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不動産屋:フークバルド=モル=バーン

貴方が過去に何度か空き巣に遭ったとか、買ってきた健康な植木を植えると枯れてしまうとか、なくし物が多いとか、よく庭で転ぶとか、鍵をかけたと思っていたがかけてなかったみたいとか、そういうことが多いようなら、引っ越すことをお勧めする。

理由は単純だ。

貴方は嫌われている。

「誰に?」と聞き返すのであれば、おそらく、それはもう嫌われている。

それでも鈍い人というのがこの世の中にはいて、自分が一体誰に嫌われているのか気付かない人もいる。

感覚で物事を捉えるのが少し苦手で、自分が使える“言葉”で言われないと気付かない人もいる。

そういう人は、面と向かって言ってもらうといい。

深く広く陣取っている薄暗い森。

入り口はどこにでもある。

貴方が地図上にある別の名のついた森に入ったつもりであっても、貴方がその町に用事があるか、町が貴方に用事があるのなら必ず繋がるだろう。

森を抜けたところに商店街があり、親切などこかの店員(おそらく鍵屋あたり)が貴方がお探しの場所を親切丁寧に気さくに教えてくれるだろう。

商店街からまた歩いて、その先の別の森を行く。

森の細い山道入り口を真っ直ぐ進み、疲れてきて、戻ろうかどうか悩み出しつつぐだぐだ進み、あと10分歩いて何もなかったら返ろうとか決意した頃に、小さな、愛らしい一軒家が見えてくる。

看板もなく、おおよそ店らしい外見はしていないが…。

フークバルドという男が住んでいる。

君が到着する頃には、彼は必ず、紅茶と焼き菓子をリビングのテーブルに並べて待っている。


年下扱いしないことをお勧めする。

彼は世界の中心に最も近いこの町で、二番目に昔から住んでいる。




   【不動産屋:フークバルド・モル・バーン】


挿絵(By みてみん)




