私も慌てて挨拶をしました。
「き、北宮沙羅です」
「稲葉柊です。北宮さん、よろしくお願いします」
爽やかにそう挨拶をかえした柊くん。
ストンッ。
何かが落ちる音が聞こえました。
ニコッとシバさんは笑うと、 言いました。
「沙羅ちゃん、今日はゆっくりしていくの?」
「あ、いえ…今日は帰ります」
そうしないと、この人にバレてしまいそうだったものですから。
「そうかい。じゃあ、大梅雨に沙羅ちゃんに会えただけでもよしとしようかな」
お客さんじゃあない時でもこの優しさです。
シバさんは天然の人たらしですね、ほんと。
そんなことは口にも出さずに、
「また来ますね!柊くんも、また会いましょう」
「あ、また!」
「じゃあ、失礼します!」
灰色の空を、たくさんの荷物を抱えて、帰路につきました。
登場人物整理
北宮沙羅
主人公。
年齢は若め。
安藤さん
Andyバザールの店長。
年齢は中年層の男性。黒髪パーマ。
シバさん
古本カフェの店長。
年齢は60代。サンタっぽい。
ヒナちゃん
古本カフェのバイト。
沙羅の友達。
年齢は若め。沙羅の一つ下。
柊くん
古本カフェの店員。
新入り。
年齢は若め。