Phase7
- viewpoint change -
疑問だけが頭を占めて目の前のシーンを現実だと受け止められない。
「匡……なの……?」
疑う訳でも聞き間違えるわけもないけれど、どうしても確かめたくてそう呼べば、ずっとずっと聞きたかった声で答えてくれる。
「そうだよ、夕弦」
駆け出して近づきたいはずなのにどうしてか足が動かない。
泣き出したいのに、どうしてか涙が出てこない。
やっと逢えたのに、匡は嘘なんてついていなかったのに、どうして素直に喜べないの?
気持ちすらもばらばらになってしまってどの気持ちを表現していいのかわからない。笑って安心させたいのに引きつった声しか出ない。
「迎えに来たよ、夕弦。オレと一緒に行こう」
すうっと手が向けられる。昔から私の手を離さず握ってくれていて、ずっと待ち望んでいた手が差し出されているのに、今度は腕も動かない。
「アマテラス!!」
誰かの声がして、目の前に白い何かがいるけど、それが何かよくわからない。
誰かの声が匡と話していて、匡が嬉しそうに返しているけど何を話しているのか聞き取れない。
どうすればいいんだろう。何をすればいいんだろう。
「ゆずるさん!早く逃げろ!!」
私を呼ぶ声が聞こえて、やっとそこで体の一部が動き出す。
頭だけが動いて、そこで私を呼んでいる声の持ち主が瞳に映る。
(そうだ…千尋さんが……)
人を認識することは辛うじて出来ても、そこから先に何をしていいのかはぽっかりと開いてしまっていてよくわからない。
そうだ、匡が目の前にいて・・・でも千尋さんは何で逃げろって言ってくれているの?
匡?
「千尋…さん」
全てがぼやけている感覚の中、ひまわり畑で聞いたような音が聞こえる。
(あれは……夢……?)
「っ!」
音がぶんぶんと煩い中、見ていた千尋さんの額から赤い血が流れ出す。
それが瞳をも真っ赤に染めるように見えて、それから先どうなったかわからなくなってしまった。
もし本当に匡なら
どうして千尋さんを傷つけるの?
匡は大事なのに、どうして私の大事なものを壊そうとするの?
「どうして……?」
- viewpoint change A-
「そうだよね、お前には刺激が強すぎたよね」
彼女を慈しむように紡ぐ言葉はどれも慈愛に満ちた言葉であったが、私には強烈な怨鎖の言葉に聞こえ身震いする。
「ちょうどいい。お前も多少なりとも気にかけているようだし、少しだけ目をつぶっていて?」
『いいよと言ったら全てが終わっているから』その言葉に彼女と同時に息を呑み込む。
はっきりと宣言された敵意に対して再度身構えるが、視界不良の状態でどこまで持ちこたえられるかはやってみないとわからない。
(これ程までとは)
これ程まで力に歴然な差があるとは思っていなかった。
自分の力を奢っているつもりはなかったが、それでもこの世界における絶対的な力とされる『魔に連なるもの』を所持しており、かつそれなりに研鑽もつんできたつもりでいた。
それがただのつもりであったことを痛烈に自覚させられる。
「今までご苦労様。後はオレが夕弦を永遠に守るから安心していいよ」
言葉に異様な重さと息苦しさを感じてめまいが一層強くなる。打ち所が悪かったのか相変わらず視界の揺れは収まらず、軽い吐き気がする。
ただ己の不調と力不足を言い訳にして背を向ける事は許されない。
ここでこの場を離れてしまえば確実に彼女は目の前の存在に連れ去られてしまうことは想像に容易い。そしておそらく、もう二度と彼女に会うことはない。
覚悟を決めて不良の視界にその姿を留めれば、その様子がおかしいのか軽く首が傾げられる。
「君の心の中も癒したか。相変わらず優しいな」
嬉しさ半分悔しさ半分といった様子で紡ぐ言葉と、途切れ途切れに耳に拾う虫の羽音が煩わしい。
その羽音は主の合図を待っているかのように一定のリズムと周期を保ちながら周りを旋回している。
ここでアマテラスを自分の元に戻して迎撃することも可能ではあるが、そうすると今にも倒れそうな彼女を守る術がまるっきりなくなってしまう。
意識を保っていたとしても、今はおそらくこの相手を前にして何かを出来るという意思は持てないだろう。
悲しみというより重なった心的負荷から己を守るために意識を保つことが精一杯で、意識を飛ばさなかっただけ十分だと言えるだろうが、それすらも計算に入れていたかのような相手の態度に先手を打てるイメージがつかない。
(気をしっかり持たなければ)
今2人がどこにいるのか確かめる余裕はないが、合流するまで持ちこたえなければいけない。
どの程度自分のシンボルを使用して時間を稼げるかはしたことがないためわからないが、その程度の苦痛ならば耐えて見せる。
「死ぬプレイヤーに見せても意味はないが……所持者には礼を尽くさないとな」
彼女と揃いと言ってもいい位形状が同じパスがわずかに光る。
「開錠……」
「『奇跡の血滴』」
「!!」
「た…す……」
ついに聴力も異常をきたしたか。いや、そうあって欲しいという願望に他ならなかった。
(その名前は……魔に…連なる……)
「目をつぶっていて?夕弦」
優しく諭すような言葉に絶対的な命令の意味が籠っているのを感じ取ったのか、彼女の意思とはやや無関係にその両手がゆっくりと持ち上がり、そして自らの視界を塞ぐ。
それを見た仮面の存在がゆっくりと笑みを深めた気配がする。
手に現れたのは槍のような純白な鋭利なものであったが、わずかに握る柄の部分があることから、それが辛うじて剣のようなものであることがわかる。
わかるが、それが自分が知識として知るものと一致させることを拒んでいる。
聖魔の剣、魔に連なるものの内属性が『レイピア』。名前は『奇跡の血滴』
その全てが知識として知り得るものだと告げていたが、それを受け止めてしまうことはすなわち、己の死を受け止めることに等しいことも同様に告げている。
「さよなら、名も知らないプレイヤーさん」
― シンボル ヲ 使用 シマスカ ? ―
かつてキリストが己の身を貫かれた槍と同じ名前を持つものが、一直線に視界に迫った。