4節 絶対の神という名を持つ者
桔梗院家に戻った茴は、自室に引きこもって影を問い詰めた。
「あのお墓に眠ってる人たち、あんたは知ってるわね?」
あらかじめ答えをわかっていて、半分は確認を取る為にした質問であったが、フィーネから返ってきた答えは意外なものであった。
“知らん”
「嘘おっしゃい。ゆうは言ってたわ。シャドウ・コンダクターは死んでも、シャドウは滅びずに次のシャドウ・コンダクターの元に仕えるって! あんたの以前の主人の中に、あのお墓の人は存在するはずよ」
“だから、知らんもんは知らん”
頑なに知らないを突き通すシャドウに対し、茴「ふーん」と白々しい声を出す。
“……何を考えている”
目を瞑り、瞑想をするかの如く静かになる茴に、フィーネは嫌な予感を覚える。
“まさか。やめろ! 自ら能力を低く設定するなど、愚の骨頂だぞ!”
騒ぎ出す影を無視し、茴は両手を広げてニヤリと笑う。
「……さ、出てらっしゃいな、フィーネちゃん」
茴がその名を呼ぶと、黒い影がぐにゃりとうねり、その中から体長30センチほどの小さな動物が顔を出す。大きな耳とクリクリとした目がなんとも愛らしいく、ふわふわとした毛並みはずっと触っていたくなる。
“やっと我を召喚したかと思えば……なんだこの姿は!! 我は終末を告げしリヴァイアサンであるぞ!!”
「違うわよ。今はフェネック。イヌ科の小さな可愛い子よ」
小さな身体を震わして怒鳴るフィーネは、可愛いの一言。これは、ゆうに教わったシャドウの姿を自由自在に変化させるという、イマジネーションを実践した結果だ。だが、フィーネは明らかな悪意を茴から感じていた。
「さぁ答えて。あの墓の主は誰?」
愛らしいフェネックの姿にされたフィーネは小さな溜め息を吐く。
“確かに、我は今まで幾人もの主人に仕えてきた。だが、あの墓の主は知らぬ”
「本当なの?」
“嘘など言う必要は無い。どうしても知りたいなら、アルファに聞いてみよ”
「はぁ? アルファって」
“幸い、近くに来ているようだ”
背筋がゾワッとなる感覚を覚え、茴は窓を開けて外を見てみた。
「……わからない」
“我は感じる。我がこの世に誕生した時から、アルファの存在は感じている。それが今、近くに”
フィーネはその小さな身体を利用して茴の肩に飛び乗る。
“どうする?”
「…………」
茴は静かに窓を閉めると、部屋を出る。
「……ゆう?」
訪ねた先は柊ゆうの部屋だ。しかし中は暗く、ゆうの姿はなかった。
(出掛けてるの? こんな時間に……)
“柊はおそらく組織関係の仕事に出向いておるのだろう”
(そっか。忙しいわよね)
閉めた襖に額を付けてしばし目を瞑っていた茴は、頭を垂れた姿勢のまま暗い廊下を進む。行く先は玄関だ。
「アルファ……いえ、私の兄はどこ?」
月が輝く夜。夜道を出歩く者などいない田舎町に、フィーネの声が響く。
“住宅地からだいぶ離れているな。おそらく、あの山道の奥から我々を監視している”
笹楽坂家には、いよいよ茴の居場所がバレてしまったらしい。また大量の追っ手が来るのかと思えば、差し向けられたのは兄であった。
(アルファを司る双子の兄であり、一度も会ったことの無い人……)
希望に満ちた存在として、温かく育てられたであろう人。別に憎しみの気持ちがあるわけではない。ただ、自分と真逆の人生を送ってきた兄とは、どんな人なのかが気になったのだ。
茴は住宅地を抜け、暗い山道へと足を踏み入れる。
“柊に一言断らなくていいのか。やつと貴様は、護衛契約を結んでおるのだろう”
(断るどころか、一緒に来てもらおうと思ったわよ。でも、組織のお仕事の邪魔は出来ないわ)
茴は自分でも知らず知らずのうちにフィーネを胸の中に抱き締めていた。フィーネは嘲笑うように、“そんなに怖いならリヴァイアサンに戻せ。恐怖など吹き飛ばしてくれよう”と言うが、茴にその気は無かったようだ。
黙々と山道を進み、叶里八からだいぶ離れた頃、出迎えの者が現れる。
“オメガですね”
茴とフィーネの前に現れたのは、3歳くらいの小さな子供の姿をしたシャドウであった。
「え……。あ、あなた、アルファ……??」
“はい。アルファを司る者の下僕です”
茴は唖然とし、両腕からフィーネを解放する。フィーネは茴の身体をちょこちょこと駆け上り、再び肩の上に鎮座した。
“こちらへ。我が主人がお待ちです”
3歳児らしい、よたよたとした危なっかしい足取りのシャドウを見て、茴は拍子抜けしていた。
(なぁんだ。フィーネ、今のあんたと大して変わらないじゃない)
“……油断するな”
それから300メートルくらいを歩いただろうか。しかしアルファのシャドウのよたよたとしたスピードでは、辿り着くのにかなりの時間を要した。茴は更に拍子抜けする。
“連れて参りました”
子供が足を止め、暗闇を見上げる。そこには大きな木があり、幾つかある枝の上に、その人物は腰掛けていた。
「……ご苦労様」
木の上から降ってくる声に、聞き覚えはなかった。当たり前だ。兄の声は、聞いたことがないのだから。
「よっ、と」
枝から飛び降りる男性の元へ、シャドウがよたよたと駆け寄る。まるで父親の元へ戻る子供のようだ。
(あ……)
そして見た。こちらに向けて顔をあげた、アルファの顔を。
(私……だ)
