6.初めての実戦
「あ、あれはっ……!」
「クリスタルボアだとっ!?」
入り口に向かった三人が見たのは次々と家屋を破壊し、必死に逃げる村人へと襲いかからんとする一頭の巨大な猪だった。
その全長はおよそ八メートル程もあり、体躯に見合った巨大な牙は煌びやかな水晶で出来ていた。
「くそ、南部にしか居ないはずの強力な魔物がどうしてこんな所に!」
「しかもよりにもよってほとんどの男手が狩りに出ている時に、なッ!」
「なんて大きさなんだ……」
ムツキは狼狽しつつも昔、魔大陸に存在する四大魔王の内の一人である魔王『ヴォギト』と共に魔物の大規模討伐に従事していたというイダリコの話を思い出す。
それによればクリスタルボアは魔大陸の北部にあるこの村とは真逆に位置する大陸の南部に生息している魔物で、その強さは並のオークでは束になっても敵わない程だ、という話だった。
「――ボレズン、奴をこの場で止めるぞ。仮に倒せなくても男達が戻ってくるまでの時間稼ぎにはなるはずだ」
「言われるまでもないッ! こんな時のために村で手練である我々が残っているのだからな! 危険だからムツキは女子供と一緒に下がっていろ、いいな!?」
「わ、わかりました――」
そう言って踵を返そうとしたムツキが見たのは焦りのためか躓き、クリスタルボアの牙にその体を貫かれようとしている母、アモルの姿だった。
「っ……!?」
時間の流れがやけにゆっくりと感じる。
――このままでは母は死ぬ。
その事実を実感した直後、ムツキの脳内はまるで氷水をかけられたかのように冷えきる。
脳裏に元の世界で母を失った時の光景がフラッシュバックする。
――もう二度と、あんな気持ちを味わいたくはなかった。
「い、いかん! 間に合ってくれ!」
イダリコが杖を取り出し、クリスタルボアへ魔法を詠唱しようとする。
だがそれでは遅い。間に合うはずがない。
そう判断したムツキはほぼ無意識の内にそのイダリコの杖を奪い取ると、クリスタルボアへと杖を差し向ける。
「――氷矢ッ!」
イダリコとの魔法の訓練の時と違い、肉体や杖への負荷などを一切考えずありったけの魔力を杖の先端の魔石へと込めて技名を宣言する。
――本来ならば魔法を使うのに必要なはずの詠唱は無かった。
これは詠唱無視と呼ばれ、通常の手順を踏んだ魔法の発動と違い、莫大な魔力を消費する代わりに詠唱を無視出来るという高等技術なのだが、ムツキはその方法を誰かに教わった事は無かった。
だが彼はまるで詠唱無視が出来るのが当然であるかのようにそれを発動させた。
「なっ!?」
――技名の宣言を終えると同時にムツキの背後の空間が歪み、そこから凄まじい速度で四本の氷の矢が発射される。
それらは寸分違わぬ精度でクリスタルボアの横っ腹に突き刺さると、一撃でその命を奪い去った。
「無詠唱魔法だとっ!?」
「よもや詠唱無視を使ったのかッ!? しかも四本の氷矢の斉射なんて並の魔力所持量では打てるはずがないというのに、やはりやりおるッ!」
内心で若干戦慄を覚えつつもイダリコはムツキを賞賛する。
第十位に属する氷属性魔法『氷矢』はある程度の魔法の教育を受けた者なら誰も使える最低ランクの魔法だ。
だが通常一度の発動で発射される氷矢は一本だ。これは術者の魔力総量に応じて変化する、というのが通説だ。
つまり四本もそれを同時に斉射したムツキの魔力総量は化物染みしている可能性が高い。
おまけにその速度や威力も通常の氷矢とは段違いだった。
普通なら氷矢で一撃でクリスタルボアを仕留める事なんて有り得ないのだ。
「あぁ! しかもあのクリスタルボアを一撃とは……流石は神童だぜ!」
ボレズンも弟子の活躍に喜びを浮かべながら驚愕の声をあげる。
