SAVE2:Twilight
Phase2
「お、おー……」
感嘆なのか驚愕なのかどちらともつかない声を上げているスポットライトの主のずっと後方で、メイクと衣装を担当したそれぞれの女性がしたり顔をする。
「あはは、高山くん超びっくりしてるよ」
「まーね。元々顔立ちは綺麗な子だったし。てかあの肌の白さ、羨ましいっ」
切り出したばかりとはいえダイヤはダイヤ。ちょっと手を施せば光り輝くのは当然の事。
「お手入れとかしてないのにあの肌ってのはねぇ……やっぱり遺伝子の差ってヤツなのかな」
「だって彩野さんと小野さんのサラブレッドでしょ。遺伝的にはすごいことだもんねぇ」
「前に高山くんから昔の写真見せてもらったけど、もうお人形みたいだった!超かわいいの!」
「何それ!見たいんですけど!!」
「はー……しっかし髪の毛のセット位しか頑張れるとこなかったね。他のモデルの子が嫉妬しそう」
「言えてる。うちら現に嫉妬してるし」
「うわっ、そうだった」
プロの手によって施された少女の顔にはふんわりと化粧が乗っている。髪の毛も雰囲気を損なわない程度に整えられ、身に纏った制服姿は『どこにでもいる高校生』とはおよそ言い難い雰囲気を醸し出す。
「……でも……綺麗……」
「うん……」
女性達はそう零し、自分達の手によって磨かれた大粒のダイヤと、驚く青年を見て互いに笑った。
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写真を撮り終えて疲れたのか、椅子に座っている娘の近くに娘の親友が嬉しそうに傍に付き添う。
その姿を見て、在りし日に見た娘の姿を思い出し、皆守 雅樹は目を細めた。
この場に娘が立つことを許されたきっかけは確か妻、皆守 八重子が先輩女優に零した世間話だったような気がする。
『桜さんには素敵な息子さんがいらっしゃるんですよね、おいくつになったんでしたっけ?』
妻も自慢の息子のことだったからだろう、いつもなら当たり障りのない会話で終わらせる相手に対し、普段より饒舌にしゃべったようだ。
『ええ、今年16に。ようやく受験も落ち着くかと思ったら、今度は中学受験に向けて同じことをしなくてはならないなんて』
『そうなの?存じてなくてごめんなさいね。他にお子さんでも?』
ひた隠しにされていた“娘”の存在を仄めかす発言を自らがしてしまったことに妻がしまったという顔をしたのかどうかは定かではない。
ただその話題をその先輩女優から直接耳にした次の日から、彼女は娘を連れてスタジオに出入りするようになったのは覚えている。
真意を問い詰めようと話題に出したが、最後まで詳細を語られることはなかった。
『あなたは口出し無用です』
『…………』
結局のところ自分が出来るのは“当たり障りのない存在”であることだと早々に悟り、情けなくもあったが、唯一妻に対等だと認められている息子に娘を守るように頼んだ。
その日から娘は自分の手から完全に離れてしまったきっかけになるともわからずに。
父親でありながら息子に父親の役目も担うように頼むなんて何とも馬鹿らしいことこの上ない話であるが、それ以外に娘を傷つけない方法が当時はわからなかった。
元々あまり日の当たるところが好きな子ではなかった。
それは秘密事を共有するようにもたらされる息子からも聞き及んでいたが、それを表に立ってかばうことをすれば妻が激昂することは目に見えていた。
だから仕方なかった。そんな言い訳じみた贖罪を繰り返してきた。向けていた背中からすがるようにして向けられていた視線にも気付かずに。
だいたいはスタジオへは息子か妻が付き添った。
それはまだ陽の目を見ない娘を恥ずかしいと思う気持ちからなのか、それとも彼女にも母性があったからなのか、確かめるような発言はしなかった。
娘がわずかにも向けられる妻からの母親らしい視線に嬉しそうに笑うその顔を、壊したくなかったからかもしれない。
妻の都合がつかず、息子も学校の事情で都合がつかなかったときが何度かあり、片手に納まる程度であったがここに共に来たことがあった。
あのときに見た光景が、ほんの少し前に目の前に広がっていた。
仕事とはまるで関係ないプライベートと称されていたからだろうか、娘の顔は自分に向ける緊張した面持ちではなく、親しい友人達に向けられる柔らかいものであった。
ああ、こんな顔をしていたのか
そうだ、昔はこんな表情をしていたんだった
向けられることの叶わなかった笑顔が、遠い未来に向けられることを願わずにいられない笑顔が、そこにあった。
「いやぁ、夕弦ちゃんが相変わらずでほっとしました」
感傷に浸っていると横から声がかかる。
振り向けばそこには、レンズ越しにしか見ることの出来ない笑顔を引き出した、どこか父親を思わせるような表情をしている見知ったカメラマンの顔があり、その『父親らしい』顔つきに無意識に羨望を覚える。
「そうですか」
「相変わらずあの子は……美しい光を放ちますね」
その後続けられたカメラマンの独白はどこか詩的で、娘の知らない一面を知らしめるものであった。
