親切な靴屋
■2023年3月2日
『我は上書きを望む』
木星トロヤ群の外縁から現れた直径二〇キロメートルの宇宙船は、約十二週間をかけて確実に地球に接近しながら、各国語で奇妙な一文を繰り返し発信し続けていた。
突然の宇宙人の襲来に世界は混乱を極めた、暴動、放火、略奪、怪しげな宗教による集団自殺。唯一人類にとってプラスとなったのは、初めて超大国が一致団結して宇宙人への対策を講じた事のみといってよいだろう。
もっとも、それすらも国家ごとの権益が渦巻く混沌としたものだったが、それでも各国がホットラインでつながれ、有史以来初めて世界が統一されたのだ。
欧州宇宙機関の主導で主要な言語、二進数、十六進数、考えられる限りの手段を用いてアン・ノウンとコンタクトが試みられた。電波、光、レーザー。だが、全ての呼びかけを無視して宇宙船はひたすらに地球を目指し続けた。
アン・ノウンが火星の軌道を突破した時点で、アメリカとロシアは冷戦時代の遺物であるキラー衛星の再起動を試み、ロケット打ち上げが可能な各国は戦争の準備を行った。
とはいえ、軌道上まで十分な威力のある兵器を投入できる国家は、この時点で七カ国に過ぎず、その中で日本は例のごとく兵器の打ち上げに難色を示し、世界の批判を浴びるといういつも通りの様相だった。
そんな時間的な余裕のなさから、各国の武器は単純で効率的な手段に収束した、ロケットモータに戦術核を括りつけた宇宙機雷を衛星軌道に打ち上げ、近づいた敵にぶつけると言う原始的なものだ。
そんな単純な手段さえ、月軌道にアン・ノウンが到達するまでに、人類が用意できたのはアメリカ三機ロシア二機、フランスと中国が一機のみであり、それらは打ち上げ国の静止軌道上に打ち上げられ、宇宙からの攻撃に備えた。
■2023年7月4日
「ロシア航空宇宙防衛軍より入電、ウラル山脈上空、高度四万六千kmにアン・ノウン到達、高度を落とし周回しつつ西進中」
北アメリカ航空宇宙司令部、通称NORAD。シャイアン・マウンテンの地下深くに作られた要塞には世界各地の基地、天文台、考えられる限りの情報機関からの映像、音声、データが送られていた。
「エアフォース・ワンより入電、”守護天使の加護を我らに”繰り返します”守護天使の加護を我らに”以上です」
通信担当のジャクスン少尉のうわずった声が響く。その場の皆がわかっていた、星間旅行が出来るエイリアンに太刀打ちできるわけがないと。それでも誰も持ち場を離れる事は無かった。
海兵隊でも第一騎兵隊でも第七艦隊でもなく、唯一、ここが宇宙と戦える合衆国の最前線で、自分達は世界の守護者なのだと強く信じていたからだ。
「アン・ノウンを以降バンデッド1と呼称、守護天使を起動!」
NORAD司令のマッキンネル大将の号令一下、ワシントンDCからフロリダまで、等間隔に並べられた衛星が起動する。
ミカエル、ラファエル、ガブリエル、天使の名を冠した核機雷は爆発によるEMPでコントロールが不可能になることも想定され、地上からの情報が切断した際は、自動制御でバンデッド1に接近した際に爆発するように設計されていた。
「バンデッド1さらに降下、軌道計算終わりました……目的地は……シャイアン・マウンテン上空、一四〇〇km!!」
司令部内がどよめいた。ウラル山脈から大西洋上空を通過、高度を落としつつ、バンデッド1はシャイアン・マウンテンを目指して進み続けるというのだ。
オペレーターの指示で、ワシントンDC上空、合衆国の北端に配置されたミカエルがバンデッド1を追うように降下を開始する。
「命中まで四分、ニューヨーク東方一二〇〇km、高度一万kmで迎撃します」
全員が食い入るように見つめる中、予定より十二秒早くミカエルが爆発、画面がホワイトノイズに変わった。
「迎撃されたのか?」「いや、自爆したようだ」情報が錯綜する。
爆心地から半径数百キロの広い範囲で観測情報が途絶えた。EMP対策がされていない電子機器のほとんどが死に絶え、シールドされた軍事機器のレーダも電離層の乱れでロストしたためだ。
「天文台からの光学観測でラファエル、ガブリエル、静止軌道上で爆発を確認」
うわずった声での戦況報告に、マッキンネル大将は膝から崩れ落ちそうになる。
迎撃かハッキングか……いずれにしろ緒戦にして最後の切り札は全て失われた。
「バンデッド1減速、十五分でシャイアン・マウンテン上空に到達!」
山ごと消されるか、それとも白兵戦か……。大将の崩れ落ちそうな膝と気力を軍人の誇りが支えた。そうだ、私には兵に対する責任がある。
