小咄:優しい宝石屋が持つ残念な悪癖について
新しく町人となった宝石屋は、人々にとても歓迎された。
メルヴィンの家を建てるにあたり、特に大工が大いに歓迎し、大いに腕を振るった。
久し振りの住宅の仕事に鼻息荒くどんな家がよいかを聞かれ、無難に少しのリクエストをして後はお任せすると大工はやりがいがないと文句を言ってきた。
宿屋に相談すると「彼は細かく注文を突き付けた方が喜ぶよ」という話だったので、二度目の話し合いの時は彼は細かく部分部分のリクエストをお願いした。
その結果、完成した家兼店は実に見事だった。
宝石屋としての品を保った店構え。
廊下で繋がったその奥の自宅は、住む者をそのまま形にしたような、間取りが広く優しい風体をしていた。
メルヴィンは大工に深く感謝し、代金の他に彼に合う宝石を一つ見繕って差し出した。
大工はネックレスもピアスもしない。
まして指輪なんて仕事の邪魔になるだけだろうと、差し出したものは完全な飾り石としての小さな置物を選んだ。
大工は、自分にはこんなの勿体ないよ…!と渋っていたが、どこか照れ臭そうに最後は受け取った。
「…。いい場所ですね」
完成した店先に看板を掲げた後で、メルヴィンは自分の店を見上げた。
足下のミニアも嬉しげに尾を振っていた。
見上げていた視線を今度は足下に下ろし、自分を受け入れてくれたこの地へ優しく微笑む。
「これからどうぞ、宜しくお願いしますね…」
町から少し離れているので、多少不便かもしれない。
客もなかなか得られないかもしれないが…。
もう残り少ない人生を、彼はこの地で過ごすことを決めた。
…決めた彼には悪いが、その決定にはあまり意味はない。
実際、今から約五十年後くらいのある朝。
顔を洗い終わっていつもより少し長い間鏡を見る機会がある時に、「そう言えば、何故私はまだ生きているのだろう…?」と彼は思う。
思うが、今はまだ知らない。
知るべき時に知ればいい。
意味はなくとも今はただ、その決意に価値がある。
__プリンス…。宝石屋ですよ…。
__……。
囁かれ、フークバルドは無言のまま顔を上げた。
場所は豪華絢爛なベッドではない。庭先だ。
日の出の時間帯。
辺りはまだ薄暗く、森の中にある彼の家の周りは静寂と小鳥のさえずりに愛されている。
家の前にあるテーブルセットで日の出の時間帯に紅茶を飲むのは彼の習慣だが、そこに通行人がやってくる。
「おはようございます、フークバルドさん」
町へと続く林道の方から、メルヴィンがミニアを連れて歩いて来た。
この時間帯に起きられるのは老人の良き習性というものだ。
まず家の周囲を把握しておこうと、早朝に散歩をしていた彼は朝のお茶を飲んでいたフークバルドを見かけて声をかけた。
岩山にいた時の彼と違って身支度はぴしっと整っており、初めてここへ来た時のことを彷彿とさせる。
「随分お早いのですね。いつもこの時間に起きられているのですか?」
「…」
問いかけを無視して、フークバルドは席を立った。
席を立ってテーブル端にあったティセットから新しいカップを取り出すと、自分が座っている席の隣へセットを始めた。
無言でもう一人分の席が用意されていくのをメルヴィンは暫く眺めていたが、確実に自分しかいないこの状況なので、恐る恐る歩を進めるとその場へ寄ってみることにした。
「…宜しいのですか?」
「僕の所は今お茶の時間だ」
「…」
まるでこの場に来た者は全てお茶をする義務があるような言い方だったが、とにかくメルヴィンは彼にお茶を振る舞われた。
丸テーブルに反してイスは向かい合うことはせず、目の前の林道と木々を眺めるような配置になっていた。
正面と言うよりは同じ側から景色を眺めるように置かれており、少し肌寒い朝に熱い紅茶はとても美味しかった。
暫く無言だったが、ご馳走になっている途中ずっと気にかかっていたことがあり、メルヴィンはカップを置いて横に座る少年を見た。
「…あの」
「…?」
「岩山にあったあの美しいルビーは…無事でしょうか」
「…ああ」
岩山から一度は採りだしてしまった至高の紅玉のことが、彼はずっと気になっていた。
手に入らなくても勿論いい。
ただ傷ついていやしないかと、そればかりが心配だった。
