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影操師 ―始まりと終わりの物語―  作者: 伯灼ろこ
第三章 アルファを司る者
10/23

 1節 痛みの大きさ

「アルファ様。お食事の時間です」

 そう言われる度に、少年はイライラしながら訂正を繰り返してきた。

「俺は泪だ! 笹楽坂泪。司ってる属性で呼ぶな」

「いえ。アルファは尊称でございますゆえ」

 しかし訂正はいつも軽く流され、結局アルファと呼ばれるまま変わらないのだった。

(妹が脱走して早2週間、か)

 笹楽坂泪の妹である笹楽坂茴が16年もの間軟禁されていた部屋を覗いてみたことがあるが、それはそれは劣悪な環境であった。

――人間が生きる場所じゃない。

 それが率直な感想だ。

(けど、肝心の妹は見たことがないな)

 双子、らしい。だから自分と似たような顔をしているのだろう。だが、父親からは「骨と皮の化け物」と感想を言われたことがある。よくもまぁ自分の娘を化け物呼ばわり出来るなと、しかもその化け物にしたのはお前だろと思っていたが、口には出せなかった。

「アルファ様ぁっ」

 息抜きに笹楽坂の屋敷から出た時、村の子どもたちが泪の元へ走り寄ってきた。

「ん? どうした、今日は何をして遊んでほしいんだ?」

「お花がね、枯れちゃったの」

「花ぁ? ちゃんと水あげてたか?」

 子どもは首を振る。

「そりゃ枯れて当然だ。これを自業自得っていうの」

 しかし今にも泣きそうな子どもを見て、泪はヤレヤレと肩を竦めた。

「お前らなー、俺の力は貴重なんだからな。無駄遣いさせんなよ」

 泪は枯れた花のところへ行き、手を掲げて目を瞑った。数秒後、子どもたちから歓声が上がる。枯れていたはずの花は見事に生まれ変わり、瑞々しい葉と美しい花びらを咲かせていた。

「ありがとー、アルファ様! アルファ様は神様みたい」

 喜ぶ子どもたちに対し、アルファは「今度はちゃんと水をやれよ」と言ってその場を離れた。

(神……な)

 笹楽坂泪はアルファを司るシャドウ・コンダクターだ。アルファとはつまり、始まり。死したものを復活させるのは勿論、何もないところから生命を育むことも出来る。それはまさに神に等しい能力。呪われしオメガとして蔑まれてきた妹に対し、自分がまるで崇められるように育てられてきたのは、この能力のお陰といえよう。

(でも、どうにも解せない)

 この能力は、自然の摂理を乱しているのではないか。自然に生まれ、自然に死していくものに手を加えるのは、果たして正しいことなのか。

(摂理を乱す俺の能力は、茴同様に蔑まれるべきものなのでは)

「泪」

 その頃、泪は父親に任務というものを任されることになる。


  *


 柊ゆうのシャドウ、キメラのアルイェンの背に2人で跨り、叶里八へ戻ったのはその日の正午のことである。

「茴さんはしばらくの間、物陰に隠れていて下さい。僕が町人の記憶操作を行いますので。同時に組織の遺体処理班を呼んで掃除をします――」

「う、うん」

 柊ゆうはこのような事態に対して、かなり手慣れた様子だった。

(柊くん、本当に組織の人なんだ)

 ただの田舎の少年コンダクターなどではなかった。

 叶里八の人々から殺戮に関する記憶を消し、また不自然にいなくなった人間への疑問も抱かせない。組織の抜かりのない<後始末>が始まる。

 茴は小高い丘に生える大木の影から、血濡れた叶里八を見下ろす。昨日の記憶は鮮やかに蘇り、この手には未だ殺戮の感触も残っている。

 叶里八の入口に立つ柊は、胸ポケットから取り出した小型の機械を耳に当ててどこかに通信をしている。通信先はおそらく組織だろう。しかし、柊は自分の視界に入った人物を確認するなり驚き、通信機を地面に落としていた。

「柊くん?」

 茴は木陰から飛び出し、柊に近寄ってその視線の先を見る。その先には、大量に転がった空き瓶。空き瓶に囲まれるようにして、1人の少年がこちらを睨みつけていた。

「だ、誰……?」

 長い前髪をセンターで分けた、鋭い切れ長目が特徴的だ。歳の頃は茴と同じか少し上。どこかの学校の制服を着用していた。

「七叉さん……どうして、ここに」

 柊はその切れ長目の少年を知っているようだった。

「親父から連絡があった。なんでも、護衛を任されていたはずの少女が殺人鬼となって叶里八を襲ってるから、絶対に帰って来るなと」

 そこの女か、と少年は顎をしゃくって茴を見る。茴は柊の後ろに隠れ、七叉と呼ばれた少年を警戒する。

「大変だったんだぞ。残った叶里八の人々の記憶操作は――」

 しかし、次に吐かれた言葉を聞き、茴は思わず「えっ」と声を上げていた。茴の視線は七叉の周囲に散らばる空き瓶へと注がれ、次に騒がしくなった空へと移動する。青く澄み渡った田舎の空には、様々な姿のシャドウが飛行していた。それに跨っているのは組織の人間。どうやら、柊が言っていた遺体処理班のようだ。

