Phase3-1
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不思議だなと思いながらも駅の雑踏に身を任せる。
現実世界だとあれだけ緊張してあれだけ気持ち悪かったのに、どうしてこの世界のこの場所は私を拒絶しないんだろう。
それは思えば最初からそうだった。あのときは人の多さと人の流れにびっくりしてまともに何かを考えることは出来なかったけど、慣れた今ならちゃんとそれがわかる。
行き交う人達は誰もが目的地を目指して足早に通り過ぎていくけれど、それは現実でも同じこと。
他の人と視線が合うこともないし、時折言葉を拾う程度なのも同じなのに、どうしてなのか居心地はそれ程悪くない。
(不思議……)
まるで誰かが私のためにこの場所を作ってくれたみたいだ。そんな勘違いのような気持ちが降って沸く。
ざわざわと人の囁きが大きくなるのを感じてふとその音の方向へ向こうとして、それが誰かによって阻まれる。
それと同時に鉄臭いぞわりとした匂いが鼻を掠める。
「ゆずるちゃん捕まえた」
「!?」
その言葉にびっくりわけじゃない。ただその言葉に乗せられた熱くて色気が漂うような奇妙な感覚に思わず言葉が詰まる。
私のそんな様子を見て相手は面白かったのか、耳元でくすくすと笑う声が聞こえてくる。
「くに……鷹さん……?」
「正解」
首だけ後ろに向けると、嬉しそうに目を細める顔が間近に映りこむ。
でもそれが面白いからじゃないのは、思えばずっと前からわかっていたかもしれない。
笑っているのに、何かを求めて泣いている
「どうしたの……?」
思わず言葉がするりと口から抜け出しその場に落ちると、ほんの一瞬だけ楽しそうに細められていた瞳の中に何かが蠢いた(うごめいた)。
けれどそれは一瞬だけで、すぐにまたいつものよくわからない感情の流れに流されて消えてしまう。
「ゆずるちゃんを見つけたからつい、な!暇してるならおれらと遊ばへん?」
「ほんならおれは用無しやな。帰る」
「えええ!!何でや!3人でやろうや!」
(気のせい……?)
狐に化かされたような気持ちのままぽかんとしていると、私の様子を見ていたらしい虎さんと目が合う。
そしてその目が少しだけ憐れんでいるような気持ちを宿したかと思うと、興味をなくしたように外された。
「“シークレットコード”狙いやないならおれでなくてもええやろ」
「お、もう1回行ってくれるん?やった!」
(シークレットコード?)
それが何かのストーリークエストの『if』用のコードを指していたのはわかったけど、話を聞くだけだとそれがなんだかはわからない。
ただそのストーリーはもう何回かクリアしたみたいで、『if』も何回かやっているようなことだけはわかる。
「何で1発で出てこんねん。腹立つわ」
「それに何回も付き合っとるおれの方が嫌やわ」
「次は!次は出てくると思う!あー…こんなんなら誰か手に入れてくればいいのに」
― そうしたらPKしてやるのに ―
その言葉に体が無意識に震える。何とか声は出さなくて済んだけど、それは体を離してくれない國鷹さんには伝わってしまったのか、最初と同じように耳元で笑う声が聞こえる。
「そうだ、ゆずるちゃんにええもんあげる」
するりと私の左腕を取ると、その手首にあるパスをまるで壊れ物を扱うかのように優しく撫でる。
左腕を支えられるように触れているだけなのに、どうしてなのか腕が血で染まっていくようなどろりとした感触が浸食していく。
「っ!」
今度は声が出てしまった。
その明らかに触られたことをびっくりしたものとは違う声色だったものにも、後ろの気配は笑みを深くしただけだった。
それが得体の知れないもののように感じてしまい、そう考えてしまうとここに1人でいることがたまらく不安になっていく。
(だ…誰か……)
パスが何か音を出しているのがわかったけど、段々と早くなっていく動悸に音が掻き消されていく。
國鷹さんが固まったまま動かない私をそれすらも面白いと言ったように丁寧に扱いながらパスに触れているのがわかる。
感触だけを体が敏感に拾っているけど、声が遠くに感じて仕方ない。
早く逃げろと体が警戒音を発しているのに、体に見えない操り糸のようなものが括り付けられていて、その糸の先を國鷹さんが手繰り寄せている。
するっと手が外されると同じように左腕がゆっくりとおろされる。
「かわいいなぁゆずるちゃん……」
うっとりと私の名前を強調するように放つ言葉に頭が痛くなっていく。
これは危険だ、早く逃げろと動かない足がカタカタと動くけれど、振り向いて振り払うことが出来ない。
(どうして!?)