昔ならばそれを聞くことも辛いと思ったかもしれない。自分は父であることから逃げ出して、娘の幸せのためだと視線を合わせることからも逃げていた。けれど今は違う。
どうしても嫉妬する心は抑えられなかったが、それに伴う痛みを受け止めながらとつとつと続く話に耳を傾ける。
「彼女は真っ白だ。どこまでも純粋で、他人の痛みに敏感だけれど、痛みを白く染めることの出来る数少ない存在です」
痛みや悲しみ、憎しみのような強い感情は血のように赤く心を染める。娘を『白』と例えている言葉に耳を傾けながら思考を巡らせる。
娘が『白』ならば、妻は『真紅』だった。
激しい女だった。溢れ出る自信がそうさせたのか、自分にない光に強烈に惹かれ、そして妬み、そして犠牲を求めるかのように振る舞うその凶器のような感情を、憎いと思ったこともある。
そして凶器と例えているそれを、彼女が彼女である限り仕方ないと諦めて受け止めている自分の心は錆びついた血のような『褐色』だろう。
「…………」
自分で例えたものなのに傷つくのはおかしな話だ。そう心の中で感化されたかのような詩的な喩に失笑すれば、それを見透かしたかのようにカメラマンは私を見て、そして優しく笑う。
「あなたの色も染めてくれると思いますよ」
「え」
「彼女は……月のような存在ですから」
妻と息子は太陽のように人にとっては眩しくて、そして崇められるべき存在であった。娘はそうではないと感じてはいた。
「…………」
娘は眩しくはないかもしれない。けれど、ふと見上げればどんなに遠くても優しい光を放っている。
「…………ありがとうございます」
娘を誇らしいと感じることが出来るこの気持ちは、『父親らしい』ものであるだろうか。答えは出ないが、向けられた笑みに自然と微笑で返した。
- viewpoint change -
「飛翔くん、どこに行くの?」
「いーから!」
制服のまま引きずられるようにすっかり夕暮れになった坂道を歩く。
「いやぁ、綺麗だね夕暮れ」
その少し後ろからカメラを持ってにこにこと私達を見る松波さんが続く。その声に段々と近くなる夕焼けを見つめる。
(……本当だ)
「夕弦、この坂を上がったところから見える景色が超キレイだから」
だから早く!そう言って手を差し伸べる飛翔くんの顔は夕焼けにうっすらと染まっていて、いつもの笑顔と違って見える。
いつもの元気な笑顔じゃなくて、とても大事なものを見るように見つめる瞳に私も映っていて、その私の顔も同じように夕焼けにうっすらと染まっている。
「うん」
手をとるとその顔がはにかむように変わる。
昔見た笑い方がそこにはあって、昔大事にしていた宝物を見つけたときに感じるときの気持ちのまま笑えば、シャッターを切る音。
振り返ってそれを確かめる前に握った手が強く握り返され、その強さのまま引き寄せられる。
「ほら!」
坂を上がった先には太陽と月の明るさのちょうど中間にあるような温かくも柔らかいオレンジ色が私達を迎えてくれる。
暖かさえ感じる光をしばらく見つめ続けた。どこかで電車が通る音が聞こえる。
「……綺麗……」
思わずそうつぶやくと、宝物を共有出来た嬉しさを表現した人懐っこい顔が私を見る。
「だろ?あ、あれだよな。お前の名前の由来って」
「……え……」
「あれ?違ったっけ?」
そう言いながら空を指した先にあったのは、空色とオレンジ色の境にぼんやりと浮かぶ半円の月。
「『夕暮れに浮かぶ月弦のように穏やかに優しくあれ』……じゃなかったっけ?」
(それは……)
間違ってはいない。けれどどうしてそれを飛翔くんが知っているんだろう。
どうして夕日を見に来たのにその上に浮かぶものの話をしてくるんだろう。
目をぱちくりさせたままでいれば、その答えはすぐに返ってくる。
「前に匡さんから聞いた。匡さんと名前の語源話してるときに話題に出て」
「そ、う……なんだ」
「うん……すげぇよな……」
夕暮れを見に来たはずなのに、飛翔くんはそれには目もくれず、その近くで霞むようにぼんやりと浮かぶ月を見ている。
思わずつられるようにその月を見つめながら思う。そう言えば私が自分の名前の語源を知ったのも匡から教えてもらったからだったっけ。
言葉を交わすことなくただ坂の上からぼんやりとそれを眺め続ける。
確かに月も綺麗だけど、太陽よりもそっちの方に目を向ける人は珍しいかもしれない。ふと思い立って飛翔くんの方を見るけど、相変わらず目は空に向けられたままだった。
「……きれいだなぁ……」
ぼんやりとつぶやくようなその声はまるで子供がショウウインドウの中に映る欲しいおもちゃを目の前にしたような響きに近い。
掴むようにして右手を空に伸ばし、手の中に閉じ込めるようにしてそっと包み込むその一連の動きは、子供のときにやったことはある。まるで自分のその手の中に閉じ込めておけると錯覚していたあの頃。
それを信じているかのように握りしめた右手を満足そうに見つめて笑う飛翔くんの横顔は、私が見たことがない位大人びて見えた。




