2節 それは、終末を告げる獣
「……フィーネ!! あんたの名前は、フィーネよ!!」
名を連呼し喚き散らす口をすぐに塞がれるが、その行動が一歩遅かったと笹楽坂家の人間たちが気付いたのは、封印されていたはずの祠の扉が開いた後だった。
祠からは目に見えぬ波動が注連縄の結界を破いてこちらへ押し寄せ、私以外の人間を地面へと叩きつける。それらが死んでいると瞬時に理解出来るほど、彼らの骨格は歪んでいた。
「…………!!」
しかし私が目を奪われていたのは、死体などではない。あの小さな祠に収まっていたとは思えないほど、巨大な――。
“我が名はフィーネ。オメガを司りし笹楽坂茴の下僕、リヴァイアサンなり”
「リヴァイア……サン……」
それは、終末を告げるという伝説の獣だった。姿は、体長100メートルはある巨大な蛇。黄色く濁った眼球には陰鬱な輝きが宿り、鋼鉄の尻尾は、それ単体だけで岩を破壊する威力を持ち合わせている。
“どうだ、茴。本来の姿に戻った感想は”
「え……」
フィーネは祠に祭ってあった鏡を私に差し出す。
「あ……ああああ!」
鏡に写る自分の姿は、まるで別人だった。白髪は艶やかな黒髪へ、骨と皮だけの肉体は健康的な肉付きへ、そしてなによりも、誰の力を頼ることなく動くことの出来る力を得ていた。
「こ、これ誰?? 生まれ変わった……?」
“何度言わせれば気が済む。その姿が本来の貴様だ。狂信的にもオメガを排除してきた笹楽坂家に押し付けられていたのは、仮の姿よ”
「私……これが……」
フィーネの声も、確かに長年、自分に語り掛けていたものと同じである。
“ふむ。なかなかの見れる美人ではないか”
「そ、そうかしら」
“さぁ、これからどうする、我が主人よ。理不尽な理由から己をずっと閉じ込めていた笹楽坂家に復讐をするか?”
「復讐……??」
“当然、憎いであろう。皆殺しにしたいだろう”
「そんな」
違う。確かに、酷い家族だとは思う。でも、なにも殺す必要なんて……。
私はフィーネが出現すると同時に事切れた死体を改めて見る。死体は全部で4体ある。彼らは、ほんの一瞬のうちに命をフィーネに奪われたのだ。ならば、フィーネが全力を出せば、蓮華村など……。
“我に命じよ。我は茴の下僕だ、どんな命令にも応じるぞ”
相変わらず、フィーネの言葉は悪魔の囁きであった。
私は、オメガを司る者。そんな私を両親は不吉の予兆としてフィーネを引き剥がし、封印した。
(今なら、なんとなく、その理由がわかる気がする)
「……私……逃げる」
“なんだと?”
フィーネが、大きな眼球をぎょろりと動かして私を見下ろす。
“今、なんと言った?”
「逃げるって言ったのよ」
“貴様、正気か。憎くはないのか、やつらが!!”
「憎いわよ! でも、私が力を望んだのは復讐の為じゃない。自由になる為よ! あのまま朽ち果てるのが、たまらなく嫌だったから……!」
“茴!!”
「あんた、私の言うことには従うんでしょう? なら、命令よ。――蓮華村から逃がして」
フィーネの尻尾が地団駄を踏むように周囲の木々をなぎ倒していく。
山の麓が騒がしくなり、私を始末せんが為に大勢の村人たちが押し寄せようとしていた。だが、村人だけではない。それぞれに怪物のような生物を付き従え、こちらへ向かっているのだ。
「あれは……」
“シャドウ・コンダクターとそのシャドウだ。この蓮華村はな、隠れシャドウ・コンダクターの里なのだ。先程貴様を追ってきたような普通の人間とは思うなよ”
ならば、私のフィーネのように強い力を持っているのだ。更に、それが集団でだ。これは本格的な始末作戦。
「フィーネ、逃げるのよ!!」
おそらく、フィーネならシャドウ・コンダクターがいくら束になってかかって来ようが一網打尽にしたに違いない。でも、それでは本当に私は、この世界に終末を告げる不吉の悪魔となってしまう。
“臆病者めが……!”