國鷹さんは何もしていない。いや、いつもと同じこと位しかやっていないのに怖い。
軽口はいつもで、こうやってからかってくるのもいつもなのに、どうして今日に限ってこんなに怖いと感じているのかわからない。
どうして体が慣れた気配に対してこんなにもうるさく警告しているのか。
「ねぇ…?おれのもんにならない?」
その言葉と同時に手がするりと首元を掠める感触に、反射的にひゅっと気道を音が通る。
指先にさえこびりついた血の匂いにめまいがしそうになる。
ぐらりと傾いた体がそこでやっと國鷹さんから離れたけど、突然切れた糸の反動で自分の体を支えることが出来ない。
重力に従うまま前傾姿勢を取ると、それを支える様なぬくもりが、落ちそうになる私を支えてくれる。
「こいつはお前の持ちモンでもおもちゃでもねぇよ」
「あ……」
「あー!まさちー返してやっ!」
「まさ……ちか……さ……」
それでも信じられなくて名前を呼ぼうと顔を上げる前に顔ごと胸に押し付けられる。
そこから嫌でも聞こえてくる心音が、やけに焦っていた私の心臓をゆっくりと諌めてくれるようで、そこでやっとゆるゆると息を吐く。
「堂々と公衆で口説けばそうなることわかってたやろアホ」
虎さんが呆れたように言いながら國鷹さんに何かをしたようで、『いたっ』と声がするけれど、どうなっているのか確かめようはない。
「こいつをからかうのはやめろ」
「からかってるつもりはあらへん。おれはいつでも本気やで?」
「…余計性質が悪ぃ…」
ぴりっと静電気のような空気が流れる。
正親さんの声は小さくしか聞こえなかったけどそれでも怒っているのがはっきりと伝わってきて、少しずつ落ち着いてきた心がざわざわと騒ぎ出す。
どうしてなのか、本能的に正親さんも危険だと告げられているようだ。
本能と疑問が混在した言い表せない気持ちのまま、だけど守るように背中を抱え込んでくれるぬくもりも手放せなくてそのままになっていると、ふうっと溜息に近い声が聞こえる。
「今回は連れてくからお前も引いてくれ」
「……」
その声は虎さんが正親さんに向けて言っているようだったけど、言葉を受けた正親さんは相変わらず無言で、物騒な空気は続いたまま。
「PKを宣言したらこのアホの思うつぼやぞ」
「誰がアホや!誰が!!」
「……ちっ」
そこでやっとふっと気配が緩む。だけど2度の衝撃を受けた心臓はまだ落ち着いてくれないみたいでどきどきと早まったまま治まってくれない。
それを感じたのか正親さんが少しだけ抱きとめている力を緩めてくれる。
「あんま離すなや」
「……わかってる」
「あー!ゆずるちゃーん!!」
それぞれが短く言葉を交わして話が終わったのか、最後に聞こえた國鷹さんの言葉は少し遠くに感じた。
そこでやっと胸にうずめていた顔を振り返ってみると、そこには虎さんに首根っこを掴まれたまままるでモーゼのように大勢の人をかき分けて引きずられていく姿が見える。
(……まただ……)
その姿に“また”小学生のやせ細った男の姿がちらつく。
タイタニックのときと2回目だったし、見間違えることはない。
(あれは……國鷹さん…?)
面影がある顔立ちは國鷹さんのもののような気がしたけど、一瞬見えてまた消えてしまったその表情は考えられない程かけ離れたもので、その表情をどう表現していいのかもわからない。
(…似てる……)
匡がいなくなってしまった『あのとき』からそれ程経っていない頃の私と、その表情が似ていた。
頼るものがいなくなってしまって、ただその場所にいるだけの存在。
名前を呼ばれなかったら自分で自分が今ここにいることさえ証明出来ない程、全てが曖昧だったあの頃と、あの子の表情は似ている。
(あの子は何だろう)
國鷹さんに似ているけど、それが本人なのかわからない。確かめようもない。
それはふいに残像のように見せては消えていく。まるで忘れて欲しくないと言われているかのように。
(…頭が痛い…)
「……」
「大丈夫か?」
その声にはっとして後ろを振り向けば、そこで正親さんが大慌てで駆けつけてくれたことを知る。
(汗が……)
思わず顔に触れようとするとほんの少し触れたところでびくりとすると、すっと体が離される。
「俺の心配よりも自分の心配をしろ。お前、今の状況わかっているのか?」
「え……あ……すみません」
行き場の失った手を誤魔化すように髪の毛を触れながら伏し目がちに謝ると、頭の上の空気がほっとするのがわかった。
私に触れたくないと伝えてくるのに、私を心配してくれるのはどう捉えていいのかわからない。
嫌われているのか、それとも違うのか。
(…悲しいな…)
まだ完全に過去と吹っ切れていないのはわかっている。
私も同じようなもので、きっと2人とも全部吹っ切ったと言い切ることは出来ないだろうから。