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Home Sweet Home  作者: ミナ
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学園祭が終わると、学校行事も落ち着き、あとは冬期休業を待つのみだ。

有衣の学校は二期制のため、この後は1月末まで定期考査も無い。

日常に戻り、放課後も拘束されることが無くなったため、有衣はまた一度家に帰って着替える習慣に戻っている。

時間はかかるが、そのほうが荷物も減るし、気が楽だ。

直輝は制服でもいいと言ってくれたが、一度年齢を意識してしまった以上、有衣も好んでは着たいとは思わない。

あの入院した日に感じた視線のこともあり、直輝や晴基と一緒にいるときに、自然な組合せに見てもらいたいという気持ちがある。

そして何より直輝に、子どもだと思われたくない、という気持ちもあった。


お迎えに行く時間が以前のように早まったため、最近の晴基はずっとごきげんだ。

だいぶ寒くなってきたせいで、その姿はまるで防寒着に着られているようで、おかしくもありかわいくもある。

晴基は有衣の手を引っ張る勢いで、小さな歩幅を目いっぱい広げて一生懸命歩きながら、有衣を見上げた。

「ゆいちゃん、きょうは、ごはんなぁに?」

「今日はね、鶏もも肉が安売りなの。お野菜はお家にあるから、あとはお豆腐買って、今夜はお鍋かな」

「おなべ! あったかいね!」

「そうだね。お外寒いから、早くお買い物してお家帰ろうか」

「うん! はやくかえろぉー」

にこにこと見上げてくる晴基を、同じくにこにこと見返す。

“帰る”という言葉が、ものすごく温かく感じて、とても嬉しい気持ちになる。

いつものスーパーに寄り、馴染みの店員と少しだけ会話して、手早く買い物を済ませた。

ここで晴基と買い物をすることを考えても、制服は着たくない。

今はまだ店員の早まった誤解だけれど、いつか本物の親子になれたらいいのに、とやはり思う。

その“いつか”が、できるだけ早ければいいのに、なんて勝手に思っていたりする。


直輝が帰ってきたとき、今までと変わったことが一つだけある。

おかえりとただいまの挨拶をした後、直輝が軽くキスをしてくれるようになったことだ。

どうしてそうしてくれるようになったのかはわからないが、それはそれで嬉しいので何も聞かないでいる。

今日も今日とてキスを貰った有衣だが、夜も遅く冷え込んだ空気のせいか、直輝の唇はどこかひんやりとしていた。

「…冷たい」

「ん? あ、ごめん。外冷えてたからかな」

直輝は掌で確かめるように頬や唇をさすったが、冷えた掌ではよくわからない。

有衣はそんな直輝に早く温かくなってほしくて、バスルームに促した。

「お風呂、できてますよ。あったまってくださいね」

「ありがとう。夕飯は?」

「お鍋です」

「おっ、いいねぇ」

嬉しそうに言って、直輝はバスルームへ向かって行く。

その後ろ姿を見送って、なんだかちょっと夫婦っぽい、などと思い有衣はこっそりと笑った。


後片付けを終えて、ソファにふたりで掛けてゆったりと過ごす時間。

直輝は少し疲れているのか、有衣と手を繋いでいるものの、あまり口数は多くない。

それでも、ふたりの間にあるのは、重い沈黙ではなくて温かで穏やかな空気だ。

有衣は直輝にそっと寄りかかり、伝わる体温の心地好さに目を閉じていた。

急に繋いでいた手にぎゅっと力が入り、どうしたのかと有衣が目を開けると、直輝が少し真剣な顔で有衣を見つめている。

「今度の日曜日なんだけど」

デートの誘いか、と思った有衣は頭の中でスケジュール表を開いた。

既にみどりと買い物に行く約束をしていた、と思いだして有衣は慌てる。

「あ、ごめんなさい。みどりと約束しちゃってます」

「あぁ、うん。いいんだ、そうじゃなくて」

「じゃなくて?」

「その日、君のお母さんと会うことになったんだ」

「えっ、清香さんと?」

「前から挨拶に行こうと思ってたんだけど、やっとお互いの予定が調整ついたからね」

「そ、そうですか…」

直輝と清香がそんな連絡を取っていたことを、有衣は知らなかった。

挨拶って何を言うんだろう、と思うと、会うのは直輝と清香なのだが、有衣まで緊張する気がする。

「お母さんは、俺と君が付き合っていることを、知ってるよね」

「あ、あの…、付き合い始めた日に、速攻でバレました」

「…予想以上に早いなぁ」

「ごめんなさい。なんか、浮かれちゃって」

