4.魔大陸と世界
「――ふぅ」
この世界に転生し、ある程度成長してからは日課の一つとなっている剣の稽古を終えた夢月――いや、これからはムツキと呼称しよう――は額の汗を拭う。
今の彼の身長はその年齢にしてはやや低く160センチメートルくらいだろうか。
艶を感じさせるセミロングの黒髪と、紫水晶のような色の瞳を持っており、身に纏う雰囲気からは何処と無く優しさを感じさせる。
顔立ちは中々に整っており、まだ声変わりもしていないため彼の性別を知らない者はボーイッシュな美少女、というイメージを受けるだろう。
――ちなみにこの容姿は元の世界に居た頃とほとんど変わらない。
余談だがそんな外見故に、元の世界では病弱さから来る儚い雰囲気も相まって、たまに体の調子が良い時に街を歩いていると男と気づかなかった者にナンパされたりした事もあったりする。
「――腕を上げたな、坊主」
逞しい肉体と立派な大剣を持った一体のオークがムツキへと微笑みかける。
そこからは何処と無くムツキに対する愛情を感じる事が出来る。
「ふふっ、ボレズンおじさんの教えがいいおかげですよ」
ボレズンという名のオークに対しムツキもまだ可愛らしさの残る笑みを返す。
彼はこのオークの村の戦士長であり、ムツキの剣の師匠だった。
――異世界に転生を遂げてから、十六年という時間はすぐに経過した。
その時間の中でムツキは新しく生きていく事となるこの世界の様々な情報や知識を覚えた。
普通なら色々と混乱しそうなものだが、そこは神様のおかげだろう。さしたる混乱もなく不思議とすんなりと理解する事が出来たのだ。
最も苦労しそうなこの世界の言語に関しても転生直後にすぐ覚える事が出来た。実に神様万歳である。
だがその間の生活は決して楽なものではなかった。それはオークを始めとした『魔族』が住まうこの『魔大陸』があまり豊かな土地ではないという事に起因する。
――しかしムツキは幸せだった。
何故なら両親や村長、そしてオークの村に住まう人々《オーク達》は皆優しかったからだ。
本来の予定と違う不運な形で転生を果たしたが、この世界でも彼は周囲の人々《オーク達》には恵まれていたのだ。
その上、元の世界では碌に運動もできず、死んでしまう直前は歩くことすら儘ならなかったが、この世界では自由に歩き回れるし、走ることだって出来る。
苦しむ事無く呼吸が出来る。動きたい時に動けるし、ちゃんと体が言う事を聞いてくれる。
そんな健康な人間なら至極当然の事が、ムツキにとってはとても幸せに感じれた。
そのため成長してよちよち歩きから二足歩行が出来るようになった当時は勿論、今でもこうして当時のムツキでは到底出来ないであろう剣の稽古を終えた時や、ふとした時に健康な体で転生させてくれた事への感謝の想いを抱くのだ。
「――いやいや、お前は俺が今まで見てきた数々の子供の中で一番才能があるぞ。流石は神童だ」
「もう、その呼び方はやめてくださいよ。ボレズンおじさん」
――そんな日々の中でムツキは勉学や剣術、さらにはこの世界でごく当たり前に使われている技術である『魔法』というものに高い才能を見せた。
剣と魔法の両方に才能を発揮する者は非常に珍しく、その上ムツキはどちらにも高い能力を見せた。
そのためムツキはいつしか『神童』なんてあだ名を大人達に付けられていたりした。
そんな存在になれたのには当然神様の加護による才能のおかげなのだが、その才能をここまで磨いたのは他ならぬムツキ自身の努力だと言える。
彼はその才能に驕る事無く、これまで毎日家事や狩りを熟しつつも暇さえあればこうして剣術や、もう一人の師匠へ時に魔法を教わりに来ていた。
「ハッハッハ。そうだ、お前の成長に免じて明日から本格的に剣術――『型』を教えてやるよ」
「本当ですかっ!?」
ムツキの目がキラキラと光り輝く。
「ずっとお前に頼まれてたしな。んでもって教えるのは俺が一番得意なエナの型でいいんだろ?」
「はい! ありがとうございますっ!」
