腹が減っては。
その日はラーニャの町にある南防衛団の宿舎に1泊することになりました。
私は南防衛団の団長ではありますが、所詮それはサブ職業のようなもので本職はルンナディア国王の<鬼才の寵臣>として側で仕えさせてもらっています。
わかりやすく言うと、そうですね、「国王直属近衛騎士団」といったところでしょうか。4人しかいませんけど。
話がそれましたね。
つまり私は本来、国の中枢である王都に住んでいるのです。
とはいってもここラーニャでも団長としての仕事はありますから、団長としての私の仕事は宿舎にある私の執務室に積み重なるのです。
あー、行きたくないなぁ。
仕事したくないなぁ。
そんなことを言ったら燈真くんやリュークに怒られるので言いません。思うだけです。
石造りの廊下には私と燈真くんとリュークの足音が響きます。
既に日は落ちかけていて、廊下にある窓から見えるラーニャの町にはオレンジの光が灯り始めていました。
「リューク。今日は執務室に籠ります。燈真くんの泊まる部屋を用意してください」
「はい。客室を手配します。団長の食事はどうしますか?」
「団長ではありません。愛咲です。ご飯は燈真くんが持ってきてくれるので大丈夫です。」
「…………………」
それを聞いて、執務室に向かう私の背後を歩く燈真くんが圧力をかけてきます。
あー、こわいこわい。
「燈真くん。いいですよね?」
「…………ふっ、もちろんだ」
より一層眼力を強くしてそう言いました。
燈真くん。目が笑っていませんよ?
「……り、了解です」
リュークは冷や汗を流しながら逃げるように食堂へむかってしまいました。
リュークは私の側近で、南防衛団の副団長を努めています。リュークは現在18歳ですが、彼が15歳の時に出た剣技を争う大会で私がスカウトしたのです。
一般家庭の出なのではじめは貴族の方々にぶつくさ言われたものですが、彼の剣技の素晴らしさや勤勉さなどを知るうちに今ではリューク以外に私の側近はできないといわれるほどです。
栗色の少し癖のある髪は女の私でも羨むほどにふわふわで、しかもそのしたにある顔もいい。プラス、性格も少し臆病でよわっちい(偏見?)ですが人当たりがよく嘘もつかない誠実な青年であるのでラーニャの町ではものすごく人気のようです。実際、町の女の子に告白もよくされているようです。
ふふ。でも私は知っているのですよ?リューク。
「ある女の子」の顔を思い浮かべてニヤニヤしました。
次の瞬間には燈真くんに睨まれ、すぐに真顔になりましたが。
こほん。
宿舎はそんなに立派なものではなく、この場所に建てられてから結構な年月が経っていると聞きます。
私の執務室は一番奥にあります。
執務机と応接セットと多少の観葉植物だけの部屋は少し…いや、結構殺風景です。
はいってすぐに私は窓を開けて換気をしました。
一応きれいにはしてあるのですが毎日使っているわけではないので少し埃っぽいのです。
その間に燈真くんは執務机においてあった私の書類の半分をとり、応接セットのソファーに座ります。
「手伝ってくれるのですか!」
「仕方ないからな。…徹夜をして明日の報告会の時に寝られたら困る。それに食事をここまで持ってくるのは面倒くさい」
ああ、なるほど。
報告会はまあその言葉のまま。王に謁見して海賊狩りの結果や被害などを報告するのです。
これが長いのなんの!!
ただ報告するだけなのになんであんなにも空気が重いのでしょう。
おそらく、徹夜しなくても寝てしまいます。
「食堂、遠いですよね。なぜこんな造りにしたのでしょう」
宿舎はコの字になっていて私の執務室が書きはじめの位置の2階。食堂は書きおわりの位置の1階です。
繋がっていないところは鍛練の場なので通れるのは通れますが、土埃などが舞っていて正直食事を運ぶにはふさわしくない。
ですから、一番端から端まで歩くことになるのです。
しかも途中で団員達の寮を通ることになるのでこれもまた面倒くさい。
「……さあな。先人の考えはわからん」
「ですね」
手元の書類に目を通しながら返事をしてくれました。
正直とても助かるのです。私は事務仕事は大の苦手で、すぐに眠くなってしまいます。だから人手は多い方がよいのです。
はぁ……
仕方ない。私もやりますか。
執務机に向かい、書類を手に取りました。
「俺の方が多かったのになんでお前はまだ終わってないんだ?」
グサッ
「別に寝てしまったわけではないだろう?不思議だな」
グサッ
「ぶつぶつ文句を言う暇があるのなら早くしろ。ノロマ」
グサグサッ
愛咲 の HP は もう 0 だ。
でも何も反論はできません。
あれから約1時間。燈真くんは終わった書類を私に差し出してきました。
……私はあと少しです。
私の背後に立って私の手元を見ながら心をえぐるような事を無意識に……無意識に?言ってきます。
「燈真くんうるさいです。頑張ってるので話しかけないでください!」
「そうか。わかった」
やっとのことで反論すると燈真くんは珍しく肯定し、私の背後から離れて―――――くれませんでした。
「……燈真くん?」
「なんだ」
「いつまでそこにいる気です?」
「話しかけるなとは言われたが、退けとは言われてないからな」
「……………」
なにも言い返せません。その通りです。
うっ…でも、なんか…
「………………悪魔」
ボソッと呟きました。聞こえてないはずなのですが。
「ははは。なんかいったか?」
乾いた笑い―いや、笑ってないですね。ははは、と言い私をにらみます。
「話しかけないでください」
「…………」
そう一喝すると、ピキッと、こめかみに青筋。
知らない。知らない。
それから、その場から退いてはくれないものの話しかけられることもなく最後の書類になりました。
いやぁ、私もやればできるのですね!!