フィーネは吐き捨てるように言うと、私の身体を長い尻尾で巻き付けて固定し、裏山の反対方向へと高速で降った
「逃げたぞ! おい急げ!」
暗い山道を下へ下へと降る。闇に慣れているとはいえ、底知れぬ不安を感じざるを得ない。だが今はそんなことどうでもいい。とにかく、逃げないと。逃げてからの予定も、後から考えればいい。
「きゃっ?!」
頬を何かが掠めた。ビリッとした痛みが走り、手で触れてみると生温い血が流れていた。
「いつの間に……きゃあ!!」
その攻撃の正体はすぐにわかった。葉だ。木の葉が鋭い刃となって私とフィーネに襲い掛かってきていた。私の柔い肉は勿論、フィーネの鋼鉄の皮さえも突き破るほどの鋭さだ。
“小癪な。これは葉を司る者の攻撃だな”
フィーネから殺気を感じる。私は慌てて声を張り上げた。
「ダメよ、殺したらダメ! 私たちが殺すべきのは影人なんでしょ? 人間を殺したら、ただの人殺しになっちゃう!」
フィーネは悔しそうに歯軋りをし、その身に無数の葉が突き刺さりながらも私を護り、山を降った。
空が明るみ始めた頃、なんとか蓮華村の追っ手を撒いた私たちは山間部にある小さな村を発見した。
「そうだわ、ここに逃げ込めば……」
だが巨大な蛇の姿を見ては、村人たちが騒ぎ出してしまう。私はフィーネを見上げ、痛々しい傷痕について謝り、そしてお礼を言った。
「ありがとう。ここからは私1人でなんとかするわ」
“出来るのか。ろくに世界に出たことのない者が”
「平気。だって、琴祢やあなたが世界についてたくさん教えてくれたもの」
家族は敵で、天涯孤独の身の上も同然の私には学ばねばならないことがたくさんある。まずは、人の輪に入ってコミュニケーションを計れるようにならねば。
“では、我はしばしの間、貴様の影に戻ろうか”
巨大な蛇は頭を私の足元へと着け、そのままスルスルと地面の中へ消えていった。その場所には、なんの変哲もないただの<黒い影>が出来上がっていた。これは本来、誰にでもあるもの。ただシャドウ・コンダクターのみ、この影を具現化させて自由に操れるのだ。
「……さて」
力を得た私には何からも逃げられる自信があった。この30メートルの高さがある崖から飛び降りてみても、片足で軽々と着地出来た。力を得たどころか、通常の人間の何倍もの身体能力を有しているようだ。私は人間の能力の限界、つまりリミッターを解除出来るらしい。
(シャドウ・コンダクターって凄い……。さっきの頬の傷も、もう綺麗に治ってるし)
私の存在に気付いた村人が、近付いてくる。私は深呼吸をし、なるべく怪しまれないように普通の人間を装った。
「あの、すみません。この村は、なんという名前なのです?」
「……青鹿村」
「そうなんですか。実は私、道に迷ってしまって……」
「来た」
「はい?」
見ると、村人のおじいさんは顔色が悪く、冷や汗を流していた。身体もガタガタと痙攣している。
「大丈夫ですか??」
「オメガ!!」
「!!」
今、なんて?
私はおじいさんの顔をもう一度よく見る。おじいさんは、怯えていたのだ。――私に。
「来た! オメガ! この村はもうお終いじゃ!!」
絶叫の如く叫び回るおじいさんに反応した村人たちが次々と集まってくる。それぞれの手には鍬や鍬などの農作業具を握りしめ、それの用途は嫌というほど瞬時に理解出来た。
(逃げなきゃ!!)
後方から襲ってきた村人の攻撃を避け、武器を奪い取る。すると村人たちは私に攻撃の意志があるものだと見做し、更に騒ぎ出しては一斉にこちらへ向けて突進してきた。
「な、なんでよ……」
“青鹿村は蓮華村の管理下にある。つまりアルファとオメガのことも当然の如く知っているだろう。さぁ茴。我が名を呼べ!”
「それは無理! だって、あんた、この人達を皆殺しにしちゃうつもりでしょ!!」
“当然のことを聞くな!”
「なら余計に名は呼べないわね!」
私は、再び逃げることを余儀無くされた。
青鹿村を走り抜け、山を登る。尽きることを知らない体力が私の足を前へ前へと突き動かす。
“茴”
「なによ!」
“本当に我の名を呼ばぬつもりか?”
「呼ばないわ! 自分の足で、逃げ切ってみせる!」
“そうか。では、これを授ける”
何も持ち物を持っていなかった私の右手には、いつの間にか長剣が握られていた。
「え?! な、なによコレ……!」
漆を塗った光沢のある鞘には、艶やかな紋様が刻まれている。試しに抜いてみると、刃には奇妙な横筋が無数に入っていた。
“それは変容剣フェルツァ。オメガを司る貴様にしか扱えぬ、専用の武器だ”
「でも、これでどうしろって……」
“追っ手が、迫っている”
足が、ピタリと動きを止める。自分の意志とは関係なく、瞳が周囲を見渡す。
(囲まれた……)
四方八方からピシピシと殺気を感じる。これは青鹿村の村人から感じた、乱暴な殺気などではない。洗練された、プロの殺気だ。数は6ほど。ただしシャドウも加えれば数は倍になる。
“それでも貴様は、我が名を呼ばぬのか”
悪魔の囁きは、いつまでも頭の中に木霊した。
「…………がはっ」
何度、血を吐いたことか。
何度、倒れたことか。
視界が霧がかかったかのようにぼやけ、今、自分がどこを歩いているのかすら分からない。
全身が痛い。至る所の肉が裂け、えぐられ、血が噴き出している。大怪我という言葉では済まされないほどの重傷。通常の人間ならばとうの昔に息絶えている。
しかし相変わらず諦めの悪い私は、逃げ続けた。
“シャドウ・コンダクターは確かに普通の人間に比べれば強い。だが万能の存在ではない。同じシャドウ・コンダクターに対抗する為には、レベルアップが必要だ。ましてや、生まれて初めて外の世界に出た貴様が、あんな数のシャドウ・コンダクターとまともに殺り合えるはずがなかったのだ”
影の声は、嘲り笑うように森の中に響き渡る。結局は我の力が必要なのだろう? と、高見の見物だ。
(うるさい……わよ。これでも私は、自分の身体でここまで動けていることが……嬉しいんだから)
蓮華村の追っ手からは、滝に飛び込んで死んだと見せかけて逃げる他、方法がなかった。おそらく、馬鹿正直に私が死んだと思ってるやつはいないだろう。だがあまりにも速い水の流れが、追っ手の視界から私の姿を消したのだ。
(やつらは、また、来る。私は、どこまで逃げたら……良いのかしら)
私の記憶は、そこで途切れている。