Phase5-2
そう・・・抑止力が必要だ。
キツネはいたくお姫様が気に入っている。それを利用しよう。
それを盾にとれば、相手もやすやすとこちらを裏切ることはしないハズ。
いざとなったら多少なり彼女に痛い思いをしてもらえれば、怒ったキツネが暴れて内側から崩すことだって出来るかもしれない。
そうして彼女を呼び寄せた。その気持ちを彼女にも仲間にも告げぬまま・・・。
「醜い」
「!!」
初めてまともに聞いたその声は女性とも男性ともとれる中性的な声で、そこに感情は一切なかった。
本当に醜いと思っているかすらわからないその抑揚のない声は、しかし的確に胸に突き刺さる。
「……『嫉妬』……」
胸に巣食うその正体を見透かすように言葉を続けると、動くことなくその場に立ち尽くす。
「わ……かっている!」
わかっている、どうしてここで足止めを受けているか。
この感情(嫉妬)を持っている限りあの相手には敵わない。
その感情を司る相手に、この感情を持って挑むことは胸元に爆弾を巻いているのと同じこと。
相手のシンボルの力でそれを増幅させられて、自ら自滅していくだけ。
(それでも……)
それでもどうにかしなくてはいけない。命を賭して、守らなければならないものがある限り。
「どいて!私は……私はっ!」
心の中に反するように響く自分の声がこれほど耳障りなものだとは思わなかった。
- viewpoint change Y -
目の前の女の子ははっきりとわかるように舌打ちすると、ピンクのプラスチックカッターを音を立てて振り下げ、オディールからさっと間合いを取る。
実際はオディールじゃなくて、足元の影から生まれた人に対して警戒していたようだったけど、鳴り響くアラームと一瞬の出来事の前に、何もかもがワンテンポ遅れて知覚する。
自分から視線が外されたとわかったオディールは少しでも危険がないようにと、すくむ足を懸命に動かしてた。
黒い人影からごくごく小さく声がすると、次の瞬間には床に黒い穴がいくつも開く。そこから人型のまた黒い影が浮かび上がってくると、その影が黒いスカートの女の子に向かって突進していく。
それを空中で宙返りするようにして避けると、構えていたカッターを躊躇うことなく黒い影の頭らしき部分と胴体らしき部分の間に真一文字の弧を描く。
まるで全てが液体で出来ているかのように影の頭の部分がどろりと床に零れ落ちると、また落ちた影から新しい影が出来上がる。
人がいなくなってさびしくなっていた応接間は瞬く間に黒い人形だらけの場所に変わり、その中心で2人の黒い影が対峙するように立っている。
「ちっ、えげつねぇ攻撃してきがやって」
「死ネ、キツネの傀儡メ」
その一言に女の子の顔がみるみる怒りに染められる。
「あんなイカレ野郎と一緒にすんじゃねぇよ!」
一瞬で激昂し怒りを露わにしているかのように、大きな罵声に近い声を張り上げると、スキルコードを宣言する。
その不穏な空気に肌が危険を感じてびりびりと震えているけど、この空間自体が得体の知れない危険地帯になっているのは最初からわかっていること、それにいくら危険を注ぎ込もうが、その場所が危険で逃げなきゃいけないことだということに変わりはない。
なのに、どうして私はここにまだいるんだろう。
足がすくんで動けないから?
それもあるかもしれない。
相手が女の子の方を気にしていて、私を視野に入れていないから?
「危ない!!」
目の前の攻防が自分達に刃を向けると思ったのか、怖がりながらも大事な人を守ろうとする王子が、奇しくも私の近くに避難してきたオディールの元に駆け寄ってくる。
その声にゴシック姿の女の子以外の視線が集まる。そして集まった内の1つの視線が、そこでゆっくりと私を視界に捉えた。
「お前……」
重なるようにして立っていた私とオディールを守るようにして立っている姿を見て、あたりに一層重い感情が立つ。
もうそんな誤魔化しの理屈は通らなくなってしまった。けれど本当ならば逃げなくてはいけないはずのこの場面で、足は動こうとしてくれない。
へびに睨まれたカエルはこんな感情かもしれない。
危険だと分かっているのに、2人を連れて、いやせめて自分だけでも逃げなくちゃいけないのに。
漆黒の髪から覗く瞳がオディールに声をかけた王子を寂しそうに見つめていたものだったのに、今私に向けられているのは紛れもなく『嫉妬』の感情。
その視線が交差していた隙に、女の子のスキルが場に発動される。
黒い影に向かって伸びていった白い触手のようなものは、それを補足するとみるみる凍らせていく。
辺りの空気が冷えていき、それが完全に凍ると、まるでブロックを崩すかのようにがらがらと音を立ててその場に崩れていく。今度は増えることも再生することもなく完全に沈黙した黒い影に、女の子がどこか誇らしげな表情をしていたけど、それも視界のほんの端っこに映るだけだ。
壊されて怒るはずの視線もまた、女の子を見ようとしない。
ただ真っ直ぐ、私を射ぬく。
(目が……そらせない……)
「お前のせいで……リヒャルト様ガ……」
― 解錠 ノ 宣告 ガ アリマシタ ―
アラート
アラート
聞いたことがない警戒音が聞こえてくる前に、逃げなければ殺されると感じていた。
せめて少しでもダメージを受けないように、唯一手元にある武器と呼べるかわからないものを頭に浮かべながらも、うるさく鳴り続く警告音にうまく頭に思い浮かべることが出来ない。
『嫉妬』の感情ははっきりと形を成して現れる。それは本当にへびの形をした人の感情の具現だった。
それが黒い影からさらに黒い霧のようなものが立ち上ってその形を大きくしていったのはわかった。それが私を目標に定めていることも、わかってしまっている。
その感情を向けられたことは何度もあった。
私が知るその感情のほとんどは女の子からで、それは匡を慕う人からだったり、飛翔くんとの仲をうらやましがった同じモデルの女の子、学校の女の子だったり。
そして、母親からだったり。
久しく向けられることがなかった、けど向けられて苦しくなるその感情は、かなりの熱量と、そして重苦しさを持って場を支配しようとしている。
今まで向けられたことはあっても、自分自身では自覚して感じることは滅多になかった。それがどうしてなのか、今なら少しわかる気がする。
私には最初から求めていたものが自然と手元に全てあったから
ないものも全て匡が集めてくれた
だから、それが全てなくなって、もう1度と、今度は自分でかき集めようとしている今ならわかる気がする。
その気持ちは醜くて汚くて、そして切っては切り離せないもの。
目の前の影がどうしてそこまでの苦しい感情を向けてくるのかはわからない。
けれど苦しくて自分ではどうしようも出来ないと、訴えかけられて泣いているようにも見える。
その醜い感情に、在りし日に向けられた歪んだ母親の顔がダブって映ると、もうその気持ちから目をそらせなくなってしまった。
『あんたなんか!』
「…ぁ……」
無意識に触っていたパスから手がするりと離れる。
黒い影が視界の半分を覆おうとしているとき、存在を無視された女の子が声を張り上げ、黒い影に駆け寄る姿は見えた。
けれどその結末がどうなったのか、真っ暗になってしまった視界では知り得ることは出来なくなっていた。