04
夏休みも終わり学校が始まると、一日はものすごく忙しくなった。
朝から学校、終わると一度家に戻って制服を脱ぎ、晴基を迎えに行って、一緒にスーパーへ買い物に行く。
そして夜まで西岡家で過ごし、遅い時間に家に戻って、翌日もその繰り返し。
清香さんも心配するハードな生活だが、有衣は楽しんでいた。
むしろのめりこんでいる、と言ってもいいほどだ。
学校のない土曜日でさえ、家にいられず午前中から会社でそわそわしだすという筋金入り。
土日だけ清香さんの会社でバイトをしている幼馴染みのみどりにも、それを見られてしまった。
「あんまり深入りしないようにね」
そんなふうに釘を刺されるくらいには、呆れられている。
有衣の提案と直輝のお願いに、清香さんはあっさりうなずいた。
実は自分も昔有衣をひとりにしていたことを、かなり気にしてきたからだ。
有衣がそいう言うのなら、とすぐに了承したのを受け、直輝は何度も頭を下げた。
直輝は料金も上乗せすると言ったが、有衣があまりに固辞するので清香さんがやんわりと断った。
ただ、そのかわり、直輝は有衣に月曜日のまとめ買いをやめてほしいと注文した。
一番最初に会った時の、重い荷物を両手からぶら下げてふらついていた有衣を覚えていたからだ。
月曜日に一気に増える冷蔵庫の中身が、土曜日までにどんどん消えていくのは不思議な楽しみがあったが、
それでもあの重そうな姿を考えると、ずっと気の毒で仕方がなかった。
どうせ必要経費は直輝がすべて出すことになっているのだから、とそれだけ頼んだのだ。
一回一回買うと割高になると思ったが、あの重さから解放されるのは素直にありがたい、と有衣も了承した。
そんなわけで、今日も晴基と一緒にお買い物だ。
「ゆいちゃん、きょうは、なにかう?」
「今日はねぇ、かぼちゃが安売りなんだよ」
「かぼちゃ。ぼく、すき」
「ハルくん、チーズも好きだったよね?」
「うん。のびるの」
「じゃ、今日はかぼちゃのグラタンにしよう」
手をつないで店の入口まで歩き、カートに晴基を載せて中へ入った。
晴基と一緒にマンションの近くのスーパーに買い物に行くようになって早3週間。
自然と顔なじみになる店員も増えてくるわけで。
入ってすぐの場所にある野菜コーナーへ行くと、よく顔を合わせる店員が近づいてくる。
晴基をかわいがってくれて、よく晴基に声をかけてくれるのだ。
「いらっしゃい。今日のごはんは何かな」
「きょうは、かぼちゃのぐらたん!」
「そうかー。ママがお料理上手だといいねぇ」
「うん! なんでもつくれるの」
すっかり親子として認識されていることに、有衣はいつもながら戸惑いを感じる。
いいのだろうか、と思いつつも、晴基が嬉しそうに受け答えするので、つい何も言えずにいた。
店員が晴基と話をしてくれている間に、有衣は特売のかぼちゃと、ほうれんそうを手に取る。
カートに放り込むと、店員に挨拶してその場を離れた。
とりあえず、今日必要なものはこれだけだ、とレジへ向かおうとすると、晴基が手をぽんと叩く。
「ゆいちゃん、おかし」
「あ、そっか。今日は土曜だもんね」
嬉しそうにする晴基をかわいいと思いながら、お菓子のコーナーにカートを進める。
保育園のお友達から、買い物に行くたびに1つだけ好きなものを買ってもらえる、という話を聞いたらしい。
お願いされた有衣は、毎日はよくないかなと思い、月木土と間を開けながら買ってあげることにしたのだ。
といっても、晴基はいつも100円もしないものばかりを選ぶ。
また遠慮しているのかと思い聞いてみたが、そうではないという。
どうやら“母親に買ってもらえる”という気分を味わえればそれでいいらしい。
つまり、スーパーにいるときは、晴基が有衣に“ママになってほしいとき”なのだ。
だから有衣はいつでも、内心の戸惑いを晴基の前ではひた隠しにして買い物をした。
戸惑いの理由には別の面もある。
直輝が会社から帰った後、清香さんは意味ありげに有衣を見た。
「有衣もそんな年頃かぁ」
「…どんな年頃よ」
意味わかんないんですけど、と小さな声で付け足す。
「え~? わかんないならいいわよ」
軽く清香さんは言ったが、本当は有衣にも少しはわかっていた。
西岡家での仕事が楽しいのは、純粋に晴基だけを気にかけているからではないのだ。
それに加えて、夜の遅い時間帯に、直輝と過ごす時間がある。
直輝が帰ってきてから食事の用意をし、直輝が食べるのを見ながら他愛もない話をする。
その時間は、あたたかく、有衣の心にすうっと入り込んでくる。
そんな状態で、外で晴基の“ママ”を演じるのは、自分にとってよいこととは思えなかった。