――型とは、この世界に存在する武器の流派のようだものだ。
大陸や国、種族に応じて様々な型があり、それらは大きく分けて七種類存在している。
エナの型はその七種類の中で最も古く、作られたのは今から千数百年前と言われている。
だが古いからといって決して弱いわけではない。
確かに最も古い型フォームではあるが、だからこそ攻撃と防御、そしてそれら練習法といった全ての型に通じるありとあらゆる基本的な要素が詰め込まれている。
故にこれを完全に極めた者は他の全ての型に対し有利に戦えると言われている。
そのため、近接武器を扱う者の中は基本形であるこのエナの型を修めている者が最も多い。
――ちなみに他の六種類の型は、このエナの型を元に時代の流れに応じて攻撃特化、はたまた防御特化といった形で進化していったとされている。
そしてそれらの全ての型に共通しているのは、対魔法用の技や構えがあるのだが、それはまた別の機会に話そう――
「いいって事よ。――それにこんなご時世だ。いつ戦争が始まるかわからんし、自分の身は自分で守れるようにしておいた方がいいし、な」
ボレズンの目が悲しげに細められる。
――この魔大陸は今緊張状態にあった。
その原因はこの魔大陸と海を挟んで隣接している人間の大陸との間で戦争を始める、という噂が実しやかに囁かれているからだ。
現在人間は魔大陸に存在する高ランクの『魔石』と呼ばれる魔力を持った特殊な鉱石を『所持している全ての魔石並びに採掘場の権限を含め、全てこちらによこせ。さもなくば魔大陸へ我々は宣戦布告する』
――といったとんでもない要求をしてきている。
だが魔石は『魔物』と呼ばれるこの魔大陸中に跋扈しありとあらゆる生物を欲のままに襲い、滅ぼさんとする知恵を持たない生物と戦うための武器や防具のような物には勿論、日常生活で使う灯りや食料の保存、さらには調理に使う炎の魔法を出したり、雨水や川の水を浄化するなどありとあらゆる物に使用されている。
それらを全て渡してしまえば魔族は満足に日常生活を送る事が出来なくなり、そして魔物に蹂躙され間違いなく滅びるだろう。
故にそんな要求を飲むことなど出来るはずも無かった。
――ちなみに『魔族』とはオークを含めこの魔大陸に住む、小鬼や長耳族、半蛇人や鍛冶族のような亜人種族、さらに無数の悪魔種族に睡魔、淫魔や鬼族のような少数種族、そして蜥蜴人や獣人、獣耳の少女のみで構成されるモケノーのような半獣人。
これらを知恵や理性がある者達を総じて魔族と呼称している。
そしてそれらに対し知恵理性の無い行動を行う全魔族の共通の敵が『魔物』だ。
魔族は遥か昔は争いあっていたが、突如として現れた魔物により各種族が滅亡の危機に陥った際に手を取り合い、以降千年以上互いに協力しこの大陸で生きている。
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「……戦争になんてきっとなりませんよ。そんな要求が通るわけがないってきっと向こうもわかってくれます」
少しだけ俯きながらムツキは口を開く。
宣戦布告を仕掛けようとしている人間の大陸と、ムツキが元々転移しようとしていた大陸は別物だというのは以前聞いた情報で知っている。
だが元の世界では人間に育てられていたムツキは複雑な心境だった。
「だと、いいんだけどな。人間とも昔は普通に交易をしたり、交流もあったんだが……。あっちのなんとか帝国の王様が変わってからおかしくなりやがった……」
「確かあっちの大陸を統べている国の王様が変わってから、魔族を軽視するようになったんでしたっけ?」
「そうだ。まったく、やりづらい世の中になっちまったよ。魔族と結婚して子供を授かっている人間もこの大陸には大勢住んでるってのによぉ。……まぁ暗い話はこれまでにして、腹も減ったし飯でも行くか?」
「は、はいっ!」
訓練によりお腹が空いていたムツキは頭に過ぎっていた暗い考えを振り払うと、訓練用の剣を腰のホルダーへ下げボレズンの後を小走りで追っていった。