船上での追憶
5月。
爽やかな風が心地よい季節に太平洋を渡っている一隻の豪華客船があった。天気は快晴で波はいたって穏やか。まさに絶好のクルージング日和である。
そのため、甲板には様々な人がいた。性別、年齢、肌の色に至るまでバラバラの乗客たち。だが、ある一点に関して皆同じだった。それは誰もがこのクルージングを楽しんでいることだ。
……ただ一人を除いて。
その人物は後部デッキを図らずも一人で独占しており、進行方向とは真逆の方向をただ見つめていた。まるでその方角に後ろ髪を引かれているかのように。
小柄でありながらもしっかりと引き締まった身体を持つ東洋人。詰襟を着ていることから彼が学生であるということは分かる。
(このような客船にいることは不思議に思うのだが)
だがその詰襟も所々が破け、腹部には大穴と血が流れた後がある。それでも彼はその服を全く気にせず着続けていた。
やがて波の音と共に誰かが後部デッキに上がってくる音がする。だが、彼を見た途端その人は気まずそうに立ち去って行くのだった。
「はぁ……」
波の音以外聞こえなくなってから彼は一つため息をこぼす。
だがこのため息は別に人に避けられたからではないということだけは明確にしておこう。
このため息をこぼす前にすでに3度は今のようなことが起こっている。だが、今の彼にはそのことが寂しいと思う気持ちは微塵もなかった。
もともと一人になりたくてこの場所にいるのだ。むしろ、周りが気を使ってくれてありがたいとすら思っている。
では、何に関してかというとそれは今ここにいたるまでの道中に関してだった。
この時初めて彼は後悔というものをしたのかもしれない。
後悔には2つある。
自分の力で何とかできたかもしれないと後悔する事と、どうあがこうがどうしようもないことに後悔する事。
彼の場合は後者であった。ゆえに終わりのない思考の迷路に彷徨っているのかもしれない。そう自覚していても出られないのだからたちが悪いのだ。
そう思い彼はまたため息をこぼす。
「はぁ……」
「そうため息ばかり吐いていては幸せが逃げていきますよ、一輝様」
返ってくると思っていなかった返事に一輝と呼ばれた少年は後ろを振り返った。
するとカツン、カツンと速くもなく遅くもない一定のリズムを刻みながら階段を上がってくる少女が一人。遠目から見ても決して安くはないだろう事が分かる紺の侍従服に清潔そうな白のエプロン、所謂メイドの衣服を着た少女。
顔立ちは悪くなく、彼と同じ黒髪をツインテールにしてまとめている。
そんな少女が返事を返してきたようだ。
よく見るとその少女には見覚えがあった。ちょうど、1時間前くらいことだから忘れるはずもない。
「なんだ……お前か」
興味をなくした一輝は再び柵にもたれながら水平線を眺め始める。
「なんだ、とは随分な言い草ですね」
そんな事を言いながら、メイドは一輝と同じように柵にもたれかかり彼と同じほうを見た。
どちらとも話しかけることはなくただ波の音だけが響く。
しばらくして、唐突にメイドが呟く。
「後悔していますか?」
一輝はこの一言に対して返事をする気はなかった。だが気が付けば言葉を発していた。
「……当たり前だ」
「何をしても変わらないと知っていても?」
「それでも! それでも……やりようがあったはずだと思わずにはいられないんだ」
強い。心の奥底から搾り出すような強い嘆き。その思いにメイドは返せる言葉を見つけられなかった。
彼にもわかっているのだ。たとえ過去に戻っても結果は変わらないのだと。
それでももし、過去に、2週間前に帰れるのであるならば彼は有無を言わさず帰るだろう。たとえそこに残酷な結末が待っていたとしても。