「……初の実戦でこれまでの訓練では抑えていた力が解放、或いは目覚めたとでもいうのか」
「へっ、多分そんな所だろうよ。流石ムツキだぜ」
「や、やった! 奴を倒せたっ!」
ぶっつけ本番だったが、無事に敵を倒す事に成功したムツキは思わずその場でガッツポーズをしてしまった。
母も顔を恐怖にひきつらせているが傷一つないのが確認できる。
(氷矢を撃つ直前、何故か詠唱無視のやり方が頭に浮かんできた……。あれは何だったんだろう? ……とはいえ、無事に母さんを守る事が出来て良かった……)
安堵からか、それとも魔力を一気に使ったからかへなへなと全身から力が抜ける。
それと同時にあまりの魔力の負荷に耐えられなかったイダリコの杖の魔石が粉々に砕け散る。
「わ、私の杖がっ!?」
イダリコが悲痛な声をあげる。
そういえばあの杖は昔から使っている大事な物だと言っていたはずだ。
「わわわっ! すいませんイダリコさん!」
「ははっ、お前の杖じゃ坊主の力を押さえるには足りなかったって事――っ!坊主、右だッ!」
笑っていたボレズンの声が唐突に切羽詰まったものへ変化する。
それに反応し右を見るともう一頭のクリスタルボアが真っ直ぐにこちらへと突っ込んできているのが見えた。
「なっ増援……!?」
(そ、そういえばクリスタルボアは必ず番と一緒に行動しているんだった……!)
昔話で聞いていた内容をすっかり失念していた事に後悔しつつも、即座に壊れた杖の代わりに訓練で使っていた鉄の剣を鞘から抜き放ち立ち上がる。
「くそッ! 分断剣戟ッ!」
ムツキが動くより早く増援の接近に気づいていたボレズンはクリスタルボアへと近接攻撃技を宣言し、大剣を勢い良く振るう。
その直後、ボレズンの魔力を流し込まれた大剣は、製造の際に含有された魔石に反応し蒼白い光を纏う。
これはこれまで村を襲ってきた数々の魔物を一撃で倒してきた戦士長ボレズンの必殺技だ。
――ガキンッ!
「ぐわぁッ!?」
だがそれは恐ろしい程の反応速度を見せたクリスタルボアの硬い牙に弾かれ、逆にボレズンは吹き飛ばされてしまう。
二メートル近い体躯を持つボレズンがまるで玩具のように吹き飛ぶ事からも敵の膂力が伺える。
その後直ボレズンへの興味を失ったクリスタルボアは、彼に追撃を浴びせること無く再びムツキへと突撃を開始する。
恐らくムツキに番を殺された事への復讐を果たすためであろう。
母が『逃げてッ!』と叫んでいる。
だが自身の後ろには吹き飛ばされたボレズンや逃げた女性や子供のオーク達が居る。逃げれば彼らに被害が及ぶ可能性が高い。
――逃げるわけにはいかなかった。
「すぅーはぁー……」
剣を両手で強く握りしめる。
(ボレズンさんとの訓練と座学を思い出せ。クリスタルボアはその硬い皮膚で正面からの攻撃を弾く……。奴の弱点は氷矢で一撃で仕留められた事からもわかる通り側面や背面の皮膚が柔らかい箇所だ。そこをこの剣で……斬り裂くッ!)
深呼吸をしながらこれまで教わった様々な事を思い出す。
それと同時に残った魔力を剣へと流しこむ。それに応じて剣が蒼白い光を帯び始める。
だが、その間にクリスタルボアは当たれば一撃でムツキを死へと追い込むであろう牙を光らせながら目の前まで接近していた。
「ここだッ! 斬り裂け――下位二連剣戟っ!」
ギリギリまでクリスタルボアを引きつけてからサイドステップにより突撃を回避。
そしてそれと同時に敵が晒した無防備な腹部へ、魔力を帯びたニ連撃の剣戟を浴びせる。
「グボァァアァァァ!?」
それを喰らったクリスタルボアはけたたましい叫び声をあげるとズシーンという轟音と共に大地へと倒れ絶命した。
「や、やったッ……倒せた……!」
今度こそ全ての襲撃者を撃破する事に成功したムツキを村中のオークの歓声が包み込んだ。