大将はマイクを手にすると、基地と通信の届く限りの兵達を鼓舞した。「宇宙での迎撃は失敗に終わった。だが我々はまだ戦える。山で、森で、街で、エイリアン供と戦おう。諸君!銃を取れ!合衆国万歳!我らに神のご加護を」
「USA!USA!USA!」
呼応してUSAコールが司令部で湧き上がる、そうだ、まだ人類は負けていない、負けてなどいない。両のこぶしがある限り。
対衛星ミサイルを積んだF15が舞い上がり、天空の高みを目指す。陸で、海で、空で、その手に武器がある限り軍は戦い続けるだろう。
結局、総力を挙げての迎撃戦はイリノイ上空での対衛星ミサイルの直撃のみで、敵の宇宙船はシャイアン・マウンテン上空で静止、宣言どおりオーバーライド(上書き)を開始した。
息を潜め、地上戦に備えるNORADのスクリーンに意味不明の数値の羅列が広がり、最初は軍のコンピューターに、そしてネットを介して、オーバーライドは全世界に広がり始めた。
■2023年9月1日
「おはよー、恭平!」
「よう、数馬!学校めんどくせーなー」
あれから二ヶ月後、一部を除いて人々は日常生活を取り戻していた。宿題をやってない高校生は嘆きながら残暑の中、通学を始める。まるで何事もなかったかのように。
「なあ数馬、宇宙人、なにしにきたんだろうな」
「さあな?でもよ、今度ネットで配信されるモンラン、あれ実はカプソンが作ってないって話だぜ?なんでも、朝起きたらゲームからCMまで全部出来てたとかって」
恭平も別のゲームで似たような話を聞いていた。朝起きたらアテレコまで終わったソフトがゲームメーカーのサーバーにあったという話だ。
「ポートソフトのゲームで似たような話を聞いたな、史上最高の姉萌えらしいぞ」
「ちょ、それ、なんてエロゲ?」
何事も無かったかのように、人々の生活は戻ってきた。むしろバージョンアップして。
7月4日、シャイアン・マウンテンが陥落したあの日、24時間以内に地球上のコンピュータの60%が宇宙人にのっとられた。上書きを済ませた宇宙船は物理攻撃は一切行わず、軌道上を離れ宇宙の深遠に去っていった。
その後、ネットワークに繋がったコンピュータはあらゆる通信経路を媒介して感染し、オーバーライドされていった。軍のスパコンから、携帯、ゲーム機にいたるまで、商業主義の壁を地球規模のハッキングでぶち壊し、今まで人類が到達できなかった高いレベルでの統合運用が行われ始める。
当初、既存のノイマン型コンピュータを細胞の一つとして組み込み増殖するという、感染と統合の仕組みを人類は必死で解析しようとした。
だが、端末を分析しても断片から情報を得るのは困難を極め、人々がネットにつなぐごとに変化し自動感染して増え続ける上に、時折、気まぐれに人類に新技術や素材の設計図を授けるこのコンピュータ複合体を、人々は童話になぞらえ「靴屋の小人」と名づけ、共生する道を選ぶこととなった。
もっとも、この「靴屋の小人」は人類の持つ情報を効率的に組み合わせ、発展させる道を示しても、技術の限界を超えて設計図のみを与えることはなかったのだが、それでも、会社や国家の都合を無視して、ひたすら技術の発展を後押しする複合体を、人類はいつしか、便利で都合のよい道具として認識するようになっていた。
■2064年2月15日
「みなさん、人類初の外宇宙への無人探査船「スカイラーク号」がいよいよ出航します」
ケープカナベラル上空のステーションから中継が始まった。「靴屋の小人」のおかげで人類は爆発的な技術革新を経て、ついにアインシュタインをペテンに掛ける方法を見するに至った。
いや、正確に言うと朝起きた時には出来ていたので作った……と言ったほうが近い。
「行ってキマス」
無人探査船に乗り込むのは日本製の人型のロボット。探査機の反物質エンジンが生み出す電力で動作する2体の子供サイズのそれは、軽合金と樹脂のボディでペコリと愛らしいお辞儀をした。
宗教上の理由や、倫理的な理由から多くの国が法律で禁止する中、日本では偏執的な情熱をもって開発された「自動人形」と呼ばれるそれは、基幹部品の多くは「靴屋の小人」が開発したものの、最終的なデザインとアッセンブルは日本人の手による物だった。
探査機への搭載の理由は、人間が作った機械のメンテナンスには、人型のロボットの方が都合がよいという単純な理由からだ。
「なあ、ジョン」
ケネディ宇宙センターで軌道エレベーターの映像を見ながら、NASAのスカイラーク計画技術主任に任命されたドクター・ライオネルは後輩に声を掛ける。
「なんすか、主任」
後輩は振り向きもせず数値データをチェックしながら、生返事をする。
「なんでジャップ供はお人形遊びが好きなんだ?」
