8.始まりの街『ランコン』
「……ふぅ、着いたな」
ランコンの街へと到着したムツキは入り口で額に浮かんでいた汗を拭う。
村を出てからおよそ一週間が経過していた。
道中ではクリスタルボアと比べれば非常に脆弱ではあるが、魔物と何度か戦闘になった以外にこれといったトラブルは無かった。
一応一人旅は初めてだったのだが、探知魔法と呼ばれる周囲数十メートル以内に魔力を持った対象が侵入した際に警報が鳴る魔法を使っていたため、寝ている最中に魔物に不意を突かれるといった事もなくここまで辿りつけた。
「さて、早速冒険者ギルドに……って思ったけどもう夜になるし明日行くか」
チラッと目を向ければ既に陽は沈みかけている。
聞いた話ではこのランコンの街の冒険者ギルドは夜には酒場になるらしいので、今から行っても登録やら何やらをするのは無理だろう。
(まずは宿を取って、この周辺の情報収集のためにギルドに行ってみよう。食事もそこで取れるだろうし)
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「――ここだな」
以前ランコンの街へ訪れた際も何度か利用していた馴染みの宿『精癒亭』にて宿泊料金を支払った後、ムツキは冒険者ギルドの前に来ていた。
ちなみに部屋は少しでも節約するために相部屋にした。
中には二つのベッドと、衣類や荷物をしまうための箱しか無い質素な部屋だが、駆け出しであるムツキにはこの部屋で十分だ。
荷物に関しても魔法の袋があるため、風呂に行く時以外には特に使う必要もない。
ちなみに箱にはそれぞれ特殊な魔法で施錠されており、受付で貰える専用の鍵が無くては開けないのだが、相方の箱には既に鍵がかかっているという事は、一度はこの部屋に訪れていたようだった。
だが今は何処かへ出かけているらしく、その姿は精療亭の中には見当たらなかった。
(まぁ、帰る頃にはその人も戻っているだろうし、会ったら適当に挨拶をするか。……しかし結構盛り上がってるな)
――中は既に酒場へと変貌しているらしく、耳を立てるとグラスを合わせる音や沢山の楽しげな声が聞こえてくる。
(こういう所に来るのは初めてだからちょっと緊張するけど……とりあえず入るか)
――ワイワイガヤガヤ
(うおっ、すげぇ人数だ……)
中に入ったムツキを迎えたのはむせ返りそうな程の酒の匂いと、ギルドの広い空間を活かしているにも関わらず、ほぼ満席な程に混雑している店内の喧騒だった。
「いらっしゃいませっ! お好きな席へどうぞ~! ……って言ってもここのカウンター席しか空いてないけどねっ!」
ムツキの入店に気づいたらしい、小柄な風精の店員が元気な声を張り上げる。
その両手にはびっしりと料理が乗っており、この店の繁盛具合を現しているかのようだ。
「おっ、ボレズンの弟子のガキじゃねぇか。こんな所に来るなんて珍しいな。今日はどうしたんだ?」
空いている席へ向かおうとしたムツキへ、数人の仲間と共に酒を飲んでいた逞しい狼の獣人の男性が声をかける。
「ベルドさんお久しぶりです。実は俺もベルドさんのような立派な冒険者になろうと思いまして、村を出てきました」
彼はムツキが数年前にボレズンと共に街へ訪れた際に知り合った獣人だった。以降何かと世話を焼いてくれる。
そんな思わぬ知り合いとの遭遇に、ムツキは軽く笑いながら軽口を叩く。
「へっ、相変わらず口が上手い奴だ。最近はこの辺にも稀に南部の強力な魔物が出るって話だ。一応明日から俺達がそれの調査と討伐に向かう予定だが、まぁ気をつけるよ」
「はい。貴重な情報ありがとうございます」
(クリスタルボアが村に現れたし、その事は知っているんだけど……)
アレと遭遇し討伐した、などという事が明らかになれば魔物の討伐を生業とする彼らの事だ。
冒険者登録すらしていない若造がクリスタルボアを討伐したとなれば少なからず騒ぎになる。
そうなった場合あの牙の価値を考えても無用な騒動を生む危険性が非常に高い。
(今は黙っておこう……。冒険が始まる前にゴタゴタするのは勘弁だしな)
「どうだ、良かったら一緒に飲んで行かないか? そこのアバズレを退かせば椅子が一つ空くしな」
「このッ、ベルドてめぇ! 誰がアバズレだッ!」
ベルドが木のグラスに入った酒を飲み干しながら半鳥人の少女へとニヤリと笑いかける。
それに対しほぼ裸に近い露出度の服を着た半鳥人の少女が、テーブルに身を乗り出しながら顔を真っ赤にして怒る。
その際に少女の豊かな双丘がぷるんっと震え、微かにピンク色の頭頂部が見えかける。
一応、年頃の少年なムツキには中々に目に毒な光景だ。いや、眼福とも言えるか。
「あははっ、仲の良い皆さんの邪魔をしたらいけませんし素直に空いてるカウンター席に行きますよ」
「おっ、そうか。それじゃあな」
内心でドキドキしつつも誘いを断ったムツキはカウンターの方へと歩き出した。
「……ふぅ」
「あっ、お嬢さんご注文は何にしますっ?」
席に着いて一呼吸をすると、ちょうど近くを通りかかった風精の店員が問いかけてくる。
その声には喧騒中でも不思議と聞こえるような張りがあり、第一印象通りの元気っ娘というイメージだ。
――まぁ見た目は元気な少女でも、中身はほぼ間違いなくムツキより遥かに年上なのだろうが。
「何かオススメはありますか? ……あと俺はお嬢さんじゃなくて男です」
村以外では女に間違われるのは慣れているとはいえ、今はいかにも男物なデザインの革鎧の上からローブを羽織る、といった組み合わせで居るため見間違えられたのは少々ショックだった。
「あらやだ、可愛らしい顔立ちだったのでてっきり女の子かと。これは失礼しましたっ! それはそうといい質問ですねお客さんっ! 実は『港町ポレロ』で昨日採れたばかりのポースシャークのステーキがオススメですっ。パンとスープも付いてお値段はなんとたったの銅貨八枚ですっ」
(軽く流されたな……まぁいいや。 ポースシャークは……確か港町でたまに討伐される大型の海棲魔物だったな。銅貨八枚なら……まぁ、少し高いが鮮度とかを考えれば妥当か)
――魔大陸の通貨には価値の高い純に魔石貨、大金貨、金貨、銀貨、大銅貨、銅貨という物がある。
レートは基本的に銅貨十枚と大銅貨一枚が等価、銀貨十枚と金貨一枚が等価といった具合に下位の通貨十枚と上位の通貨一枚が同じ価値になっている。
冒険者のような稼ぎにバラつきのある職業を除けば一般的な魔族の一月辺りの収入は銀貨五枚から八枚が大体平均だ。
「じゃあそれでお願いします」
「はいっ。まいどっ! マスター、シャークステーキ一つお願いしますッ!」
「おうっ!」
カウンターの隅で調理をしている男へ元気よく注文内容を伝えると、風精の少女は早足で別なお客の所へと向かっていった。
他にも数人の店員が居るとはいえ本当に忙しそうだ。
(さてと、料理が来るまで適当に暇をつぶそうかな)
ムツキはそんな事を考えながらゆっくりと思考の海へと沈んでいったのだった。