こんなに早く終わったのははじめてです。まだ終わってませんけど。
「!?」
安心して、気を抜いていた時にその場で銅像のようにたっていた燈真くんが突然私の髪をさわり始めました。
…………だめです。気にしたら敗けです。
私は腰まである髪を左右にわけ、2つで縛っています。戦う時に邪魔なので、縛るしかないのです。本当ならばお団子やポニーテールの方がいいのですが、一人じゃ上手くできないので。
………っていうか、この男、いつまで触っている気ですか。
「あの?髪、やめてください」
「……………最後の仕事がおわるまでの辛抱だと思え」
「はあ…」
……まぁ、少し気になる程度なのでいいですけどね。
「おわった!!」
「今日中には終わらないと思っていたが」
「そんなことありませんよ。やればできるのです!」
「やれば、な。……食事に行こう」
「はい!!」
今は燈真くんになにを言われようとなにも思いませんよ!
だって、ご飯ですからね!
立ち上がり、ドアに向かいます。
「そうだ、愛咲。明日午前6時」
「はやっ!うーん…まぁ、了解です」
燈真くんは私に時間を指示し、そして窓の下の鍛練場を指差しました。
帰城するまでの時間、相手になれと言っているのです。
城までの魔法陣が出てくるのは午前7時あたりだと予想していますので、1時間の鍛練です。
ルンナディアではごく少数ですが、魔法と呼ばれる奇跡を起こせる人がいます。
私の仕えるルンナディア国王もその中の1人で、特に転送魔法が得意だと言っていました。
ですから、その魔法を使用すれば私が王都にいても何かあったらすぐにここに来れるのです。
そのために必要なのが魔法陣。
これを発現させるのは魔法の使える人――つまりこの場合は国王ということ――しかできません。
しかもこの国王、気の向いたときになんの予告もせずに発現させるので困ったものです。魔法陣に転送対象がいなければ意味がないというのに。
しかも、1度発現させるとその効果は約5分。それに加えて転送されなかったからといってもう一度発現させることはしないという…面倒なお方なのです。
「愛咲。食堂はここだが」
「え?…ああ、通りすぎてしまいましたか」
いつの間にか食堂についていたようです。
中からは団員達の賑やかな騒ぎ声。
夕飯のあとは自由な時間なので、騒ぐのが好きな団員たちは食事が終わってからもここに残ってお酒を片手に騒ぐのです。
静かな中で食事するよりは断然楽しいので、私としてはありがたいことです。
食堂のドアを開けるとお酒の匂い。
「むぅ…相変わらず呑んでますねぇ…」
「飲み過ぎだろう」
「大丈夫です。みんなお酒には強いので。お金の件でしたら基本は自分で払わせます。…でも、今日ばかりは私が払いましょうかね」
みんな頑張りましたからね。海賊狩り。
「あ、団長!!お仕事終わったんすか、お疲れ様です!」
「私は愛咲です。団長と呼ばないでください」
「まだ言ってるのか!団長!」
「だぁかぁらぁっ!!」
「ははは!そんなことより飲みましょ。向かいのグリッドさんが差し入れてくれたんすよ」
私達が入ってきたことに気付いた団員達がお酒の匂いを纏いながら話しかけてきます。
誘いはありがたいのですが…
「こいつはまだ未成年だ。酒は飲ませない」
………保護者がうるさいので遠慮します。
でも、あと2週間ですから。
そしたら、皆さんで飲みましょう。
「固いっすねぇ、リーダー」
「ほんと。ちょっとくらいねぇ?リーダー」
燈真くんが私の代わりに断ると、ぶーぶー文句を言い出しました。
というか、
「リーダー?リーダーってなんです?」
なにやら、燈真くんに言っているようですが…
「なにをいってんすか、団長。アタラク……違うや、<鬼才の寵臣>のリーダー、ランデルク様の事です」
きょとんと当たり前の事でしょう?と言わんばかりに言ってきました。
「いえ、そのような事実はありません。<鬼才の寵臣>にリーダーなどいませんが…」
そう。<鬼才の寵臣>として国に仕える身になってからも、なる前も私達にリーダーはいません。
リーダーとはまとめる役割ですが、私達にはまとめる必要がありません。なぜなら、まとめようと思ってまとまるような人達ではないのです。ですから、リーダーなど必要ないという判断でした。
ですが、
「…リーダー、必要かもしれませんね」
今後、国民の皆さんの前に出る機会も増えます。その時の為に必要かも知れないですね。
名ばかりにはなってしまうけれど、それでもいた方が楽になるとは思います。
「この際、私がリーダーになりましょう!!」
そう宣言すると、団員が皆揃って首を横にふりました。
「いやいや。団長はリーダーって器じゃありませんて」
「やっぱりランデルク様だって」
否定の言葉ばかり。
なんでです!?