小さく謝った有衣を、直輝は優しい目で見て頭を撫でる。

「まぁ、謝ることじゃないよ。浮かれちゃってすぐバレるほど嬉しかったんだなぁ、と思うと俺も気分いいし」

軽く言って笑う直輝に、有衣は顔を真っ赤にさせて俯いた。

恥ずかしい。

直輝をものすごく好きだ、ということが丸わかりだ。

そんな有衣の様子に笑みを湛えつつ、直輝は少しだけ真剣なトーンで話す。

「それにどの道、君と俺の年のことだけ考えても、やっぱり親御さんに挨拶は必要だったし。

 この先もずっと真面目に付き合っていきたいと思ってるから、逆に知ってもらえてたことは良かったと思ってるよ」

さらりと聞こえた声の中に将来を匂わせる言葉を見つけて、有衣ははっと直輝を見上げた。

じわじわと心の中から拡がりだす歓びを抑えながら、その言葉を繰り返して尋ねる。

「…この先も、ずっと?」

「そう、この先もずっと。…って、俺は思ってるけど、君はどう思う?」

「私も、ずっと一緒に、いたいです」

「ありがとう。その気持ちを、君のお母さんにも伝えておきたいんだ。

 それで今日約束が取れたから、君にも言っておこうと思ったんだけど。…どうも、今からもう緊張してるみたいだ」

そう言って少しだけ苦笑する直輝を見て有衣は、今日直輝の口数が少なかったのはこれが理由だったのだと気づく。

真剣に、自分を想ってくれているということが伝わってくる気がして、嬉しくて有衣は微笑んだ。


いつものように、キスを落として有衣を見送った後、直輝は書斎へ向かった。

デスクの上には、有衣を傷つけたあの晩の翌日伏せてしまった写真立てが、今はきちんと飾られている。

その中には、まだ結婚したばかりのときに撮った、笑顔の直輝と唯が写っている。

愛と幸福に満ちていた。

ずっと傍にいるのは、唯だけだと思っていた。

だから、唯を亡くした時は、散々だった。

なんとかやってこれたのは、晴基がいてくれたおかげだ。

それでも心の奥深くは、凍りついてしまったように何かに動かされることが無くなった。

今、直輝が再び温かさや歓びや切なさや憤りといった内奥から生じる感情を抱けるのは、有衣のおかげだと知っている。

直輝を温かく包んでくれる、そして直輝が優しく包んであげたいと望む、唯一の存在なのだ。

「唯、ごめんな…」

届くわけのない声だとわかっていても、直輝はそう言わずにはいられなくなった。

慧は誰にも遠慮するなと言ったが、直輝自身ももう後戻りはできないが、唯の笑顔をこうして改めて見ると複雑な心境に陥らされる。

直輝は目を閉じて、波立つ気持ちを落ち着かせようとした。

確かに、唯を忘れることは決して無い。

だがそれでも、この先ずっと有衣と一緒にいたい、という気持ちに嘘偽りは無い。

有衣とその気持ちを確認し合い、有衣の母親に会いに行くことにした今、これまで以上にはっきりと整理を付けておきたかった。


しばらくしてようやく目を開けると、直輝は写真の横に置いてあった蓋の開いたままにしていた小さな箱を手に取る。

その中にふたつ並んでいるプラチナのリングは、唯との結婚指輪だった。

火葬の直前に、直輝が唯の薬指から外し、葬儀の終わった後に、自分の薬指から外した。

もうこれ以上傷をつけたくなくて、離れてしまったふたりの代りに寄り添わせていたくて、そっとケースに飾っていた。

幸せの象徴だったはずのそれは、見るたびに、直輝の心を雁字搦めにする存在に変わっていた。

けれど今は、少しの切なさだけを感じさせるものに、再び変化している。

だからこそ、これ以上の迷いは、無益だ。

右手のケースの指輪と、左手の小指に嵌っている指輪を見比べる。

もう、心に波紋は広がらない。

不思議なほど穏やかな思いで、直輝はケースの蓋を閉じる。

そして、デスクの引き出しを開け、その中にそっとケースを仕舞った。


暖房を付けていなかったせいで、書斎を後にする頃には体がすっかり冷えていた。

寝る前にもう一度入浴しようと思いながら廊下に出ると、床暖房の熱がじんわりと足裏に伝わる。

有衣が最初に来た頃は夏だったのに、季節はいつの間にか冬に差し掛かり、それに伴って直輝と有衣の関係も変わった。

過ぎた時が貴いもののように思えて、直輝はほほ笑みを浮かべた。


ちょっと、将来を意識したふたりです。

有衣はすっかり、ハルのママで直輝の奥さん状態(笑)。

直輝も、しっかりと過去と向き合って整理をつけたようです。

次回は直輝と清香さんのご対面の予定です。

がんばれ直輝!


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