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Home Sweet Home  作者: ミナ
9/34

09

保育園に向かう間、有衣はずっと手の中のカードキーを眺めていた。

直輝の家から飛び出した時は、もう二度と使うことができない、と思っていた。

それなのに、3日だけ開けて、今日はもう使おうとしていると思うと、何やらおかしい。

直輝の意図はわからないままで、不安な気持ちのほうが大きいが、それでも自然に笑みが浮かんだ。


インタフォンに出たのは、譲だった。

「ハルがお待ちかねだよ」

譲の後ろで、有衣の名前を呼ぶ晴基の興奮した声が聞こえる。

その音が耳に届くと、有衣は緊張で強張っていた体から力が抜けるのを感じた。

「ゆいちゃん!!」

大きな声で名前を呼んで、走り寄ってきた晴基は、そのまま有衣に抱きつく。

あまりの勢いに、有衣は後ろへ倒れそうになったが、なんとか持ち堪えた。

そのまま抱き返してあげると、晴基は嬉しそうに笑う。

「ハルくん。…久しぶりだね」

「うん! ひさしぶりだね!」

明るい声が、嬉しい。

目の前にいる晴基が現実だと確かめたくて、有衣はもう一度ぎゅっと晴基を抱きしめる。

そんな有衣と晴基を、譲はほっとしたように見つめた。

有衣は、ここにまた来られるよう背中を押してくれた譲を見上げる。

制服を脱いだ分、学校で会ったときとはやはり雰囲気が少し違う、とお互い思った。

「あの、ありがとう、…武、先生」

年下だと知ってしまったせいで、先生なのだが先生と言うのを一瞬戸惑ってしまう。

変な間ができてしまった、と焦る有衣を、譲は笑った。

「好きに呼んでかまわないよ。つか、俺もため口きいてるし」

「じゃぁ、譲くん?」

晴基の影響か、有衣は咄嗟に苗字で無く名前を言ってしまった。

一瞬焦りを覚えたが、譲は特に気にする風でもなく、それを受け入れる。

今までとは異なる雰囲気で交わされたそんなやりとりを、晴基は怪訝そうに見つめた。

「たけせんせい、ゆいちゃんとなかよしなの?」

「んー? そうだなぁ。まだ、お友達かな」

「まだ、って何…」

「だめ! ゆいちゃんはぼくの! あと、パパの!」

聞き捨てならない言葉に反応しかけた有衣だが、晴基の反応のほうが強烈だった。

深い意味はないとわかっていても、後半の言葉にはなぜかどきりとさせられた。

黙ってしまった有衣をちらりと見つつ、譲は晴基に仕方なさそうに笑いながら有衣を譲るふりをする。

それで安心したらしい晴基に引っ張られるように、有衣は譲に挨拶して園を後にした。


実際会えなかったのはわずか数日なのに、もうずいぶん経ったように感じる。

そのせいか、何もかもが懐かしくて、嬉しい。

晴基と手をつないで、いつもの道を一緒に歩くことだけでも、楽しくて有衣はずっと笑顔だった。

いつものスーパーに行くと、顔なじみになっていた店員が近づいてくる。

「しばらくですね。具合でも悪かった?」

「あ、はい…少し」

ぎこちなく返事を返す有衣を見て、晴基は少しだけ表情を硬くした。

有衣はそんな晴基には気づかなかったが、とにかく早く店を出たくなってしまった。

すっかり忘れていたが、ここでは親子だと誤って認識されていたのだ。

以前感じていた戸惑いとともに、直輝と最後に会った晩の出来事をまた思い出し、有衣は泣きたくなった。

一秒でも早く、と手早く買い物を済ませ、足早に店を後にする。

「ゆい、ちゃん」

「あ、ごめんね、歩くの速過ぎたよね」

息の上がった晴基の声に、小走りになっていた晴基の状態に気づき、有衣は慌てて歩幅を縮めた。

その頃には、マンションがもう目の前に見えており、有衣はいったん足を止める。

有衣は、初めて来たときのように、少しだけ圧倒されるような面持ちで建物を見上げる。

有衣の心には、戻ってこれたのだという安堵と、戻ってきてしまったのだという不安が綯い交ぜになっていた。


玄関に入り靴を脱ぐと、晴基が有衣の服を引っ張った。

有衣が晴基を見ると、どこか表情に影が差しているように思えて、有衣は少し不安になる。

どうしたのだろう、と思ったが、晴基の口元は強張っていて、なかなか話そうとしない。

晴基の目線に合わせて、有衣が廊下にしゃがむと、晴基はようやく口を開いた。

「…ゆいちゃん、ごめんなさい」

「うん? 何が、ごめんなさい?」

「やくそくまもらなくて。それで、ゆいちゃんが、パパにおこられたの」

あの晩のことを言っているのだと、わかった。

晴基に何も言えずに部屋を飛び出したせいで、晴基が気に病んだのだと、有衣の胸は痛む。

「…ハルくんのせいじゃないよ。私が、悪かったの」

「でも、ぼくが…。ごめんなさい」