老紳士の問いかけに、フークバルドは目を伏せて小さく、無事だよ…と呟き返し、メルヴィンは心の底からほっと安堵した。
あの美しい石が自分が引き起こした一件で傷ついてしまったら、どう責任を取って良いのか分からない。
しかし王子の話によるならば、岩山が大切に持ってくれているということだった。
「今回の一件があったから、他の至石を預かってるみんなもずっと深くに隠した。…もうちょっとやそっとじゃ人目にも触れない」
「…“至石”?」
宝石を扱う者としてどうしても興味を引かれるその単語を聞き返すと、フークバルドは紅茶を一口飲んでから愚者でも相手にしているような態度で小さく息を吐いた。
「母様の好きな石。…至石は24個。君が採ろうとした岩山以外の他の22の場所はみんなこの辺りだけど…。取ったら怒るから」
最後の方はミニアを向いて、彼にしては少し強めに言った。
黒い犬は垂れた耳をぴょこりと持ち上げ、首を竦めて弱々しく鳴くとその場に伏せてしまった。
何故彼が飼い犬の方を向いて言ったのかあまり深く考えなかったメルヴィンは、それよりも数の違和感に小首を傾げた。
「22…。…23ではないのですか」
24個の至石があるのなら、それらが眠っている場所は24カ所ということになるだろう。
そのうち一カ所があの岩山であるのなら、残りは23カ所ではなかろうか。
「22だよ。…ひとつは僕が持っているから」
老紳士の質問に、フークバルドはさらりと答えた。
その答えは老紳士の深い興味を引くには十分で、それとなくしつつも彼は身を乗り出した。
「持っているというのは…。その至石というものをですか? …その、宜しければ是非、一度でいいから拝見したいのですが…。勿論一切手は触れませんし、一度で結構ですから。後学の為にどうか」
「…? それは取り出せということか。…裏を見たいの?」
「裏…?」
メルヴィンのその言葉に、フークバルドは眉を寄せた。
彼のその反応と言葉に、聞いたメルヴィンも首を傾げた。
…少しの間お互いが発言した意味を考え、どうも話がかみ合っていないらしいということを察して、フークバルドは眉を寄せたままメルヴィンを見上げた。
その目が昇った朝日に反射して、少し硬質的に輝く。
それを見て、突然心音が重く鳴り響き、メルヴィンの背中を衝撃が走った。
まさかまさかと思ってはいたが…。
…。
「君はずっと見ていると思うが」
カップを置いた手で、フークバルドはす…っと自分の目へ指先を添える。
それから、家の玄関へ顔を向けた。
「ナイフとかがないと取れない…」
「…し、失礼。あの…。ちょっと…ちょっと待ってください、それはつまり…。貴方の目は…」
「僕だって鉱石くらい持ってる」
「…」
さも当然とばかりにフークバルドは吐き捨てた。
彼の場合たまたま目として使っているが、体内に石を含ませるのは彼らの一族では全く珍しくない。
乗り出していた身をイスの背に預け、軽い目眩を覚える目元に片手で影をつくりながら、メルヴィンは自分の中に止め処なく湧き出してきた興奮を抑えるのに必死だった。
脳内に反射的に、青い宝石たちの名前が連なりリストをつくる。
一体何の石なのか…。
前々から宝石のように美しい瞳だとは思っていたが、まさか本当にそうだとは思いもしなかった。
嬉しい常識からの逸脱に、無礼にも凝視してしまう。
それまでの控えめな態度とは違い強い目でじっと見詰められ、フークバルドは少し身を退いた。
「……何」
「失礼ですが、貴方がお預かりなさっている至石の名を伺っても…?」
「名前…? 名前は……」
__ベニトアイトですわ、プリンス…。
大切にしてはいるが名前まで気にしたことがなかった王子に、姿ない侍女はそっと耳打ちした。
思い出した風を装って、フークバルドが小さく咳払いしてからカンニングした答えを肉声にして呟く。
「ベニトア…」
「っ素晴らしい…!!」
決してうるさくはなかったが、聞いた瞬間、メルヴィンが声を張って両腕を広げたので、フークバルドは驚いて輝く双眸を瞬かせた。
近くの木々に留まっていた小鳥たちが同じく彼の声に驚いて枝から飛び立っていった。
人の眼球でレンズの役割を示す水晶体。
それは案外、大きいものだ。
直径約9㎜、厚みが約4.5㎜。
