Phase8-1
「あなたは……ジョン=ドゥ……?」
おそるおそるそう名前を呼べば、さらに笑みを深くされた気がした。
怖いとも安心するとも言えない、まるで空気のような存在
それが目の前にいる人の正直な感想で、怖がって逃げればいいのか、近づいて言葉を交わせばいいのか、それも判断出来ない。
警告は何も教えてくれない。ここがどこかなのもわからないのに、さらにわからないものが増えて、今ここに立っているのが本当に自分の足でなのかすらわからなくなっていく。
「あなたは……」
近づいてもこない、でも遠ざかってもくれない。
まるで私が近づいてくるのを、逃げていくのを、待っているかのように。
「……誰……?」
さっきその人の名前らしきものを言ったはずなのにどうしてそんなことを聞いているんだろう。もっとマシな事を聞けばいいのに。ここがどこで私はどうなっているのか、いくらでも聞くべきことはあるはずなのに。
でも答えてくれるかもわからない。目の前の人物はまるで銅像のようにその場に姿勢正しく立っている。
その見た目もあるかもしれないけど、仮面を被っていなかったら本当に執事のように綺麗な所作に見えてしまう。
目の前のその綺麗な執事姿の銅像がゆっくりと動き出す。声も出せずにそれを見守れば、胸元に差し出すように出されているのはどこかで見たことがある一輪の花。
紫色の花は、真っ白な空間に落とされたインクのように、やけに目についた。
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『地下19階 伊崎 朋子の病室です』
「きた、伊崎 朋子」
やっぱりこいつがキーパーソンで間違いなかった。それが当たって嬉しい気持ちと同時に、警戒する気持ちが沸く。
(残りは2つ)
だけど残り時間だって減っている。
18階に到着した時には5時間を切っているのは見えた。もう時間を気にしているとどんどん気が焦るのがわかったし、これ以降はカウントしないようにしようと、誰が言ったわけでもなく暗黙の了解が出来ている。
だから今残り時間は正確にはわからないし、きっとわからない方がいい。
ちらつくゆずるの顔と、最後に見たパスに表示されていた数字を追い払うように目元を抑えて目をつぶれば、真っ暗な視界の先にぼんやりと光のようなものがちらつく。
「ここは」
アマネの声にゆっくり目を開ければ、部屋は簡単なベッドと机、机の上には使った後だと思われる便箋とペンだけが無造作に置かれていて、それ以外は何もない。
「病室?」
(ここが……病室)
マサが疑問形になるのもおかしくはない。
壁一面は真っ黒に塗りつぶされていて、精神がまともなやつでもおかしくなりそうな変な圧迫感が部屋全体に漂っている。
唯一開かれていると言っていいのか、わずかにくりぬかれた天井には鉄格子がはめ込まれていて、その上からわずかな月明かりが届くのみ。
頼りない月明かりを見つめる他には何も出来ない。
残されている自由は寝るか、来てくれるかもわからない相手に手紙を書くか。それだけ。
広い部屋に1人きり。それでどうやったらまともで居続けることが出来るんだろう。オレでもおかしくなりそうだ。
机には引き出しはない。ペンにも便箋にも変わった様子はない。ベッドには簡単に布団があるけど、隠されていそうなものもない。
文字通り『何もない』
「こんなところで……何を探せっていうんだよ……」
時折光が差し込むだけのこの部屋にはヒントになるものはおろか、本当に何もない。その中でも地下に続く道だけはこの閉ざされた部屋の奥にはしっかりとあるわけで。
あるということは少なからずこの部屋で何かをしなくちゃいけないわけで。
「ヒント少なすぎだっつの……」
怒りや焦りよりも呆れてただそんな言葉しか出てこない。
「…………」
「…………」
「?アマネ?」
部屋に入るなり黙ってしまった2人の内、さっきから妙にそわそわしている方に声をかければ、顔には戸惑いながらも時折何かを見るかのように視線を動かしている。
騒がしい視線に合わせて顔を向けるけど、やっぱりというか視線の先には何もない。
「何?」
「いえ……さっきから……何か……」
言葉を途中でやめてまたその『何か』を探しているけど、同じようにやってみてもやっぱり何なのかすらよくわからない。言葉での説明をしろと目で言ってみても、相手はそれを見て戸惑いの表情だけを返す。
「……スキルコード『正視』。範囲指定、室内」
(はぁ?)
あんた、何言っちゃってんの?そう思いながら突然スキルを使いだしたヤツを見てみれば、そいつは涼しい顔をしながら、顎だけを動かす。
顎の先はオレの後ろを指していて、目は『文句はいいから見てみろ』と言わんばかりだった。
眉間に皺を寄せながら、とりあえず言われた通り振り返ってみると
「うわっ!?」
いつの間にか室内に1人の人間が増えている。
「周がさっきからそわそわしてたのは“そいつ”の気配だ」
やっとネタ晴らしを受けて、それで今まで感じていた違和感に納得がいったのか、アマネが心なしか表情を緩める。
対してオレは相変わらずの渋顔が抜けない。
「……なんであんたがそれわかるわけ?」
「地下2階からちらちらと、そいつに似たようなヤツがいたからな」
「あ……」
思わずと言ったように零したアマネの言葉に、マサが「そういうこった」と返す。何がそういうことだ。全くわからないっての。
「今までの奴らは俺らを敵視してるんだか、襲ってくるトラップだったが、こいつはさっきからそこから動かなかったからな。見えるようにしたんだ」
納得いかない気持ちはあったけど、睨んでもいても仕方ない。
こいつは最初から大した説明もしないヤツだ。こめかみにうっすらと何かが浮かんだ気がしたけど、ぐっと飲み込みながら、目の前に最初からいたらしいその正体を見てみる。
こいつがずっと出て来ている『伊崎 朋子』なんだろうか、見た目は年齢相応っぽいが、カルテで見た実年齢よりもどこか達観したような目をしている。
オレとあまり年が変わらない女の子は、じっと何かを見つめては口元を動かしている。それは言葉にも吐息にも変わっていないもので、何を伝えたいのかわからない。
「……『ひいて』……と言っているな」
「……何でわかんの」
アマネが同じようにじっと女の子を見ると、代弁したように言葉を形に変える。
それを同じように驚いていたマサが、何かを含んだように答える。
「読唇術か。それも“必要上”ってやつか?」
「……そんなところです」
それ以上答える気はない、そう暗に言っているように視線を外すと、もう1度女の子を見る。
つられるようにしてしばらく見ていると、月明かりがふっと小さな外界から差し込む。




