5
美緒との話はそれほど長くはなかった。
一輝が遊ばれていたのだと気づくと彼女は早々に弄ぶのをやめて事件の話を始めた。
事の始まりと顛末はもうすでに保健室に放り込んだ銀二に聞いていたそうで事実確認と複数の当事者からの意見で状況をより正確に把握するために一輝を呼んだそうだ。
一輝が校舎裏で起こったことを嘘偽りなく話すと美緒は分かったと一言だけ言い、退室しても良いと一輝に告げる。
立ち上がる一輝に美緒はちなみに、と前置きしつつ事件を起こした上級生と銀二の処遇を話してくれた。
上級生は皆、一週間の謹慎が言い渡されたそうだ。何でもこのようなことを影で何度も繰り返していた結果だそうだ。
銀二はというと嫌がるあいつを抱えてそのまま病院へ連行したという。たぶん銀二は病院よりも母親に連絡される事を嫌がったに違いない。近々、銀二の頭には拳骨が落ちてくるだろう。
まぁ、それに関しては自業自得なのかもしれない。
「じゃあ、ま……。失礼しました」
思わず、またねと言いかけて一輝はここが学校であることを思い出しすぐさま生徒の発言に言い直す。扉を閉める瞬間、堀川女史に睨まれたようにも見えたが俯いて気がついていない事にする。
「とりあえず、教室に戻るか……」
そんな事を呟きながら一輝が視線を廊下に向けるとそこには何やら慌てて柱に隠れようとしている一人の女子生徒がいた。
だが本人は隠れているつもりなのだろうが一輝から見れば後ろの半分ほど姿が見えていてうまく隠れているとはお世辞にもいえないお粗末さだった。
紺を基調としたブレザーと膝辺りまでのスカートというこの学校の制服を着ている少女。スカートから膝の裏が見えていることから少しだけスカートを短く履いている様だ。だが彼女のスラリとした美脚は黒のタイツによって隠されている。
(むしろタイツによって彼女の足がより艶やかに見えるのは一輝だけではないだろう。分かりやすく言えばかなりエロい)
長くて艶のある黒髪は腰の部分で白のリボンによって丁寧に結ばれており、それすらもばっちりと見えていた。
そんな彼女の後姿に一輝は覚えがあった。
いや、一輝だけではなくこの学校に通う生徒であれば誰もが彼女のことを知っているだろう。それはこの後姿がこの学校一の美少女のものだからだ。
「そんなところで何をしてるんだ、西宮?」
一輝の声に西宮と呼ばれた少女は肩をびくっとさせる。
だがそれでも出てくる様子はなかった。どうやらあれで本当に隠れているつもりらしい。
そう理解した一輝は思わず頬を緩ませつつ、足音を消して彼女の隠れている柱の向かい側に隠れることにした。その目的はもちろん彼女を驚かせるためだ。
そのため彼女にばれないように柱側に張り付くのではなく、壁際に張り付くのを忘れない。これで彼女が大きく覗き込まない限りはばれることはない。
そして息を殺してじっと待つ。一輝が近づいてこないことを不思議に思い、彼女が柱から顔を出すまで。
しばらくの間、廊下から音が消える。
「? 来ない……」
誰にも聞こえないほどの声で彼女は呟く。
談話室は生徒の声などの邪魔が入らないように職員室がある一階の、しかも突き当たりにあるので彼女の隠れている場所を必ず通らなければ帰れない。
(逆に言えば、職員室に用がある生徒以外近づかないとも言える)
いつまで経っても人が通る気配のない事に不思議に思った少女は恐る恐る柱から顔を出す。そして廊下を見ると先程までいた一輝がいなくなっていたのだ。
「なんで?」
「誰を探してるんだ?」
「っ!!!」
辛うじて声を出すことはなかったがいきなり真横から声を掛けられ驚いた彼女は跳び上がらんばかりに肩を震わせ、柱から飛び去る。
その姿を見てから一輝も柱から現れ、彼女に姿を見せた。
彼女の名前は西宮奏。
一輝と同じ二年生で一輝の隣のクラスにいるこの学校のアイドル的存在だ。だが、アイドルとは言っても彼女は歌って踊れる人気者というのとは違う。彼女を言い表すならば、それはこの言葉が一番しっくりと来るに違いない。
その言葉は高嶺の花だ。
この辺りの地主の娘であり一輝の通っている学校の理事長の孫でもある彼女。成績もよく、折り目正しく、窓際で儚げに本を読んでいるイメージが良く似合う。
そんな奏と一輝は本来交わることはないのだが二人にはある共通点があったのだ。
それは両者とも楽器を扱うことだった。
そのおかげで一輝には彼女のことを他の人たち以上に知っていた。
その一つとして彼女は決して可憐なだけの少女ではない事。その理由に彼女の整った顔の中で目だけがとても鋭いことがあげられる。
これは目つきが悪いわけでは決してない。一輝以外の人間から見れば皆が口をそろえて彼女は紅茶を片手にティータイムを楽しむ優雅な良家の令嬢だというのだ。
