第三話
「ここよ、入って」
アルバイトを探していた樹にとって、愛美からのお誘いは実に魅力的なものだった。なぜいきなりそんな話をして来たのだろうかと若干厄介な匂いを感じ取ったものの、お金という切実なものが足りない以上ひとまず話だけでも、と誘われるがままに着いていっていた。
愛美に連れてこられたのは一軒の喫茶店。喫茶赤羽、そう看板に書かれている。見た感じクラシックな雰囲気の、ダンディなおじさんが店長でもやっていそうな高級そうな店だ。お金の無い高校生である樹には到底縁が無さそうな店で少し気後れしたものの、愛美は何のためらいもなく入っていくため、樹も覚悟を決めて入り口をくぐる。
内装もまた外装に似て重厚な雰囲気に満ちており、自分は場違いなんじゃないのか、そう樹に思わせるほどであった。
けれども、店内には人気は一切ない。他の客はもちろんのこと、店員すらおらずカウンターの中はガランと静寂に満ちている。
「ここに座って」
愛美は一番奥の席まで行くと椅子を引いて樹に座るように促す。樹もそれに従って席につくと、愛美はカウンターの中へと入っていき、二人分のアイスコーヒーを手に戻ってくる。
「コーヒーで良かったかしら? ミルクと砂糖は?」
「大丈夫。ミルクも砂糖も無くて平気だよ」
「そう」
素っ気無く答えると樹の対面の席へと座る。一口コーヒーを口に含んで喉を潤すと、真剣なまなざしを向けてくる。それは彼女の美貌を可愛いから美しいに昇華させる、そんな強い意志のもった瞳。
「さてアルバイトの話だけれども樹君、あなたは精霊が見えているのよね?」
「あぁ、うん。見えてるけれども……でもそれが仕事と関係あるの?」
「一応念のためにね。それじゃもう一つ確認させてもらうけれど、"術"は使えるかしら?」
その問いが来た瞬間、樹の体がビクンと震える。
術、それは人間が精霊と同等の力を得るために生み出された人ならざる異能の力。暴走精霊に対して使われるものでもあり、中にはこれを魔法と呼ぶ人もいる。使える術やその才能は生まれつき決まっており、一般の人がどれだけ術を使おうと試みてもそれは敵わない。
「……一応、使えなくは無いけど、けれどそんなの──」
「なら決まりね。樹君、今日からあなたは私のパートナーよ」
「は? なんの?」
「何って、暴走精霊退治の」
「……え」
キョトンとした声が樹から漏れる。
それは全く予想していなかったものだった。喫茶店に辿り着いた時は「ウェイターのバイトかな?」ぐらいに思っていたのだが、その仕事内容は斜め上であった。
「ま、待って、それじゃこの店は?」
「ここは喫茶赤羽。またの名を赤羽精霊事務所。国から正式な認可を受けた暴走精霊討伐を専門とする会社よ。もっとも、普段はただの喫茶店として営業しているから、あなたにも平時はこの店に出てもらうことになるけれど」
「ちょ、ちょ! 暴走精霊と言えば国の軍隊でも勝てるか怪しい奴だぞ? そんな奴と戦うって言うのに、こんな2,3言葉を交わしただけで決めるのかよ!」
「そこは心配してないわ。あなたにはそれに対抗できるだけの知識と力、そして経験がある。違うかしら? 神楽樹君?」
「な、んで……俺の名前を……!?」
「知っててもおかしくはないでしょ。何せ神楽一族と言えば土御門家に次ぐ日本第二位の名門、現代じゃ土御門家は没落してるから実質日本一の家柄じゃない。そこの次期当主候補だったあなたがこっちに来る、そんな一大ニュースを把握してないわけないじゃない」
「──っ! なら知ってるだろ! 俺は無能だったからその候補から降ろされて、実家を追い出されてここにいるんだって!」
「そんなこと関係ないわ」
そうキッパリと言い放つ。まるでこれから人でも殺すんじゃないか、そう思わせるほどの鋭い視線を向けてくる愛美に、感情的になっていた樹も思わず怯む。
「あなたが無能だから私は欲したんじゃない、あなたが神楽一族の出身だから欲したんじゃない、あなたならできる、そう判断したから誘っているのよ」
「…………」
「実を言えばね、1年前のあの日に私も現場にいたのよ」
「……えっ」
「あなたが暴走精霊を見逃したため神楽一族は甚大な被害を被ったあの事件、遠目で一瞬だったけれども私はあなたの姿を見た。美しい、そう思ったわ。あなたの術、動き、姿全てに見惚れたわ」
愛美は腰を浮かせるとテーブル片手を着き、対面にいる樹のすぐ目の前まで顔を近づける。そして、空いているほうの手の人差し指をピンと伸ばし、樹の唇につける。
「あの時私はあなたに一目惚れしたのよ」
「────っ!」
ボンッ、という音が出そうな勢いで顔を真っ赤にする樹。その姿を見た愛美はくすくすとなにやら楽しげに笑う。
「どう? 引き受けてもらえないかしら? 私はあなたのことが欲しいわ。だから、あなたがこっちに来たと聞いてからずっと探していたんだから」
「……給料は出るんだろうな」
「時給820円よ」
「安い!? いやまて、暴走精霊退治といえばかなり命がけの仕事に……」
「あ、ちなみに国の方で神楽一族はその立場から普通のお仕事はできないよう圧力がかかってるから、いくら他のアルバイト探そうとしても受からないわよ」
「え……マジで?」
「マジよ」
思い返してみれば、最初は「雇おう」という姿勢をあらわしていた会社も、後々電話がかかってきたと思えば「やっぱり雇えない」なんて言われる事が何度かあった。それがもしも、愛美の言うとおり国から圧力がかけられていたんだとしたら……。
「あれ、俺このバイトしか選択肢ないの?」
「ないわね」
「…………よろしくお願いします」
結局折れた。それだけ樹の財布事情は深刻なのだ。このまま飢え死になんていうことになったら洒落にならない。だから本当なら嫌だと思える仕事だが引き受けることにした。それに、
「改めて自己紹介させてもらうわね。喫茶赤羽店長代理、炎上愛美よ。これからはあなたのパートナーとしてよろしくね、樹君」
ニッコリと笑う愛美を見ていたらそこまで悪くないかもしれない、そう思えた。
樹「店長代理? てことは、他にも人がいるってこと?」
愛「そこら辺はもともと連載を考えていた名残ね。正式な店長は別にいるし、他にもバイトはいるわよ」
樹「俺の1年前の出来事もその名残だしな」
愛「短編にするとかいって連載の名残を残しすぎよ、この作者。回収できない伏線を入れるんじゃないわよ、この無能」
樹「……作者泣いてるからやめてやれ」