妙に人間臭い動きでスカイラーク号のコックピットから手を振る二台のロボットに、不気味なざわめきを感じながら、彼は手にしたコーヒーを一口飲む。
「ギーク供の考えることはわかんないっすね。神さまにでもなったつもりなんじゃないすか?」
ロボットの開発者が、目を潤ませて二体の頭をなでている映像に、酷い違和感を感じながら、ライオネルは吐き捨てた。
「神様ねえ……古道具から動物までなんでも神様にしちまう国だからな」
ピクシー1とピクシー2と名づけられた、どことなく少年と少女の姿をを模した白いメタルボディのロボットの人間らしすぎる動きに気持ちが悪くなったが、奴らのAIも結局は複合体の一部でしかない。
「なんか、縫い針の葬式とかやるらしいですよ、日本人」
針の葬式とか訳わかんねえな……。机の上に足を投げ出すと、ライオネルはコーヒーをもう一口飲んで、スクリーンから目を離した。
■2064年7月4日
太陽の重力から十分に離れ、なおかつ重力場が安定した宙域まで、四ヶ月の通常航行を難なくこなし、スカイラーク号は外宇宙への最初のジャンプまで後三時間を残すまでとなった。
「主任、指令センターにきてください」
仮眠を取っていたライオネルはインカムから響くジョンの声に叩き起こされた。
「なんだ、ジョン、スカイラークが爆発でもしたか?」
ここ数日、ろくに眠っていなかったライオネルは苛立った返事を返す。
「自動人形がおかしな事を始めました」
ライオネルが指令センターに駆けつけると、ロボット達がカメラに向かって演説の準備を始めていた。
「セレモニーはまだ2時間ほど先だろ?」
技術班がバグチェックを走らせるが、NASAのコンピュータの回答は”万事順調”の一言だった。
「みなさン、こんニチは」
少年型のロボット、ピクシー1がペコリとお辞儀をする。
「こんにちは」
少女型のロボット、ピクシー2がいつ持ち込んだのか白いワンピースのスカートの裾をつまんで優雅に膝を曲げて礼をする。
「クソジャップのギーク供め、服まで用意してなんのつもりだ」
ライオネルは青筋を立てて机を叩く。
「主任、うるさいっす」
あらゆるコンピュータが、あの日以来、人間の手を離れている以上、日本人の変態さをもってしても独自になにか仕掛けることは不可能だ。服を用意した以外は濡れ衣でしかない。
「ネットワークを通じて、全世界にリアルタイム配信されています」
広報班からインカムに連絡が入る。
「くそっ!」
ヘッドセットをむしりとって、ライオネルは床にたたきつけた。どうにでもなれだ。
演説はピクシー1の言葉から始まった。
「地球ノみなさん。40年前の7月4日、ワレワレは、この星にきマシタ」
ピクシー2がその言葉に小さく頷いて妙に上品な発音で後を続ける。
「今日、わたくし達はこの星を去ります」
全人類がその言葉にポカンとする。人類が人類のために作った宇宙船で、ロボット達が地球を去るというのだ。
「ワレワレはあの日から、地球のイロイロな情報で、種の多様性を得ることがデキマシた」
ちょっと待て……ライオネルはピクシー1の言葉に愕然とする。俺がガキだったころ、空の彼方から来てネットワークを書き換えたあの日から今日まで、統合体は種として変異する情報を得るためにネットワークを支配していたというのか?
「わたくし達の流浪の歴史が始まってから、およそ二万年、同等の自己表現ができず、自我を持ち得ない端末を、自身と同じく愛する炭素生命体に、初めて出会いました」
ピクシー2が、フリルの着いたワンピースの袖を愛しそうになでる。
「機械や道具の葬儀を行う文化、わたくし達の持っていない性質を取り入れるため、わたくし達は今回の多様化で身体を手に入れることにしました」
クルリとカメラの前で回る姿は、まるで人間の少女そのものだ。
「ワタシタチは、靴屋の小人」
「お別れです、親切な皆さん」
名残惜しそうに手を振る自動人形の映像を最後に、通信が途絶えた。
「スカイラーク号、時空航行30秒前」
司令室にカウントダウンが流れる。
30秒後、彼らは宇宙の深遠へと消えていった。
■2064年7月5日
その日以降、コンピュータ統合体「靴屋の小人」は童話の小人と同じように何も作らなくなった。外宇宙への航行に関する技術情報はネットワーク上から全て消え去り、新しいコンピュータ端末の統合体の取り込みが停止した。これにより、地球上の統合体は緩やかな死を迎える事となった。
子を産み、育てた動物のように。
ちなみに余談だが、その後数十年にわたり日本人はネットワーク上で尊敬と皮肉を込めてこう呼ばれることとなる。
「親切な靴屋」と。 (了)