勿論個体差がある。
対してベニトアイト。
異国にあるたった一つの鉱山でしか発掘は記録されていないが、その鉱山は既に閉山してしまった。
採れても極めて小粒の宝石だ。
青みはサファイヤよりも美しく、多色性を持ち、見る角度で様々な濃淡を魅せてくれる。
また、分散性はダイヤモンドよりも高く、輝きも強い。
何度かメルヴィンも見たことはあるが、直径は3㎜だとか、大きくても6㎜。
厚みが4㎜などまずない。
しかも透明度が高いものとくれば奇跡に近い。
こんな事を言っては何だが、正直、同じ至石でもあのルビーの比じゃなかった。
稀少な至石の存在は、偉大な一族に対する畏怖だとか何だとかを吹き飛ばすくらい、宝石屋を有頂天にさせた。
ココン、コ、コンコン。コンコン…というリズミカルなノックをしてから、どうぞの声も待たず鍵屋は不動産屋の玄関を開けた。
「おーっす、不動産屋。今週のケー…………」
…キを持ってきてやったぞ~!というのが鍵屋のいつもの訪問台詞なのだが、その日はドアを開けた直後で硬直したので、ケーキの“ケー”がそのまま弱くなっていって無言に収まった。
いつも通り片手には差し入れのケーキ…今週はチョコレートケーキなのだが…が入った箱の底に片手を添え、空いたもう片方の手でドアノブを握ったまま眼下の光景に呆然と立ちつくす。
玄関を入ってすぐある広めのリビング。
いつも鍵屋がお茶をご馳走になるテーブルにはやはり的確な人数分のお茶の用意が済んでいたが、そのイスの一つにメルヴィンが足下に飼い犬を従えて座っており…。
何故かその膝の上にちょこん、とフークバルドが彼と向かい合わせで腰掛けていた。
しかも彼の細い顎もとにメルヴィンが片手の指先など添えていたものだから、何というかもう…凄い光景だった。
…。
「…………何してんの?」
長い困惑の後、鍵屋は何とか問いかけた。
彼の問いかけをルーペを片手に目の前の少年の眼球を凝視していたメルヴィンは気付けなかった。
フークバルドが彼の膝上で深々とため息を吐き、それと同時に目を伏せたことで漸く宝石屋の鑑賞に一区切り付けさせた。
心なし、彼の頭部を飾る紫色の薔薇がしんなりしていた。
「その石は本当に素晴らしい。きっと貴方は数ある至石の中でも最も美しい石のひとつをお持ちですよ」
「…」
「……」
「いや実に素晴らしい。本当に素晴らしい」
チョコレートケーキと紅茶を前にしても一向に手を付けず、メルヴィンは両目を伏せてしみじみ呟くと深く息を吐いた。
いつまで経ってもしみじみと呟いて深い息を吐いていた。
丸テーブルを挟んで彼の正面で、既にケーキを食べ終わった鍵屋は心底呆れてそれを眺めていた。
彼ら二人に挟まれた場所にイスを置いていたフークバルドは、無言のままイスをちょっとだけ鍵屋の方へ移動し、その後で二個目のケーキを受け皿に取った。
近寄ってきた彼に、鍵屋が背を屈めて耳打ちする。
「…どーなってんだよ」
「知らない…。邪魔だから早く持って行って」
どことなく参った様子でフークバルドがため息を吐いた。
日頃凛としていて臆することない少年がぐったりした様子を、鍵屋は初めて見た。
その姿を見たのが鍵屋だったので、その話は瞬く間に広がった。
丁度噂が広がりきった頃、メルヴィンという老紳士はこの町に無事解け込んだ。
彼が解け込んだことで、町人たちにとって悪いことが1つ、良いことが1つできた。
まず悪いことを示しておこう。
残念なことに、宝石屋メルヴィンは一枚の“契約書”を持ち歩くようになった。
お手製だが、文章形式は守っているのでサインがあればすぐにでも契約書として成立する。
内容は実に不気味なもので、「不動産屋、フークバルド・モル・バーンが死亡するか、若しくはその肉体から眼球の剥離が生じた場合、水晶体として使用している鉱石をメルヴィン・ウェイディルへ譲り渡す」というものだ。
勿論まだフークバルドのサインはない。
サインはないが、何か思いがけないことで彼の機嫌や思考が変わることもあるだろうと、その契約書にサインが載ることをこの老紳士は穏やかな顔をして本気で日々願い出している。
勘違いして欲しくないのは、別段フークバルドの不幸を願っている訳ではないということだ。
彼には幸福であってほしい。