 __プリンス…。人が来ますよ。


そんな優しい囁きで、フークバルドは眠りから呼び起こされた。

その声は複数の若い女性の声が重なり合っているような非常に美しい声色で、誰もがうっとりと聞き惚れてしまいそうな声だが、あいにく彼にしか聞こえない特殊な声だった。

この声を毎日聞いていたり聞き慣れているのであれば、他のどんな声でもノイズに聞こえるだろう。

苛々するかもしれない。

実際彼がそうだ。

優しく穏やかなこの声は口から吐き出されるものではなし、自分もその方法で彼女たちと話ができるので、彼は肉声を汚いと思っている所が少しだけある。

第一、己の栄養を取り込む場所を遡っては音を吐き出すなんて異様だ。

だから無口だった。

必要最低限のこと以外は口では話さない。

だから口頭でしか会話できない人と会うのもあまり好きではなかった。面倒臭い。

そして以上のことから客を迎えることも好きではなかったが、わざわざ町から一時間近く離れている森の中へ歩いて来るのを追い返す程嫌いでもなかった。


「…」


声に起こされて、のそりとベッドの中からフークバルドが身を起こす。

決して寝坊した訳ではない。彼は毎朝日の出を見るために一度起き、熱い紅茶を飲んで朝日が昇りきるのを見てからその後に二度寝をする。

そして二度寝した後は、特別予定がある場合や誰かが尋ねてくる場合を除いて次の日の日の出まで寝ている。

今日は後者だ。

彼が目を覚ましたことによって、頭部の左側にアクセサリーのように髪の間から顔を覗かせていた薔薇の蕾が開花した。色は紫。

どんなに博識な植物学者でもこんなに美しい鮮やかな紫薔薇は見たことがないだろう。

非常に容姿の整った美少年に見えるが、実際はそんなに若くない。

それどころか、とても歳を取っていた。もう千年万年生きている。

生きてはいるが、寿命の長短と…経験はともかくとして…その人が得る知識の幅や感性の深さというものは案外比例しないものだ。

目の前にいくら機会があっても、学ばず覚えず通り過ぎてしまう人はたくさんいる。

逆に、ふとしたことで真理を拾う人もいる。

そういう意味で、生まれてこの方その殆どの時間を睡眠にあてているフークバルドは決して年齢に合わせた精神的な大人でも老人でもなかった。

加えて、彼以外は女性しかいない彼の一族は、皆長寿過ぎる。

彼女たちからすると千年だとか万年だとかは笑ってしまうくらい幼い。

赤ん坊と同じ…いや、赤ん坊にも充たないかもしれない。

見かければ皆が可愛いと言い、遊びに行くと歓迎され、ちやほやされ、溺愛されている。

一族の中で唯一二本足であり、人の形をしているフークバルドを自らあちこち移動ができて羨ましいと思う者は多いが、その反面、不便だと思われていることも多い。

彼女たちと違って寝床がないと眠れない彼のための天蓋付きベッドは木造と言えば木造だが、少しばかり奇怪だった。

リビングを降りた地下にある寝室の奥の壁から植物の枝とおぼしきものが突き出て生え、幾重にも絡み合い、天蓋付きのベッドを形成している。

実際にはそれらは植物の根なのだが、色は薄く形も整い余程接近して見ないと加工後のように見えるので、“豪華な木造ベッド”という説明で事足りる。

事足りはするが、ベッドの所々に勝手に季節の花々が生えてきたりして飾るので、普通の人間の感覚からすると豪華どころではなかった。

そこに特別容姿の良いフークバルドが寝ていると、さながら「眠りの森の美女」ならぬ「眠りの森の王子」である。

…ところが、残念なことに、彼がこのベッドで寝ている姿は誰も目撃できない。

理由は簡単だ。

徒歩だろうが馬車だろうが、この家に訪れるには誰だって地面を歩いたり走ったりして来る。

誰一人ここいら一帯の、王子の侍女という使命を預かった“ここにある彼女”に触れずには来られない。

フークバルドは目を擦りながら肉声ではない声で尋ねた。


__人…。…鍵屋?

 __いいえ。私は初めて見ます。老いた男のようですよ。傍らに黒い犬も…。


それならば、紅茶の用意は二人分。

犬には…。


「…」


少し考えて、フークバルドは薄い砂糖水を注いだ浅い食器を用意した。

つまりは、そういうことだ。






やがてベルが鳴り、すらりと背が高い初老の紳士と黒い大型犬がやってきた。

彼らを迎えたのはすっかり身支度を住ませたフークバルドと、的確な数のお茶の用意が整ったテーブル。

おおよそ初めて訪れる人間が驚くように、その老人もそれらを見て瞬いた。

トランクを携えた上品な老紳士の名はメルヴィンといった。

姓も聞いたはずだが個体認識が出来ればそれでいいので、フークバルドは最初からそちらは覚える気がなかった。

彼の連れた愛犬の方はミニアといった。

愛犬の方に仮に姓があったとしても、やはり覚えなかっただろう。


「宿屋のご主人に伺ったのですが、土地の売買や貸し借りなさっているというのはこちらで宜しいですかな。土地を借りたいのですが…」

「…どの辺り?」


カップと焼き菓子が並んでいるテーブルとはまた別の、窓際の大きなテーブルにフークバルドが地図を広げた。

元々小さい町なので、その地図は町の地図というよりは、町の周囲の環境を知る為のような地図だった。

これを見ると、この町がぐるりと樹海で囲まれているのがよく分かる。

樹海の所々で、ぽつぽつと山々や湖、池や崖などがあるが、それ以外は殆ど森だった。

因みに、フークバルドの住まうこの家は町から東の森に入った所にぽつんとあるが、ここから奥も勿論森が続いていた。


「私は南からこの町に来たのですが、町に入る手前に岩肌の山がありました。できればその辺りの土地を少し」

「…」


彼の言葉に、フークバルドは少し沈黙した。

意外だった。

てっきり町の中に土地を借りるものだと思って次に町の詳細な地図を広げようと思っていたが、止めて彼が示した岩山あたりの地図に変えた。

…とは言え、岩山には誰も住んでいないので、その地図を広げたところで殆ど記載はない真っ白な地図だった。


「ああ、この辺りが良いですね」

「…人が寝泊まりする場所はないぞ」


メルヴィンは自分に敬語を使わないフークバルドに、一度おや?と少しだけ瞬いた。

今までの彼の人生には外見と年齢が必ず比例した人々しか登場しなかったものだから、当然、目の前の少年の外見をした人物は少年であろうと疑いなく思っていた。

…が、幼い少年が年配者である自分に敬語ができなくとも腹を立てるような性格ではなかったので、それは個性であると認識して流すことにした。


「ええ、大丈夫です。簡単なキャンプセットを所有していますから。それに、宿屋のご主人のご厚意で一部屋使わせていただけることになりましたので、数日に一回程度はそこに戻るつもりです。この辺りですとおいくらでしょうか」

