SAVE1
All the truth in the world adds up to one big lie.
世の中のあらゆる真実が積み重なってひとつの大きなウソになる
- ボブ・ディラン -
Phase1
「あ、これ!翼じゃない?」
「あ、ホントだ。何でこんなとこに映ってんだろ」
制服姿の2人組の少女が見ていたのは駅前に飾られている1枚の広告看板。そこには2人の男女が夕焼けの坂道をバックにほほ笑んでいる姿。ともに制服姿であることからモチーフはさしずめ高校生カップルの帰宅のワンシーンなんだろうか。
それを裏付けるようにそのシーンの下側には『週末は旅に出よう 青春18きっぷ』とともに私鉄のロゴマークがついている。
「かっこいー……わたしもこんな彼氏となら旅行に行きたいー」
「だねー……」
後ろを振り返りながら手を差し伸べる青年の顔は穏やかに笑っており、いつもはつらつとしたイメージで通っている青年の新しい魅力を存分に引き出している。
その証拠に、少女達と同じように溜息に近い声を上げながら足を止める姿が先程からちらほら見られる。
「この子誰なんだろ」
「んー……、新しいモデルとかなんじゃないの?」
その青年が差し出した手と手を繋ぎながら夕日と青年を眩しそうに見つめつつ柔らかく笑う少女。
日に透けるような長い髪と細い手足が印象的で、思わずモデルと称されたその少女は顔こそはっきりと映っていないが、不思議と存在感を持ってそのキャンバスに淡い花を添える。
「でも……綺麗……かわいい」
「うん……何か……本物の恋人みたい……」
その左下にはこの写真を撮ったと思われる人物の名前が記載されていた。
Photo 松波 隆
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「何か言いたいことがあるんじゃないのか?」
「あ、あの……パパ……」
「ん?」
さっきからもじもじしてリビングに突っ立ったままの私の態度がさすがにおかしいと思ったのか、父親が苦笑交じりに尋ねてくる。
父親の顔は最近穏やかになってきた気がする。それがテレビで見る作られた笑顔でも、今までの堅いようなものでも、遠慮と罪悪感に満ちたものでもないように感じるのは、私の希望がそうさせているのかもしれないけど。
(それでも……いいや)
今までちゃんと向き合うことが出来なかった視線を合わせることが出来る。
今までお互い傷ついたようにしか笑うことが出来なくて、傷つけないようによそよそしい会話しか出来なくて、お互いの間に空白の時間があるとずっと感じていたけど、最近は違う気がする。
時間は巻き戻せないのはもうどうしようもないことだけど、それを受け止めることが少しずつ出来た。私も、父親も。
お互いまだちょっとしか歩み寄れなかったけど、2人がそれぞれ足を進めたからか、距離は1人の時よりもずっと縮まった。
それを感じることが出来て、それが素直にうれしいと思えるようになって、気恥ずかしくてうれしい。
うれしいと思えることが、うれしい。
「あ、あの……私……松波さんと……あ、私じゃなくて……ええっと飛翔くんの……」
全然要領のよくない説明しか続かず、それでも身振り手振りをしながら何とか言葉を出していく。
「あぁ、飛翔の仕事場に見学にいく件の事か?松波さんか……懐かしいな」
「え?」
見透かされたかのように言いたいことを言い当てられて、思わず目を丸くすると、私の様子を見ていた父親が少し困ったように「違うのか?」と尋ねてくる。
どうして知っているのと思いながらも勢いよく首を振ると、そこでやっと柔らかく笑われる。
(うぅ……)
向けられた笑顔が恥ずかしくて思わずうつむいて髪の毛の端を掴んでいると、その様子も面白いと言ったように吐息混じりに笑い声が零れた。
見ていた新聞が音を立てて畳まれると、うつむいている私の頭にそっと温かいものが触れる。
「いつだ?」
「ぁ……」
視線を合わせようとして、思わず涙ぐむ。変に力を入れた顔を見た父親が少し困ったように笑いながら頭を優しく撫でる。
たったそのことだけで、泣きそうになる。
「付き添いが必要なら言ってくれれば時間調節するから言いなさい」
「う……うん……っ」
「決まり次第早めにな。パパはともかくマネージャーが大変だから」
「……あ……パパ……」
ありがとう。と素直に言えるまでの距離はまだ遠いけれど、また1歩歩み寄ることが出来たかもしれない。そう考えて、また込み上げてくるモノをぐっとこらえた。
- viewpoint change -