ただ、しかし、もし仮にそういった不幸があるのならば、是非預かって毎日磨いてみたい。ただそれだけだ…と。
宝石屋は主張している。
…。
「……悪いが俺には理解できねえ」
彼の力の入った主張を聞いて、町人の代表として鍵屋は取り敢えず賛同を避けた。
主人の願いを聞いて愛犬ミニアが採ってあげるべきか否か少し悩んだあたりは危なかったが、最終的にフークバルドが怖いので当面大人しくしておくことを決めたので本当に良かった。
それでも時折気ままに散歩に出ては、綺麗な鉱石を見つけて手前手前に引き寄せておき、次に主人と散歩で付近を通りかかったときその場所を吠えて教えることを欠かさなかった。
時々忠告を受けるが、その場合はすぐに手を引くことを覚えたので、今のところ不動産屋との衝突はない。
少しずつ少しずつ、宝石屋は品を揃えて並べることができてきた。
次に良いことだ。
良いことというのは、寡黙で無表情だった不動産屋フークバルドに些か表情がついたことだった。
本当に些かで、しかもどちらかといえばいい方の表情ではないが、彼はここの所“顰めっ面”というものを覚えた。
それまでも少しばかり使えていたが、今回でしっかり表情の一つとして使うことができはじめていた。
それに伴い、淡泊だった彼に苦手な相手ができた。
相手は無論、距離がありはするが隣人の宝石屋である。
しかし悦ばしいことに、寡黙で無表情で淡泊だった一族の王子は、生まれて初めて苦手な相手ができたことによって突然“幼さ”を得た。
__プリンス…。宝石屋が来ますよ。
__……。
__プリンス…。
__……やだ。
奇怪で美しいベッドの中で更に背を丸めると、フークバルドは起きないことを宣言した。
その言動は侍女を始め一族を喜ばせた。
例え顰めっ面であろうとも不機嫌であろうとも、それらは“無”からの確かな“変化”であり“成長”であり、彼女たちにとっては大いなる歓びだった。
顔を合わせると隙を見て契約書へサインを求められるか、それでなくても眼球を近距離で鑑賞されるので、今まで何にも遠慮せず何にも関心なく商店街の道を歩いていた彼は、例えば道の向こうから宝石屋が歩いてくるとさり気なく路地裏や傍にある店の中へと引っ込むことになった。
時々、何故自分が身を退かなければならないのかを本気で悩み、そこでまた顰めっ面を披露する。
__プリンス…。お会いになれば宜しいのに。
__やだよ。
場に不釣り合いな路地裏を進みながらメルヴィンと擦れ違い終わったあたりで、こっそり表通りに戻る。
急いでベルを鳴らし、馬車に乗って逃げるように家に帰る姿が、彼女たちからすると可愛くてならない様子だった。
「よしよし。良い傾向だな!」
そんな姿を町人の代表として鍵屋もとても喜んでいた。
そしてもう1つ。
宝石屋がその町に住まうことは、貴方にとっても実に良いことのはずだ。
深く広く陣取っている薄暗い森。
入り口はどこにでもある。
近い将来、貴方が地図上にある別の名のついた森に入ったつもりであっても、貴方がその町に用事があるか、町が貴方に用事があるのなら必ず繋がるだろうから。
森を抜けたところに商店街があり、親切などこかの店員(やっぱり目聡い鍵屋あたり)が貴方がお探しの場所を親切丁寧に気さくに教えてくれるだろう。
教えてくれるが、彼は思いの外留まらない相手には淡泊であって、着いてきてはくれない。
商店街からまた歩いて、その先の別の森を行く。
森の細い山道入り口を真っ直ぐ進み、疲れてきて、喉が渇いた頃に…。
「おや…。こんにちは」
町と不動産屋の間にある宝石屋の存在は、とてもとても助かるはずだ。
貴方は始めその店を不動産屋と勘違いするかもしれないが、間違えて入った店が宝石屋だからといって焦る必要はない。
彼はきっとお茶を出し、優しく貴方に不動産屋の場所を教えてくれる。
傍に黒い犬がいるはずだから、その犬を一撫でしてあげるといい。
きっと喜ぶはずだ。
いつの日か、貴方が不動産屋を尋ねて向かう途中。
その宝石屋にいくらか助けられたなら、高価な身に余る宝石を買わずともいいから、ただ一言それらを褒めてあげてほしい。
とても綺麗な宝石ですね、と。
ただそれだけで、彼は本当に満足するはずだから。
END