「まだ貸すなんて言ってない」


素っ気なく短く言うと、フークバルドはテーブルを離れて玄関へ向かい、横に置いてあったベルを手に取った。


「…?」


突然背を向けた彼に客は不思議そうな顔をした。

ドアを開け、一歩外に出て手にしたベルをちりんちりんと数回鳴らす。

音は高いが深かった。

鳴らし終わるとドアを閉め、リビングに戻ってきた。

イスの背にかかっていたショールを羽織り、広げていた地図を丸めて片付ける。

あとはティーセットのあるテーブルへ戻り、紅茶を淹れ替えた。

彼がイスに座ったので、訳も分からぬまま、メルヴィンも席に着いた。

愛犬ミニアはずっとそのテーブルの傍で伏せていた。


  __プリンス…。御者が来ますよ。


「…」

「…? どうしたのですか?」


優しい囁きが教えてくれたタイミングで席を立ち、玄関へ向かう。

フークバルドがドアを開けると、家の前に黒馬白馬合わせた四頭の馬車馬を従えた御者が、小振りだが美しい馬車を背に立っていた。








岩山も勿論フークバルドの一族だ。

彼女は人が傍に住んでくれることに大歓迎だった。

自分は平らではないし飾る草花も少ないし決して美しくはないから、時折来る登山家以外は誰も見向きもしてくれないものと思っていたと、大変喜んでいた。


「それで、おいくらほどでしょう」


この老紳士はフークバルドがいかほどの値を伝えても払えるくらいお金を持っていた。

持ってはいたが、彼の口から出てきた代金は冗談のように安かくて驚いてしまった。


「ではもし仮に、買い取るとしたらおいくらですか」


試しに聞いてみたそれも、やはり冗談のように安かった。

御者はこの町に新しく住まう者に、この町の誰もが持っているベルを手渡した。

メルヴィンは再び馬車に乗ると一度宿屋に荷物を取りに戻り、早速そこにテントを張ることにした。

興味本位から傍でじっと眺めていたフークバルドも少しだけ手伝ったが、すぐに疲れて止めてしまった。


「…」


せっせと作業している老人と愛犬に背を向け、フークバルドは岩山を見上げた。

小さな王子に、岩山の“この地の彼女”は優しく囁いた。


  __プリンス…。ありがとうございます。こんな幸せはありませんわ。

 __その言葉はまだ早いよ。…相性が合わないかもしれないし。


フークバルドは小さな声で呟いて岩山へ背を向けた。

彼は皮肉屋ではないがまだまだ幼かった。

まだ他者からの褒め言葉を上手く受け止めることができない代わりに、髪を飾る紫の薔薇が少しだけ揺れた。








「あのじーさん宝石屋なんだとさ。知ってたか?」


右手に持ったカップを芝居がかって持ち上げ、鍵屋は声を高くした。

フークバルドは一週間に一度くらいの頻度で紅茶を飲みに来るこの青年のことを好きでも嫌いでもないので、一緒にいても不愉快ではなかった。

一方鍵屋の方は、異常な歳の取り方をしているフークバルドが嫌いではなかった。

元から彼は社交的で、誰とでも親しくなろうとして実際なれてしまう類の人間だ。

目の前の少年に見える存在が自分よりもずっと年上なのを知っているが、町から離れて一人寂しい森の中は嘸退屈だろうと色々気を利かせてくれる。

特に、紅茶は淹れられるが茶菓子の類が作れない寡黙な不動産屋への菓子の差し入れは己の使命だと思っている。

今回彼が持ってきたチーズケーキはケーキ屋の新作だ。

それに入れたフォークの先端をじっと見詰めつつも、フークバルドは彼の話を聞いていた。


「久し振りだろ、外から人が来たの。まあ居座るかどうかは分からないが、居座ってくれると嬉しいだろ? 宿屋が気に入ってるみたいでさ、居着いてくれるといいな~ってんであいつ差し入れとかよくするらしいんだが、それで宝石屋だって聞いて来たらしいんだよ。…で、俺も声かけに行ったらまるで家みたいなひろーいテントが張ってあって、中すげえんだぜ。意味不明な機械が並んでて何か調べてるんだ。ありゃ宝石屋っつーより考古学者って感じだな。大体店出すならストリート来いよ。俺の店の隣はどうだ?空いてるだろ? 何でそっち紹介してやらなかったんだよ」

「…」

「ところであのじーさんの犬見たか? 可愛くねえ?? 名前聞いたらミニアっていうらしくてさー」


鍵屋は町で起きた出来事や話題になっていることを約一週間分話して帰るので、フークバルドは森の中の一軒家から出ずとも大体の情報は得ることが出来た。

殆どのことは興味がなかったが今回は少し興味が湧いたので、彼の翌日に久し振りに予定ができた。




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