「おはようございます」
「おはよう」
「お疲れ様です、雅紀さん」
「ご苦労様」
すれ違うたびに何人かに挨拶しながら撮影場所へ向かう途中、長い廊下の先に見たことがある人物のシルエットが見える。
壮年の男も決して背が低いわけでもないが、平均より高めと言われている男よりもさらに大きいその人物は、反対側からやっていた男に気が付いたのか小走りに近づく。
手を振りながら近づく後ろで、マネージャーと思わしきスーツ姿の女性から思わず『つばさ』とたしなめられるような声がかかる。
「おじさん!」
男をここで『小野 雅紀』と呼ばずその名称で呼べるのはおそらくこの青年だけだろう。そう思いながら男が苦笑しつつもそれに相手が応えると、慌ててやってきた女性が上背の高い青年の背中を強く叩く。
「すみません、小野さん。ほら、翼!ちゃんと謝る!」
「……すみません、オノサン……」
「飛翔は相変わらずだな」
本名の『雅樹』と音を同じくする芸名の『雅紀』と同じように、青年も『飛翔』と音を同じくする芸名を持つ。
男が親しみを込めて青年の本名の音でその名前を呼べば、目の前の青年がいたずらがばれた後の子供の様に少しばつが悪そうに笑って見せる。
「……で?どうでした?」
「なんだ、お前のところに直接返事を返していないのか?前から誘っていたんだろう?」
少し意外と言ったように声を出せば、青年が笑いながらそれを否定する。
2人が同時に思い浮かべた少女は親の贔屓目に見なくても礼儀正しく、そして真面目な性格である。
性格的にどちらかと言えば父親似の少女が男に相談して出した結果を伝えていないとは考えにくいと、その疑問を端的に問えば、端的に否定される。
「いやあいつが『パパと一緒に行く』なんて書いてあったから。おじさん喜んでるんじゃないかなって思って。そっちの方のどうでしたって話」
「こら、翼!」
「はは、いいよ。飛翔に言っても無駄だよ山中さん」
早々に叱られたことを忘れるかのような口ぶりに再度女性からたしなめるような声がかかるが、それもいつものことだと男はほほ笑む。
その笑顔を見た青年が少しだけ何かを考える様なそぶりを見せ、そして年齢以上に若い、まるで悪ガキのように笑みを作る。
「最近笑い方、柔らかくなったっスね」
「……?」
「あいつも喜んでると思う」
「……そうか」
その言葉に思い当たる節でもあるのだろうか、男の顔がそこで父親の顔を見せる。
それはとても慈愛に満ちていて、隣にいた男のマネージャーはこの人もこんな顔をするのかと内心驚きを隠せなかった。
そして驚き以上に胸を占めるのは、安堵と幸福の感情。
確かに演技ではそんな表情を作ることはあっても、実生活で見たことは記憶にない。と思い出を振り返って結論付けた。
長年マネージャーを務めている身として、多少なりとも男と、男を取り巻く家庭環境については把握しているつもりであった。
だから男がそのような表情を作るのが演技以外では困難であることも、娘に対して罪悪感を背負っていることも、ずっと羨望と愛情と侮蔑の眼差しで見つめていた男の妻に対する複雑な心境の事も、知っていた。
息子が失踪してからもう4年以上経つ、そして妻もまた同じように失踪してしまった。そんな残酷な現実を背負う男にかける言葉は見つからなかった。
悲惨な事件が起こってもそれにも弱音を零さずに仕事をこなし、ただじっと待ち続けている男に、これ以上の負担を強いることがいたたまれなかったという本音もある。
だからこの男にはせめてもこれ以上苦しむことがないよう、そのデリケートな部分は極力話題にしないように努めてきた。
その娘がどんな心境であったかは勿論わかっていたが、それでもマネージャーとして、男の唯一の味方として、その立ち位置を変えることが出来ずにいた事に対し、葛藤がなかったとは言えない。
そう考えていた男のマネージャーにとって、このわずかな変化についても、それがまるで自分のことのように胸を熱くさせる要因となり得たのだ。
それは勿論当人達の努力によるところが大きいだろうが、もしかしたら目の前の青年も何かしら一役買っているのかもしれない。そう考え、本来ならばこの世界の常識として青年に、男に対して敬語を使うようにとたしなめる言葉も自然と口元へ戻る。
男の表情を見て嬉しそうに笑う青年もまた、男と同じようにある人物を思い浮かべていたのだろう。その人物の名前を出し、大きく一礼して見せる。
そうして離れていく後ろ姿を見て、男は言葉には出さなかったがわずかに口を動かした。
『ありがとう』と。