2節 変わり果てた故郷
茴の護衛2日目となった次の日は、思いもよらぬ提案が芳乃から提出された。
「えっ……学校に、通う?」
茴はなんと、叶里八に滞在している間、暮滝中高一貫校へ通いたいというのだ。
護衛の役割分担は、次のようになっている。
柊ゆうが暮滝へ通っている時間の護衛は、信楽伊織。
暮滝が終わった後の護衛は柊ゆう。
夜間、出歩く際の護衛は相模隆臣。
つまり信楽伊織も同じく暮滝へ通うこととなってしまったのだ。
「まさか22歳にして高校1年の授業を再び受けることになるなんてね」
伊織は愚痴りながらも、久々の高校生活を楽しんでいる様子だ。
茴と柊は学年が違う為、当然クラスも違い、校舎も違う。だからあまり顔を合わせることはなかったが、放課後になると伊織とバトンタッチするように柊が茴のクラスへ訪れていた。
しかしその日、茴は教室にいなかった。手洗いから戻ってきた伊織も驚き、2人で手分けして暮滝の敷地内を探すことになった。
「そんな、さっきまで教室にいたのに……」
「僕、外を見ますので伊織さんは校舎をお願いします」
「わかったわ」
まさか茴に攻撃を加えた輩に攫われたのか、など嫌な想像をしてしまうが、茴の姿は意外と呆気なく見つけられた。それは中等部の校舎と高等部の校舎の間、夕陽が入らない薄暗い場所だ。校舎の壁を背に、茴を取り囲むように立つ女子高生数名の姿がある。
(全く)
雰囲気からして、よくある光景だ。柊は呆れ、ツカツカと近付いてその輪に入り込む。
「茴さん、探しましたよ。さぁ帰りましょう」
手を差し出すと、茴は心底ホッとしたような表情で柊を見上げてくる。その表情はまるで迷子になっていた子供のようで、柊はハッと息を飲んだ。この子は何があろうとも必ず護ってあげないといけない――と何故だか強く感じた。
茴を取り囲んでいた女子高生たちは何かを言いたそうにしていたが、無言のまま地団駄を踏んでいる。
(あの先輩方には、後できつく言っておかないとな)
茴の手を引いて校庭に出ると、丁度伊織が高等部の校舎から飛び出してくるところだった。
「見つかった?! あー、良かったぁぁ。どこ行ってたのよ、心配したんだから!」
「ごめんなさい……」
伊織は茴の頭をぽんぽんと叩き、「今日は皆で帰りましょう」と言った。伊織はどうやら、茴の身に何が起きていたかを気付いていたようだ。
「要は嫉妬よぉ、単なる」
桔梗院家からの帰り道、伊織はそう言う。
「あの子、美人でしょ? 数少ない男子たちが、みーんな茴の虜になっちゃって。だから女子たちが怒っちゃう理由も分からなくもないのよね」
これからも大波乱の予感がする。今まで以上に護衛に力を入れないといけない、そんな矢先に柊の通信機が震えた。
「はい」
『ミューデンに動きあり。月の都が襲撃されている。ただちに迎撃軍日本支部第2班に加わり、月夜見市へ向かってください』
「えっ……」
『これはシャドウ・システム総帥からの絶対令です』
通信は一方的に切られ、柊は頭を抱えた。
“護衛の仕事と組織からの司令。どちらを優先するかは、考えるまでもなく明白ですわな”
影が言っていることは、1人の人間と1万人の人間、どちらを助けるかという質問内容と同等のものであった。
“総帥の絶対令に反することは、シャドウ・システムに反逆を企てる者として、処刑されまっせ”
「…………はぁ」
(確かに、あのミューデンから攻撃が仕掛けられたというのであれば、これは世界規模での災難となる……)
柊は荷物をまとめた後、そのまま桔梗院家に出向いた。
「そうですか、しばらく叶里八を離れると」
芳乃は残念そうに、しかし柊の事情も考慮していた。
「申し訳ありません、護衛の任を途中で投げることになってしまって」
「いいえ、構いません。茴がこの村へ来てから1週間。特に変わった出来事も無く、護衛を依頼したのも取り越し苦労かと思えるくらい平和な日々です。まだ信楽と相模もいますから、柊はその用事とやらをしっかりと全うしてきてください」
「ありがとうございます、芳乃様」
頭を下げ、部屋を出たところで柊は茴と出くわす。柊は、自分がしばらく叶里八を離れることを告げると、茴はとても寂しそうな目をした。
「大丈夫ですよ。信楽さんと相模さんのお二方は、年下の僕なんかよりもずっと頼りになります。それに、用事がどれくらいの日数を要するかわかりませんが、必ず戻ってきますので」
「……はい」
柊は茴にも頭を下げ、桔梗院家を出た。時間は20時。叶里八唯一の交通機関であるバスはすでに最終を過ぎている。こんな時間に田舎町から山を越えて市街地へ出るには、車が無いと不可能だ。だが柊は構わず、出立をする。
畦道を通り過ぎ、民家もなくなってきた場所にて、柊はやっと立ち止まる。そして俯き、何かをぼそりと呟いた。すると、暗くてわからないが、確かに柊の影が激しく揺れ動き、その中からむっくりとライオンの頭が顔を出した。ライオンの頭は狭い穴から這い出るように激しく動き、頭の次に現れた身体は山羊、背に生えたコンドルの翼、蛇に変容した尻尾を振り回し、闇夜に堂々たる出現を果たした。これは、体長3メートルの合成生物――キメラである。