双子だとは聞いていた。まさか、こんなに似ていたなんて。
「初めまして、になるのかな。俺は笹楽坂泪だ」
「……初めまして……私は、笹楽坂……茴、です」
身長は170センチくらい。漆黒の髪に茴と瓜二つの顔。ヒントを与えられなくとも、あの男性が茴の兄であることがわかる。
(この人が、闇の存在である私と対をなす、光の存在……)
今は月明かりしかない暗闇なのに、泪がとても輝いて見えた。
「茴、綺麗だな。笹楽坂の屋敷にいた頃は、それはそれは骨と皮だけ餓鬼みたいだと父さんから聞いていたが、本来の力を取り戻すと、こうも変わるもんなんだな」
「…………」
泪は右足に纏わりつくシャドウをあやすように抱きかかえる。
「そっちがオメガの下僕が……巨大な蛇だと聞いていたけど、なんだ、すごく可愛いじゃないか」
フィーネは怒りに震えていたが、その姿が更に可愛くなっていたことに茴は敢えて黙っていた。
「ま、イマジネーションで姿を変えてるのだろうが……茴、お前、油断してるだろ」
「え?」
泪は抱えていた子供を空高くに放り投げると、目を閉じた。
放り投げられた子供はそのまま地面に落下するかと思われたが、大きくどっしりとした身体に変化し、地鳴りが発生するくらいの重さで着地していた。
「――――」
空いた口が、塞がらない。小さな子供だと思っていた泪のシャドウは、今や<巨大な人間>となっていた。
頭には月桂冠、顔には立派な髭をたくわえ、身体はプラチナの輝きを放つ鎧で覆い、右手には巨大なトライデントを構えたそれは――。
「紹介しよう。こいつは全能たる神――ゼウスだ。アルファを司る俺の、絶対なるシャドウ」
それが、アルファとしての能力に見合った姿らしい。
(イマジネーションで姿を変えていたのね――!)
額からは、一気に冷や汗が吹き出る。逃げようにも、足が硬直して動かない。怖い。
「誤解しないでくれ。別に茴を殺しに来たわけじゃないんだ」
“では何をしに来たという!?”
硬直して声すら出すことが叶わない茴に代わって、小さなフェネックが吠える。
「交渉をしに来た。我が可愛い妹に、軍門に下ってもらおうと思ってね」
泪は腰に手をあて、茴を見下ろす。
「良いか? 茴。オメガは大変危険な能力なんだ。自分でも分かってると思うけど、世界を破滅させてしまうほどの力がある。その能力を自分でコントロール出来るか? 今だって、震えを堪えるだけで精一杯のお前に、オメガを操れるか?」
「…………!!」
「父さんだって、なにも好き好んで茴を軟禁したんじゃない。そうしないと、世界が破滅してしまうからだ。父さんはシャドウ・コンダクターとして、世界の為にした行いに過ぎない。始まりと終わりを司る俺たち双子は、根本的に存在意義が違うんだよ」
“戯れ言を! 我が主人に、またあの監獄のような生活に戻れと言うか! 穢らわしいと蔑まれ、厄介者と呪われ、存在する意味すら分からなくなるあの生活に!!”
フィーネの怒声を涼しい顔で受け流し、泪は非情なる言葉を吐き捨てる。
「――それも、世界の為なら、仕方がない」
世界の、為。
茴は茫然自失としている。
「ショックだわ……」
「うん。自分の存在が如何に恐ろしいかを知らされて、ショックを感じないやつはいないよ。可哀想な妹」
「違う」
「?」
茴はフィーネをギュッと抱き締め、泪とゼウスを睨みつける。
「あんたが! 兄さんが、私の想像通りの傲慢なやつだったからショックだったのよ!!」
茴は身を翻し、来た道を戻る。
「心配しなくとも、オメガの能力は微塵も行使しないつもりよ! だから……もう二度と来ないで!」
「二度と? そりゃ来ないよ。何故なら」
月明かりが隠れる。何事と空を見上げた茴の視界に、ゼウスの手の平があった。
「来る必要が無いからな。……ゼウス、物分かりの悪い妹を殺さぬ程度に捕まえろ。連れ帰るぞ」
巨大なトライデントが山道に突き刺さる。それを身を翻して避けた茴は、目を見開いて泪を見る。
「甘いなぁ、茴は。世間に疎いやつは、馬鹿を見るぞ」
泪は呆れ気味に溜め息を吐き、ゼウスに指示を出す。
ゼウスの攻撃の影響により木が次々と倒れる。逃げる先、逃げる先に木が倒れ、ついに茴は崖から転げ落ちてしまう。
「いっつ――……」
頭から落ちてしまい、ドクドクと流れる血が正常な判断を茴から奪い去る。
“茴! 我を早くリヴァイアサンに戻せ! このままでは能力が発揮出来ないどころか――殺されてしまうぞ!!”
ずん、と地鳴りと共にゼウスが崖から飛び降りてくる。こんな圧倒的な力差では平伏するしかない。だが、フィーネをリヴァイアサンにすれば互角にやり合えるかもしれない。
(それでも)
茴は立ち上がり、フィーネを抱えて背後へ飛び退く。
「私は悪魔じゃないの! 世界を破滅なんて、させないわ!!」
頭がクラクラする。飛び退いた先には、待ち構えていたように泪の姿があった。自分と同じ顔がこちらへ手を伸ばし、冷酷な笑みを浮かべている。
(ああ、やっぱり、正常な判断が出来てないわね――)
捕らえられ、あの生活に逆戻り。でも、世界を破滅させる悪魔になるよりはマシなんじゃないかと、どこかで諦めている自分がいた。
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