(ということは、この七叉という人も、シャドウ・システムの――)

「迅速な対応、ありがとうございます」

 柊は七叉に対して頭を下げる。

「ああ。お前が叶里八を放ったらかして女を追い掛けている間に、対応させてもらったよ」

 かなり皮肉った言い方に、さすがの柊もたじたじとしている。

「しかし久々の帰郷がまさかこんな形になるとはな……」

 七叉は、変わり果てた故郷を見て、溜め息を吐いていた。

「この方は相模七叉さがみかずささんといって、組織における僕の先輩です」

 柊は苦笑いを浮かべながら、茴に耳打ちをした。

「相模って……」

「ええ。護衛の家系の1人、相模隆臣さんの息子さんです」

「そうだったの……」

 その相模隆臣は自分の息子の手によって記憶操作を施され、茴がした行いは綺麗さっぱりに忘れていた。

「さて、暮滝へ行こうか。お前らからは聞きたいことがあるし、俺からも話さねばならないことがある」

 茴は、この相模七叉に対しても謝らなければならないと考えていたが、暮滝にて、その必要は無いと七叉に一蹴りされる。

「どうして相模さんも、柊くんと同じことを言うんですか……」

(早く望見を始末していれば、皆を殺す必要はなかったのに)

「そうだな……今回の事件に関して、敢えて悪者を1人あげるとするならば……」

 誰もいなくなった生徒会室にて、七叉は人差し指を柊ゆうに向ける。

「お前だ」

「?! な、なに言ってるの?! 柊くんが悪いわけないじゃないですか!」

 どっちかといえば、完全に被害者だ。今回のことは、全て柊ゆうが不在の間に起きた事象なのだから。

「叶里八パンデミック(大感染)――……感染源は、望見涼。柊、お前の友人だな?」

 柊は、静かに頷く。

「記憶操作を施す前に、人々から話を聞いてみた。どうやら、望見はお前に深く嫉妬をしていたようだ」

「嫉妬……ですか」

「一番仲の良い友達に、とても美人な彼女が出来てしまった、とな」

(え?)

「本当は護衛の為に女と共に行動をしていたのだろうが、それを理解した上でも望見の中に増幅しつつある嫉妬の念はおさまる気配がなかった」

「…………」

「美浜三郎の異変に気付き、始末してくれたはいいが――……近しい友人の異変には気付けなかったんだな。月の都の迎撃作戦に加わる前に望見をセカンドスペースに閉じ込めてさえいれば、叶里八パンデミックは引き起こされなかったというわけだ」

「…………」

「錬金の使い手、柊ゆう。今回の事件は完全なるお前のミスだ。始末書を書いとけよ」

「……はい」

 数枚の書類を七叉から渡された柊は、1人生徒会室に残って始末書の作成を始めた。

「あの……七叉、さん? 聞いてもいいですか」

 遺体処理班がせっせと作業を行っている傍らで、茴は相模七叉に尋ねる。

「ああ」

「柊くんが全ての原因なんて、納得出来ません。柊くんが叶里八を発つ頃、望見くんから甘ったるい臭いはしなかった。臭いは人間が影人化する僅かな時間に発生するものです。つまり、彼はまだ人間だった。いくら柊くんでも、影人化するかどうか分からない人間を始末なんて出来ないでしょう?」

 自分なりに推理し、茴は七叉に食ってかかる。だがシャドウ・コンダクターとして長く生きているであろう相模七叉にとっては取るに足らない疑問であり、呆気なく論破される。

「だからセカンドスペースに閉じ込めて影人化を防ぐ方法がある」

「さっきも言ってましたね。そのセカンドスペースって、何ですか」

「そんなことも知らないのか。まぁ覚醒したてのシャドウ・コンダクターならば仕方ないか……」

 七叉は木造の校舎の壁に背をつけ、説明を始めた。

「セカンドスペースとは、シャドウ・コンダクターのみが行き来を許される異空間だ。そこは時間という概念が無く、つまり影人化しかけている人間をセカンドスペースに閉じ込めれば、影人化への進行を止めることが出来るんだよ」

「影人化を……防げる」

「望見涼の件を例に挙げるならば、深い嫉妬というのは強い負の感情だ。影人化する可能性は十分にある。柊がそれにいち早く気付き、セカンドスペースへ閉じ込めて負の感情が消失するのを待っていれば――」