“はぁ、ようやっと娑婆の空気が吸えましたわ”
そのおぞましい姿から発せられるのは、この地方にはない方言と間延びした声色。いつも柊に語りかけていた声の主だった。
柊はキメラの背に飛び乗り、合図を出す。
「アルイェン、目指すは月の都です。さっさと終わらせて叶里八へ帰りますよ」
“承知”
アルイェンと呼ばれたキメラはコンドルの翼を羽ばたかせ、夜空へ舞い上がる。柊は満開に咲き誇る桜を見下ろし、せめてあれが散ってしまう前に帰ろう、と目標を定めた。
柊ゆうが叶里八へ帰郷したのは、意外にも7日後という早さであった。しかし、この7日の間に故郷は血濡れた町へと変貌していた。
至る所に飛び散る血、転がる遺体、肉片、臓物。恐怖におののく町人たち。
この数日の間に、一体何があったというのか。柊は激しい目眩を感じながらも、道の隅で震えている町人に声を掛けた。
「近藤さん! 何があったのです?!」
「ひっ、い、命だけはっ、命だけはぁぁっ……!!」
近藤の黒目は左右に揺れ、柊ゆうが柊ゆうであるという認識が出来ていなかった。どうやら相当の恐怖と、この惨劇を引き起こした犯人を見たらしい。柊は下唇を噛み、他の無事な町人を探す。
“これは無差別殺人ですかいな。酷いですわ……”
さすがのアルイェンも声を震わせていた。
進むに連れて血と死体の量が増えてゆく。この狭い田舎町では、皆が皆、知り合いだった。
「あ……」
思わず足を止めてしまったのは、自宅へと続く道。一段と激しくなる心臓の鼓動を誤魔化すように、柊は自宅へ走った。
自宅には、首を狩り取られた母親の死体があった。いつものように夕食の準備をしている、その最中での出来事であったらしい。
「…………」
後に町役場にて発見することとなる父親の死体と併せて考えても、これは完全なる無差別殺人。
「…………」
“ゆう……様”
掛ける言葉が見つからない。アルイェンは口ごもり、それでも泣くこともせずに歩みを止めない柊を見守り続ける。
血と死体の量は、暮滝中高一貫校が一番多かった。正体不明の殺人鬼はどうやら、この学校での殺戮が目的であったらしい。
「柊……」
柊は虫の息となっていた信楽伊織を校庭にて発見する。
「伊織さん!!」
急いで伊織を抱き起こすが、腹部に受けた傷の状態を見て、もう助からないことが嫌というほど分かった。
「伊織さん、一体、何があったのです?! 誰が、こんなこと……」
しかし伊織の口から出た言葉は、またしても柊の頭を混乱させる。
「茴よ……あの子が、皆を、殺した」
頭を鈍器で思いきり殴られたように、その言葉が脳内で木霊して離れなかった。
「柊、桔梗院家の人々が危ない……私は、護衛として、何も出来なかったけど、あんたなら、まだ」
柊の腕の中で、伊織は息絶えた。
頭の整理がつかない。とにかく、桔梗院家に急がねば。柊は伊織の死体をゆっくりと寝かせ、弾かれるように坂道を下って桔梗院家へ向かった。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……信千代様! 芳乃様!」
かたく閉ざされた門を叩き、柊は町長とその妻の名を叫ぶ。この中が血濡れていないことを願って。
「……柊殿?」
閉ざされた門についている歩行者用の小さな扉が、僅かに開く。そこから、目だけを覗かせた家政婦が現れる。
「一恵さん! 信千代様と芳乃様はご無事なのですか?」
「……お入りください」
扉がゆっくりと開かれ、そこから見えた桔梗院家は7日前と変わらず、綺麗なままだった。柊は幾分気持ちを落ち着かせ、芳乃が待っているという部屋へ走る。
「芳乃様、一体、この町で何が……!」
無事な芳乃の姿を見るなり開口一番、柊は尋ねた。茴によって行われたという惨殺、逸る気持ちを押し殺す柊ゆうを前に、芳乃は非常に落ち着いた様子で話し始める。
「……惨殺が行われる前の晩、茴は私のところへ挨拶に来ました。『今までお世話になりました。本当に感謝しています。だから、これから私がする行いは、村の皆さんに対するほんの少しばかりのお礼だと、受け取ってもらえれば幸いです』と」
「お礼??」
「茴は出掛ける前に私に言いました。門をかたく閉じ、全てが終わるまでは決して開けてはいけないと」
整理のつかない頭では、混乱する一方だ。
「それで……茴さんは今、どこに」
「屋敷には戻ってきていません。町のどこにもいないとなると……」
「逃亡した、と」
柊は立ち上がり、無言のまま部屋を出る。
「待ちなさい、柊! あの子を……茴をっ……」
芳乃の言葉を遮り、ピシャリと引き戸を閉めて素早く屋敷を出る。陽が傾き始め、逢魔が時に差し掛かっていることを全身に感じる。
“せっかく月の都を守ったってゆうのに、自分の故郷がこんな有り様やなんて、神さんも無慈悲なもんですなぁ”
愚痴とも追悼とも取れるアルイェンの言葉を聞き流しながら、柊は走った。