みどりに言われたことと、ほぼ大差ないことを清香さんにも言われていた。
「ああいう人は、難しいところあるから。気をつけなさいね」
けれど、気をつけていてもいなくても、結局心の動きには既に抗えなくなっている気がした。
いつかカンチガイな行動に走ってしまいそうで、今の有衣は戸惑いと同時に少しの恐怖を抱えている。
物思いにふけりながら晴基の体の水滴をぬぐっていると、晴基がバスタオルから逃げ出した。
「あっ、こら! ハルくん!!」
追いかけると、きゃーきゃー言いながら晴基が走って逃げる。
お風呂に入れてあげた後、晴基と追いかけっこになるのはいつものことだ。
拭き終わらないうちに逃げるせいで、床にはぽたぽたと落ちた雫で道しるべができる。
ソファの上に行こうとした晴基を、寸でのところで抱きとめた。
「濡れたままソファはダメ! これ皮なんだから」
「かわってなに?」
「水に濡れちゃいけないもの。もうーダメだよ、ハルくん。ちゃんと拭いて服着なきゃ」
「はーい」
捕まればおとなしくなり、それからは逃げようとはしない。
晴基にとっておそらくゲームの一種なのだが、有衣はほとほと困っていた。
「床の濡れたところ、ハルくんが拭くんだよー」
「わかったー」
でも素直に言うことを聞く晴基には、思わず笑顔が浮かぶ。
ちょっとのわがままくらい、許してあげちゃう気になるのだから、晴基の威力は大きい。
今日は園で遊び疲れていたのか、いつもより早く眠気が襲っていたようだった。
ベッドに入って、晴基の手を握ってあげるとすぐに晴基が眠ったのを見て、有衣は満足げに息をついた。
かわいくて、あたたかくて、いとしい存在だ。
寝顔を見てなごんでいると、聞きなれた電子音とドアの開閉音が聞こえた。
晴基から手を離し、起きないことを確認してから、有衣は直輝を迎えに行った。
「おかえりなさい」
有衣の姿を認めた直輝は、やさしい笑みをこぼした。
「…ただいま。ハルはもう寝ちゃった?」
「はい。なんだか、遊び疲れちゃってたみたいです」
「そっか」
土曜日は、直輝の帰りが少しだけ早い。
だからいつもなら、晴基も有衣と一緒に直輝を出迎えるのだ。
直輝の少しだけ残念そうな顔を見て、有衣の心は痛んだ。
それをごまかすように、お風呂を促した。
ちょうどグラタンが焼きあがったころ、直輝がバスルームから戻ってきた。
その濡れた髪から雫が時折ぽたぽたと垂れているのが見えて、有衣はこっそり笑った。
晴基と同じだ、父子ってこんなところまで似るのか、と思ったのだ。
そんなことを思われているとは露知らず、直輝はキッチンに入り、冷蔵庫からビールを取りだす。
すると、冷蔵庫の中にジョッキが冷やされているのを見つけて、直輝は驚いた。
「…これ、有衣ちゃんが?」
「あ、今日は土曜日だから…飲むかなと、思って」
直輝の驚いたような顔が目に入り、有衣はなんとなくこそばゆい気分になった。
一緒に過ごしたこれまでで、土曜だけは直輝がビールを飲むことに気づいて、今日は準備してみたのだ。
気づいてもらえたことが、嬉しかった。
「お料理、運びますね」
なんだか恥ずかしさに居たたまれない気持ちになり、有衣は直輝のそばをすり抜けていく。
どこかふわふわした心地で、直輝はテーブルに着いた。
冷蔵庫の中のジョッキを目にした時に感じた何かが、まだじわじわと直輝の中に息づいていた。
そこに、どこかへ行ったと思った有衣が、タオルを手にして戻ってくる。
「あの、髪まだ濡れてます…」
タオルを差し出されて、直輝は自分の顔に熱が上るのがわかった。
週に一度、日曜日にだけお風呂に一緒に入る晴基のことを思い出した。
晴基も自分も、大してきちんと拭きもせずに歩きまわっている。
晴基を毎日のようにお風呂に入れている有衣には、きっと似ていると思われた、と思うと気恥ずかしかった。
タオルを掴むと、お互いの指先が一瞬触れた。
直輝は内心ぎくりとし、有衣も内心ぎょっとしたが、ふたりとも表には出さない。
ぎこちなく手が離れて、直輝はタオルで頭を覆った。
触れ合った指先が、熱かった。
これぞ、“疑似家族”な感じになってきました。
直輝よりも一足先に、有衣の中では恋愛感情が育ってきてる模様です。
ちなみに直輝はまだ無自覚。
しかもそのうえ臆病と鈍感のダブルパンチ^^;
どうなることやら、です。
さて、今回のかぼちゃグラタン。
普通のホワイトソースに、味噌をちょびっと入れるのがコツです。
具はかぼちゃと玉ねぎと彩りのためにほうれん草。
チーズはたっぷりめで、ばっちりです。