その証拠に誰もが彼女と接するとき、まるでガラスで出来たバラを愛でるように傷つかないように丁寧に接している。
眉目秀麗な奏に男子が告白したという事実を聞いたことがないことからもそれは分かり、彼女も周囲の見方を知っているのか周りに期待されている役を演じながら学校に通っている節がある。
だが一輝には奏の目が決して手弱女のそれではないことを知っている。彼女の目を間近で見たことのある一輝には彼女が鷹の化身のように見えるのだった。
……今の状況からはとてもそうは見えないが。
今の彼女は顔を真っ赤にさせながら肩で息をしており、目も少しばかり潤んでいるように見受けられる。
その姿は何処にでもいるただの女子高生のものだった。
いつもの教室でならば決してしないような彼女の表情に思わず、一輝は笑ってしまう。
そんな一輝を見た奏はむっと頬を膨らませ、抗議するのだった。
「……何がそんなにおかしい?」
棘のある攻撃的な言葉を聞きつつも一輝の笑いは止まらない。そして目に浮かんだ涙をぬぐいながら一輝は笑っていた理由を話し始めた。
「いや~悪い。ただ、いつもはすまし顔でお嬢様を演じている西宮があんなに驚いた顔をするなんて、思ってもみなかったから……」
一輝の言葉を最後まで黙って聞いていた奏の顔が再び真っ赤になる。そして赤い顔をしながら一輝をにらみつけるのだった。
だが、そこに本気の怒りは微塵も感じられない。
一輝はひとしきり笑った後、大きく息を吸い込み呼吸と気持ちを整える。 そして一番初めの質問に戻った。
「で、だ。どうしてお前がここにいるんだ? 成績優秀であり、教師も敬遠するほどの美人が職員室に来る用はないだろう?」
「そ、それは……」
真面目に聞く一輝に対し、奏は気まずそうに視線をそらす。
「もしかして俺を待っていてくれた、とか?」
「うねぼれないで! あなた如きのために、どうして私が大事な練習時間を削ってまでそんな事をしなければならないの?」
一輝の言葉に食いつくように反論する奏。
だが、そこにいるのはいつも周りに見せている優雅なお嬢様ではなく、顔を赤らめながら誤魔化す一人の少女だった。
そんな奏の姿を見て一輝は顔が少しばかりニヤつくのを感じながら、答える。
「はいはい。そう言うことにしておくよ」
「な! 何よ、その言い方は!」
こんな風に奏をからかいながら笑っていると廊下の向かい側から生徒と教師が歩いてくるのが見えた。彼らの足音で奏もそのことに気がついたのか、すぐさま模範生の殻を被りなおす。
「さようなら、西宮さん」
「さようなら、先生。よき週末を」
一輝の目の前で優雅に繰り広げられる挨拶。丁寧に立ち止まってお辞儀する教師の姿に一輝はとてつもない場違い感を味わう。
今、この瞬間は間違いなく名家の女子高の雰囲気だった。一般人の一輝にとって居心地の悪さを感じるほど空気が一変したのだ。
だがそれも教師達がドアの向こうに消えるまでだった。
ある意味緊張で張り詰めていた空気はドアが閉まる音と共に霧散し、一気に先程の心地よい緩さに戻っていた。
「こういうとこはさすがだな」
「何が?」
「いや……いい」
「そう。へんなの」
近くに置いていたカバンと楽器ケースを取りにいく奏。
先程の変わり身は彼女にとっては息をするほどたやすいものなのだろう。そのことに関して思わず口に出してしまった一輝だが、それ以上は言わなかった。
それは一輝にとっては今の姿が奏であり、奏も一輝といる間はお嬢様ではなく普通の女子高生でいたいということを知っていたからだ。
カバンを取ってきた奏は一輝に楽器ケースを見せながら問いかける。
「今日は一緒にやる?」
そんな問いに一輝は首を横に振って答えた。
「今日は紅葉さんに早く帰ってこいって言われてる。だから今日は楽器を持って来なかったんだ」
「そう……」
明らかに残念がっている奏の姿を見た一輝は仕方がないなっという様子で左手に巻いている腕時計に目をやる。
現在時刻は午後の四時を回ったところ。紅葉さんには五時には帰ってきてほしいといわれているが走れば家まで二十分ほどなので最低でも後三十分は時間に猶予がある。
「まぁ、後三十分くらいなら余裕があるから、また演奏聴いてやるよ」
「なら、早く行くわよ!」
「お、おい」
一輝がそう言うと奏は沈んでいた表情をぱあっと花が咲くように明るくさせ、一輝の手を引いて廊下を駆け出した。
目的地は屋上。
そこはいつも一輝と奏が練習に使っている場所だ。そこならば邪魔が入らないことを奏は知っているからだ。
2014.0419 改変。(文章をより読みやすくしました)