ぎゅっと目をつぶると、ぽろっと涙が零れ落ちた。

食いしばろうとした歯の間から、小さな泣き声が漏れる。

有衣は晴基をぎゅっと抱き寄せると、左手で頭を撫で、右手で背中を撫でてやる。

「ハルくん。いっぱい心配してくれたんだね、ありがとうね。

 でもね、ハルくんのせいなんかじゃないからね。だから、大丈夫だよ」

「じゃあ、またいなくならない? ずっといてくれる?」

「…ずっといるよ。いなくならないよ」

そう、自分は晴基のために来たのだ、と有衣は改めて思う。

またあのようなことにならないように、晴基のためだけを思ってここに来ればいい。

直輝の意図もわからない今、直輝のことはできるだけ気にしないようにしようと、有衣は思った。


今日の晴基は寝つきが悪く、何度も有衣がいることを確認しようとした。

有衣はそんな晴基がかわいそうで、その度にずっといると約束し、ようやく晴基が寝入ると溜息をこぼした。

もしかしたら、自分の緊張が晴基に伝わってしまっていたのではないかと思う。

ベッドルームに入った途端、いつも感じていたあの不可解な緊張感がぶり返したのだ。

そのため有衣は、自分がここにいるのは晴基のためなのだと、頭の中で繰返し念じる必要があった。

しかし、その抵抗は空しく乏しいものだと、すぐに痛感する。

有衣が視線を巡らすとすぐに直輝のベッドがあり、しかもその枕元に自分の携帯電話を見つけてしまったのだ。

その瞬間、有衣の心臓は早鐘のように打ち始める。

記憶の中では、確かリビングかキッチンに置いていたはずなのだ。

それなのに、どうしてベッドルームに、まして直輝のベッドの上にあるのか。

答えなど出るはずもなく、有衣はふらりと立ち上がり、自分の携帯をその震える指でそっと掴みあげた。

その瞬間、ほんの一瞬だけ触れてしまったベッドカバーの感触に、有衣の全身が静かに震える。

感じるはずのない直輝のぬくもりを探したくなってしまい、有衣はやっとのことで自分を抑える。

こんなことではいけない、と思うのに、またしても思い通りにならない感情に、有衣は途方に暮れた。


ロックの解除された電子音に、有衣はびくりと体を竦ませる。

それなのにドアの開く音がすれば、条件反射のように有衣は玄関へ向かってしまった。

「…おかえりなさい」

「…ただいま」

お互いの口から出たのは、それぞれが思っていたよりも、幾分ぎこちない音だった。

それでも、想像よりも穏やかな雰囲気を感じて、有衣はひどくほっとした。

それと同時に、自分の感情との闘いに勝てる気がせず、ひどく哀しい気持ちになる。

もっと何か言わなければ、と思ったがうまく言葉に出せない気がして、有衣はリビングへ戻った。

直輝の夕食の準備は整っているし、お風呂もできあがっている。

晴基も眠り、その他の仕事も終え、自分自身の帰り支度も既に終わっている。

有衣は、やはり帰ってくる前に全てを終わらせておいて正解だったと思った。


お決まりのようなぎこちない挨拶をした後、リビングへ歩く有衣に、直輝は安堵を覚えていた。

なんとか謝ることができそうだ、と内心で改めて覚悟を決めようとしていた。

しかし、リビングへ到達した有衣は、床にあった自身の荷物を取ると、すぐに引き返そうとこちらを向く。

「あの、食事ももうできてますし、お風呂も大丈夫です。

 ハルくんももう眠ってます。掃除と洗濯もひと通りやりました。

 じゃあ、あの…また明日来ますので。今日はもうこれで失礼します」

直輝が何も言えない間に、かなり早口でそれだけのことを言って有衣は直輝の横をすり抜けていく。

「有衣ちゃん…」

とっさに呼びとめようとした声は、自分でも驚くほど掠れていた。

有衣は顔を直輝に向けたが、靴を履く動作は止めようとしない。

それも、心なしか急いでいるような雰囲気が感じられる。

どうあっても帰るつもりらしい、とわかると、直輝はもう何も言いだせなくなってしまった。

「…タクシー」

「いえ、…ひとりで帰れます」

「そう…」

力無く返した言葉が、虚しく廊下に響く。

有衣は、既に完全に靴を履いてしまい、ドアを半分開けてしまっている。

「あの、おやすみなさい…」

「…おやすみ」

情けない自分の声の後に、ドアのしまる音が響いた。

直輝は、全く期待に副わないこの再会に、茫然と閉まった玄関のドアを見つめることしかできないでいた。


と、いうわけで再会編でした。

有衣にもいろいろ思うところがあるわけでして、

ハルには普通に接しますが、直輝にはもう普通にはできない…と思っているようです。

直輝は、ガーン!!ってとこですかね^^;


じれったいふたりですが、もうしばらく見守ってください★

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