9.ケモミミの魔術師
(――そういえばステーキの産地の港町ポレロには行った事が無いな。魔軍馬があれば一日で行けなくもない距離らしいけど)
港町ボレロは魔大陸の最北端にある港町の一つで、かつては隣接している人間の大陸とそこで様々な交流や交易があった町だ。
だが人間の大陸『リュノール』の皇帝が変わってからは魔族を徹底的に排除しようとしているらしく、ほとんどそれらは無くなってしまった。
だがムツキが聞いた噂では今もこっそり互いに密航しあったり、取引をしているらしく彼らのたくましさが伺える。
(まぁそれでもやっぱり全盛期と比べると相当寂れてしまっているようらしいけどな……)
「――お隣、いいかしら?」
「あっ、どうぞ」
料理が来るまでボーッとそんな事を考えていると、不意に鈴の音色のように透き通った声がムツキの耳へ響き渡る。
他に空いている席もないので、慌てて承諾の意を伝えるとスッっと音を立てることも無く椅子が引かれ、そこへ一人の少女が腰掛けた。
(モケノーの人か)
ムツキは一目で少女の種族を判別した。
その理由は彼女の頭とお尻からふさふさの銀色の狐の耳と尻尾が生えていたからだ。
――モケノー。
それはこの魔大陸にある数少ない森林地帯の一つ、『ゲッコウの大森林』と呼ばれる地域で主に生まれ育つ種族だ。
特徴としてはその全員が兎や猫を始めとした様々な動物の耳と尻尾を持った、幼い人間の少女の姿をしている事が挙げられる。
さらに多くのモケノーは生まれながらにして高い魔力を持っているが、反面その身体能力や膂力は見た目相応程度しか無い者が多いため、その多くは魔力を活かした後衛職に就く事がほとんどだ。
またその姿は一定の年齢に成長してからは死ぬまで少女のまま変わらない。
さらに非常に長寿であり、平均二百年は生きる大自然の守護者、と呼ばれている種族だ。
――だが今から千年以上前に魔物が現れた際に、『魔物が現れて尚、魔族同士で争いをしていれば自身の種族や森だけでなく、やがてこの大陸全土が滅びの危険に陥る』
――そう判断した当時のモケノーの女王は、率先して魔族を纏めるべく動いた。
そのため魔物出現初期に似たような行動をした悪魔族や長耳族のような種族と共に、モケノーにはある程度好意的なイメージを持っている魔族が多い。
逆に魔物が現れて尚、魔族同士の争いをギリギリまで辞めなかった竜人族のような種族は生まれながらにして高い能力を持ちながらも悪いイメージを持たれやすい。
(この子……可愛いな)
そんなモケノーの少女をチラッと横目で伺ったムツキが感じた第一印象はそれだった。
その身長こそムツキよりさらに小さく、恐らく百四十センチ程度しかないだろう。
だがピンと伸ばされた背筋と少女が纏う何処か気品のある雰囲気は、不思議とそれを感じさせない。
「あら、そんなにじっと見詰めちゃって、もしかして私の顔に何か付いているかしら?」
ムツキの視線に気づいた少女が、腰まである艷やかな銀のロングヘアーを靡かせてこちらに顔を向ける。
「っ……」
薄く歪められた口元と、意志の強さを伺える紅色の瞳がジトッと細められながらもムツキを真っ直ぐに射抜く。
その表情は幼く可愛らしい外見に、恐ろしい程に不釣り合いな妖艶さを醸し出していた。思わずムツキが見惚れてしまう程に。
「い、いえっ。何だか気品のある方だなーって思いまして……」
その仕草に一瞬呼吸すら出来なくなったムツキは、感じた事を素直に吐いてしまう。
見た目だけなら十代前半程度しかない彼女の方が幼いが、モケノーはその種族の特性上見た目では年齢を判断出来ないので敬語だ。
「そっ。ありがとう、とでも言っておくわ。――ねっ、貴方、名前は?」
「あっ、ムツキって言います」
「ムツキ……いい名前ね。私の名前はルナ・ノワール。世界中を旅をしながら冒険者をしているわ」
「へぇー、旅をしてるという事はルナさんは別な大陸にも行った事があるんですか?」
「ええ。魔大陸には来たばかりだけど、この間までは今貴方達魔族が睨み合いをしている大陸『リュノール』に。その前は人間や魔族が共に過ごしている西方の『エクリプス』という大陸にも行ったわ」
「おお、凄いですねっ! そういうの憧れますっ」
これから冒険者になる身として、様々な大陸を股にかけるルナに少々の尊敬を抱く。
年齢は敢えて聞かないでおこう。
「遅れて申し訳ありません~。ご注文はお決まりですかっ?」
そんなやり取りをしていると風精の少女が慌ただしく注文を取りに来る。
その額には汗が浮かんでおり、何度見ても忙しそうだ、とムツキは考えた。
「んっ、この子と同じ物をお願い」
「畏まりましたっ! マスターっ、シャークステーキ追加でっ!」
店主へと注文内容を伝えると、少女は直ぐに小走りで別なお客の所へと行ってしまう。
(この混雑具合では、料理が届くまで時間がかかりそうだなー……)
――恐らくそれまでの間は、ルナと会話する事になるのだろう
そんな事を考えながらムツキは先に運ばれてきた冷水に口をつけるのだった。