私こそリーダーになるために生まれてきたような人じゃないですか!!
…それより。
「前々から思っていたのですが」
この質問の答えによっては、私は暴徒と化すでしょう。
「皆さんで私の事を呼んでください。いつもの呼び名でよいのです。せーの、、」
そう言うと、大きな声で揃って
『団長!!』
と言いました。
気にくわないですがよいでしょう。
「では、次です。燈真くんのことを呼んでください。せーの、、」
一瞬、戸惑ってか間がありました。しかし、
『ランデルク様!!』
皆で口を揃えて言います。
「そうですか、わかりました」
私は黙って剣をとります。
そして、
「全員並びなさい。頭を落とします」
『いやいやいやいや!!!』
再び騒がしくなる食堂。
私の事を羽交い締めにしてくる人もいます。
「は、はなしてください。なんでですか!私は団長で、燈真くんはランデルク様!?様付けなのです!?私にも様をつけなさい。それと、団長は嫌だと言っているのにぃぃ!!」
「ちょ、落ち着いてください!フランディー団長」
羽交い締めにしてきたのはリュークのようです。
ていうか!
「ちがいます!フランディー様です!!」
「あああ!剣を振り回さないで下さい!どうしたんですか?!荒れてますね!?」
「………荒れてなどいません」
むう、とうつむきます。
……そういえばご飯のために食堂に来たのに未だになにも食べていません。
お腹の虫も先ほどから治まりません。
「もう、いいです。ごめんなさい、お腹が空きすぎてイライラしていたようです」
そういってリュークに羽交い締めをやめるよう指示し、剣をしまいました。
安堵の空気に包まれる食堂。
気を取り直して、ご飯です!!
「燈真くん。ご飯にしましょう。まだ多少気にくわない点もありますが細かくはご飯の後で。さあ、行きましょうか」
先ほどから静かな燈真くんにそう告げて食事が用意されてあるテーブルに向かいました。
すると、
「愛咲様」
「……はい?」
突然、背後から何者かに抱きつかれ名前を呼ばれました。
一気に静かになる食堂。こんなに静かな食堂は始めてです。
「え、いや、ちょ」
待って待って待って待って。
頭は混乱状態。どうすることもできません。
必死にもがきますが、私を抱き締める腕は強くなるばかり。私は力勝負には弱いのです。
「は、離してください、燈真くん!」
「なぜ」
「はあ?」
何者か、なんてわかっていました。燈真くんです。声や雰囲気、匂いなど、何年そばにいると思っているんです。
「ま、まさか!!」
燈真くんが正気でこのようなことをするはずがありません。
思い立って、静かに状況を俯瞰していた団員に尋ねます。
「お酒を飲ませましたね!?」
「の、飲ませてません!」
するとすぐに否定の言葉が。
……と、なると。
「あなた、匂いで酔ったのですか…弱いにもほどがあります」
燈真くんは見た目によらず、お酒に弱い体質です。本人も、弱点をあげてくださいというと真っ先にお酒とあげるほどです。
ですから、飲ませないようにしていたのですがまさか匂いで酔うとは……
「愛咲様」
「なんですか、離れてください」
「私、燈真・ヤト・ランデルクは愛咲様に生涯の忠誠を誓います」
「本気でやめてください、そういうのいりません」
燈真くんは酔うと、騎士風情になります。それはまあいいとして、もうひとつが迷惑極まりない事なのですが…
燈真くんはやっと私を離してくれました。
しかし、逃げる間も与えず私の右手をとって、その手の甲にキスをします。
…あ、これはまずい。
そう思った頃にはもう遅く。
両手をとって私が逃げられないようにすると、手の甲から徐々に上に上がってきます。
そうです。
燈真くんは酔うとキス魔になるのです。それも、相手を選ばず。
酔いがさめたあとに、記憶が残るタイプらしいのでなおさらやめればいいのに。
それより、
「……助けてください」
ですが、誰も助けてはくれません。