 七叉の無慈悲な正論は、茴の心を苦しめた。

「えーと、茴、だったか。あんたには感謝している。出来の悪い後輩の尻拭い、ご苦労だ。総帥に代わって俺が礼を言っておくよ」

 感謝。ここでも茴は自分が犯した罪に対し、正反対の言葉を述べられる。心は更に苦しくなり、もういっそのこと罵ってほしいとさえ思う。

「あ。そうそう……」

 後始末の協力へ向かおうとした七叉が、茴に振り返って尋ねる。

「そういえば茴は、何を司ってる?」

 その質問に、茴は意味深げに微笑んで答えた。

「終わり、です」

「そうか」

 七叉はふうん、と頷くと踵を返し、木造の階段をトントンと降りていった。

(フィーネ……どうして、私にセカンドスペースのことを教えてくれなかったの? 知っていれば)

“どちらにせよ、我々が望見に遭遇した時はもう手遅れだった。セカンドスペースの存在を知っていたとしても、無意味だったろう”

 組織の認識では、今回の事件の全責任は柊ゆうにあるということで片付いていた。

 茴は納得出来ないまま、桔梗院家の屋敷に顔を出した。その頃には組織の後始末は完了し、誰もいなくなってしまった町役場やその他叶里八を運営する上での重要なシステムは、組織から派遣されてきた人間が補填していた。

「おかえり、茴ちゃん。芳乃が生け花を見てほしいらしい。部屋へ行ってやってくれ」

 芳乃の夫であり、叶里八の町長桔梗院信千代が全ての記憶を忘れて茴に接している。あれだけ茴に対して恐怖の眼差しを向けていた家政婦の一恵も、何事もなかったかのように家事を行っている。

 第三者の記憶は、平和だったあの頃に戻ったのだ。

(私、この屋敷にいて良いのかしら……)

 芳乃に楽しそうに生け花の解説をされながらも、茴の頭からは柊ゆうのことが離れなかった。

 屋敷を飛び出し、再び暮滝へやってきた頃にはすでに陽が傾いていた。

「七叉さん! 柊くん……どこかしら」

「さぁ。始末書を提出した後は暮滝から離れた。自宅にでも戻ってるんじゃないのか」

「そう、ありがとうございます」

 柊家は、長く続く畦道を通り抜けたところにある。玄関は開いており、勿論ながら茴が始末した母親の遺体はすでに処理された後である。

 いつも3人の家族で賑わっていたであろう居間のテーブルに、柊ゆうがたった1人で腰掛けていた。

「…………」

 壁に掛けてあるカレンダーには、結婚記念日の文字やその他美浜三郎の引っ越し、叶里八の予定が事細かに書き込まれている。

 柊は茴の姿に気付くと、にっこりと微笑む。

「どうしました?」

「どうしましたって……その」

 叶里八の人口の約1割が減り、挙げ句両親が始末されたことを自分の責任だと裁きを下された柊。こんなやりきれないことはないだろう。なのに彼はいつもの如く笑顔で茴に応対する。

「両親は揃って旅行中、という設定を組織には定めて頂きました。ただし、永久に帰ることのない旅行ですが」

 自嘲気味に漏れる言葉。

「涼は確かに嫉妬深いやつではありましたが、まさか影人化するとは思いませんでした。自分の認識の甘さを痛感しています」

 夕刻。いつもならば、元調理師の柊の母親が夕食の支度をしている時間だ。開けられた窓からは美味しそうな香りが漂い、柊ゆうも父親も帰宅することを楽しみにしていたことだろう。

「茴さんには本当に感謝しています。僕は、この手で実の両親を殺さずに済んだのですから」

 今は、とても静かな家の中に、柊ゆうと茴しかいない。

(温かい家族を踏みにじったのが私)

 茴の心は、やはり自責の念が根強かった。いくら心の底から感謝されようが、正義の行いをしたと讃えられようが、現実、柊ゆうは両親を失ってしまったのだ。

「そうそう。僕を庇ってくれたんですってね。嬉しいです」

 柊は、相模七叉から茴に食ってかかられたことを聞いたらしい。その後、ふぅと小さく溜め息を吐き、頭を垂れる。

(…………)

 もう、見ていられない。

 茴は家を出ようと、玄関に振り返った。しかし、素早く伸びてきた柊の手が茴の腕を掴んで放さない。

「? 柊……く」

 柊は立ち上がると、茴の腕を引いてその身体ごと自らの両の腕の中に閉じ込めてしまった。

(????)

 何が起きたのか分からなくて、頭上に疑問符を並べる。しばらくして、柊の身体が僅かに震えていることが理解出来た。

「お願いです。僕を、1人にしないで下さい……」

 涙声。それは、柊が初めて見せる弱さであった。茴は、心の奥底から湧き上がる熱いものを感じ、柊の身体を抱き締め返した。

「柊くんっ」

「ごめんなさい。覚悟は、出来ていたはずなのに、実際に、誰もいない家に帰ってみると……どうにも、堪えられなくて」

 そりゃそうだ。彼はまだ、15歳なのである。それに赤子の頃より両親に冷たく扱われてきた自分に比べ、彼は温かく優しい両親を知っている。突然失うには、痛みの大きさが違いすぎる。

 柊はずるずると崩れ落ちるように座り込み、茴もそれに習う。

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