14.少女の涙
「――あ……ああああ貴方、男だったのね……」
「うん……」
――あの後湯船からあがった二人は部屋へと戻っていた。
その過程で慌てて立ち上がって逃げようとしたムツキが、足を滑らせて転び、それを助けようと手を伸ばしたルナも彼を支えきれず一緒に転倒。
それと同時に巻かれていたタオルが取れて、ムツキの聖剣がルナの頬にペチンっと叩きつけられてしまい、ルナが気を失う――
――といったハプニングがあったりしたのだが、それは彼らのために割愛しよう。
「…………」
「…………」
(やべぇ、超気まずい)
――とりあえずムツキは部屋に到着すると同時に『実はまだ冒険者登録すらしておらず、村から出たばかりの一般人なんだだ』といった感じの話を一通りルナへと話した。
だが、その後は無言でそれぞれのベッドに腰掛け、現在は互いに顔を真っ赤にして俯き合っている。
そんな二人の間の距離は歩行距離にすれば数歩程度だが、マリアナ海溝より深い溝があるように感じてしまうのは、きっとムツキの気のせいではないだろう。
「こ、コホン。き……ききききき、気づいてたわよっ!」
「……え?」
そんな溝を打ち破ったのはルナだった。
「じ、実は貴方が男だっていうのも、冒険者登録すらしていないような初心者だっていうのも実は気づいていたからっ!」
(絶対嘘だ……)
「だから貴方のお――あ、アレが私のほっぺを叩いた時に上げた悲鳴も演技だからっ! というか私はこう見えて百五十年は生きてるから、その……あの……あ、アレの経験も豊富だからっ!」
(経験豊富とか間違いなく嘘だ……)
ムツキは先程廊下を一緒に歩いている時にルナが小声で『男の人のアレ初めて見たけどあんなに大きいのね……。というか辛い死にたい』と後ろで小声で言っているのが聞こえていた。
ちなみにそんなルナは先程のアレを思い出してしまったのか、目の端に涙を浮かべ、可愛らしい顔をさらに真っ赤に染めている。
ご自慢の耳と尻尾も、彼女の感情を現しているかのようにへにょり、と元気なさげに垂れている。
どうやら思いの外初心なようだ。
「――そ、そういう事だから……お互いさっきの事は忘れましょう……」
と思ったら今度は表情に色濃い疲労を滲ませてボソリと呟き始めた。
面白いくらいにコロコロと表情が変わる辺り、実は意外と感情豊かなのようだ。
「……そうですね。お互い何も見てないし、聞かなかった。それが一番無難だと思います……」
ムツキはとりあえずルナの提案に乗る事にする。
初対面の相手に聖剣を掴まれた挙句、顔面に叩きつけるなんて色々とアレすぎるためだ。
「は、話がわかる子で嬉しいわ……。とりあえず明日はどうするつもり?」
「朝ご飯を食べたら冒険者ギルドに行って、登録を済ませようかと思っています」
「そ、そう、奇遇ね。私も明日この大陸で冒険者として活動するために『冒険者カード』の更新をしにいくつもりだったのよ」
――冒険者カードとは、冒険者が最初にギルドで発行して貰うパスポートのような物だ。
これには自身のレベルやステータス、職業何かが魔法で刻印される。
そしてギルドから任務を受ける際にはこれが必要で、魔物の撃破や素材の採取のような任務の進捗具合なんかもこれに刻まれるといった便利な代物だ。
これを持たない冒険者は無法者と呼ばれている。
彼ら無法者はその名の通り冒険者の法を守らず、盗賊紛いの行為や略奪や暗殺のような行為を働くのが主だと言われている。
その立場上各魔王から見つけ次第討伐するように、といった指示が出ているため街にも住めないため、基本的彼らは魔物が徘徊する荒野や森林に住んでいる。
そんな環境故に弱い者は淘汰されるため、基本的に腕が立つものが多く危険かつ、厄介な存在だ。
「じゃ、じゃあ、一緒に行きますか?」
「……そ、そうね。これも何かの縁だし一緒に行きましょう。――それじゃあ今日はなんか疲れたし私は寝るわ。おやすみなさい、ムツキ……」
「は、はい。おやすみなさい、ルナさん」
そう言った直後、彼女はズルズルと這いずるようにベッドの中に潜り込むと、数秒と持たずに安らかな寝息を立て始めた。
やはり心身が一瞬で睡眠に落ちる程度にはショックだったらしい。
「……俺も寝るか」
ムツキはゴロンとベッドの上に横になると、ゆっくりと眠りに落ちていった。
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――チュンチュン
「……朝か」
昨日の疲労がまだ残っているのか、イマイチ思考がはっきりとしないので、ペチっと軽く頬を叩く。
「うん……起きるか」
そう言いながらチラッと横を見ると、涎を垂らしながら気持ちよさそうに爆睡しているルナが居た。
(昨日の不運なアレが夢だったらどんなに良かったか……)
――残念ながら昨日のアレな出来事は現実だったようだ。
(酒場で偶然隣同士になった人と、偶然同じ宿で偶然相部屋で、あんな目に遭うとかいう、どう考えてもかなり低い確率を引き当てる辺り、ホント昔から人間関係以外の運は無いな俺って……)
文字通り不幸中の幸いだが、昔から親や、親族や友人関係には恵まれてきたと思う。
反面それ以外の運は最悪だったと言ってもいい。
それはこの世界でも同じようで、優しいオークの両親や、村の人達に囲まれ良き師匠と出会った。
それは紛れも無い幸運だろう。
(まぁ、ポジティブに生きよう……)
「むにゃむにゃ……もうおなかいっぱい……うふふへへ…」
そんな真面目な思考を吹き飛ばすように、ルナの気の抜けるような寝言が耳に届く。
試しにムツキがルナのベッドに近づいて見ても起きる気配がない。
「ルナさーん、朝ですよー。起きないと朝食食べられませんよ-」
「うーん……あと五分だけ~……すぴー……」
「ちょ、また寝たよ……」
(この人……凄腕の魔術師っていうよりはポンコツ魔術師って言葉の方が似合う気がする。ってかここまでしても起きないって俺がもし殺意のある敵だったら死んでるぞ……)
――ベテランの旅人兼冒険者というのは実は自身の聞き間違いだったのではないか?
そんな考えがムツキの頭を過る。
「……ごめん……なさい」
「――ん?」
その直後、不意にルナの声質が一変する。先程の安らかなものから、うなされているようなものへと。
「まもれなくて……ごめんなさい……。わたし……つよく……なるから……」
(っ……泣いてる……?)
苦しげな表情を浮かべたルナの両目からは一筋の涙が零れ落ちていた。
「だから……ゆる……して、みんな……」
「……過去に何か、あったのか……?」
――その後、目を覚ましたルナと食事を終えたムツキは二人で冒険者ギルドへと向かった。
食事の際に若干の気まずさは残っていたが、ルナの冒険者らしい切り替えの早さに助けられ普通に会話は出来ていた。
――だが、結局彼女の涙の理由を聞く事は出来なかった。