燈真くんがこのような奇行に走るのを見るのは始めてではなく、止めるとどうなるのか知っているからです。ですから、だれかが犠牲になる必要があります。
その犠牲が、私ということです。
そんなことを言っている間に燈真くんのキスは私の頬にまで達しました。
若干、私の身長に合わせて腰を曲げているのが腹立ちます。
「燈真くん。いい加減にしましょうか」
「なぜ、そのようなことをおっしゃるのです。私は愛咲様の全てが欲しい」
一歩間違えれば犯罪ですよ、それ。
私の限界も近い。暴れると余計にひどくなると知っているので、銅像にでもなった気分。
「そろそろ斬りますよ?」
「愛咲様が、それを望むのなら…ですが」
燈真くんは私の顎をくいっとあげます。
俗に言う顎クイですね。
なんか、今日はやけに顎クイされますね。ですがシチュエーションよりも相手に(以下略
親指で私の唇とつぅ、と触ると
「この唇に口づけをしてから…私が愛咲様をどれ程慕っているかをわかっていただきたいのです…他の人を見ないで下さい。私だけを見て…今だけこの戯れをお許しください」
そういって近づいてきました。
あ、燈真くん目がトロンとしてます。そろそろ眠くなる頃ですね。
さて、明日の朝どのように罵倒しますか。
「愛咲様…」
最後にそう呟いて自らの唇を私のそれに近づけ、そして―――
バシュッ!
「……な」
触れる直前に燈真くんはその場に倒れました。
そして、
「早急に縛り上げなさい。そして、倉庫にでも放り投げておいて。いいですね?」
私が指示すると、静かに成り行きを見ていた団員が動き出しました。
ぬるい。
黙ってキスなどされてたまるものですか。しかもこのような事が起こるのは始めてではない。ならば、対策を取らないはずがありません。
私の武器は剣です。淡いブルーの細い剣。あまり剣を鞘から出して戦うことはありませんが。
ですが、剣が折れてしまっては元も子もありませんし自らの体力や戦い方から見ると接近戦でどうしようもなくなった時、距離を取るしかありません。
その時用に左右の太ももに小型ですが銃を所持しています。昼間のハンガー船長を倒したときもこれを使いました。
左側には実弾の入った、剣と同じ淡いブルーの銃が。右側には麻酔弾の入った金色の銃が。
燈真くんを撃ったのは、金色の麻酔弾の方です。
さすがに実弾で撃つのは憚られたので、ばれないように銃をとり、燈真くんのお腹に当てて至近距離―それも、0距離でぶっぱなしました。
死にはしないですよ。さすがに死なれたら後味が悪いですが、乙女を弄んだ罪くらい償って貰いましょう。
眠っている―もしかしたら気絶している燈真くんを縄で縛り上げ、倉庫に連れていく様子を見て、銃をしまいました。
動きやすさで言えばズボンなのですが、私は銃をしまっておく必要があり、また、それを隠しておかなくてはいけないので仕方なくスカートスタイルなのです。
軍服のスカートスタイルもなかなかかわいいのですよ?ツキちゃんもスカートスタイルなのですが、もう似合いすぎなのです!
……と、こんな話をしている場合ではありません。私のお腹はもう限界。
急いでテーブルにつき、冷めてしまったご飯をいただきます。
ですが、味わう暇もなく。いそいで掻き込むとすぐに執務室に戻ります。
なんでか?そんなの決まってるじゃないですか。
団員達の冷やかすような目から逃げたかったからです!!
執務室に入り、扉を閉めて、しゃがみこみます。
「…………ふぅ」
と息をはきますが、1人になった瞬間に燈真くんがキスしたところが熱く感じてきました。
ああ、もう!!
なんなんですか、あのプレイボーイ!!
燈真くんに恋愛感情など全くわきませんが、それでも私は女の子です。
燈真くんは男の人で、しかも顔も整っています。
「………………恥ずかしくないわけ、ないじゃないですか」
誰にみられる訳でもありませんが、真っ赤な顔を隠しながら呟きました。